113話
お久しぶりですね。
リメイク構想したりで更新止まってました。今日から章の完結までは毎週出しますね。
悪魔という存在は基本的に不老不死だ。
破壊神の遣いとして、文明に対して衰退を与えるための存在なのだ。老いとは無縁だし、仮に滅ぼしたとしても時を経て復活する。世界にとっては循環の一つでしかないが、人間からすれば疎ましい。だからこそ封印という手段を持ち出したのだ。
そして悪魔の厄介な所は、高位悪魔による悪魔召喚だ。大悪魔と七体の高位悪魔は召喚スキルによって無尽蔵に中位悪魔や低位悪魔を呼び出す。
「悪いね。瀕死の重傷から復帰したばかりなのに」
「魔界瘴獄門を使うだけだ。問題ないぞ」
深淵竜に騎乗し、地上を見下ろしながら会話するのはセイとイーラだ。北の戦場でサポートしてくれていたイーラは、最後にひと暴れした際に瀕死になるほどの傷を負った。幸いにも消滅の寸前で大悪魔マリティアに助けてもらったが、全力戦闘できるほどには回復していなかった。
しかしそれでも彼女を連れてきたのには理由がある。
「王国の遣いが西の大陸に行ってしまっては困るから……助かるよイーラ」
「ふん。生命属性の使い手はマリティア様の天敵なのだ。完全に力を取り戻していないマリティア様とぶつけるわけにはいかない。そう言ったのは貴様だろう」
「まぁそれも大きい理由だね。あと国家間で連携されると計画も狂う。流石に二国、三国と同時に大国を相手にできるとは思っていないから」
「軟弱者め」
「仰る通りで。魔王は……魔力の精霊王は弱いんだよ」
そうこうしている内に地上も片付いた。
すなわち、エスタ王国から神聖ミレニアへと向かおうとしていた使節団を壊滅させたのだ。イーラの召喚した中位悪魔、火滅魔犬オルラージュは群れて、囲むことによって一人も残すことなく殺し尽くした。
(戦闘を目的としていない使節団を襲って、被害は中位悪魔が十六体。護衛の騎士や兵士だって多くはなかった。やっぱり他国から援助をさせるわけにはいかない。特に天使の力を使うという神聖ミレニアだけは……)
そんなことを考えながらセイはアビスに命じて、焼け焦げた死体を処理させる。使節団が殺された痕跡が発見されれば、新たな使者が組織されるだろう。それよりも完全に行方不明になってしまった方が時間を稼げる。
目撃者がいないように気を付けたし、火滅魔犬オルラージュもわざわざ魔界へと戻させた。
「ふん。私なら火に沈めて滅ぼしてやる」
「まぁそれもいいんだけど、この国は完全に滅ぼすつもりはないよ」
「なぜだ!」
「迷宮が丸ごと残っているからね……俺の本来の仕事は魔力を使った後に出てくる廃棄物質、魔素を生命エネルギーへと戻すことだ。迷宮の多い場所には人間を集めておきたい」
「ならどうするのだ」
「それはマリティアが上手くやってくれるよ。この国は必ず弱くなる。そして餌にするんだ。弱った国には東の大帝国も食いつくだろうからね」
現状、セイが最も警戒しているのは東の大帝国である。
強大な軍事力を誇り、その武力によって大陸の半分以上を制圧した大国だ。最初に落としたアルギル騎士王国と、これから落とすエスタ王国も大国と呼ぶに相応しい国力ではあるが、それでも大帝国には及ばない。
「我ら悪魔に任せればいいものを」
「悪魔によって国が滅びたことを表に出すのは良くないかな。他国からの干渉理由を与えてしまうから。だから三公国と同じように、『自滅』を演出する必要がある。折角魔王としての活動の痕跡をアルギル騎士王国で残してきたわけだから、できるだけ長くそちらに目を向けさせたい」
「面倒臭い奴だ」
細かい策略が苦手なイーラからすれば、セイのやり方は苛立ちを覚えるのだろう。それでも従ってくれるのは、大悪魔マリティアのためだ。マリティアがセイに協力してくれるからこそ、セイの策に乗ってくれている。
ただ目的が一致しているだけに過ぎない別勢力なのだ。竜殺剣から解放された借りを返したと判断されれば、容易く離れて行ってしまうことだろう。
できる限り言葉を尽くし、利益を示し、納得してもらうしかない。
(俺の最優先目標は魔力核の回収と、精霊や竜王の解放。人間に対する最良の抵抗手段は潰し合わせること。悪魔たちに暴れられすぎると、人類の一致団結を招きかねない。上手くコントロールしないとね……)
今後を考えるとエスタ王国は滅亡ではなく、弱体化が望ましい。
それを達成するためには強大な一枚岩の権力を有するエスタリオ王家と、大規模な経済圏を有するアドラメレク社の衰退が必須だ。
思考を止めてはならない。
大胆に動くことを躊躇ってはならない。
今は少しずつ人類の戦力を切り崩し、分裂させ、弱らせることが重要だ。
「一度帰るぞアビス」
『是』
空とはいえ深淵竜は目立つ。
幸いにもアビスネットワークによる情報網があるので、エスタ王国に動きがあればすぐ行動に移せる確信がある。セイとイーラは一度隠れられる場所へと戻っていった。
◆◆◆
王の好意で王宮へ迎え入れられたシェバは、何の不自由もない贅沢な暮らしをしていた。その生活水準はウルズ家にいた時より高い。しかしながらそれを幸せと思えない日々を送っていた。
この世で最も大切な夫を失い、世界から色が消えているようであった。
(そう、夢なのね)
珍しく、彼女は自分の見ているものが夢であることに気が付いた。
シェバがいるのは全く知らない王宮の一室である。中央には大きな机が設置されており、壁の本棚には法律や歴史などの書籍が大量に並べられていた。壁には王家の紋章が織り込まれた旗が掲げられ、一見して装飾品と分かる宝剣が飾られている。
全く知らない室内ではあったが、窓から見えた中庭は間違いなく王宮のものであった。だからこの部屋が王宮の一室であると考えたのである。
(一体どこなの。どうしてこんな夢を)
とても夢とは思えないリアルさだ。
それでいて自分の意思ではほとんど動けず、何かに突き動かされるようにして机の側へと移動する。そして彼女は気が付いた。
(陛下……! どうして!)
いつの間にか机の前にはデビッド王が座り、何かの書類仕事をしていた。驚き、思わず声を賭けようとしてしまう。しかし縫い付けられたかのように口は開かず、舌はぴくりとも動かない。そしてシェバの意思に反して体は動き、デビッドの背後へと移動した。
そこからであれば、デビッド王が何をしているのか目に入る。
(これは私の夫に……ウィリアム様に向けた手紙。北の戦場に送る手紙。もうウィリアム様はおりませんのにどうして)
思いがけないものを見て混乱してしまうが、これは夢であることを思い出した。夢であるならば、突拍子もないことだって起こり得る。
あり得ないことだって見てしまう。
(あり得ないあり得ないあり得ない。こんなものは私の浅ましい想像。あり得ないことです。陛下が指揮官であるはずのウィリアム様に最前線へ立てと命じたなんて!)
目を閉じようとしても閉じられない。
目を逸らそうとしても動けない。
まるでもっとよく見ろとでも言われているかのように、手紙の文章が飛び込んでくる。読もうとしなくても文字列が自分の中に入ってくる。
そして気付けばシェバは横たわっていた。
背中に伝わる感触は非常に柔らかく、全身を優しく受け止めてくれている。目に映る天井にはどこか覚えがあった。
(ここは……陛下の寝室)
最近も何度か足を運び、この景色を見た。
だがどこか違和感があった。その違和感に気が付く前に、シェバは答えを知る。自分自身を組み伏せる王の顔が目の前に現れた。
悲鳴を上げたくてもやはり声が出ない。
体のどこにも力は入らず、しかしながら触れられている感覚はあった。掴まれた手首の痛みも、愛撫される胸の感覚も、自分自身の身体にのしかかる重ささえも、恐怖を覚えるほどにリアルだった。
(おやめください陛下! 陛下! どうか! 私はウィリアム様の妻なのです!)
自然と思い浮かんだのはあの夜と同じ言葉。
王の誘いのまま、不義を働いてしまった忌まわしい夜の記憶だ。
それに応答したデビッド王の言葉も覚えている。『今日限りは私の妻となって欲しい』というあまりにも勝手な言葉であった。所詮は女であるシェバが王の言葉に逆らえるはずもなく、そもそも腕力でも敵わない。
下手に暴れて王に傷を付けようものなら、ウルズ家にも迷惑をかけてしまうかもしれない。後先を考えてしまう賢さ故に、彼女は王を受け入れるしかなかった。
「お前の夫が疎ましかった」
(ッ!)
「初めてお前を見たのは王宮からだ。水浴びをしていたお前を見て、私は心が騒いだ。王妃にすら抱いたことのない、燃えるほどの恋情を覚えたのだ」
(これは、違う。あの夜では――)
「なぜだ! お前はなぜウィリアムの妻なのだ! ああ疎ましい。ああ煩わしい。ああなんと羨ましいことか」
鼻と鼻が触れそうなほどの距離でデビッド王は恨み言を紡ぐ。
それは普段の王の姿からは想像もできない、浅ましい人間のような様子である。完璧であるはずの王が、あまりにも下賤に見えた。
「殺すしかない。殺すしかないのだ。私がお前を手に入れるにはウィリアムを殺してしまうしかない! それしかないのだ!」
(ああ、やめて)
「私は完璧な王でなければならない。一つの曇りもあってはならない。それが王の血。王の権威。王の在り方なのだ。私はあの一夜でお前を孕ませた。だから仕方のないことなのだ。我が忠臣ウィリアムは私のために死ぬ他なかった」
(いやです。そのようなことは! こんなものは私のおろかな想像――)
「これが私だ! デビッド・エスタリオなのだ! 偉大なる冒険王サウルの末裔なのだ!」
(ああ……)
これが真実。
これこそが本心。
何度も何度もシェバへと囁きかけ、衣服を脱がされていく。もはや彼女は何も感じていなかった。糸の切れた人形のように、シェバはされるがまま犯される。
「死ね! 死ね死ね死ね! 死ぬのだ! 我が忠臣ウィリアムよ!」
歪んだ形相で唾を飛ばしながら叫ぶ王。
シェバはこれが夢であることすら忘れ、呪詛の言葉を聞き続ける。全くの無気力だったシェバは、初めこそ何故という疑問ばかりであった。だがそれは次第に怒りへと変わり、やがて恨みへとくべられる。
「死ね! 私のために死ねウィリアム!」
(死ね。私のために死ねデビッド王)
「お前は生きていてはならぬ。死なねばならぬ」
(あなたは生きていてはならない。死なねばならない)
「おおおおおおおお! 呪い殺されよ!」
(呪い殺してやる……)
身体が弾けるような感覚がした。
色のなかった世界が真っ赤に染まり、炎のように燃えていく。胎の中で悶えるほどの熱さを感じたが、そんなものは胸の内にある憎悪よりも温かった。
「呪いなさい私の胎よ。忌まわしい男を憎悪で燃やしなさい」
そう口にすると同時に、目が覚めた。
窓から差し込む光はまだ淡く、日の出はもう少し先だろう。だが彼女は少し重くなった体を起こし、ゆっくりとお腹を撫でた。彼女の胎は臨月の妊婦のように膨れ上がり、衣服ははちきれそうになっている。シェバは確かに妊娠していたが、これほどはっきりとお腹は大きくなっていなかった。
しかしそれを不気味に思うこともなく、ただ愛おしそうに撫でる。
「ウィリアム様。もうすぐですよ」
胎の内側で燃えるような痛みを感じつつも、シェバはそれすら心地よく思う。それは夢で見たことは真実だと、今は確信できたからだ。あのような浅ましく見るに堪えない男を王のままにはしておけない。
必ず殺し、仇を討つ。
シェバは艶やかに笑っていた。
◆◆◆
「という感じの呪いを仕掛けてきたわ」
「えっぐいな」
「仕方ないじゃない。王様は呪い中和の魔道具を身に着けているんだもの」
マリティアは愉快そうな笑みを浮かべていた。
一方でイーラは目を輝かせている。これでこそ悪魔だと言わんばかりの、称賛と敬意を向けていた。まだ人間的な感覚も理解できるセイからすれば、思わず引いてしまう所業である。
「というか、混沌属性でも守りの魔道具を貫通できなかったのか?」
「忌々しいことにね。生命属性を帯びていたわ。まだ本調子じゃない私では難しいわね。派手にやっていいなら別だけど」
「生命属性……というと、神聖ミレニアの聖女」
「昔から権力者ってのは生命属性の守りの魔道具を持っていることが多いのよ。だから呪殺するためには工夫がいるのよね」
息をするように魔法を操る悪魔にとって、この程度のことは小さな手間に過ぎない。寧ろこの不自由さすら楽しんでいるように思えた。
「灰疫の呪い……だっけ。人間たちには熾灰病なんて呼ばれているけど」
「ええ。念のためにかなり古い呪いを使ったわ。人間の記録にも残っていないでしょうね。一通り練り歩きながら呪いの種を蒔いておいたわ。それと同時に幾人かは治してあげた」
「……なるほど。確かに噂が広がっているみたいだ」
アビスたちによる思考リンクは今もセイへと情報を送り届けてくれる。金貨や小動物の姿になって王都の各地に配置されているアビスは、様々な情報を集めてくれていた。普段は処理するだけでも一苦労だが、意識すれば自然と望みの情報が入ってくる。
今のエスタ王国は多くの不安が蔓延っていた。そしてその中に希望があれば、目立つ噂となる。
『熾灰病を治癒できる方法があるらしい』
人々の中でまことしやかに囁かれていた。




