119話
七星ゴーレム・アリオトの消滅はすぐにアビスネットワーク上で共有された。そのネットワーク内にいるセイもまた、城の迷宮を守るため配置したボス魔物の敗北を知った。
しかし決して慌てたりはしない。
「初討伐は思ったより早い。流石に強いね」
大迷宮を守護するため配置した七星ゴーレムは確かに強力だ。六十四体のアビスを連結し、防衛力という一点において破格の性能を誇る魔物となっている。迷宮ボスとして相応しい実力だ。
しかし一方で、いつまでも防衛し続けることはできないとも考えていた。
「七星ゴーレムは倒されてからが本番だよ」
◆◆◆
ボスと思しき魔物を討伐した冒険者たちは皆、安堵の息を漏らした。もはや歓声を上げるほどの元気も残っていない。それほどの死闘だったのだ。彼らは北の戦場で巨大トレントとの戦いも経験した者たちだったが、そんな彼らを以てしてもギリギリであった。
「なんとか犠牲者なしで勝てたな」
「そうッスね」
「もう少し休憩したら魔力核を探そう」
魔力核を発見し、元のように管理することが彼らの目的だ。攻略はあくまで、その前段階に過ぎない。しかしこの前提を満たすために苦労させられた。
冒険者たちはひとところに集まり、休息している。
勿論、その間に警戒は怠らない。
この用意周到さが彼らの命を救った。
「おい! 部屋の中心に黒いのが集まっているぞ!」
見張りをしていた冒険者の一人がそれを発見し、警戒のために叫んだ。しかしその間にも黒いナニカは集結していく。冒険者たちが声に反応し、中央を見て、立ち上がり、武器を構えるその間に『それ』は完成してしまった。
すなわちアビスたちの集合体。
城の迷宮を守護するために配置された七星ゴーレム・アリオトであった。
「馬鹿な! 倒してからほとんど時間がたっていないぞ!」
「いいから迎撃しますよ!」
冒険者たちの動揺は激しい。
あれほど苦労して、ギリギリの戦いを演じた敵が容易く復活しようとしているのだ。咄嗟に魔法使いの一人が簡単な魔法をで攻撃を仕掛ける。しかしそれは展開された盾アビスが容易く防いでしまった。しかも盾アビスたちは表面に無属性結界を発動しており、全くダメージが通っていない。一体目のときは使ってこなかったものだった。
分裂したアビスたちは盾や剣となり、それぞれが六角形の無属性を張っている。核アビスを中心として衛星のように回転しながら配置するそれらを搔い潜り、攻撃を通すのは困難に思えた。
「流石に撤退するべきだ! ここから帰るのだって簡単じゃない!」
体力的な問題もそうだが、精神的な落胆が酷い。
あの苦労をもう一度繰り返さなければならないのかと、皆が考えている。そして彼らは優秀だからこそ、その先まで想像してしまう。
『三度目があるのではないか』と。
彼らの勘は正しかった。
『復元完了。戦闘経験フィードバックおよびアップデート完了』
『魔力核の機能をインストール。無属性結界《障壁》の有効性を確認』
『全ての七星ゴーレムへ適用完了』
アビスという魔物の特性は学習だ。
戦いの中で学び取り、知性を進化させることを最大の武器としている。魔物は人類を殺害することで魔力を取り込み、あるいは魔素を取り込み、自己強化を図る。経験を積み、膨大な魔力を取り込んだ魔物は他の魔物を統率するようになり、魔王種などと呼ばれるのだ。
魔物が倒されるということ自体に問題はない。
それこそが本来の役目なのだ。魔物は徘徊することで魔力や魔素を集め、死ぬと同時に迷宮へと還っていく。迷宮は魔物たちが収集した魔力や魔素を浄化し、生命エネルギーに変換して竜脈に返す。このサイクルを否定するわけにはいかない。
一方で魔物が戦いの中で獲得した経験は得難いものだ。生まれたばかりの魔物は赤子のようなもの。生存競争を勝ち抜き、稀有な戦闘経験を積んだ魔物は迷宮守護のため必要だ。
『分析をもとに戦略構築』
『是、迎撃開始』
七星ゴーレムも然り。
アリオトという個体は、七星ゴーレムという全体の中の一部に過ぎない。大迷宮を構成する七つの魔力核を介して繋がる群体なのだ。どれか一体を倒しても、それは七星ゴーレムという魔物の一部を倒したに過ぎない。魔力核が保有する魔力を使い、すぐに再生してしまう。
つまり七星ゴーレム・アリオトに執着する限り、決して倒せないのだ。何度倒してもすぐに蘇り、学習して更なる怪物となってしまうがゆえに。
「がぁっ!?」
遂に冒険者の一人が背中から貫かれる。
続いて別の刃がその首を刎ね、確実に殺した。
それを皮切りとして深淵剣が縦横無尽に飛び交い、あるいは立方体のまま金属変質して圧し潰すように落下攻撃を仕掛け始めた。七星ゴーレム・アリオトの復活に加え、初めての死者に動揺した冒険者たちは隙だらけだった。
二人目、三人目と犠牲者が増え始め、陣形は完全に崩れた。
分裂したアビスは騎士形態となって冒険者たちを追い立て、あるいは立ち塞がり、それに気を取られた瞬間に剣やギロチンと化したアビスが命を刈り取る。殺戮の方程式ともいうべきものが成り立っていた。
◆◆◆
「全滅だと!? 確かなのか!」
「何度も確認しました。ですが……」
「くそ! どうなっている!」
アドラメレク社長代理として尽力するエリオットは頭を抱えていた。エスタ王国の経済復興のため、迷宮の再攻略は必須事項。そのために優秀な冒険者を送り込んだはずだった。しかしその結果、城の迷宮で冒険者全滅の報告が上がってきたのだ。
天を仰ぎつつ溜息を吐いたエリオットは、弱々しい声で問いかける。
「各迷宮では新種の魔物が魔力核を守っている。そうだったな?」
「はい。それぞれ同じ魔物であると報告されています。黒い立方体の魔物だそうです。分裂能力や変形能力を保有し、手数の多さから攻めきれないということでした。各都市の支部では対策のため冒険者たちを集めておりました。ですが今回、城の迷宮攻略失敗したことで見直しを命じております」
「いい判断だ。攻略は一時中止にしろ。それと城の迷宮に向かわせていた冒険者の遺族対応はどうなっている」
「見舞金は準備しております。積立保険もありますので、それは問題ないでしょう」
「頼むぞ。充分な保障があると知らしめなければ、他の冒険者たちからも不満が上がる。それはアドラメレクへの信頼失墜に繋がる」
そうは言いつつも、エリオットの心情としては苦々しい。
そもそも巨大トレント討伐戦や、そこから続くアンデッド掃討戦で多くの冒険者が死亡もしくは引退に追い込まれた。アドラメレク社としては契約に基づき、保険金を支払わなければならなかった。死亡や引退ともなれば一つ一つが莫大であり、大きな負担となる。ただでさえ熾灰病や迷宮喪失のため経済が停滞している状況だ。
また状況の悪さは王宮にも及んでいる。
「貴族の中には領地へ戻ってしまった者たちもいる。王族たちも自分を支援してくれる貴族を探し、利益を提示するのに精一杯だ。これでは民衆が苦しむばかりだというのに」
「ですが我々を支援してくれる貴族も少なくはありません」
「それはアドラメレク社としてだ。私を王とする気はないさ。だが悲嘆もしていられない。大帝国もこちらの様子を窺っている。そろそろ介入してくるかもしれん」
エリオットが最も恐れるのが、東の大帝国による介入だ。
すでに経済的、政治的な圧力はかかっている。貸しを作りたくて仕方ないといった様子だ。今はどうにか跳ねのけているが、それも時間の問題だろう。何かの間違いでエスタ王国に内戦でも発生しようものなら、軍事介入まであり得る。
寧ろ介入の口実とするため、内戦を起こそうとしている節まである。
「社長代理。王宮についてはもう一つ報告が」
「何だ?」
「翠鹿宮で怪しい魔法のようなものの痕跡が見つかりました。それと我が社の役員の娘があの宮で勤めていたそうですが、連絡が取れないと」
「怪しい魔法といったな。どんなものだ?」
「詳細は不明です。ですが専門家の見解では、呪属性の何かだと」
「呪属性……熾灰病との関連は?」
「今のところはありません」
「分かった。その件は追跡だけしておけ。王宮のことだから深入りはするな。下手をすればこちらにとって不利な状況になりかねない。しかも翠鹿宮は問題となったシェバ妃の宮だからな」
「承知しました」
深々と頭を下げる部下に対し、エリオットは続ける。
「それよりも熾灰病の治療だ。神聖ミレニアとの連絡はどうなっている?」
「凶悪な感染症ということがあちらにも伝わってしまったのだと思います。我々の権力では無理を押して聖女団に来ていただくことはできないでしょう。王位が確かであれば話は別だったのですが」
「悔しいな。窓口の港で噂が広がる前に呼び寄せたかったところだが」
「航路を凍結されてしまったせいで、ドロップアイテムの輸出が制限されてしまったことも痛いです」
「ああくそ。結局はそこに戻るのか!」
「申し訳ございません」
「いや、お前が謝ることではない。怒鳴ってすまなかったな……」
アドラメレク社はエスタ王国内で最大企業であり、まだ経済的にも余力がある。しかしながらそれ以外の企業では倒産や失業の波が押し寄せ、それはこれからも加速する。いずれはアドラメレク社も他人事ではなくなってしまうだろう。
本来ならば、彼はグリゴリ・アドラーの後を継いで盤石なアドラメレク社を手にするはずだった。
だが蓋を開けてみれば手元にあるのは大きすぎる負債。
「くそ……」
もはや怒りなど通り越し、疲ればかりが募っていた。
◆◆◆
王立学府に通い詰めるセイは、お陰で多くの知識を得ることに成功していた。流石に国家機関の書庫だけあって、蔵書はどれも貴重なものだ。アビスの演算力と記憶のネットワーク保管ができなければ理解できない理論も多い。多額の金を払う価値は充分にあった。
それと同時に、王宮内の噂も知ることができた。
「王宮内はそんなことに。デビッド王……前王はもう権力を失ったと」
「その通りだよ。熾灰病のせいで後継者も指名されていない。お陰で王子たちは王位を争い、すっかり分裂してしまっている。こうなる前は仲の良かった兄弟でさえ、今は剣を向けあうほどだ。本当に残念なことだよ」
「……随分と不自然にも思えますが」
「君も何者かの介入があると思ったかい?」
セイと言葉を交わすのはレウニール・オルウェル卿であった。
初めてセイと会って以降、こうして顔を合わせるたびに色々な話をしてくれる。彼の個人的な話もあれば、貴族としての愚痴であったり、あるいは王宮の事情だったり。特に三つめはセイも強い興味を示した。
「私が親しくしている学者はこのような考えを述べていたよ。確かに東の大帝国は我が国へ干渉している。しかしその干渉は非常に小さく、王宮の情勢にまで及ぶものではないと」
「大帝国の間者ではない、という意見ですか。根拠はあるのですか?」
「根拠を求め、疑う姿勢は実に好ましい。勿論あるとも。我が国は仮想敵国として大帝国を研究してきた。そのやり方は充分に承知している。正しい目を持つものが見れば、大帝国の工作に現れる特徴も見抜けるものだ」
「ですが大帝国でないとすれば、他に何者が介入しているというのですか?」
核心を問うこの質問に対し、レウニールはただ首を横に振るだけだった。
これ以上は答えられないということだろう。しかしセイからすればそれで充分であった。大帝国の干渉が王宮に及んでいないという情報は千金に値する。
『結論。高位悪魔の仕業と断定』
(やっぱりそうなるよね。もう俺の思惑から外れた行動をとり始めている。もう悪魔たちはもはや俺の手の内にある駒じゃない。好き勝手に動き始めている)
セイの考えとアビスネットワークの結論は一致した。
悪魔たちはセイと異なり、個体で最上級の能力を持つ。特に大悪魔マリティアまで復活した今、彼らを止められるのは対となる存在の天使たちくらいになるだろう。こうなってくると天使を捕獲している神聖ミレニアの干渉が予想されるが、それは先んじて封じておいた。
(港町に熾灰病の噂を流しておいてよかった。少なくとも時間は稼げる)
悪魔たちがこれほどまで大胆に動き始めた理由も、なんとなく予想はできている。もしその予想が正しければ、悪魔たちは東の大帝国を相手に戦いを挑むことだろう。今更セイが介入しても、戦いは避けられそうにない。そういう意味でも時間稼ぎの価値は高かった。
これらの思考を一秒以内に終わらせ、レウニールに対して返事をする。
「貴重なお話をありがとうございます」
「君も遊学を続けるなら、早く出て行った方がいいだろう。私が言うのもあれだがね。王宮はきな臭いし、熾灰病のこともある」
「はい。ご忠告、ありがとうございます」
王立学府に来るのはあと一度。
だがもう二度とレウニールと会うことはないだろう。最後の別れの挨拶をして、セイは書庫を去った。




