117話
エスタ王国で発生したクーデターにより、デビッド王は退位させられることになった。元から熾灰病に伏している状態だったので、そこは何も問題なかった。
問題となったのは次の王が誰になるかという問題である。
現王を打倒すということに対して一部の貴族たちはアドラメレク社に味方したが、次の王へと押す声は意外と少なかった。デビッド王の子供たちの中から、次の王を決めるべきだと言い始めたのだ。
「国を乱した責任としてデビッド王と王妃殿下、王子殿下には王宮から離れてもらわなければならん。ここまでは他の貴族連中と意見を合わせていた。だがここにきて次期王で揉めるとは」
「エリオット社長代理……」
詰めが甘かった、とエリオットは悔しそうであった。
王家の血が途絶えることがないよう、王位継承権を持つものは多い。またエリオットのように継承権は持たないが王家の血を引く者もかなりいるのだ。次の王を誰にするべきか、というところでエスタ王国は立ち止まっている。
「迷宮の問題もあります。冒険者たちが発見した新しい魔王種と思しき個体です」
「ああ。魔力核のある場所で出現したとか。不滅の能力を持った魔物らしいな。魔物目録に記録はあるのか?」
「いえ、新種だと報告を受けています」
「思った通り新種だったのか。何か迷宮でも異変が起こっているとみるべきだが、今はそれよりも次期王の選定と悪魔の呪いとやらだな。熾灰病の状況は?」
「広がる一方ですね」
エリオットは思わず深い溜息を吐いた。
王家が確保しているという噂だった熾灰病治療魔道具も結局は見つからなかった。噂は所詮、噂でしかなかったということである。
「酷いものだな。噂一つに踊らされ、ここまで国が割れるとは」
「今回のことだけが原因ではありません。運が悪かっただけですよ」
「その通りだ。運が悪かった。北で現れた悪魔も三公国が関係しているのかもしれん。中央都市アリオンも壊滅したという話があったからな」
「大悪魔を倒した神剣を守る聖女の末裔たちでしたか」
「倒したとか封印したとか、色々な伝説はあるがな。しかし無関係とは思えないだろう?」
「ええ、確かに」
今、問題は山積みとなっている。
それを最高速度で解決するためエリオットはクーデターを実行したのだ。しかし現体制を打倒しても、政権を奪取することはできなかった。完全に裏目に出てしまっている。
ここで他の継承者を押しのけるには、アドラメレクを支援してくれる貴族の数が足りない。もっと決定的な支持を得なければ、国の分裂を生むだけである。それが分かっているからエリオットも強く出られなかった。微妙なバランスを維持したまま、ずるずると状況を悪化させてしまったのだ。
(どうしてこうなった。まるで何者かに邪魔されたかのように上手くいかない。いや……理想が高すぎたか)
何が起こるかわからないのが人生だ。
マージンを間違えたのだと、苦々しい表情を浮かべていた。
◆◆◆
翠鹿宮と呼ばれる側室の宮がある。
それはシェバ妃のために与えられた宮であり、現在は出入りが厳重に制限されている。その理由はシェバ妃が間もなく出産を迎えるからとされていた。ただしそれは表向きのこと。実際は別の理由がある。
「もうすぐね。もうすぐ生まれるわ」
シェバ妃の寝室には無数の魔術陣が張り巡らされ、澱んだ魔力が揺蕩い、まるで一つの儀式上のようになっていた。術式はシェバの体にまで及び、特に彼女の膨らんだお腹に集中している。彼女が孕んでからまだ数か月しか経っていないにもかかわらず、既に臨月と変わらない大きさであった。
「マリティア様、間もなく儀式は最終段階になるかと」
「よくやったわスペルビア。私、こういう細かい作業苦手なのよね」
「御用の際はいつでもお呼びください。そのための我々なのですから」
「そうね。インウィディアもいたらもっと仕事が早いのだけど」
「『嫉妬』はこういう陰湿な儀式を好みますからね」
「この国の竜殺剣はどちらが封じられているのかしら。『強欲』か『嫉妬』か……」
「さて、解放してみなければわかりませんな。できれば『嫉妬』が良いのですが」
「相変わらず『強欲』と仲が悪いのね」
宮は完全に大悪魔マリティアの支配下に置かれていた。
シェバは呪いの苗床として犯され、宮仕えの人間も寄生魔蟲パラスを埋め込まれて操り人形にされている。翠鹿宮にはまともな人間が残っていなかった。
「この呪いの儀式が完成すれば、東の大帝国ってのと戦うのもいいわね。魔王に聞いたのだけど、あの国が最も栄えた文明を持っているらしいわ」
「私もそのように認識しております。我らの存在意義を考えれば、次に滅ぼすべきは大帝国とやらです。マリティア様のお力も随分と戻ったのではありませんか?」
「お陰様でね」
悪魔とは文明の破壊者。
自由の身となり、今の人間の堕落を知った。ならばするべきことは一つだ。再び人々を恐れさせ、世界を闇で覆い、破壊の限りを尽くす。それが破壊神の使者たる悪魔の役割なのだから。
「産声を上げなさい呪いの仔よ。人を恨み、世界を恨み、混沌の寵愛を受け入れなさい」
マリティアは最後の仕上げに呪詞を授ける。
この三日後、混沌の王はこの世に生を受けた。
◆◆◆
セイがエスタ王国に来てから、自身の戦力強化として幾つか目標を立てていた。
その一つである攻撃拠点としての迷宮確保は既になされている。最古の迷宮を含め、七つの迷宮を連結することで大迷宮を生み出すことに成功した。エスタ王国の国土全体にまで広がるほどの大迷宮であるため、利点は大きい。一方で魔力核という弱点を七つも抱えているため、防衛力も重要だ。
迷宮の防衛は迷路の複雑化や罠などの配置で対応しているが、一方でセイ自身の強化が大きな課題となっている。
「無属性魔術の先……力属性は手掛かり一つなし、か」
魔力は個々人により性質が異なっている。
それこそ指紋のように、個人を特定することも可能なほどだ。それを人類が規格化したものが属性であり、扱いやすく編纂したものが属性魔法である。基本四種、上位四種、特殊四種、そして法則属性と呼ばれる規格外の魔力が四種。
この中で人類が扱えない魔力は無属性魔力と、その上位に位置する力属性魔力だけ。
魔力の精霊王の特権というわけだ。
「無属性は最も純粋な魔力。普通は生活環境や性格で色付けされるため、人類では決して生み出せない属性。この純粋な魔力をどう変化させればいい。何が問題なのか……」
セイは無属性魔力を力属性へと進化させる方法論について模索していた。幸いにも見本となる混沌属性使いは近くにいた。混沌属性もまた、呪属性の上位にあたる魔力だ。参考にすれば進化も叶うのではないかと考えていた。
だが、ここで無属性魔力の特殊性が壁となる。
混沌属性とは突き詰めてしまえば強烈な呪いだ。呪属性を極限まで濃くしたものとなる。それに倣って無属性魔力を圧縮した場合――
「魔力が結晶化してこれ以上にはならない。魔法の触媒にはなるけれど、力属性にまで昇華することはない。何が足りない? 欠けているピースは?」
『計算不可』
「ですよねぇ」
アビスネットワークの余剰演算能力を使って計算しても、それらしい答えは見つからない。
しかしそれはつまり、何もわからないということではない。
「まだ知らない変数が関係しているってことかな。それを組み込んだ方程式を解明しない限り、力属性への道は遠いか……こうも時間がないと先人の知識を借りたくなるよね」
そう言って、セイはパタンと本を閉じた。
ここは情報収集のために訪れたのは王立学府だ。国立の高等教育機関であると同時に研究機関でもある。入学するためには有力者の推薦状を必要とするが、入場するだけであれば金で解決できる。今回、セイは大金を支払い、正規の手順によって中に入っていた。
最大の目的は保管されている研究資料や論文である。その閲覧のために金を払って入場する者は珍しくもないため、特に咎められたり怪しまれることもなくここへ来ることはできた。
そして最大ではない目的もある。
「おや、珍しいですな。魔力性質学の著書とは」
後ろから声をかけられたセイは一瞬驚くも、すぐに振り返る。
学者らしくもない小綺麗な服装から、声をかけてきた人物は貴族であるとすぐに分かった。そこで努めて丁寧な口調で返答する。
「基礎的な学問に興味があるもので」
「それはよいことだ。最近の若者はすぐに応用やら発展学問やらを求める。これはいかん。あらゆる学問は基礎にこそ重要なものが眠っているというのに。ああ、失礼した。私はレウニール・オルウェルという。アドラメレク系列に出資して自然科学の研究を支援しているのだよ」
「セイと言います。知見を得るために各国を回っているところです」
「なるほど。それでこの王立学府にも来たということかね。見たところ、東側の人種のようだが」
「北部から来たんです。あそこは色々と事件があったので」
「三公国かね。噂では悪魔が現れたとか、酷い戦争があったとか、色々聞いたが」
「ええまぁ。勉強するには怖くなったのでこっちに。本当はここからさらに南へ行こうと思っていまして、エスタ王国にはただ立ち寄っただけですが」
なるほど、と頷くレウニール。
セイに対して不信感を抱いている様子は今のところない。ただ顔に出していないだけかもしれないので、油断することはできないが。
「南ということはシルフィン共和国か。あそこのエルフたちは精霊研究を盛んに行っている。それに付随して魔力性質学にも詳しい。私も昔留学したことがあるのだよ」
「オルウェル卿も学者なのですか?」
「学者というほどではないが知識人であるつもりだよ。学者たちに出資するためには相応の知識が必要だ。留学もそのためのものだったのだよ」
「なるほど。そういう……」
「とはいえ、君はシルフィン共和国へ行くのを止めた方がよいだろう。エルフ種族以外があの国に入りたければ、紹介状が必要だ。何も持たずに赴けば、結界で門前払いされてしまう。結界のない小さな町ならともかく、知識を得られる大都市ともなると、入国は難しい」
「え……」
これについては初耳であった。
色々とこれからのことを考えていたところだが、それらが一気に吹き飛ぶ。
(あ、危な……何も知らずに南へ行くところだった)
しっかりと表情に出ていたらしく、レウニールは苦笑する。
「どうやら知らなかったらしいね。無理もあるまい。あの国は排他的で、あまり情報も出ない。我が国は国境が接しているから、それなりの交流もあるがね」
「……そのようですね」
「君も遊学するほどだ。実家はそれなりなのだろう? 手紙でも送ってはどうかね」
「ええ。ありがとうございます」
「勿論、実力を示すならば私が出資者になっても良いがね。じっくりと考えてみたまえ」
彼の目的は唾を付けることだったようだ。論文の一つでも提出すれば考慮してくれるということだろう。セイにそのつもりはなかったが。
去っていくレウニールを、セイは礼をしながら見送る。
(本当は王宮の内情なんかをついでに知れたらと思っていたんだけど、ある意味で重要な知識が得られたな)
白銀の霊峰から始まり、アルギル騎士王国、三公国、エスタ王国と順に南へと下ってきた。次の目的地は南にあるシルフィン共和国の予定だった。
もしもこれまでのように入国し、内部から崩していく方針を取るのであれば紹介状が必要となる。
ただ、残念ながらセイにそれを与えてくれるような伝手はない。強いて言うなら自由組合理事のネイエス・フランドールを脅せば書いてくれるかもしれないが、それは諸刃の剣にもなり得る。彼には魔王としての立場を明かして、利益を提示することで協力させている。あまり借りを作っては裏切りの心配も出てくるからだ。それに紹介状は明確な物的証拠として残ってしまう。魔王という存在に繋がるものは、少ない方がいい。
「こうなると、アビスがいなかったら手が回らなくて終わってたな」
『是。我らは王のためにいます』
「これからも頼むよ」
そう返したとき、アビスネットワークを通じて情報が入ってくる。
どうやら冒険者たちが魔力核奪還のため、深層に潜っているらしい。城の迷宮域の魔力核が狙われていた。
「数は二十。実力のほどは?」
『冒険者部門マネージャーから強い信頼を得ている者たちばかりで構成されています。推定される強さは自由組合の指標でランク八程度です』
「アリオト・ゴーレムに演算力支援を。それと補充用のアビスも待機させておく」
『是』
命令を下したセイは、閉じた本を元の場所へと戻す。代わりに新しい本を手に取り、それを読み始めた。
「魔力核は渡さない。皆殺しにしてくれ」
誰にも聞こえないよう、呟きながら。




