20話
星は淡い瑠璃色の水晶が周囲を取り囲む一室へと転移した。これらの水晶は霊峰にある土中成分と莫大な魔力を混ぜ合わせた特別製であり、凄まじい硬度を誇っている。魔王城クリスタルパレスは全てこの魔水晶で出来ているのだ。
外からの光が反射、透過して美しい色合いを見せており、室内は幻想的な光景を見せている。さらに魔水晶そのものも内部で魔力が活性化して淡く光を帯びていた。非常に魔力濃度が高い場所などで見られる魔力光である。
「大体はイメージ通りか。この様子なら地下も問題なさそうだな」
星はそう呟きながら魔水晶製の椅子に座り、集中して魔力核とのリンクを強めた。現在は別の場所に魔力核を設置している。落ち着いたら安全で堅牢な場所に移動させるつもりなのだが、今は初めに星が埋め込んだ場所のままなのだ。
「……うん。地下水晶迷路も上手く出来ている。これも落ち着いたら改良しよう」
星が魔力核とリンクして見ている光景は、魔王城クリスタルパレスの地下に広がっている魔水晶の迷路だ。この城は霊峰の頂上付近にそびえているため、その地下には山体が丸ごと残っているのだ。それを利用して地下迷宮としているのである。
ちなみにこの地下迷路は城の方から潜入するのではなく、麓が入り口となるように設定している。麓から迷宮を上れば、寒さで凍えることなく魔王城クリスタルパレスまで入ることが出来るのだ。
そして普通に山を登ろうとすれば死ぬような寒さに晒されることになる。
何故なら迷路内を温めるために霊峰外部の熱エネルギーを奪っているからだ。広大で複雑な迷路を温めるためには相当な熱エネルギーを奪われることとなり、実にマイナス百度以下の気温となっている。飛行船に備えられているような高出力暖房魔道具でもない限りは数秒と生きていられないだろう。
霊峰全体を迷宮の領域としたのはこのシステムを形成するためだった。
「ともかくこれで引いてくれればいいんだけど」
星が思考リンクの演算領域を大幅に割いてまで迷宮を創造したのは、アルギル騎士王国軍を引き上げさせるためである。普通の騎士ならばともかく、騎士団長や近衛騎士クラスが相手では間違いなく勝てないだろう。
そもそも星自身が人間相手に剣を振り下ろせるかが分からない。
飛行船を破壊したときは無機物を潰すというイメージがあったし、戦闘中の興奮もあって飛び散る血液を見ても思ったより気にならなかった。
しかし改めて人を斬る、または攻撃するとなれば躊躇ってしまうかもしれないのだ。
星はそんな願いをしつつ、魔力核を通じて外の様子を観察するのだった。
◆ ◆ ◆
星がそう願っている一方で、二つだけ残された飛行船の内部は慌ただしく情報が錯綜していた。霊峰を攻略するために用意した飛行船が十八隻も破壊され、その残骸はさっき魔王城クリスタルパレスが出現したときに起こった雪崩で麓まで流されている。
地形を変化させて迷宮を創造するのは魔王の秘術だが、これほどまで急激な変化を与えるなど聞いたことのない話である。
彼らに伝わっている魔王の情報では、迷宮は何年もかけて生成されるものだった。
だからこそ作戦指令室のリオルも苦々しい表情を浮かべていたのである。
(初めから仕込んでいたのでしょうか? まさか魔王にあれ程の能力があったとは……)
飛行船の指令室から見て観察した魔王の戦闘能力は大したことはなかったと言える。それは様々な計器でも示されている事であり、こうして不覚を取ったのは能力不明の魔物と、転移による移動が原因だった。
特に魔物が非常に厄介である。
(確かアビスでしたか? せめてサンプルを一体持ち帰りたかったですね)
外部の音を拾うことで、漆黒の魔物が『アビス』という名であることは分かっている。少年の如き見た目の魔王がそう言っていたからだ。
だが魔物の性質や能力は全くの不明。
殺すたびに強くなる能力ではないかと予想されてるが、その反面で『そんな馬鹿な』とも思っている。参謀として、情報が無いことほど不安なことはなかった。
そしてそう思っているのはリオルだけではない。
「室長。どうしますか?」
「飛行船は旗艦と第二十艦を除いて全滅。第一騎士団の多くが殺されました。計器の測定によれば魔王はあの美しい宮殿へと消えたようです。魔力の痕跡から先ほど確定しました。追撃しましょう!」
「そうです! 騎士たちの仇を討つべきです!」
「待ちなさい。感情で行動してはいけません」
興奮気味に叫ぶ一級参謀室の部下を宥めながらもリオルは考える。
王命である霊峰攻略は簡単に撤退が許されるものではない。竜脈に流れる生命エネルギーの減少という国の有り方にも関わってくる大問題なのだ。アルギル騎士王国の周辺で採取できる特別な薬草は国の大きな収入源になっており、他国と渡り合う上でも重要な資源だ。
攻略できませんでしたでは済まないのである。
「騎士団長の方々の話も聞く必要がありますね……すぐに呼んでくださいますか?」
「はっ! 第一騎士団団長シギル・ハイドラ殿と第三騎士団団長レイナ・クルギス殿は第二十艦におられるため通信での話し合いになりますがよろしいですか?」
「構いません。それと第五騎士団の三方にもお越しいただきましょう」
リオルはそう指示を出す。
さすがにリオルだけでは判断できない事案だ。確かにリオルは作戦全体を指揮する立場にいるが、魔王を討伐できるかについて騎士団長クラスの実力者に意見を聞く必要がある。
想定外の事案であるため、彼の知識だけでは判断できないのだ。
「第五騎士団副長ジュリアス様、以下二名をお連れしました」
「第二十艦と通信が繋がりました。シギル様とレイナ様が映ります」
船員や技術員の仕事は早い。
リオルの指示を受けてあっという間に簡易的な会談の用意が整った。
作戦指令室の扉から入ってきたジュリアス、ヘンリー、アンジュリーたちは戦闘が終わったところだが疲れた様子もなく、画面の向こう側にいるシギル、レイナも同様だ。やはり騎士団長クラスともなると化け物のような体力を持っているということだろう。
「このような恰好で済まない。だが緊急だと聞いてな」
「いえシギル殿。こちらこそ急で申し訳ありません」
初めに口を開いたのは第一騎士団団長シギルであり、彼は纏っている鎧を血で汚していた。もちろん自分のものでも敵のものでもなく、部下だった者たちの血である。仲間の血を浴びることは珍しいことではないのだが、今回ばかりは屈辱的な思いが滲み出ているようだった。
そして挨拶も早々にリオルは本題を切り出す。
「それで皆様を呼び出した理由ですが……今回の霊峰攻略作戦を続行するか否かです。魔王に関しては私も予想外で、その情報も非常に古い資料でしか知りません。だからこそ実際に相対し、攻撃を加えた皆様の情報が必要なのです」
「なるほど……それでは私の話は役に立ちそうにありませんわね。どうにか強力な魔法を直撃させることは出来ましたが、あの通り傷もつけられていないようでしたから」
「ではレイナ殿には魔王の魔法技術的な観点を述べていただけますか? 確か魔力を感じ取る技能をお持ちでしたよね」
リオルの問いかけにレイナは深く頷く。
彼女は非常に珍しい技能である魔力感知を有しており、自分以外の魔力の流れを知ることが出来る。これが分かれば魔法の発生地点や、魔法発動の痕跡などを感じ取ることが出来るため、様々な利点がある。
その技能をもって魔王の魔法的技術がどれほどなのか判定して貰おうとしたのだ。
専用の計器でも魔力は観測できるのだが、それがどれほど緻密に操作されているのかは人が観測したほうが正確なのである。
「かなり高いと言えるでしょう。初めこそ並みよりも上……と言った程度でしたが、途中から急激に能力が上がっているように感じました。私の操作能力すらも上回るかもしれません。まるで魔術回路で機械制御しているかのように正確でした」
「確かに魔法能力は高いかもしれないね。僕たちが阻まれた特殊な障壁魔法のこともある」
ジュリアスがレイナに同意するようにして口を挟む。
ジュリアスたちが幾ら破っても内部から再生し続けることで保ち続けていた《連装障壁》は単純な魔法ではない。かなり緻密な魔力操作をもって維持する必要があるのである。とても戦闘しながら張れるとは思えない。普通ならば魔道具を用いて展開するようなレベルだった。
その障壁のせいで部下を大量虐殺されたシギルは悔しさを滲ませる。
リオルはそんなシギルを気にしつつもレイナの意見に補足した。
「それと第一騎士団副長のアレイル・バーン殿からの通信ですが、魔王は魔法をいつまでも無効化し続けていたようです。千以上の魔法を表情一つ変えずに消し去っていたと報告を受けました。
古い書物の情報では魔王は長く魔法を消し続けることが出来ないとありましたし、これに関しては非常に厄介ですね。もしかすると古い情報は役に立たないかもしれませんから」
「いやリオル殿。それは言い過ぎだ」
「そうだね。シギル殿の言う通りだよ。あの魔王が特別に魔法消去を得意としているだけかもしれないからね」
確かにその通りだとリオルも納得する。
冷静でいようと努めていたつもりだったが、やはりどこか動揺していたらしい。『叡智』のリオルには珍しく視野が狭くなっていたのだった。
「……魔法技術が非常に高いようですし、ジュリアス殿が言った通りかもしれませんね。ならば次に話すべきは魔王が操る魔物でしょうか? この中で直接戦ったのはシギル殿だけなのですが、実際に戦った感想としてはどうですか?」
「うむ……」
難しそうな顔していたシギルは重々しく頷いて話し出す。
「初めは非常に弱かった。それこそ霞でも切っているかのように軽い一撃でも倒せたのだ。相手に回避の技術も防御の手段もなかった。
だが何十体と倒したところで変化が起こった。
急激に強くなり、奴らの表面が鉄のように固くなったのだ。さらに不定形魔物であることを利用した攻撃は回避が難しく、多くの部下が犠牲となった」
「急激に強くなったというのが問題ですね。私が知っている限りでは魔物が急に強くなるような現象は存在しませんから」
「リオル殿でも知らないか。私も長く第一騎士団にいるが、あのような魔物は初めてだった。考えられる理由としては、強い個体を後にとっておいたというところだろう。だが私は倒すたびに奴が強くなっているように感じた。偶然にも徐々に強い相手と戦い続けたということはないだろう。何かしらの特殊な能力なのかもしれない」
シギルからすれば問題なく倒せる程度だったが、それでもアビスが常に強くなっていることは感じ取れていた。倒しても倒しても更に強い個体が相手になるということは非常に負担であり、例えるなら体力テストにある二十メートルシャトルランのようなものである。
余程の体力と実力と精神力がなくては耐えられないだろう。
「厄介な魔物に、レイナ殿も上回る魔法能力……まるで長きを生きた伝説の魔王のようですね」
「童話にあるアンデッドの魔王のことですか? さすがに冗談が過ぎますわよリオル殿」
「ですが童話と言っても事実を元にして作られた物語です。有り得ないとは断言できません。それに魔王は一つの時代に一人だけだと言われてきました。前回の魔王はエルフたちが封印していたハズですから、もしやその封印が解けてしまったという可能性は?
いえ、ありませんね。あの魔王の操っていた魔物とは異なるようですし」
自分で意見を言って自分で否定するリオル。
どうにも情報が少なく、議論するだけでは今回の魔王が何者が分かり得ないようだ。
するとここで黙っていたヘンリーが口を開く。
「そう言えば……魔王は俺たちの前に出てきたときに『少し聞きたいことがある』とか言っていたような気がする。どうにも情報を集めようとしていたみたいだし、やはり生まれたての魔王じゃないのか?」
「確かにそんなやりとりもしたね。自分は危害を加えていないのに攻撃するな……みたいな内容だったと思うけど」
「ジュリアスの言う通りだわ。生まれたてとは言わずとも、封印が解けて出てきた魔王だとは考えにくい。もしもそうならば恨みを晴らすべく問答無用で攻撃をしてくるでしょうからね」
リオルは思案する。
現在の段階で得ている情報と、そこから推測される魔王の実力。そして霊峰という地の利が全くないどころか悪影響すらも与えてくる場所も問題となる。これまでのように寒いだけなら良かったが、今は霊峰全体が迷宮化されて気温もマイナス百度と生物の限界を超えていた。
よってリオルの提案はただ一つである。
「撤退です。もう一度情報を集めて魔王を討伐する方向でいきましょう。相手は魔王……魔力の精霊王だと分かっているのですから、精霊対策を立てれば十分に通用します」
シギルは若干眉を顰めたが、妥当な判断だと理性で同意する。
魔王の魔法能力を直に感じ取ったレイナはすぐに首を縦に振った。
当然ながらジュリアスたちもリオルの考えを支持する。
他にもこの会談を聞いていた船員はいたが、誰一人として反対しようと思う者はいなかった。
こうしてアルギル騎士王国軍による霊峰攻略作戦は竜王を討伐したことを除いて失敗。だが竜王の素材を回収することが出来なかったことを考慮すれば完全に失敗という戦果で撤退することになったのである。
第一章はこれで終了です。
まずは現状把握と人類撃退、そして拠点確保がメインだったので舐められている感は少なかったと思いますが、次章からはそういう場面が出てくると思います。