121話
セイは久しくアルギルの地へと戻っていた。
およそ五年前に王国は滅び、今は数少ない貴族たちが中心となって再興を試みている。自由組合連合が主に支援をすることで、かつての傷跡も少しずつ回復の兆しを見せていた。しかしながら完全な元通りというわけにはいかない。自由組合連合の資本が介入することで、外国の都合も組み込まれていた。
たとえばアルギル原産の回復薬である。北の霊峰から流れる竜脈により効能の高い薬草が多く分布し、その薬効を抽出する技術も高い。他国からすれば喉から手が出るほど欲しいものだった。特に魔力を回復させる薬は唯一無二で、その利権は莫大な利益を生む。自由組合連合はある人物の功績により、いち早くその利権を手中に収めていた。
「ネイエス・フランドール、新しい取引をしにきたよ」
「それは楽しみです。魔力回復薬に続き、いったい何をもたらしてくださるのでしょうか」
魔王たるセイを迎え入れたのは、自由組合理事のネイエス・フランドールであった。彼は理事たちの中では若手だが、野心に溢れ、魔力回復薬利権の獲得により大きな発言権を得ている。また崩壊したアルギル騎士王国の復興に多額の投資を行い、更なる飛躍を試みているところであった。
彼は魔王の暗躍も、復活した高位悪魔たちの跋扈も認識している。しかしながらそれは彼個人の心の内に秘め、ただ自身の野望のために利用しようと考える。だからこそセイも新しい取引を持ち掛けたのだ。
「迷宮、欲しくない?」
いきなり語られる本題に、思わずネイエスも息を飲んだ。駆け引きも何もない、あまりにもストレートな物言いだ。しかしネイエスは相手のペースに飲まれまいと、すぐに問い返す。
「というのはつまり魔力核のことでしょうか?」
「いいや。迷宮そのものだよ。迷宮を生かしたまま、魔物や資源を採取できる環境と言えば分かるかな」
「もしやエスタ王国が行っている迷宮探索事業のことですか?」
「その通り。話が早くて助かるよ」
しかしながらネイエスは深く思慮する様子を見せた。
それがただのポーズなのか、本当に考慮しているのかセイでは見抜けない。だができる限り焦りのようなものは見せず、微笑みを維持し続ける。困っているということを悟らせてしまうと、どんな吹っ掛けをされるか分からない。あくまで良い投資の話を持ってきたという体裁を維持しなければならない。
「……迷宮を生かしたまま管理する手法は大変難しい。一つ間違えれば厄災となるものですから。得られる資源は大変魅力的ですが、それだけでは動けません。魔法鉱物や魔法植物とて竜脈が集中する地点を押さえてしまえば得られるものです。魔物から採取できるドロップアイテムも、養殖の研究が進んでいます」
「俺が迷宮を管理すれば何も問題ない。それに俺はこれからも竜脈を奪い続ける。いや、人類から取り返すつもりだよ。あれは君たちが制御するには過ぎた代物だからね。今まで持っていたものは、すぐになくなってしまうだろう」
「む……それは」
「利権とは早い者勝ちで、強いものが得る。今ここで乗れば手に入るものも、持ち帰って検討している間に奪われてしまうかもしれない。先を見据えるならば……分かるよね?」
美味しい話だということはネイエスとて分かっている。
実際問題、魔力を含む鉱物や植物は充分といえない。全て希少資源だ。各国は竜種を狩り続け、竜脈の集中する土地を奪い、そこで採掘や栽培をすることでそれらを得てきた。あるいは竜脈を巡って人類同士の戦争も行われてきた。それは今も続いており、竜脈という資源産出地を狙って水面下の争いは発生している。
迷宮を生かして管理するという手法は、この危うい状況を解決できる可能性を秘めているのだ。
望む通りに迷宮が発生し、そこから資源を獲得できる状況を作れるならば、わざわざ労力をかけ、リスクを冒して戦争を仕掛ける必要もない。ただ自国発展のために投資し続けることができる。
だがネイエスは素直に頷けなかった。
「大変興味深く、私にとっても利益がある話です。しかしそちらにとっても利益が分からない。取引とは双方に利益があり、気持ちよくならなければなりません。私にもそちらにとっても利益を教えていただきたいのですが」
「人間の尺度では分からない話かもしれないけど、俺にとって迷宮の理想形がそれというだけだよ」
「といいますと?」
「人類は生きているだけで魔素を排出するからね。それを回収するのが俺の重要な役目で、そこから俺自身も魔力を得られる。そうすれば迷宮に有用な魔物を解き放ったり、魔力資源を増やすこともできる。俺たちは共存共栄できるってこと」
「なる、ほど……?」
ピンと来ていないあたり、ネイエスもまた典型的な人類であった。
そんなことをするくらいならば魔王の保有する迷宮というシステムごと手に入れればよいと考えているからだ。竜種を使って竜脈を手に入れたように。
ただ今はセイとネイエスの間にある個人的な力関係により、納得した風を装っているだけである。セイとてそれを理解していないわけではなかった。
(ともかく大帝国が入り込む前に、自由組合を通して迷宮の利権を押さえさせる。国家の手が入れば、魔力核を奪われかねない。それに竜脈湧点だけは死守しないと)
悪魔たちの手によってエスタ王国は戦争への道に入ることとなるだろう。今のエスタ王国にそのつもりがなくとも、トップを牛耳る悪魔たちが意欲的なのだ。
これがどこまで対策になるのか、セイにも予想できない。
しかし今動かねば状況が詰みになるという確信だけは持っていた。
「そちらにとっての利益は他にもあるよ。エスタ王国は悪魔たちが暴れて危機的な状況にある。復興に投資すれば、アドラメレク社の持っている利権を奪うこともできるはず。今まで自由組合支部が一つもなかったエスタ王国に初めて支部を作れば……大きな功績になると思わない?」
「そうですな。大帝国もエスタ王国に干渉する気があるようですし、それに呼応して組合本部も動く。私はあなたのお陰で先んじることができるというわけですか。悪い話ではありません。寧ろ興味深い」
騒乱の最中にあるエスタ王国へと進出するのはリスクを伴う。
だがセイの言葉が後押しになったのだろう。ここで引き下がるような安全策を取り続けて、自由組合理事会での権威を強めることは叶わないという考えもあった。だからネイエスはセイからの提案に乗ることを決めたのである。
少なくとも、今は。
◆◆◆
エスタ王国内で、ソルムスは着々と権力を強めていた。特にアドラメレク社から竜殺剣を献上されたことがきっかけとなり、多くの貴族たちが恭順を示し始めたのだ。長いものに巻かれるのが人間の性で、ずっと中立を貫いていた貴族たちも今や全てがソルムスを認めている。残るはデビッド元王の妃たちの実家やその関係者たちくらいなものであった。
今日、この日までは。
「ソルムス殿下、本日はお加減も麗しく……」
「よく来たなカリスト・グロリオース」
「……率直に申し上げましょう。要件は一つです。どうか第一王子殿下を助けていただきたい」
「ほう? つまり王位継承権は破棄すると確約するのだな?」
「はい。リムリット王子殿下も納得されました」
「いいだろう」
これはグロリオース家にとって苦渋の決断であった。
次期王がほぼ確約されていたリムリットの継承権放棄によって生じる損害は計り知れない。しかしそれ以上に、孫が苦しむさまを見ていられなかった。
それにカリストの娘はデビッド前王の正妃。彼女は前王を深く敬愛しており、また息子のことも心から愛していた。デビッド王の不貞行為は王妃を深く傷つけたが、王たる者、そういうこともあると無理に納得していた。しかし我が子が熾灰病に侵され、死の淵を彷徨い、王妃は心を壊してしまった。
カリストにとって娘のことは心配で、孫となるリムリット王子のことも気が気でない。
苦渋の決断だが、後悔はしていなかった。
「この約定は文書に残すが、よいな?」
「問題ございません」
カリストは躊躇いなく記名し、契約は成立した。
これでソルムスの王位継承は揺るがないものとなり、王宮内の意思も統一された。本当に僅かながら抵抗勢力はあれど、それも表立ったものではない。熾灰病を恐れて、口には出せないのだ。
だがどうすることもできない。
そもそも熾灰病は呪いの一種だと分かっているが、ソルムスが生まれるより前から広がっている。証拠がなければ法的に追い詰めることはできないし、そんなことをすれば自分たちが熾灰病の被害を受けてしまうかもしれない。
孫が助かるということで肩の荷が下りる一方、カリストは根本的な問題に頭を抱えていた。
◆◆◆
翠鹿宮の権威は今や王宮において最大のものとなっている。
デビッド前王が熾灰病に倒れ、今も激しく苦しんでい状況から、空位の王座はソルムス王子のものになると皆が噂していた。
しかし一方で黒い噂も多い。
表立って口にできずとも、現状に疑問を持つ貴族は少数ながら存在していた。
「だめだ……完全に貴族たちが不審な動きをしている……」
この状況にはセイも苦労している。
魔王として、本来の世界の在り方となるよう国を作り替えるためこれまで働いてきた。アルギル騎士王国でも三公国でも、内部から突き崩すことによりそれを成し遂げてきたのだ。
竜脈の湧点たる白銀の霊峰からほど近いアルギル騎士王国を破壊することで霊峰を守った。三公国では竜殺剣から解放した悪魔たちの願いを叶えると同時に、神剣から大悪魔を解放するため策略を巡らせ国を壊した。
一方でエスタ王国は現状の体制を維持したまま、国家を弱体化させるに留める必要がある。トレント系王異種ユグドラシルと迷宮の氾濫により後者は叶ったが、前者はセイの想定しない方向へと進みつつあった。
「大帝国からの介入が止まらない。特に東方の領地を持った貴族が取り込まれそうになっている。だけど俺じゃどうしようもない……」
アビスのお陰で情報は集まっている。
だがそれに対応できない。
ここで問題となっているのは、東の大帝国がエスタ王国に干渉しようとしている事実だ。世の動きから間違いないだろうと考えていたが、ネイエス・フランドールとの会話でこれは確実となった。つまり状況を再び管理下へと置くためには、エスタ王国内部ではなく東の大帝国にまで出向かなければならない。
そうなると、本当に後には引けなくなる。
エスタ王国への介入が大帝国上層部の意思であろうことは、何となくわかっている。つまりなし崩し的に大帝国と事を構えることになってしまう。この大陸の半分以上を支配する大国を相手に、ほとんど準備もなく挑むのは無理だ。
セイは自分の手の届く範囲がよく分かっていた。
「ネイエスが手早く動いて迷宮だけでも確保してくれれば、時間は稼げる。だけどその後はどうする? アビス、大帝国が武力介入してくる可能性は? あるよね?」
『是。日に日に可能性は高まっています。貴族の中に王宮の事情を大帝国に流す者がいると推測』
『間者と思しき怪しい人物の数は増加傾向です』
「その怪しい人物が大帝国の人間だとすると、やはりこちらに探りを入れているということになるよね。もしも悪魔たちの存在が確認されたら、大義名分を与えることになってしまう。最近の悪魔たちは大胆に動き過ぎだ。ソルムス王子とかいう人外まで生み出しているし」
幸いにも悪魔たちは擬態してくれているので、見た目でばれることはない。
しかし王異種ユグドラシル討伐後に暴れた憤怒の高位悪魔イーラの存在や、混沌属性に由来する灰疫の呪い、そして王宮の不審、更にはソルムスの存在など、状況的な怪しさは満載だ。口実など幾らでも作れる。
特にソルムスの存在が厄介だった。
記録上は生後間もなくにもかかわらず、青年として活動している。また魔力の影響で右目が黒く染まっており、人らしからぬ風貌をしている点もマイナスポイントだ。
(というか、あれは精霊に近い存在になっているよね)
属性という形式で魔力性質を大別できる人類と異なり、精霊はより細かく特化しているのが特徴だ。精霊王など上位の精霊ともなれば司る範囲も広がるが、基本的には尖った性質の魔力となっている。ソルムスの呪いの魔力も、それに近かった。
(行動は俺の思惑と違うのに、どこか放っておけない感じがする。一回、ちゃんと話し合ってみるべきかなぁ)
方針の対立から、最近はすっかり悪魔たちとも疎遠だ。
特に言い争ったわけではなく、セイの側から接触を避けている節があった。このまま関係を自然消滅させるくらいなら、お互いの意見を素直にぶつけ合うのも悪くない。寧ろ接触を避けたまま延々と予測で行動し続ける方が状況を悪化させる。
しかしその決断は少しばかり遅かった。
後悔先に立たずと言うが、それを心から実感することとなる。




