123話
悪魔たちと決別した二日後の夜、セイは王立学府に侵入していた。ここの書庫で調べ物をするために何度か訪れていたが、今日で最後となる。その理由はここの地下に保管されている魔力核の回収であった。首都防衛上の重要拠点であるため、夜中といえど警備は厳重だ。一時も欠かさず、王都守護軍が見張っている。誰にも見つからないよう侵入し、魔力核を回収するのは不可能であった。
(一度きりだから緊張する)
元より経路の調査や警備の位置など、アビスを使って割り出しは行っていた。保管場所は地下深くということもあって鼠も珍しくないようで、特に警戒もされていない。しかしながら調査を行ったところで穴などあるはずもなく、奪還方法の模索は困難を極めた。
(アビス、準備は?)
『是』
セイが着目したのは排気口であった。
地下なので新鮮な空気を確保するためにも、複雑な排気口が敷設されている。ただし人間が自由に動けるような大きさではないし、所々に鉄格子も嵌め込まれているので進入用通路としては使えない。しかしアビスであれば、容易く侵入することができる。
この排気口を利用して、地下に毒物を流し込むという策を考え出した。
勿論、大量の毒を流し込むとなると手間も時間もかかる。だから地下全体を毒で満たすということはしない。そもそもそんなことをすれば毒が回りきる前に排気装置が作動してしまう。もうひと工夫、必要だ。
「じゃあ、始めようか。一番、二番のアビスは放流」
『是』
『是』
排気口に仕込んだアビスが毒物の流出を開始する。
それは灰色の煙となって地下に流れ込み始めた。警備の慌てた様子がアビスを介してセイにも伝わる。
「続いて三番から六番」
命令を下すごとにアビスからの返事が返ってきて、同じように毒の流入が始まる。それにより地下全体があわただしくなり始めた。警備兵の言葉の中に『火事』や『避難』などの言葉が混じり始め、想定通りであることにセイも笑みを浮かべる。
(まぁ実際に二酸化炭素やら一酸化炭素だから、火事の偽装としては相応しいよね)
セイが短期間で用意できると考えた毒物は、一酸化炭素および二酸化炭素であった。とはいえ工業的な生産をしたわけでも、どこかから強奪したわけでもない。一日使って炭を作り、それをアビスに持たせて排気口へと忍ばせたのだ。正確にはアイテム袋の中に燃やした炭を放り込み、今は口を開けて煙だけを放出している状態となっている。
鉄格子をアイテム袋が通過できたのは幸いであった。
袋の中に溜め込まれた煙には大量の一酸化炭素や二酸化炭素が含まれており、勢いよく放出される煙を見れば誰もが火事を疑うことだろう。
「よし、行こうか」
計算して放出された煙により警備体制は崩れた。今ならば穴があるし、煙に紛れることで姿も隠せる。精霊の身体なので人体にとっての毒も怖くない。
セイは頭の中に地下通路の地図を思い描きつつ、奥へと走り出した。
◆◆◆
同時刻、王都サウルの上空には不審な物体が飛翔していた。夜の闇の中にあって、それは目視できない。だが仮の目視できたとして、王都内の人間は誰一人として心配しなかっただろう。なぜならば王都には魔力核由来の都市防護結界が張られているのだ。
『目標上空到達。風は良好。レーダーも問題なし。通信も良好』
『了解。竜核弾の安全ロック解除』
『安全ロック解除、了解』
上空のそれは明らかな人工物であった。
左右に広げた翼は大小二組の合計四つ。機体先端と翼前方には回転するプロペラがある。いわゆる航空機と呼ばれる巨大な機械だった。
この機械技術はエスタ王国にはないもの。
非常に高度であることが外見からも窺える。
『これより爆撃態勢に入る。目標、エスタ王国王都サウル。破壊対象、守護結界』
『了解した。注意しろ。敵には悪魔がいると考えられる。爆撃後はすぐに離脱せよ。復唱!』
『爆撃後、すぐに離脱。了解』
『復唱確認。幸運を祈る』
上空から爆弾を落とす技術は非常に高度だ。投下された爆弾は航空機の慣性を受けたまま落下する。しかし特定の建造物を精密爆撃するのと異なり、ざっくり都市をターゲットとするのであればより簡単だ。いつでも離脱できる高度を維持しつつ、航空機は大口を開く。
投下されたのは大人三人分程度もある巨大な爆弾であった。
重力という法則に従い、それは王都サウルへと落ちていく。爆発のタイミングは時間で設定されていた。投下高度さえ分かれば、その最適解は計算できる。逆に言えばこの程度の計算を可能とする計算機を備えた航空機でもあるということだった。
『離脱だ。爆発の確認はどこからでもできる』
航空機はゆっくりと旋回を始める。もはや落とした爆弾の姿を見ることはできないが、しばらくの後に鮮烈な光となって現れることだろう。
『全ては赫帝陛下の御意思のままに。哀れな王国よ』
夜の闇が一瞬の内に消失した。
月の光も星の瞬きも失われ、昼間のような強烈な光が現れたのだ。まるで世界の終わりのような光景であった。夜が昼に変わり、真っ白になったのだ。信心深い者であればすぐ跪き、祈り、赦しを願うことだろう。しかしこれは神の顕現でもなければ、終末の裁きでもない。
ただ人の業が生み出した悪意であった。
◆◆◆
セイが王立学府の地下深くに設置されている魔力核の元に辿り着いたその時、上空では巨大な光が発生していた。何が起こっているのかセイ自身では見ることができていない。しかしながら別の形で異変を目にすることとなる。
「魔力核が割れた!? 俺、何かした!?」
まさにセイが触れようとした瞬間、魔力核に無数の亀裂が走ったのだ。こうなる心当たりもなく、驚いて手を引いてしまう。すると核はそのまま砕け散り、魔素となって消失する。慌ててセイがそれを吸収したが、魔力容量は増えない。壊れてしまったことで魔王の分身としての機能が消失してしまったのだ。
「認証のない人物が触れようとすると壊れる細工? でもそうなると王都の結界を壊すことになってしまう。それなら盗まれた方がまだましなはず」
『王よ。地上にて強烈な光を確認。王都結界が破壊されました。関連性は不明ですが極めて濃厚と推測』
「……撤退する。どちらにせよここに留まる意味はない」
すぐに決断を下し、最古の迷宮へと転移魔方陣で移動した。更には迷宮内転移を活用して最下層へ移動し、そこでようやく一息つく。
「情報」
『是。王都は混乱の中にあり』
『是。王宮は王都守護軍を動員し、調査を決定』
『詳細不明。調査継続』
セイは適当なところに腰を下ろす。
最古の迷宮の最下層は生命龍王の眠る巨大な空間だ。眩いばかりの生命エネルギーが溢れ続けている。しかしこの空間とは反対に、セイの内心は夜のように暗かった。
◆◆◆
王都サウルの結界が破壊され、その夜は混乱のまま過ぎていった。そして朝日が昇り始めた頃、王都に統一された装備の集団が辿り着く。彼らは大帝国の旗を掲げ、馬もなしに動く馬車を操っていた。東の大帝国の使者を名乗る彼らは王宮へと通され、朝一番に王と謁見することが許される。
「それで私に何の知らせだ。大帝国軍の大尉とやら」
ソルムスは威圧的な口調で使者に問いかけた。この場に通されたのは大帝国軍の大尉を名乗る男と、彼に付き従う二名のみ。対してエスタ王国側は多数の貴族をこの場に招集していた。国を動かす者たちから一斉に注目され、王より問いただされる畏怖はかなりのものだろう。男には緊張が見られた。
しかし息を飲みつつも、彼は語り始める。
「我々、つまり帝国といたしましては現エスタ王を承認しません。前王デビッド・エスタリオが第一子、リムリット様を真なる王とします。王都結界を破壊したのは我々帝国で、これは警告なのです」
一息に語られた言葉は、思わず正気を疑ってしまうほどのものであった。幸いにも激昂して大帝国の使者に切りかかるような者はいなかったが、それでも大きな動揺と不快感を与えた。
ソルムスは一瞬目を細めたが、すぐに鼻で笑う。
「つまりあれか。王位継承権を放棄すると私に宣言したリムリットが真なる王だと。我が国も馬鹿にされたものだ。他国の力に屈し、傀儡の王を立てねばならぬとは」
それはあまりにも直球過ぎる言葉で、使者は一切の返答をしない。下手な返事をすればそれが大帝国の真意ということになってしまう。何も答えず、聞かなかったことにすることが正解だ。その点、彼は使者として非常に優秀であった。
「なるほど。王都結界を破壊した手段は皆目見当もつかぬ。何も分からぬでは対策も立てられぬ。結界を破壊した力が次は王都に向けられれば、甚大な被害を被るだろう。国が終わるほどの、大きな被害がな。しかしそれを口にしたのは失敗であったな。我々は何者の仕業であるかすらも知らなかったのだから。帰るが良い。このソルムスこそが真なる王であると、貴様の主人に伝えるのだ」
「つまり我が大帝国と戦争をすると。そう考えてよろしいのですね」
「無論だ」
一切の躊躇もない、戦争の了承であった。
これには他の貴族たちも思わず動揺を見せてしまい、それによって大帝国の使者も状況を理解する。これは完全な王の独断だ。貴族の意見を何一つ取り入れていない。
(これは容易い戦いになりそうだ)
最悪、この場で使者は殺される可能性すらあった。王都結界を破壊したのが大帝国であると自白し、更には失脚したはずの第一王子リムリットを王として立てようとしているのだ。ソルムス王からすればこの上ない不快な使者として映ることだろう。
しかしソルムスは使者に対して腹を立てた様子もなく、あっさりと帰そうとしている。
使者からすれば嬉しい誤算であった。顔には出さないが、後ろに控える部下二人も安堵しているのが気配で分かる。
「他に言葉もなければ疾く、帰るが良い。私は忙しい」
「はい」
使者たちは言われた通り、さっさと出て行ってしまう。そのままの足で王宮からも発っていった。
一方で王宮内は騒然としてしまう。その論点は勿論、ソルムスが了承した大帝国との戦争についてであった。今だ王座から立ち上がらぬ内に、貴族たちは激しく詰問を始める。
「どういうおつもりですか! 東の大帝国と戦争? 我が国は先の戦いや災害で大きな被害を受け、更には熾灰病による損失も回復しておりません。このような状態で戦いに勝てるはずもないでしょう!」
「その通りです! 我が領地も兵を出す余裕などありませんぞ!」
「今からでも大帝国と交渉すれば……」
「それではソルムス陛下に御退位いただくことになるではないか! 私はそれを認めんぞ!」
「陛下の手腕は私も認めるところです! 王の資質は間違いありません。しかしそれとは関係なく国が滅びますぞ!」
ソルムスに対して、貴族たちの抱く思いは主に二つだ。一つは恐怖。もう一つは恩義である。そのどちらも熾灰病に由来している。どちらの比重が大きいかは個々人で様々だが、この場において貴族たちの意見は一つに向いていた。
それは東の大帝国との戦争は避けるべきという意見である。
人口、資源、経済、技術など、あらゆる点で大帝国はエスタ王国を上回る。彼らが激しく騒ぎ、抗議するのも当然だ。戦争となれば絶対に勝てないのは目に見えているのだから。
「静まれ」
しかしソルムスは彼らを一言で黙らせた。
そして静かになった貴族たちを見回し、続きを語る。
「大帝国を恐れる必要はない。奴らの軍勢はこの国に踏み込んだ瞬間、災いの病で倒れるだろう。お前たちはただ座して眺めているだけでよいのだ」
それは預言か、呪いか。
この時は誰一人として真実を知らなかった。
◆◆◆
最古の大迷宮へと逃げ込んだセイは、アビスを通じて情報収集を続けていた。完全に引き篭もった消極的行動は臆病そのものだ。しかしそうせざるを得ないほど、王都結界の破壊は衝撃的であった。
魔力核を利用した都市結界は、人類を世界の頂点に導いた主たる要因の一つである。一切の魔物を通さない守りによって人は安全に栄え、技術を高めていった。だが人間は遂に、自分たちを高みへと導いた結界を、自らの力で破壊するまでに至っていた。
「いやぁ……ほんとふざけんなよ?」
セイは様々な感情を込めて恨めしい言葉を口にする。
今回、ありとあらゆる準備が無駄になってしまった。危険な方向に進んでいることを察してから様々な軌道修正を行ったが、それもほとんど意味をなさなかった。エスタ王国と東の大帝国が戦争を始めてしまった以上、ネイエス・フランドール経由での自由組合連合による介入も難しい。
大帝国軍は既に国境へと大軍を集結させ、明日にでも進軍を開始しそうな様子だ。しかも装備はエスタ王国軍より二回りは上を行っている。
「銃、大砲、トラックに戦車。それによく分からない魔法っぽい兵器。三日もあればエスタ王国は滅亡するんじゃないか? これ……」
どうか百日は持たせてくれ、とマリティアに頼んだものの、期待できるかどうか。
事前情報で大帝国が常軌を逸した技術力を保有していることは分かっていた。じっくりと内部に浸透し、内側から崩していくしか方法はないと考えていた。
「今やそれも叶わぬ夢、と。もう悪魔たちには頼れない。少なくとも思い通りには動かせない。別の味方が必要になる」
セイのような自然の秩序側は今や数少ない。転生した氷竜王ならば協力してくれる可能性も高いが、アレには霊峰の竜脈を管理してもらう必要があるので動かせない。そもそも竜王とはいえ竜種一体でどうにかなるレベルですらない。
竜種と悪魔は頼れず、天使は海を越えた西の大陸で軍事利用されている。
選択肢は一つしかない。
「南へ行ってシルフィン共和国を潰す。精霊種を解放する」
元々エスタ王国の次はシルフィン共和国を破壊するつもりだった。しかしその重要度は以前と比べて跳ね上がっている。
「後がないのはずっと同じ。だけど今回は時間もない。最速で皆殺しにしてやるぞ、エルフ共」
より強い殺意を以て、最小手順の詰みを実現する。
セイは決意のため、自分自身へと強い言葉を言い聞かせた。
今回の章はここまでになります。
ちょっと今後のプロットを変更しながら書いていますので、またお待たせいたします




