19話
ゴゴゴゴゴゴ……
霊峰全体が激しい揺れに包まれ、騎士たちは何事かと周囲を見渡す。特に旗艦の指令室にいたリオルたち作戦指揮官は各種計器をチェックしつつも状況を確認していた。誰かが何かを叫ぶが、それも霊峰が揺れる轟音に掻き消されて意味を為さない。
しかし作戦指揮たちや計器の観測員たちは唇の動きだけで全てを理解することが出来た。戦場でまともに声が通ることを前提にするわけにはいかないため、しっかりと読唇術の訓練をしているのである。その他にも簡単なハンドサインなどを通して意思疎通を図っていた。
(魔力観測装置が異常な魔力変動を感知!)
(周囲の気温が急激に低下しています。圧力変動で《真空結界》が解除されてしまいました。暖房魔道具にさらなる魔力供給を!)
(こちら暖房魔道具制御員。了解だ)
(結界装置を強化します。《真空結界》は諦めて五分後に《障壁》を展開します。その前に各員を帰艦させてください)
(外に投げ出された第十九艦の第三騎士団員に早急な帰艦命令を。飛行することの出来ないシギル団長を誰かに回収させてください。第五騎士団にも同様に帰艦命令を出してください)
(第一騎士団の亡骸は諦めろ! 生きている者を最優先にするんだ!)
(魔王はどこに消えた!? 早く探知しろ!)
護衛で搭乗している第一騎士団のメンバーだけでなく、飛行船や各装置の技術者までもが慌てて行動していた。だがそれも当然のことだろう。漆黒の魔物を操る魔力の精霊王はこれで十八隻もの飛行船を破壊してしまったことになるのだ。誰もが次は旗艦かもしれないと考えてしまう。
そこで防御力の高い無属性魔法《障壁》を魔力核を組み込んだ魔道具で発動し、早急に魔王の居場所を感知していた。
さらに現在起こっている原因不明の振動を調べるために各計器をフル稼働させていた。
(霊峰の山頂付近にて魔力が動きました! 大規模な魔法が発動されたようです!)
(気温がさらに低下しています。暖房魔道具をもっと稼働させてください)
(すでに全部を起動させている!)
(ならば不必要な魔道具を停止させて暖房魔道具に魔力をまわしてください! 出力で補います)
(一部通路、部屋の照明魔道具を停止させます! また火や水などの一部インフラ設備も全停止です)
(了解。それで十分だ)
飛行船の外では気温が低下し続け、今ではマイナス七十度にもなろうとしていた。それでもまだ低下し続けているため、飛行船は一部の設備を停止させて暖房魔道具に出力をまわす他ない。
そしてどうにかして帰艦しようとしている騎士たち―――第五騎士団の三名、第一騎士団団長シギル、第十九艦に乗っていた第三騎士団員―――は携帯用の暖房魔道具でどうにか耐えながら必死に飛行船へと戻ろうとしていた。
風魔法で空を飛ぶことの出来る者はすぐに帰艦できるのだが、それが出来ない者はどうしようもない。そこで飛行できるものが出来ない者を助ける形でどうにか全員が上空の飛行船を目指していた。
飛行船の《障壁》が発動されれば極寒の外に取り残されることになるので皆が必死である。
シギルも優秀な第三騎士団のメンバーの一人に手を引かれて旗艦を目指していた。
「くっ……またしても魔王め……」
シギルは眼下に広がっている紅色の斜面を見ながらそう呟く。
その赤い絨毯でも敷いたかのような光景は部下だった第一騎士団の者たち四千名弱の血で出来上がったモノであり、霊峰に降り立った者の中で自分だけが生き残ってしまったのだと実感できた。
ドラグーンがおらず、本来の力を出せなかったとは言え悔しい。
自分を殺したくなるほどに悔しい。
そして全てを破壊したくなるほどに憎らしい。
だがそれと同時に今は引かなければならないと判断できる程度には冷静だった。
シギルは無意識に強く握りしめていた時空魔剣の柄を血で濡らしつつ、旗艦へと戻っていった。
その一方で第五騎士団であるジュリアスたちも急いで帰艦を目指していた。
「何て冷気なんだ……暖房の魔道具がなければ死んでいたかもしれないね」
「ジュリアス副長、急ぎましょう」
「分かっているよヘンリー。アンジュもいけるかい?」
「問題ありません。私たちが運んでいる騎士たちも限界が近そうですし」
この三人は低位竜を騎獣としているため飛行魔法がなくとも空を移動できる。だから空を飛べない第三騎士団の者を何人か乗せて旗艦に向かっていた。
乗せられている第三騎士団の者たちも、本来ならば滅多にお目に掛かれない近衛騎士団のドラゴンに乗って移動しているのだから喜ぶべきだろう。しかし、いきなり乗っていた飛行船が破壊され、さらに原因不明の揺れが霊峰を襲っている状況なのだ。
素直に喜ぶ暇など無い。
そして激しい揺れが続いている中、どうにか五分以内に全員を二隻の飛行船に戻すことが出来た。
《障壁》内部に新しい《真空結界》を発動させ、外の轟音を遮断させてから指令室のリオルはすぐに指示を出す。
「《障壁》を最大まで強化! 魔道具の魔力核を最大まで稼働させてください。そして念のため逃げる準備もお願いします!」
「しかしリオル様……」
「不測の事態です。最悪の場合は情報だけでも持ち帰らなければなりません!」
逃げることを想定しているリオルに非難の視線が向けられたが、そのリオルは正論で捻じ伏せる。アルギル騎士王国をあげて編成された軍として、逃げることなど赦されるはずもない。たとえ相手が竜王二体でも大丈夫なように考えられた軍事編成だったのだ。
四千名以上の死者を出している時点で敗北は確定していると考えるべきだが、それでも竜脈の湧き出る特異点である霊峰を手に入れるためならば必要な犠牲として処理できる。彼らに撤退の二文字は無いハズだった。
しかしリオルはこの想定外の事態を非常に重く見ていた。
普通ならば魔王が出現した程度で動揺することはない。今回はいきなりの出現で多少驚いたが、それでも余裕で討伐できると考えていた。しかし現実は軍を壊滅に追い込まれ、さらには原因不明の揺れで右往左往させられている。
氷竜王こそ討伐できただろうが、異常な魔王は姿すら捉えられていなかった。
「魔王の姿は?」
「巨大魔力を感知できました! 霊峰の頂上……氷竜王の側です」
「光学観測で確認を!」
「観測しました。表示します!」
虚魔法によるカメラのような魔道具で霊峰山頂付近の映像が指令室のスクリーンに映し出される。すると指令室にいたほとんどの者たちがスクリーンへと釘付けになった。
まず目についたのが巨大な竜王の姿。
透き通るような美しく青白い竜鱗もはっきりと見え、白い背景にこの上なく映えている。そして五十メートルもの巨体全てを映し出せる距離で見ると、氷竜王の頭の上に誰かが乗っているのが見えた。
光学観測員は誰に指示されるでもなく映像を拡大して氷竜王を頭部を映し出した。
するとそこに見えたのは黒髪黒目の少年。
濃紺の服はスーツに近く、赤いネクタイが異様に目立っている。少年の体つきや顔からは強者らしいオーラが見えないものの、魔力観測によって示されている属性は確かに無属性、つまり魔力の精霊王だけが生み出せるはずの属性だった。
「魔王……」
リオルはそう呟いて身震いする。
確かにあの姿は第三騎士団の放った極大多重炎風複合魔法収束型《蒼白龍炎砲》を直撃させた少年であった。大地をも溶かしてしまう超高温の熱線が直撃したにもかかわらず衣服には汚れが見えない。
まるで何事もなかったかのように佇んでいる少年の姿が非常に不気味だった。
◆ ◆ ◆
星は騎士たちが見せた一瞬の隙を使って思考リンクで構成した演算領域を一気に迷宮作成へと注ぎ込み、あっという間に地形変動を引き起こしていた。
普通では何か月、何年とかけて地道に迷宮を作っていくのだが、圧倒的な演算力を以てすぐに完成させようとしたのである。星、六百を超えるアビス、そして魔力核との思考リンクを利用すればこういった遠隔操作もお手の物なのだ。
星は《転移》で氷竜王の頭に上に跳び、息も絶え絶えの氷竜王クリスタルに話しかける。
「大丈夫なのか!?」
「―――星―――か―――?」
「ああ、魔力が空っぽだけどお前もしかして……」
「―――」
「やっぱり生命エネルギーを使ったのかよ! 死ぬ気か!」
「た―――だでは―――死な―――ぬ」
魔力の精霊王である星が感じ取った氷竜王の魔力量はゼロであり、命を燃やし尽くして魔法を使ったことを意味していた。いや、そうでなくとも混沌属性の攻撃を受けて致命傷も負っている。星にはクリスタルを助ける術がない。
「竜脈から生命エネルギーを得られないのか?」
「不可能―――だ。致―――命傷を―――負いすぎ―――た」
「くっ!」
竜王でも竜脈の力を自在に扱えるわけではない。一定以上の自分の魔力を呼び水とすることで竜脈を整えたり、竜脈から力を借りたりできるのである。自身の生命エネルギーが空となっている状態では不可能なことだ。
星は悔しそうな声を上げるが、クリスタルは弱々しく言葉を続けた。
「お前の――せいで―――は―――ない。私の―――弱―――さ―――と油断が―――招いた―――こと―――なのだ―――か―――ら」
もっとも大きな敗因はクリスタルが油断していたことに他ならない。
霊峰という地の利を過信して大量の魔力を気候変化のために使ってしまったのだ。飛行船を使って来たアルギル騎士王国の軍に通用しなかったためにこのような結果となったのである。
だがクリスタル自身は死ぬことに対してそれほど悲観してはいなかった。
「私は―――転―――生―――して―――甦る」
「…………」
「―――私の亡骸を―――お前にやろう。有―――効―――に使う―――こと―――だ」
「……ああ」
星の返事を聞いて口を閉じ、目を閉じて満足そうな表情をするクリスタル。人間に素材として利用されるぐらいならば、魔力の精霊王である星に処分して貰えた方が何百倍もいい。
それに自分自身は転生する。
記憶は消えるが、魂は再び竜王として蘇るのだ。
クリスタルはそれゆえに死ぬこと自体を恐れたりはしない。
恐れているのは自分が死んだ後にどうなるかぐらいだ。
(だが問題なかろう。星ならば……今回の魔王ならば上手くいく。竜も精霊も星によって本来の役割へと戻ることが出来ると今の私ならば確信できる)
クリスタルが霊峰に突如として出現した星を初めて見たときは期待などしてなかった。せいぜい自衛が出来るように教え、人類の攻撃から少しでも身を守ることが出来ればよいと思っていたのだ。
しかし今の星の顔つきを見れば、魔王はもっと大きなことを為してくれると思える。
星からは迷いが消えており、何かを決意したような目をしていたからだ。
(私が転生するまでの間……任せたぞ)
霊峰が激しく揺れて頂上付近に亀裂が入る。
そびえていた氷の柱も軒並みに折れてしまい、雪雪崩も発生して星が殺し尽くした第一騎士団の死体を呑み込んでいた。
クリスタルの巨体もこのままでは崩れる霊峰と一緒に転がり落ちてしまうだろう。しかしクリスタルは慌てることもなく目を閉じたまま最期の瞬間を待っていた。
それは自分の死を確信して諦めているわけではない。
霊峰を襲っている激しい揺れが迷宮化による地形変動だと分かっているからだ。
自分の死後、星の居城として扱われるだろう霊峰の迷宮。
どんな風になるのかと想像するだけで満足できるような気がした。
死を直前にしてクリスタルの感覚は研ぎ澄まされ、目を閉じていても音だけで周囲の様子が窺える。竜脈を感じれば、魔力核に接続されていることが理解でき、クリスタルも思わず驚いてしまいそうな勢いで変遷が行われていた。
だからこそクリスタルには分かるのだ。
どんな迷宮が形成されるのか……魔王城クリスタルパレスは如何なるものであるのかを。
ガアァァァァァァァアアンッ!
凄まじい轟音と共に霊峰の頂上付近が弾け飛ぶ。
氷の破片が飛散し、日光を反射して輝くと同時に、弾けた山頂から現れたモノに誰もが心を奪われた。
そこにあったのは吹き飛んだ山頂と同じ大きさの宮殿。
水晶のように透き通った色合いの宮殿だった。
薄い瑠璃色の輝きを放っている宮殿は全てが最硬の水晶で出来ており、見た目としては中東風に近い。もしくはタージマハルのような見た目だと言えた。
そして氷竜王クリスタルは吹き飛んだ山頂の残骸と共に落下しようとしている。星はそんなクリスタルに右手を当てながら小さく口を動かして呟いた。
「お前の意思……受け取るぞ」
クリスタルの体は星の右手から広がった漆黒の物体に包み込まれ、一秒と立たずに黒い繭に包まれたかのような状態になる。そしてその五十メートルを超える漆黒の繭は一瞬にして収縮し、星の右手の中で剣の形となった。
つまり深淵剣として利用していたアビスだったのである。
(竜王の肉体を捕食……解析開始)
アビスの肉体であるダークマターはあらゆる性質へと変化する。
そして新しい性質を獲得するには、その対象を一度でも取り込むことが重要なのだ。そこから解析することで新しい性質を獲得できるのである。鋼の性質を手に入れたときは星の知識と、僅かな刃こぼれの破片から解析したため素早く性質を獲得できたのである。
さすがに竜王の体についての知識は無いため、今回は一から解析することになるのだが、思考リンクによって演算力が破格となっているアビスにとっては問題ない。普通ならば半年はかかる解析でも一日と経たずに完了するのだ。
(さすがに今すぐには無理か……多めに見積もって八時間ってところか?)
しかし氷竜王の肉体の性質を今すぐに使える必要はない。
すでに予定していた星の作戦は完成しているのだ。氷竜王クリスタルの肉体については予想外のことであり、アビスがこの性質を使えなかったとしても支障はないのだ。
要はアルギル騎士王国軍の目の前で魔王城クリスタルパレスを完成させればよい。
第一騎士団を殺し尽くすことでアビスは強化済みであり、さらに魔王城クリスタルパレスが完成したことで守りは完璧となった。もはや残っている二隻の飛行船は引くしかないのである。
星は一度だけ旗艦へ向けて強い視線を飛ばしたのち、迷宮内転移を利用して魔王城クリスタルパレスの中へと移動したのだった。