114話
エスタ王国軍がアンデッドを迎え撃つために選んだのは、大きな川の流れる丘陵地であった。その理由は地形を使ってアンデッドの足止めを狙ってのことである。アンデッドの軍勢に対して犠牲者を出すわけにはいかないので、有利地形に持ち込んで叩くのは定石であった。
嫌われているということは、それだけ対策方法が研究されているということでもある。進軍するアンデッドを上手く釣りだす方法もまた、戦術として確立していた。
「撃て! 撃て! 炎爆属性持ちは魔力が尽きるまで魔法を撃て!」
指揮官をしている騎士は声の限り叫び、彼の従者は激しく喇叭を鳴らす。川に阻まれた丘陵の低地へと誘い込み、高地に伏せていた兵士や冒険者が一斉攻撃するというのが今回の作戦だ。炎爆属性の戦術魔法を使える者は詠唱しながら前線を入れ替え続け、連続して飽和攻撃が放たれるようにしている。炎属性を持っていない者も、燃焼や爆発の魔導を使っていた。
とにかく遠距離から攻撃して殲滅することに注力していた。
◆◆◆
対アンデッド戦術は順調であったが、完璧ではなかった。
北の戦場にはユグドラシルとの戦いによって多くの死体が残っており、それらに呪いが宿ることで大量のアンデッド種が発生したのである。残念ながら全てのアンデッドを丘陵地へと誘導できたわけではなく、取りこぼしがあった。
しかしそれを放置するわけにもいかず、冒険者たちがその対応にあたっていた。
「社長! 無理をなさらずに!」
「問題ない」
竜殺剣を構え、グリゴリが対峙するのは一体のアンデッドだ。それは彼の息子、メルドがアンデッド化した個体である。
彼の魔力は聖属性に特化しており、肉体が自己修復するほどに純度が高かった。しかしながらアンデッド化してしまえばその特性も失われている。一方でメルドは希少能力としても再生能力を保有していたので、それは残っていた。
元より、アンデッドとは瘴気へと反転した生命エネルギーによって生きながらえる動く死体。呪いにも似た再生機能が備わっている。そこに肉体再生のスキルが組み合わされば、それだけ厄介なことになる。
「馬鹿息子め。聖属性に愛されていながらアンデッド化するなど。しかもレヴナントとはな」
メルドは俊敏な動きで斧槍を振り回し、瘴気を撒き散らす。身体に突き刺さる矢は再生力によって押し戻し、致命傷に至らない。
アンデッド種レヴナントの特徴は幾つかある。
血の気がない以外、生前の人間とほぼ変わらない見た目。
欠損もなく、寧ろ肉体のリミッターが外れたことで常識を超えた身体能力を持つ。
そして極めつけは生前のスキルを引き継ぐなどで異能じみた能力を持っていること。
アンデッド化したメルドはそれらの特徴を満たしていた。
(ふん。五百年前、アンデッドの魔王が世界を滅ぼしかけたという伝説も今なら理解できる。下級のアンデッドならばともかく、これほど生前の面影を残していればな)
嵐のような攻撃を躱すグリゴリは、その動きに確かなメルドの影を感じていた。姿形も、スキルも、そして武術でさえも特徴を残している。これは動く死体だと理解しても手が鈍る。ましてアンデッドという魔物が未知であった五百年前であれば、どんな達人でも情によって殺されてしまったことだろう。
「だが俺は責任を取らねばならん。眠れ、息子よ」
まだ治りきっていない骨身に鞭を打ち、強く踏み込む。そして次の瞬間にはメルドが両断されていた。元から死んでいるので、両断されたくらいで動かなくなったりはしない。別たれた体を繋ぎ合わせようとしていたところに炎の魔術が撃ち込まれ、激しく炎上する。
恐ろしいことにそれでも再生しようとしていたが、何度も何度も、しつこいほどの炎魔術によってようやく燃え尽きる。
「社長」
「まだ戦いは終わっておらん。メルドより厄介なのがまだ残っている!」
「ッ! そうでした!」
「誰か状況を知っている者はいないか!」
グリゴリは少しの休憩も兼ねて、周囲の者に尋ねる。
他の冒険者たちも疲れ切ったものが多く、また魔力とて底を突いていた。補給を受けて体を休めたとはいえ、ユグドラシルに憤怒の高位悪魔にと連戦続きなのだ。またアンデッドを誘導するために何度も当たって引いてを繰り返しており、精神的にも疲れ切っていた。
また誘導から漏れたアンデッドは疎らに散っており、ある種の乱戦状況にある。メルドに集中していたグリゴリは勿論、他の冒険者たちも他の戦場がどうなっているか分かっていなかった。
「見える範囲では片付いたようですが……」
「ゴルド卿はまだ戦っておられるかもしれません。メルドさんを仕留めている間にかなり離れてしまったみたいですね」
「俺が見た時はあっちの方にいたと思うけど」
ひとまずは情報を出し合い、それを丁寧に繋ぎ合わせていく。戦いの音もしないということは、相当離れてしまったのだろう。アンデッド化したメルドを倒すために時間をかけ過ぎた。
どうしたものかと思案している所に、一人の女冒険者が手を挙げる。
「どうした。お前は確か……」
「アリエよ。アリエ・フー・クロノディン。私の力が役に立つと思うわ」
そう言いながら彼女は掌の上に小さな光玉を浮かべる。
「精霊か。そういえばエルフだったな」
「ちょっとどういう意味よ! まぁこんなしょぼい精霊しか扱えないわけだし、エルフだって認められなくても仕方ないけどね」
「それで、その精霊がどうしたって?」
「こいつは役立たずの小精霊だけど、時空属性なのよね」
「何!?」
グリゴリは勿論、他の冒険者たちも驚いた。
時空属性といえば歴史上でも数えるほどしか使い手のいない法則属性である。その希少さゆえに転移魔術陣は大量の予算を投じて研究されている。
しかしながら彼らの驚きをよそにアリエは肩を竦めるのみであった。
「大した力もない小精霊だから、ほとんど使えないのよ。お蔭で故郷では肩身が狭かったわ。でも、こういうことはできるの」
忌々しそうに魔力を込めると、時空の小精霊はびくりと震えた。それから激しく点滅し、やがて全員の脳裏に映像を浮かび上がらせる。
それはこの戦場を俯瞰的に見た光景であった。
さらに映像は変化する。徐々に巻き戻り始めたのだ。メルドが燃やされている光景、メルドと戦っている光景、誘導しきれなかったアンデッドと会敵した光景と時が戻っていく。
逆再生ではあったが、戦場で何が起こっていたのか客観的に見ることができた。
「これは便利だ」
冒険者の一人が呟く。
つまり時間を遡り、何があったのかを見ることができるわけだ。使い方によっては戦略級の活躍もできるだろう。皆がアリエに注目し、その凄まじさを褒めたたえる。
グリゴリも思わず溜息を吐いてしまうほど感心していた。
「お前の技能はもっと早く知りたかったな。アリエ・フー・クロノディンだったか。その名前は覚えておこう」
「ありがとうございます社長。でもそれほど便利でもないのよ。この小精霊が実際に見た光景しか遡れないし、遡れる時間は一日あるかどうか。それに一度使うと力尽きてしばらく何もできなくなる。所詮は小精霊よ」
「なるほどな。だが流石はエルフ種。こうも精霊の力を引き出せるとは」
「これが大精霊なら本当に時間を巻き戻せるって聞いたことがあるわ。あるいは空間転移もできるって」
エルフという種族が精霊を隷属し、使役しているという話は有名だ。しかしながらその実情を知る機会はそう多くない。もともと排他的な種族なので、こういった事情へ踏み込むと地雷を踏み抜くことが多いからである。
エスタ王国にもそれなりのエルフはいるのだが、詳しい事情は聞かないということが暗黙のルールになっていた。
「これでゴルド卿が向かった方向は分かった。もう少し身体を休めて移動するぞ。念のため偵察を送って状況を確認する。あのアンデッドだけはここで討伐せねばならんのだからな」
グリゴリの判断に皆が頷いた。
◆◆◆
包囲殲滅しきれなかったアンデッド狩りには騎士も出動していた。
そしてとある強力な個体を討伐するため、武官貴族として実力の知られるゴルド卿が兵士を率いて対応している。だがアンデッドの耐久が非常に高いので、かなり苦戦させられているというのが現状であった。
「いまひとつ、決め手に欠けるな」
「ゴルド卿、このままでは負けはしなくとも倒しきれません」
「確かにその通りだ」
馬上のゴルド卿は苦々しく同意する。
彼らが二十人ほどで抑え込んでいるのは、たった一体のアンデッドであった。だがどれだけ魔法攻撃しても、ほとんど意味をなしていない。その理由はアンデッドが纏う瘴気だ。
幸いにもその個体の他にアンデッドはいない。
より正確には、他のアンデッドは喰われてしまったのだ。
「あれが伝説に残るソウルイーターという個体か」
「はっ! 間違いないかと。伝承の記述にも一致いたします。怪我の功名ですが、もし大軍で対処していれば重大な事態に発展していたかもしれません」
「我々は今頃、あれの餌になっていたかもしれんな」
「ええ、はい」
彼らの見つめる先では、全身の筋肉が膨張した巨体が暴れていた。瘴気を鎧のように押し固め、呪いの息を吐き、手には槍のような形状の武器を持っている。その武器は骨のような質感であり、当然のように瘴気をまとっていた。
このアンデッドこそがソウルイーター。
特徴として、他のアンデッドのように人間や動物を殺してもアンデッド化させる能力を保有していない。代わりに他者を殺して生命エネルギーを奪い取り、反転させて瘴気として蓄積する能力を持っているのだ。
したがって軍勢としての脅威はないが、個としては無尽蔵に強化されてしまう。
ソウルイーターの他にいたアンデッドたちは、すべて喰われてしまった。
「なんと哀れなことか。ウルズ卿」
そしてソウルイーターの元になった人間こそ、対ユグドラシル戦線で指揮を執った英雄ウィリアム・ウルズである。最後は王の命令で最前線に立ち、その命を散らした。死んだはずの人間なのだ。
だがそのあとに正体を現した悪魔によって呪いがまき散らされ、生ける屍となって動き始めた。特別強い呪いを受けたからか、高い生命力を誇っていたからか、ウィリアム・ウルズは高位のアンデッドとなってしまったのである。
「ゴルド卿、これで最後の矢です。もう浄化の矢はありません」
「やはり足りなかったか。仕方あるまい。残る矢で僅かでもウルズ卿の無念を慰めてやろう」
彼は貴族として兵士たちを指揮する合間、弓によってソウルイーターを射抜いていた。ゴルド卿は戦術家でもあり、弓の名手として王からの覚えもよい。若い頃は御前弓術試合にて才覚を見せつけ、彼こそがエスタ王国一の弓取りであると先王から褒め称えられた。
そんなゴルド卿が操るのは射程に優れた長弓である。ただ弦を引くだけで並ならぬ腕力と技術力を必要とする。さらにはその長射程を存分に活かせる観察眼と腕前がなければならない。
片手で数える程度となった浄化の矢を手に取り、家宝の長弓によって放つ。
「ヴォアアァァァアアッ?」
「奴は怯んでいる! 総員、かかれ! ウルズ卿にこれ以上の恥をかかせるな! 彼はトレントの魔王を討った英雄なのだ!」
ソウルイーターは激しく呻き、その巨体で暴れまわる。背中に直撃した浄化の矢は、膨れ上がる肉塊を弾けさせ、瘴気を浄化する。
ミスリルという魔力情報体を保存できる魔法金属の効果で、矢じりに聖属性が込めれているのだ。矢じりほど小さいと時間経過で付与属性が霧散してしまうため、大量備蓄には向かない。しかし対アンデッド用兵器として常に一定数は保管されている。
この戦いで持ち込めた浄化の矢はそれほど多くない。そしてゴルド卿はついに、最後の一本を弦より解き放ってしまった。
「ゴガアアアアアアアアアアアアッ!」
じっくりと狙った執念の一矢はソウルイーターの頭部に直撃する。
リスクを承知で前線で戦う者たちのお陰で、ソウルイーターはほんの一瞬だけ動きを止めた。ゴルド卿は戦場の空気を読み解き、その最大のチャンスの直前で矢を放った。矢が届くまでの時間すら考慮した完璧な一撃により、ソウルイーターは倒れる。
しかし倒したわけではない。
油断し、不用意に近づいてしまった兵士の一人がその犠牲となる。槍でによる刺突を肉で受け止め、兵士の足を握り潰すほどの力で掴んだのだ。
「ああ!? うわあああああ!?」
「馬鹿が! 早く助け出すぞ。ソウルイーターが力を取り戻してしまう!」
残念ながら、咄嗟に動けた者は一人もいなかった。ほかの兵士たちも不用意に近づくことこそなかったが、致命傷を負わせたからと安堵していたのだ。緩んだ思考では命令に応じることもできない。
足を掴まれた兵士はそのまま瘴気に侵され、ソウルイーターへと生命力を吸われていく。あっという間に干からびて、物言わぬ屍となってしまった。
そこから恐怖は伝播する。
凄惨な『死』……いや、命が喰われる瞬間を目の当たりにした兵士たちは一気に浮き足立った。
「いかん!」
「ゴルド卿! 矢を!」
「浄化の矢は先ので最後だ!」
そうは言いつつも体は弓矢を構え、経験に基づく感覚によって狙いを定め、指を離す。矢は弧を描きながらソウルイーターへと突き刺さり、すぐに再生する肉で押し返された。
(やはりだめか)
前線の兵士たちは逃げ腰で、騎士たちも統制しきれていない。ゴルド卿の脳裏には、ソウルイーターによって前線の兵士たちが喰い荒らされ、戦線崩壊する未来が映っていた。
しかしその予測とは裏腹に、突如としてソウルイーターへと魔法が殺到する。熱線の炎魔術がソウルイーターの体表を焼き、肉を貫き、動きを止める。それによって前線の兵士たちは死よりも悍ましい末路から逃れることができた。
いったい何が起こったのか。
そんなことを考えているうちに答えが判明する。
統一されていない装備の集団が兵士たちを引きずって後ろに下げ、代わりに前線を受け持ったのだ。
「来てくれたか! 冒険者たちよ!」
ゴルド卿の喜色は声にも表れる。
対魔物という点ではエスタ王国軍より優れているのが冒険者たちだ。迷宮産業を牽引するアドラメレク社の冒険者たちは、勇んでソウルイーターへと攻撃を開始した。
これによって疲弊したエスタ王国軍は一時の休息を得ることができて、態勢を立て直すことに成功する。
一息ついたゴルド卿のもとに、社長ことグリゴリが近寄った。
「申し訳ない。遅くなってしまいました」
「何を言うか。お陰で我々は助かったのだ。確かに犠牲者は出てしまったが、貴殿を責めるはずなかろう。責があるとすれば私のほうだ」
「いえ、あれほどのアンデッドを相手によく戦われたと思います。あれはまさしく魔王級でしょう」
「魔王級程度、仕留められずして武官貴族は名乗れぬ。不甲斐なさを恥ばかりだ」
「これからは私も参戦します。ゴルド卿は我々が持ってきた浄化の矢をお使いください」
「助かるぞ」
ゴルド卿も安堵して矢を受け取った。
有効な武器も尽き果て、残る手段は撤退だけだったのだ。しかしエスタ王国を守るうえで、撤退はあり得ない。正直なところ、口に出した通り助かったという思いが強かった。
しかしその安堵は油断となる。
「あ、お、に……」
「哀れな。勇ましく、優れた人物であったというのに。言葉も話せぬ怪物となり果てたか」
体力を回復させたグリゴリは、竜殺剣へと魔力を流し込む。すると混沌属性のうち、死と破滅を司る瘴気が刀身をまとい始めた。生命エネルギーを直接削り取る究極の破壊魔力によってソウルイーターを完全消滅させる腹積もりなのだ。
いかにアンデッドといえど、滅びの法則そのものである混沌属性では抗えない。冒険者たちが抑え込み、そこにゴルド卿が浄化の矢を当てて動きを止め、グリゴリが竜殺剣を刺し込む。
混沌魔力は反転したアンデッドの生命エネルギーすら砕き、滅びが全身へと広がり始めた。
しかしその瞬間、ソウルイーターは壊れかけの体でグリゴリに抱き着いた。しかもまるで胞嚢のように、ソウルイーターの全身各所が膨れ上がる。
「しまっ―――全員、離れッ!?」
咄嗟にゴルド卿は警告するも、既に遅い。
その内側へと溜め込んだ呪いの全てを濃縮し、ソウルイーターは自爆したのだった。




