115話
王宮は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
その理由はデビッド王が熾灰病に感染していたからである。北部に出現した巨大トレントを撃退し、各地の迷宮で同時発生した魔物反乱や災害に対応し、アンデッド騒ぎにも収束の兆しが見えた矢先のことだ。何度エスタ王国は災いに見舞われねばならないのかと貴族たちは嘆いた。
「陛下のご容態は?」
「医官殿の診断では長くはないと。聖属性の使い手が付きっ切りで浄化を試みているとのことですが、進行を遅らせるだけで精一杯と聞きました」
「何ということだ」
「王妃や側室の方々も心配しておられます。一目でよいからお目お通り願いたいと。しかし感染の危険が伴う以上、会わせるわけにも参りませんな」
王宮勤めの貴族たちは、仕事の合間に不安を語り合う。こんなことをしたところで状況が好転するわけではないが、お互いの不安を共有することで安寧は得られた。
「冒険者たちの間で流行る病……いえ、呪いだと思っておりましたが」
「確かに、初めの感染者は最古の大迷宮を攻略する冒険者でしたな」
「どういった経緯で王宮まで及んだのかと思いまして。最古の大迷宮は未攻略で、騎士による魔力核の保護もしておりませんから」
「……もしや人為的なものと考えておられるので?」
「あまりにも経路が不明瞭です。疑うのも無理はないでしょう?」
二人同時に口から煙を吐き出す。
香木の煙を楽しむ高級な嗜好品の一種だ。王が倒れたことで国家を運営するための執務も滞り、しわ寄せは貴族たちへと及んでいる。こうしたストレスを緩和してくれる嗜好品は様々だが、その消費量が多くなっていることを各々感じていた。
そして貴族たちが苦難にある時、一般市民はさらに苦しい。
「対トレントや、迷宮の氾濫対応のため削った民需が効いていますな」
「左様で。王都はマシですが、地方ともなれば不足が深刻化しているそうです。特に金属が足りないと、領主をしている友人から聞きました」
「全体的に迷宮資源の採取が滞っておりますからな」
「北の戦場に優秀な冒険者を多く送り込んだ弊害です。それと……アドラメレク社も今は混乱しています」
「各部門のマネージャーたちも努力しておられますが、頭を抱えていることでしょう」
二人は再び、同時に煙を吐き出した。
気分がよくなるはずの香木も、話題のせいか旨くは感じられない。それにこういった嗜好品はすぐに市場から消えてしまうことだろう。それほど経済状況は悪かった。
「まさか社長殿まで熾灰病に罹ってしまうとは」
「アンデッドの呪いを至近距離で浴びたという話です。ゴルド卿や他の騎士、兵士、それに冒険者たちも重篤状態であらせられます。一部では熾灰病の経路が、アンデッドを生んだ原因となった悪魔ではないかという話も広まっております」
「悪魔……といえばアリオンの悲劇ですか。三公国の中心で起こった戦争に悪魔が出現したという噂です。例のトレントも、その戦いの後に現れた悪魔も、すべて北部ですから。三公国の事件と繋がっているとすれば……」
「止めておきましょう。我々まで根拠なき妄想に囚われてはいけません」
「……確かに、その通りです。そろそろ休憩も終わりにしましょう」
「ええ」
復興の目途も立たず、エスタ王国を支える国王とアドラメレク社はガタガタだ。少なくともどちらかのトップが健在であれば、もっと話は円滑に進んでいたはずだった。
国を支える二つの柱が揺らいでいる。
貴族も、平民も、皆が不安を感じていた。
◆◆◆
セイは今、一人でエスタ王国西部の湾岸都市に訪れていた。
それもエスタ王国で最大の港町であり、海を越えた西大陸の大国と繋がる唯一の港でもある。すなわち神聖ミレニアとの窓口となっている大都市であった。
ここに来た目的は、神聖ミレニアによる干渉を食い止めるためである。
「干し魚をいくつかくれないか?」
「はいよ」
支払いは『真っ当に』稼いだ金を使う。
いつものアビスを擬態させた貨幣ではなく、エスタ王国内で流通している通常のものだ。
「お兄さん、羽振りがいいじゃないか。行商人かい?」
「そういうわけじゃないよ。ただ、さっき王都の情報を売っていい稼ぎになったから」
「へぇ。そいつは興味深いじゃないか。ちょいと安くするから、教えておくれよ」
「交渉成立ってことで」
支払いかけたお金をいくつか返してもらい、セイは代わりとして語る。いかにも、といった様子で、他の人に聞こえないよう小さな声で。
「王都は流行り病で酷いものだよ。アドラメレクの社長も、王様も病気になってしまったらしい」
「っ! そいつは……大変だ」
「そのうち、この都市も流行り病が入ってくるのを防ぐために、人の出入りを禁止するかもしれないな」
「だけどこの都市は塩を作ってる。出入り禁止だなんて……無理じゃないのかい?」
「無理ってことはないと思うよ。迷宮で採取できる岩塩が高騰するだろうね」
「そこまでするのかねぇ」
「ここは神聖ミレニアと繋がる港だから、領主様は何としてでも病の流入を防ぐだろうね。下手をすれば貿易が取りやめになってしまうから」
エスタ王国は迷宮を生かしたまま、発生する魔物を討伐することで資源を得ている。ある意味では自然サイクルが正常なまま機能している地域だ。
迷宮は本来、魔力を使用した後に残る魔素という残留物を処理するために存在する。廃棄物たる魔素を浄化し、生命エネルギーへと変換して竜脈へと戻すのだ。このサイクルが破綻すると竜脈は弱くなり、生命エネルギーが減少することで自然は劣化してしまう。木々は枯れ、、水は淀み、動物たちも消えてしまうだろう。
国家全体に七つもの迷宮が残っているエスタ王国は、他国と比べれば歪みが小さい。竜脈の管理者たる竜種がいないことだけが不安要素となるだろう。
つまりセイからしてみれば、現体制で残しておきたい国家なのである。
(滅びてしまわないように。だけど適度に弱らせる。本当に加減が難しい)
耳を澄ませば、街の中でも流行り病の噂をしている人物は少なくない。ここ数日ほどでかなり広がったと実感している。
王都では流行り病で数万人が死んでいる。
流行り病は迷宮都市の全てで起こっている。
実は悪魔の呪いが正体だ。
流行り病を治す薬がどこかで売られている。
国王が病にかかっているせいで国が滅びるかもしれない。
ごく一部を抜き取っても様々だ。中には的を射ているものもあるし、逆に何の根拠もない大嘘も混じっている。しかしこの状況こそセイの求めたのだった。
(声は少しずつ大きくなっている。そうなれば街の領主も無視できない。この港町を完全封鎖し、神聖ミレニアがエスタ王国に手を出せないようにできる)
ここまでは順調。
今のところは問題ない。
「いや、マジで頼むよ。やりすぎないでよ……」
封印からよみがえった悪魔たちのことが脳裏に浮かび、少し心配になった。
◆◆◆
エスタ王国の王都サウルでも、ある噂が流れていた。
それは熾灰病が広がり続ける王都において、その噂は決して聞き流せるものではない。
「陛下、お加減は如何ですか」
「かなり痛む。足は……私の足はどうなっている」
「新しい薬を施しましょう。薬で有名なアルギルから回復薬を仕入れております。かなり痛みが和らぐでしょう」
デビッド王は聖属性を得意とする宮廷魔法使いや医師に囲まれている。病気や呪いの専門家たちにとっても、熾灰病は手に負えなかった。
どうにか回復の魔法薬で症状を遅らせてはいるが、根本的な治療には至っていない。
「やはりあの噂を追いかけるべきでしょうか」
「熾灰病を治せる魔道具というやつかね?」
「ええ。陛下の体に張り付いている呪属性の魔力はあまりにも強力です。我々とて聖属性の守りがあっても長時間の接触は難しいでしょう。手に負えないのです」
「魔法薬の方面では?」
「わ、私ですか? こんなの無理です! これほど複雑な呪いは薬の分野ではありません! 魔術か、あるいは薬と魔術の複合でなければ……」
「結局は噂の魔道具とやらが唯一の望みというわけですか。我ながら情けない限りです」
熾灰病は最古の迷宮に潜る冒険者から感染が広がったとされている。
残念ながら原因は未特定で、迷宮内の魔力に当てられて変異した病原菌説が有力視されている程度だった。焼けるような強い痛みと、指先や足先から順に灰となっていく症状から驚異的であると認識はされていた。現状で罹患者を隔離し、感染が広がる前に死んでもらうことが唯一の対抗策とされている。
細菌にせよウイルスにせよ、キャリアとなる媒体が存在しなければ長く生きていられない。自己を増殖し、拡散させるためには生きた生物が必須なはずなのだ。
熾灰病も呪いの一種ではあるが、生物にのみ宿るということはすでに分かっていることだった。その特徴から変異病原菌説が最有力とされているのである。
「この病、あるいは呪い……陛下が身に着けておられた呪い中和の護符すら意味をなさなかった」
筆頭宮廷魔法使いの老人が重々しく告げる。
それに対して他の者たちも深く頷いた。
「また陛下については感染経路も全く分からない。陛下に近しい者で熾灰病に罹った者はいなかったはずだ。私は人為的な手段で感染させられたと考えておる」
「筆頭殿の仰る通りですね」
「私もそのように感じております」
「しかし護符を突き破るほどともなれば、相当な出力で呪いをかけ続けなければなりません。そのような形跡があれば逆探知もできるでしょう? 筆頭殿は深読みしておられるのではありませんか?」
「……確かに、私の考えすぎかもしれん。護符は文字通り意味をなしていないのではなく、中和限度を飽和しておった。ゆえに聖属性の結界を張り、呪いの遮断を試みた。しかし全く効果がなかったのだからな」
まさしくお手上げの状態であった。
できる限りの手を尽くしても、糸口すら掴めなかった。
「民の中には迷宮を封鎖、あるいは完全攻略してしまうべきだと叫ぶ者もおります」
「そのようなわけにはいかないでしょう。我が国は迷宮より採取する資源で成り立っているのです。これは国家としての柱ですから、簡単に折るわけにはいきますまい。貴族の方々も充分承知でしょうし、王がこのようになっておられたとしても意思統一のため対応なさるはずです」
「今はなんとしてでも国を割るわけにはいかん。熾灰病の治療法を必ず見つけなければならないな」
最悪の場合、デビッド王には生前退位してもらうほかない。
口には出さなかったが、この場にいる者たちはそう考えていた。
◆◆◆
「他に! 他に入札者はおりませんか!」
壇上に立つ男が興奮気味で叫ぶ。
彼の前では百人以上が物静かに座り、苦悶を浮かべていた。
「おりませんね! おりません! 締め切りです! 十八番のお客様が落札されました!」
一部では歓声が上がり、それ以外では落胆が漏れる。
ここは公的に存在しないはずのオークション会場。そして集まっているのは法を恐れぬ住民たちだ。落札された品は今回のオークションでも最大級の目玉商品。熾灰病の治療魔道具である。
「まさかまさかだ」
「ええ。使えるのはたった一度きり。だが本当に熾灰病が治る保証はない。それにあれほどの値が付くとは」
「ンフフ。それほど恐れているのでしょう。あの『呪い』を」
一部で囁かれるそのような会話には僻みも含まれているのだろう。
実際、彼らは恨めしそうに落札者を睨みつけていた。
しかしそのような場合でなくなってしまう。突如として外が騒がしくなり、オークション会場の扉が勢いよく開かれたのだ。
「全員抵抗するな! 我々はアドラメレク警備会社だ!」
「手を後ろに回して動くな! すでにここは包囲されているぞ!」
統一された装備の人間が次々と雪崩れ込み、あっという間に会場を制圧した。彼らはアドラメレク社の子会社でもある、警備部門の実行部隊であった。要人警護や貴重品の護衛など、人間相手の荒事に慣れた者たちである。入念に準備された突入制圧作戦に穴はなく、誰一人として逃げることも叶わない。
当然だが出品された品物も押収されることになったのだった。
◆◆◆
アドラメレクが回収した治癒の魔道具は、他の押収品とは異なりすぐに研究開発部門へと回された。他の押収品は違法な横流し品として厳重に保管され、捕獲した裏社会の人間たちを裁くための証拠となる予定だ。だがこの一品だけは存在そのものが隠匿されていた。
「ですから、押収されたものは以上です。この他にはありません」
「偽証は罪になりますよ。私のことは知っているはずです」
「ええ当然。私は警備会社を預かる身なのですから。陛下の右腕たる裁判官、ディミトリィ・フラバンス卿のことはよく知っております。長い付き合いですから」
「正直に答えなさい。あったはずですよ。熾灰病を治療する魔道具が」
「所詮は噂ですよフラバンス卿」
「アルヴィース!」
「どうか興奮なさらず。自信を持って申し上げます。他に押収品はありません」
押しても引いても手応えがない。
これ以上問い詰めても無駄だと悟ったのか、フラバンス卿も諦めて帰宅してしまった。帰り際に残した『後悔することになる』という台詞を聞いても、アルヴィースは不敵に笑みを浮かべるだけ。
応接室でただ一人となった彼は、隣の部屋に向かって呼びかける。
「ルクスリア」
隣室は社長たる彼の執務室だ。
重要客を迎えることも多いアドラメレク警備会社には、相応の応対が求められる。社長室と繋がっているのも、急な来客に対して即座に応対するためであった。
扉を通って社長室から現れたのは、至上の美しさを持つ女性。
アルヴィースを支える秘書として働いている。しかしながら彼女とアルヴィースはそれ以上の特別な関係であった。
「社長のご容態は?」
「元から体力のある人なのだから、まだ時間はあるわ。本当に驚くほどの頑丈さよ。熾灰病に侵されながらベッドの上で仕事をしているらしいわ」
「あの御方らしいな。だが早く熾灰病の治療魔道具を発見しなければならない。我らが押収し、隠し通した例の魔道具も本物ではなかった」
「それなら国に引き渡しても良かったじゃない」
「前例を作ることが問題なのだ。一度でも引き渡した前例があれば、言い訳ができなくなってしまう。魔道具を探す活動を続けるためにはこの対応が好都合なのだ」
「悪い人ね」
「全ては社長を助けるためさ。我らアドラメレクには社長が必要なのだから」
巨大企業アドラメレクはたった一人の男によって制御されていた。強いカリスマと竜殺剣という象徴を併せ持つ彼だからこそ、強い経済力を持つ組織を安定させることができていた。またそこには国家の権威たる王との強い結びつきもあった。
だが『経済』と『権威』は同時に倒れ、別たれた。
「国王もアドラメレク社長も熾灰病に倒れたわ。これからどうなってしまうのか不安ね」
色欲の高位悪魔ルクスリアはそんな言葉を口にしつつも、愉しそうに表情は歪んでいた。
 




