122話
エスタ王国にはデビッド前王の子供たちが幾人かいた。彼らは王子として相応しい教育を受け、その中でも第一王子は王冠を戴くに値すると判断されていた。正妃の子供でもあり、正妃の実家となるグロリオース家の後押しもあって王宮内での人気も高い。順調に様々な貴族たちとの間に交友関係を広げ、王となるための準備を進めていた。
しかしそんな第一王子リムリットの栄華は急転直下の如く落ちぶれる。
たった一つ、熾灰病の流行りが彼から王の座を奪い去ったのだ。
「王子殿下。お加減は……」
「体はよくなった。問題ない。グロリオース卿には世話になった」
「礼など不要ですぞ。私にとって殿下は娘の子……すなわち孫でもあるのです。立場上、私は臣下としての振る舞いをさせていただきますが、身内として愛しているのですから」
彼を蝕んでいた熾灰病は既に完治した。
死を運命づける病として王国中で恐れられていたが、この脅威は解決している。奇跡の王ソルムスによって、熾灰病は治るようになったのだ。
だがリムリットにとって治癒の代価はあまりにも大きかった。
「私の放棄した王位継承権は二度と戻ることがない。あの、どこから来たかも分からぬ存在が王座に就く限りは」
「その通りです」
「私はソルムスという王を認めない。あれは確かに翠鹿宮のシェバ妃が生んだとされているが、どう考えても呪われている。父の不義は時系列として明らかだが、ソルムスの見た目の年齢と合致しない。仮に父とシェバ妃の子供だとして、まだ赤子であって然るべきなのに」
「あれの正体は悪魔であるという噂もあります。そして翠鹿宮も悪魔の巣窟と化しているとも」
リムリットは深く頷いた。
明らかにおかしいと分かっていても、それを口に出して翠鹿宮を批判することはできなかった。なぜなら、そのような貴族は軒並み熾灰病となって倒れてしまったからである。次第に誰もソルムスについて口に出さなくなってしまった。
これを臆病風に吹かれたと批判するのは酷というものだろう。
言葉一つで死の病に侵される可能性があるのだ。それも自分だけでなく、親族に至るまで。
「私は確かに継承権を放棄した。しかしあの化け物にエスタ王国を委ねることだけは許せない。あのような存在が国を治めれば、必ず滅びへと向かう」
「その通りだと私も考えております」
「私は決断した。グロリオース卿の提案を呑もうと思う」
「ッ! では……」
「進めてくれ。覚悟はしている。これもまた、修羅の道であると」
「承知いたしました」
王都サウルから離れた地で、密かにそのような会談が行われていた。
◆◆◆
人々はこのように語るだろう。
この年、エスタ王国はあらゆる不幸に襲われた、と。
北方に出現した巨大トレントとトレント種の軍勢による被害から始まり、巨大トレント討伐後に出現した悪魔、各地の迷宮で発生した氾濫や災害、デビッド王の不祥事による政治的混乱、熾灰病の蔓延によるデフレーション。これらが僅かな期間で発生したことで、エスタ王国はもはや風前の灯火となっている。
熾灰病を患い退位させられたデビッド前王の後継者争いはエスタ王国の回復を遅延させ、崩壊の寸前まで追い込まれることとなった。
だから民衆はこの状況を解決してくれる存在ならば、誰でも良かった。
たとえ王宮内で黒い噂の絶えない人物であろうと、それが自分たちを救済してくれるのであれば王と認める所存であった。だからソルムスは怪しい出自でありながら、実力によって王という立場を望まれた。
ここで貴族の思惑と、民衆の思惑には決定的なズレが生じていた。
『警告。王よ、東の大帝国に動きあり。エスタ王国の国境沿いに軍を集結させた模様』
「……全部遅かった」
アビスの報告はセイにとって最悪のシナリオを想起させるのに充分であった。
当初の理想はエスタ王国に管理されている迷宮を奪還し、最古の迷宮を中心とした大迷宮を完成させ、今後を見据えた拠点を築き上げること。しかし実際は悪魔たちの暴走によりエスタ王国は絶望的なまでに弱体化し、更に中枢を悪魔たちが乗っ取ることになった。表沙汰になれば、他国からの干渉は必至。
恐れていたことが起こったのだ。
「王都ではまだ何の騒ぎも起こっていないみたいだし、声明は出されていないのかな?」
『是。王宮内でも一切の話題なし』
「まだ自由組合との話も中途半端にしか進んでいないんだけどね。なんで大帝国の動きがこんなに早い?」
『情報収集中』
とはいえ軍隊を動かすのであれば、正当性を周辺国家に理解させるため説得力のある声明を出すはずである。ただ理由を知りたいだけであればそれを待っても良いが、後手に回ってしまうのが良くない。セイは常に先手を取ることで利を得てきた。弱い立場というのは、一度後手に回るとそのまま押し切られてしまう。
(詰みの一歩手前。そんな匂いがする)
この盤面で投了し、手を引けば再起の可能性もある。
しかしここで引けば失うものも少なくない。
(折角手に入れた大迷宮は前線基地としてほぼ機能しなくなる。それに悪魔たちも見捨てる必要があるし、仮に悪魔たちが生き残ったとして、見捨てた俺に再び協力してくれるかどうかは不明……だめだね。すっかり悪魔たちを戦力に数えている。それとエスタ王国各都市の魔力核も回収しきれない。時間的には一つか、二つでおそらく限界)
新しい手駒として入手できるものは精々が一つか二つの魔力核のみ。今回の出費に対してこの収入は弱すぎる。
東の大帝国が介入した時点で全てがひっくり返されてしまった。
「……最低限、悪魔たちには警告しよう。それで俺の方針を伝える。せめて完全な決裂がないように」
王か飛車か。
それは奇しくもセイが今回仕掛けた作戦とも近い。王宮とアドラメレク社を天秤にかけさせ、苦しい選択をさせる。因果応報だったのか、そっくりそのまま返ってきたのだった。
◆◆◆
セイはすぐに動き出し、王宮へと入る方法を考えた。現在、悪魔たちは王宮を拠点として悪巧みをしている。しかし表向きには新王ソルムスの統治で動いており、いくらセイでも堂々と入るのは難しい。そこで考えたのが、侵入であった。
普通、警備が厳しく魔法的な防護措置すら施されている王宮に潜入するのは不可能だ。
しかしセイは小動物に変化させたアビスを先行させ、それを目印として転移による侵入を試みたのだ。
「ふぁぁあ……久しぶりの顔だね」
「アケディア。本当に久しぶりだね」
「うん。ほら、こっち」
「感謝するよ」
「魔王様はお金をくれたし、楽させてもらったからね。でもこれで貸し借りなしだよ」
事前にアビスを通じて連絡を取っていたので、侵入後も問題はない。ただ出費は大きかった。アビス金貨とはいえ渡したお金は膨大だったが、アケディアは怠惰の悪魔らしく貸し借りなしだと語る。しかしながら今回の重要性を考えれば妥協せざるをえない。
そういう点では同じくアビス金貨を渡した暴食の悪魔グラでも良かったのだが、彼は根本的に頭が悪いので実質一択であった。
特に会話もなく案内されるがまま付いていき、一つの宮へと入る。
そこは翠鹿宮と呼ばれる宮であることをセイも知っていた。侍女などもいるがアケディアは我が物顔で堂々と中を歩き、奥の部屋まで行く。セイはこの宮に漂う異様な雰囲気を感じていた。
「ここの部屋にマリティア様もいるから、後は好きにしてよ。もう寝るからさ」
セイの返事は聞かず、アケディアは元来た道を戻っていってしまった。せめて中まで来てほしかったが、もう行ってしまったので仕方ない。セイが緊張しつつ扉の前に立つと、ゆっくりと自動で開かれ始めた。いや、自動というと語弊がある。部屋の内側から虚ろな表情の侍女たちが扉を開けてくれたのだ。
どうやら扉前に来たことを察してくれたらしい。
部屋の中には大悪魔マリティアの他、憤怒のイーラともう一人知らない男がいた。
(この男、少なくとも貴族とか侍従ではなさそうだよね)
派手に衣服を着崩し、体中に宝飾品を身に着けてだらしない笑みを浮かべているのだ。少なくともマリティアが特別に目をかけていることに間違いはないだろう。
(もしかして……)
一つの答えへと辿り着いた時、まずマリティアから話しかけてきた。
「アケディアから聞いたわ。何か話があるんでしょう?」
「うん、まぁ。ちょっとね」
さて、どんな話から始めようか。
国境沿いに展開されている大帝国軍の話か、それともエスタ王国をどうするつもりなのか問うところからか。時間にしてほんの僅かであったが、この時間のためにセイは先を越されてしまう。他でもない、セイが初めて見た男によって。
「マリティア様よぉ。この地味な男が魔力の精霊王ってかぁ?」
「ええ。そうよ」
「なんだよぉ。王を名乗るならよ。もっと派手派手にいこうぜ」
「皆があなたの趣味を理解しているわけではないわアワリティア」
それを聞いてセイは男の正体を確信した。
「強欲の高位悪魔、アワリティア」
「なんだぁ? 知ってんのか俺様のことをよぉ?」
「まぁスペルビアから少しだけ」
「チッ……またあのクソ真面目傲慢か」
高位悪魔たちの中で最も関係が古いのが傲慢の悪魔スペルビアだ。彼との会話の中で、時折だが強欲の悪魔について出てきたことがある。少なくとも仲が悪いのだろうとは思っていたが、これは相当らしい。
あまり強く触れて話をこじらせない方がいいだろうと判断し、セイはマリティアに向けて話し始めた。
「恐れていたことが起こったよ。東の大帝国が動き始めている。もう国境沿いに軍が集結しているよ」
「そうだったの? 知らなかったわ」
「余裕ぶっている場合じゃない。大帝国の軍事力は相当だ」
「だってこれが目的ですもの」
「……どういう……もしかして初めから大帝国と?」
「そうよ。だって最後の竜殺剣は大帝国にあるんでしょう? 私たちを封印した、あの忌々しい剣は」
そういうことか、とセイも理解した。
つまりマリティアたち悪魔勢力は、初めから仲間の解放を最優先に動いていたのだ。マリティアが解放された時点で残る竜殺剣はエスタ王国と大帝国の保有する一本ずつだった。そしてエスタ王国にあった竜殺剣からは強欲の悪魔が解放され、残すは嫉妬の悪魔のみ。
理由は納得できるものだったが、もう少し待ってほしかったと思った。
「俺はかなり心配しているんだけど……」
「問題ないわ。たった一国を潰すのに私と高位悪魔たち六名が行くのよ? それにスペルビアが手を回して……えっと三公国? だったかしら? そこも使えるわ。適当な人間共を贄にして無尽蔵に悪魔を召喚すれば大丈夫でしょ?」
「いや……うーん。ちょっと分からないかな」
たとえばこの作戦が事前に行われ、数百万という悪魔のストックがある状態であれば問題なかったかもしれない。しかしながらすでに大帝国が先んじて動いており、今から人間を贄にして中位以下の悪魔を召喚しても間に合わない。投入した先から各個撃破される未来が見えるようだ。だからといって悪魔のストックを待っていたらエスタ王国が落とされかねない。
「マリティアを含めてだけど、召喚スキルを持つ高位の悪魔は今七名だけ。召喚できる悪魔の数も一日で一万にすら届かないはずだよね。でも以前、俺が大帝国に差し向けた竜形態のアビスたちは一時間と経たずにおよそ千七百体が殲滅させられたよ」
「あら。魔王も迷宮から魔物たちを出せばいいじゃない」
「そういう問題じゃないよ。おそらく大帝国とは物量で戦っちゃいけない。たぶん俺たちは勝ちきれず、良くて痛み分けで終わるよ」
「どうしてかしら?」
「大帝国が竜種を制御し、それを介して竜脈からエネルギーを得る手法を確立しているから」
しかしそれに対してマリティアはムッとした表情を返す。
竜種、特に竜王ともなればそれは自然界の頂点だ。猛獣というより、地震や嵐にも近い。少なくとも単身で挑もうとは思わないし、人類とて集団の強さがあってこそ支配しようとしてくるのだ。だがこの説得はマリティアには下策であった。
「私が竜種に劣るとでも?」
「あー……」
「いくら衰えているからって酷いわね。私は大いなる破壊の秩序の一部よ。それに私たちは不滅。たとえ今の肉体が滅ぼされたとしてもすぐに蘇るわ。何度でも、破壊の意思を遂行するまで。それが私たちの存在意義ですもの」
「……もう一度封印される可能性は考えないわけ?」
「そういう手段があると知ってしまえば何とでもなるわ。私は傲慢であり、憤怒であり、強欲であり、怠惰であり、色欲であり、暴食であり、嫉妬なの。あらゆる悪意と破壊こそ悪魔の本懐。恩人といえど、それに口を出される謂われはないわ」
思い通りに動かせる駒とは思わないで。
それを言外に伝えられた気がした。少なくとも大悪魔という存在が復活する前であれば、高位悪魔たちを思い通りに動かすことができたかもしれない。同じ自然の秩序側であるし、格としては精霊王たるセイの方が上だ。大悪魔解放の手順として必要と説得すれば如何様にも動かせた。
しかし結局のところ、悪魔たちが従うのは大悪魔である。そして破壊の秩序である。
「私たち、ここで別れましょう」
「そう、だね」
「全力を以てして嫉妬を取り戻す。それが私たちにとっての最優先。そして驕り高ぶる人類に裁きを下す」
「これから南に下り、シルフィン共和国に入るよ。捕獲されている精霊種を助ける。大帝国を相手にするのはその後だ」
セイは足元に魔術陣を描く。
それは空間転移の術式であった。
「百日。それでシルフィン共和国を落とす。もしも大帝国との戦いが苦しくなったら、それを目安に持ちこたえてほしいな」
「ありえないわ」
「もしも、の話だよ」
それだけ告げて、セイはこの場から消えた。




