18話
魔力の精霊王こと星は非常に追い詰められていた。
星を取り囲むようにして睨みをきかせているのは第五騎士団のジュリアス、ヘンリー、アンジュリーの三人。そして地上を見下ろせば怒りに燃えた第一騎士団団長のシギル。
命を燃やしてブリザードを振りまいている氷竜王は身動きが取れず、むしろブリザードの威力が下がっているようにも感じられる。当然ながら助けは期待できない。
(五分だけ……いや、三分だけ耐えられるか……?)
星がアビスとの思考リンクによる演算領域を割いてまで用意している作戦にはもう少しだけ時間が掛かる予定だ。それまではこの状況を一人で乗り切らなくてはならない。
(俺に近接戦闘は無理……ならば空中を逃げるしかない)
アビスが学習した内容は思考リンクを通じて星にもフィードバックされているため、騎士たちの動きをトレースすることぐらいは出来る。
普通ならば知っていることと実際に身体を動かすことは違うのだが、今の星は魔力体であるため、意志のままに自らの体を動かすことが出来るのだ。つまり知っていさえいればその動きを再現することが出来るのである。
しかし相手は最強の騎士たち。
精神的に直接戦闘に慣れていない星が勝てる道理はない。それどころか十秒も持たないだろう。
「逃げるか」
星は迷宮内転移を利用してその場から消える。
そして彼らの上空に出現して《障壁》を足場として張り、そこに立った。
「上空にまで迷宮の領域を拡張しておいて正解だった……なっ!?」
転移によって逃げ切れたと油断していた星は突如として発生した斬撃に《障壁》を切り裂かれて空中に投げ出される。
驚いた星は魔力を辿って斬撃の発生源を見ると、地上で激しい魔力を纏いながら剣を振り切っているシギルの姿が見えた。
シギルは星に追い打ちをかけるようにして更なる斬撃を放つ。
「逃すか魔王っ!」
「《転移》!」
シギルの放った斬撃は星の《障壁》をも破壊する威力。星は下手に無効化せずに回避することを選んだ。
そしてそれは正しかったのだと証明される。
先程まで星が居た場所で強い魔力が発生し、空間を切りつける。
「時空属性!? ヤバい!」
シギルが持っているオリハルコンの剣は特別製である。
希少かつ伝説とも言われる法則属性の一つ、時空が込められた魔剣なのだ。これがなくとも鋼鉄すら切り裂く技能を持っているシギルがこの魔剣を使えば鬼に金棒。
たとえ地上にいたとしても空間を飛び越えて斬撃を発生させるシギルの魔剣ならば空中を逃げる星にも攻撃を届かせることが可能だ。
「くそっ! 《転移》!」
「させん!」
転移しようとしたところをシギルは切り裂く。
空間に干渉することで転移を失敗させようとしたのだ。しかし星の使う迷宮内限定の転移は空間系の能力ではなく無属性魔法の一種だ。
魔力体である魔王の性質を利用したものであり、時空属性の干渉では防げない。
転移する魔王を狙い撃ったつもりが、普通に転移されたことにシギルは驚いた。
「時空属性ではないのか! ぬっ!?」
すぐに星の転移が時空属性でないことを見抜いたシギルだが、次なる攻撃を邪魔するべく命令を受けたアビスがシギルへと襲いかかる。
全方向から同時に攻撃を受けたシギルだが、すぐに反応して一太刀で全てのアビスを切り裂いたのだった。
「甘いっ!」
時空属性によって空間中へと複数の斬撃を発生させ、一気に攻撃したのである。空間を切り裂くこの魔剣の力には鋼鉄の性質を持ったアビスでも耐えられず、一撃で霧散してしまった。
後にはポトポトと魔石が落ちていく。
「反則だろ……」
「君もそんな風に観察している暇はあるのかな?」
転移先で動きを止めていた星に向かって放たれたのは混沌属性の斬撃。時空属性と同じく星では無効化できない属性の攻撃だった。
生命エネルギーを削り取る混沌属性の恐ろしさは氷竜王がその身で証明している。
星は横に飛びのいて回避した。
転移先を正確に把握して指定する必要のある《転移》が使えなかったからである。
「そこだ!」
「死になさい!」
しかし回り込んでいたヘンリーとアンジュリーが星に向かって竜殺剣を振り下ろしていた。
ジュリアスはわざと星が避けられるように、そしてヘンリーとアンジュリーが回り込んでいる先に回避するように誘導していたのである。相手の動きを好きなように誘導する高等技術。ジュリアスがどれほどの能力を備えているのかが窺えた。
アビスとの思考リンクによって実戦の経験を得ているにもかかわらず騙されてしまったのだ。これに関しては仕方がない。
「あぐっ……!」
容赦なく、躊躇いなく振り下ろされた竜殺剣が星の体を吹き飛ばす。体に纏う《障壁》のお陰で辛うじて混沌属性の魔力を防ぐことが出来たが、それでも衝撃は殺せず、さらに身体に纏う《障壁》も破られた状態で地面に激突してしまった。
そして落下地点を狙ってシギルが斬撃を発生させる。
空間を切り裂く攻撃が幾重にも炸裂した。
ズガッ! ガガッ!
ズガガガガガガガッ!
同じ時空属性を使わなければ防御不可能の斬撃。それは霊峰に積もる万年雪や地面ごと切り裂いて全てを細切れにしていく。容赦なく放たれた無数の斬撃が星の落下地点を蹂躙し、周囲は白と茶色の煙に包まれた。
「ドラゴンよ、火炎弾だ」
追い打ちをかけるようにしてジュリアスがドラゴンに火炎弾を吐くように命じる。低位竜ではブレスのような強力な攻撃は出来ないが、それでも相当な威力の属性攻撃を放つことが出来た。
ジュリアスの騎獣としている低位竜は火竜だ。
つまり火炎弾を使えるのである。
そしてそれに倣うようにしてヘンリーとアンジュリーもそれぞれの低位竜に命じた。
「風圧弾!」
「火炎弾を使って!」
追い打ちの属性弾は雪煙と土煙の中に消えていき、さらなる爆発を引き起こす。そしてヘンリーの低位風竜が放った風圧弾によって周囲が吹き飛ばされ、攻撃の跡が明らかになる。
星が墜落した一帯はボロボロになるまで斬撃の跡が奔り、ドラゴンたちの攻撃によって細かい破片が散っていた。原型を留めないほどに崩された霊峰の斜面には星の姿は見当たらない。
「集中して気配を探るんだ。奴は転移を使うからね」
「分かってますよジュリアス副長」
「旗艦の魔力観測装置を利用しますか? その方が確実でしょうし」
「そうだね。アンジュの意見も採用しよう。連絡を入れてくれるかい?」
「もちろんです」
三人の近衛騎士は低位竜に跨りつつ一か所に固まって相談をする。
そして一方のシギルはオリハルコン製の魔剣を上段に構えつつ、魔王が墜落した地点を、地形が変わる程の攻撃を与えた地点を凝視していた。
彼にとって魔王は大切な部下を虐殺した大悪人。
その手で切り刻んだことを確認するまでは気を緩めることなど出来ない。
「…………」
無心に魔王を殺すことだけに精神を注ぐその姿。
何があっても必ず殺すという意思が見て取れる。アルギル騎士王国でも最強クラスの騎士が精神を尽くして殺そうとしているのだ。並みの者ならばその姿を見ただけで失神してしまうだろう。
極寒の風が山頂から吹き下ろされる中、彼の静かな炎だけは揺らめくことなく燃え続ける。
まるでオーラが立ち上っているような殺気が滲み出ており、シギルの圧倒的な存在感を二段階ほど上に押し上げていた。
決して仇を逃さないという空気を醸し出している一方、山頂で命を削りながら絶氷の暴風を放っていた氷竜王にも変化が訪れる。
「―――私も―――これ―――ま―――でか―――」
既に魔力が無い状態で魔法を発動し続けることは命を削ることに等しい。魔力とは生命エネルギーに意思を乗せたモノであり、全てを消費しつくしてしまえば命を失う。
凄まじい竜王としての生命力があったからこそ長く魔法を発動していられたのだが、それも限界。むしろ近衛騎士による《瘴覇竜滅斬》を受けておきながら、よくぞこれまで魔法を発動し続けられたものだと考えるべきだった。
尤も、氷竜王を抑えていた魔法師団からすればいい迷惑だったのだろうが……
「あちらも終わりみたいだね」
ジュリアスは少しだけ竜王の方へと目を向けつつ呟く。
竜殺剣で確実に仕留めたと考えていたのだが、意外としぶとく生き残って魔法を放ち続けていたことには彼も驚いていた。さすがは古来から生きている竜王だと思わされる。
しかしジュリアスはこう考えている。
人類こそが世界を統べる種族。
その前には竜も、悪魔も、魔物も、魔王さえも立ちふさがることは許されない。立ちふさがることなど決してできないのだと。
そんな自負から誇らしげに飛行船の方へと視線を向けたジュリアスは、次の瞬間に驚愕の表情に包まれることになる。
「油断しすぎなんだよ。深淵剣」
飛行船の第十九艦の上空で漆黒の剣を振りかぶりながらそう言ったのは星。凄まじいほどの攻撃を叩き込んだはずの魔王だった。
竜殺剣で攻撃された瞬間に座標を設定し、地面と激突した瞬間に《転移》を発動させることによってシギルとドラゴンたちからの攻撃からは逃れていた。さらに転移先では魔力を抑えて感知されないように制御していたため、旗艦に搭載されている魔力観測装置も反応しなかった。
鋼鉄へと性質変化し、剣の形へと形態変化した魔物アビス。
その生体武器とも言える深淵剣は星の振り下ろしと同時に巨大化し、不意討ちで第十九艦を切り裂いた。
『アアァアギャアアアアガァアアッ!?』
様々な叫び声が混ざり合って不協和音が響き渡る。
《連装障壁》の内部で十七もの飛行船を破壊したのと同様に、魔法師団の乗る第十九艦は真っ二つに引き裂かれた。
「なん……だって……」
「くっ、飛行船が!」
「そんな……」
完全に破壊された飛行船は空を飛ぶ機能を失ってバラバラと崩れる。甲板で魔法を発動していた魔法師団の団員たちは空中に投げ出され、多くが絶叫を上げつつ落下していた。
風魔法を使える者だけが上手く落下の速度を落とすことが出来ている程度であり、半数以上がこのままでは地面に叩き付けられることになる。
しかし如何にアルギル騎士王国で最強の第五騎士団だといっても、三人では出来ないこともある。このような大人数を一気に救出するのは非常に難しい。それでもジュリアスたちはどうにかしようとして風魔法を発動させたのだった。
『《護風》!』
ジュリアス、ヘンリー、アンジュリーの三人は風で広範囲を包み込む魔法を放つ。初級で威力も大したことがない魔法だが、風の力で落下速度を遅めたり衝撃を和らげることも出来る。さらに初級ゆえに広範囲の発動が可能だった。
風魔法が使えない魔法師団の団員もジュリアスたちの機転によって救われる。
しかしこの三人が魔王から目を離したことは致命的だった。
魔王を殺すべく集中していたシギルでさえ第十九艦崩壊には一瞬の動揺を見せてしまった。
つまりは星がフリーとなる瞬間が訪れたのである。
「タイムオーバーだ。出てこい―――魔王城クリスタルパレス」
その言葉と同時に霊峰が激しく揺れ始めた。