13話
突如として溢れだした漆黒の物体……いや、生物。
白銀の景色を背景にすると黒色が酷く強調されているように見えた。特に上空からその様子を観察していた参謀リオルたちは驚きを隠せない。旗艦の指令室にいた船員は口々に驚きの声を上げていた。
「何だあれは!?」
「瘴気? ではありませんね。濃密な魔力反応です」
「つまり魔物だと?」
「反応が一気に増加しました。反応が重なっていて正確ではありませんが、少なくとも百以上はいるように思えます」
「第一騎士団長シギル・ハイドラ様に連絡しろ!」
「もうやっている!」
「黒い魔物……まさか新種? やはり奴は魔王なのか!」
旗艦に搭乗している船員は慌ただしく各自の仕事に取り掛かる。彼らは騎士ではなく飛行船を運用するために搭乗している者たちだ。船の操作だけでなく、通信具や観測用の道具などを操る専門の技師たちも含まれている。この者たちは戦う力は最低限、もしくは皆無なのだが、それでも作戦を遂行するにあたっては重要かつ優秀な人員であった。
リオルに命令されるまでもなく彼らはそれぞれの仕事にとりかかったのである。ならばとリオルは司令塔として全体指揮を行う。
「第一騎士団長との連絡を密にお願いします。騎士団長との通信が無理でも第一騎士団の誰かには連絡が付くようにしてください。それと新種と思われる魔物についても解析を。念のため魔物目録を調べてください。たしか持ってきているハズです」
「は、はいっ!」
船員の一人が慌てて資料を漁り、魔物目録と呼ばれる書物を取り出す。これは長年に渡って研究されてきた魔物についての資料であり、魔物の固有名、生態、肉体的特徴、特殊な能力など様々な情報が写真付きで掲載されている。因みに写真技術は幻影などを操る虚属性を利用した魔道具があるので、まるで本物を見ているような緻密さで表現されているのだ。
この魔物目録は全世界に出回っている一般的な書物であり、二百年ほど新たな魔王が現れなくなっているため更新されることなく使い続けられている。それでも専門の学者ではない彼らは全ての魔物を把握しているわけではないため、調べ直さなくてはならなかったのだ。
(こんなことなら魔物目録も読んでおくべきでしたね……)
一度読んだ資料は二度と忘れないという特技を持つリオルだが、読んだことのない資料までは把握しきれない。アルギル騎士王国ではドラグーンをメインとして騎士を運用することで魔物の被害が少なく、リオルは魔物目録に目を通したことがなかったのだ。それに魔物目録自体、直接戦闘に関わる者だけが読む傾向にあるため、頭脳仕事がメインのリオルには読むという発想自体が無かったのである。
必死で魔物目録を捲りながら漆黒の魔物に該当する写真を探す部下を横目に、リオルは眼下で戦闘する第一騎士団へと注目するのだった。
◆ ◆ ◆
魔王を討伐せんと意気込んで大穴に近づいた第一騎士団の団長シギル・ハイドラと精鋭の部下五名は漆黒の魔物アビスに驚きつつも、すぐに冷静になって対処できていた。
「旗艦からの連絡によるとこいつらは魔物だそうだ。すぐに対処するぞ。恐らくは新種だと思われるから気を付けろよ」
『はっ!』
五名の部下は綺麗に声を揃えて返事をする。実戦を何度も経験している彼らはリオルよりも魔物目録を熟知している。そんな彼らだからこそ新種だと判断したのである。
大きさは大人一人よりも少し大きい程度であり、不定形なまま動いている。表面は光一つ感じさせない漆黒であり、靄のようなものを纏っているように思えた。
いうまでもなく不気味な姿ではあるが、魔物の中にはもっと不気味で気持ち悪い種もいるのだ。団長シギルは先頭に立って真っ先にアビスへと切りかかった。
「はぁっ!」
普通では目で追えないような速度で振られた剣は抵抗すら感じさせずにアビスの体を通過する。まるで切った感触が無いことに一瞬の戸惑いを見せたシギルだが、次の瞬間にはもっと驚かされることになった。
「……何?」
何もさせて貰えずに切り裂かれたアビスはダークマターの体を霧散させて消失する。その後には魔物の核であり、迷宮核の子機でもある魔石がポトリと落ちたのである。
余りにもあっけない終わりに戸惑ったのはシギルだけではなく精鋭の部下たちもだ。新種だからと気を引き締めていたが、これは余りにも弱すぎるのだ。これならば雑魚の代名詞として有名なゴブリンのほうがマシではないかと思えるほどである。
しかしシギルはすぐに気持ちを立て直して部下に指令を出す。
「第一騎士団よ! 総員突撃だ!」
『お、おおおおおおっ!』
『うおおおおおおおおおおっ!』
『突撃だあああ!』
弱すぎたアビスを生まれたばかりで大したことがないと判断したシギルは騎士団を全員で突撃させるために声を張り上げた。元は魔王を倒すために少数精鋭で挑むつもりだったのだが、こうして百を超えると思われる雑魚魔物が現れたのなら、こちらも数で対応するべきと考えたのである。
突然の団長からの指令に驚いた騎士たちだが、それでも彼らが訓練された騎士なのだ。すぐに地響きを立てながら団長の背を追うようにして山頂の方へと登り始めた。
「魔物は動きが遅いぞ! 一撃で決めろ」
「恐れるなぁっ! 敵は弱い。我らの力を見せてやれ!」
「団長に続け!」
「いつも通りにやるんだ! 乱戦を避けて小隊ごとに広がれ!」
「魔法は使うなよ。同士討ちは避けるんだ」
「うおおおおお!」
「新人に優先させろ。あの弱さなら訓練にもなる」
「数もこちらが上だ。冷静に行け!」
百を超えるアビスは騎士団と接触して乱戦模様となる。だが騎士は五人編成の班ごとに上手く立ち回り、互いの背中を守り合うようにしながら戦っていたため死者どころか怪我人すらいない状態だった。
その一方でアビスは無残にも一撃で屠られ続ける。性質変化の出来ないダークマター体のアビスは非常に脆いのだ。新人騎士の一撃ですら余裕で殺せるのである。アビスは次々と体を霧散させられ、霊峰の斜面には大量の魔石が転がっていく。
だが倒された分だけ新しくアビスが誕生しているため、減っている様子はなかった。
「魔物は生まれたばかりだ! すぐに倒せ! いずれ迷宮も魔物を生成できなくなる」
団長のシギルはそう叫んで騎士団を鼓舞する。そしてそれと同時にアビスたちの中心に飛び込んで大量のアビスを屠っていた。精鋭として連れていた五人も黙々とアビスを刈り取っており、もはや戦いというよりも作業のように感じられる。
その様子を見た騎士たちはさらに士気を上げて戦いへと没頭していったのだった。
しかし何十体とアビスを倒したシギルはここで違和感を覚え始める。
(魔物の動きが良くなり始めた? それに回避が異常に上手くなっている。どういうことだ)
そう思いながらシギルが剣を振り下ろす。
するとアビスは不定形の体をくねらせて上手く回避してしまった。それどころか回避したアビスの肉体の一部が剣のような形を形成し、反撃としてシギルへと振り下ろされる。
「む!」
突然の反撃に驚いたシギルだが、アルギル騎士王国でも最高の戦力である彼が簡単にやられるはずがないのだ。不意打ちに近い攻撃であったにもかかわらず、シギルは見事に攻撃を避けてみせた。そして見事な切り上げでアビスを両断しようとする。
しかしシギルの剣はいとも簡単に弾かれてしまったのだった。
「馬鹿なっ!」
ガインッ! という嫌な金属音がしてシギルは手が痺れたような感覚を覚える。先程まで抵抗もなく切り裂いていた目の前の魔物に攻撃を弾かれてしまったのだ。一瞬と言えども茫然としてしまうのは仕方のないことだろう。その隙を突いてアビスは攻撃を仕掛けた。
不定形の肉体が変化して針のような攻撃が飛び出る。そのままではシギルの顔へと刺さるところであったが、シギルはギリギリで反応して剣を使って攻撃を逸らしてみせた。
「くっ! どうなっている」
まるで金属と打ち合っているような感覚。それだけでなく動き自体も格段に良くなっており、周囲でも動きの変化したアビスが騎士へと反撃を仕掛けていた。シギルに行ったように不定形のダークマター体が変化して針のように伸びる。この不意討ちにシギルは対応してみせたが、周囲の騎士たちはそういう訳にはいかなかった。
「ぎゃああああああっ!」
「ぐぁ、目がっ」
「弾かれた!? ぎゃっ!」
「どうなっている! 突然強くなったグボッ」
「一旦離れろ。形が常に変化して攻撃が読めない」
「ぐふっ……助け……」
「負傷者を後方に連れていけ! 誰か旗艦に連絡を入れろ」
アビスたちは先程の弱さとは打って変わって凄まじい戦闘力を発揮し始める。
不定形のダークマター体は触手のように伸ばされて大量の騎士を薙ぎ払い、騎士の一人に纏わりついて大量の針で刺し貫いて殺し、振るわれる騎士の剣は全身に鎧でも纏っているかのように弾かれる。そして騎士を殺すたびにその魔力を吸収して強くなり、増々手に負えなくなっていく。
どうにか対処できるのは騎士団長シギルを始めとした第一騎士団の中でも有力な者たちだけだった。
「斬り裂けぇっ!」
シギルは愛剣であるオリハルコン製の騎士剣を振るってアビスを両断する。本気になったシギルは鋼鉄すらも切り裂く剣技の持ち主であり、他の騎士では切ることの出来なくなったアビスを切り裂くことが出来た。
そしてシギルには及ばずとも、騎士団の精鋭たちは二人でアビス一体を倒すことが出来ている。それも徐々に押され始めてはいるが、まだ対処可能だった。まるで学習して強くなり続けているようだが、そんなことは有り得ないとシギルは首を振って次のアビスへと切りかかる。
(この魔物を殺すたびに強くなっているような気さえする。いや、力や素早さは変わらないが、技術が圧倒的な速さで伸びているような感覚だ。それに身体の変化のバリエーションが増えたり、硬くなったりと異常すぎる)
シギルならば問題なく倒せる相手の範疇だが、他の騎士では徐々に手が追えなくなっている。特に鋼のように固くなった状態では倒せる者が限られてしまうのだ。どうしても状況は良くならない。こうしている間にもアビスは増え続け、二百体はいるように思えた。
弱かった時に何百体と倒しているハズだが、一体どれほどの数がいるのだろうとシギルは気を重くする。逆に言えば、そんなことを思える程度にはまだ余裕があったのだが、自分一人で全てに対処できるとは思えない。出来れば氷竜王と戦っている近衛騎士団三名に手を借りたい思いだったが、チラリと上空を見上げると『無理だな』と思わされるだけだった。
霊峰の頂上付近で横たわる氷竜王クリスタルは生命力を削る勢いで冷気を放ち続け、三名の近衛騎士を近寄らせないようにしている。いかに防寒の魔道具があったとしても、マイナス百度にも届くような冷気の中を行動できるわけではない。近衛騎士の副長であるジュリアスは氷竜王が消耗するのを待っているように思えた。
(すぐに手を貸してもらうのは無理だろう……ならば私が時間を稼いで第一騎士団は大部分を撤退だ。旗艦のリオル殿に連絡して対策を練ってもらうしかあるまい)
そう判断したシギルはすぐに近くの副官に撤退の指示をして、リオルへ対策の要請するように近くに居た別の者に伝言を頼む。連絡用の魔道具はシギルも持っているのだが、今は余り会話をしている余裕はない。少し考え事をする程度はまだしも、会話をしながら集中を必要とする鋼鉄をも切り裂く一撃は放てないのだ。
そうして一定以上の士官だけがアビスを足止めするために残り、後の数千名は後退していく。これはアビスに殺されてこれ以上の強化をされないための対策でもあるのだ。
「行けっ! 死なないことを第一にして魔物を仕留めろ!」
『はっ!』
少なくとも今のアビスと対峙して死なない者は千名以上いるだろう。だが鋼鉄の如き硬さとなったアビスを切り裂けるともなれば三百人もいないことになる。残った約三百名の騎士は迫りくる不定形の黒い魔物を仕留めるために剣を振り上げたのだった。
魔王の反撃が始まっているとも知らずに……