111話
魔力は生命エネルギーを精神力によって精製し、変換して生み出される。純然たる質量であった生命力は精神力と交じり合うことで方向性を獲得し、属性という形で具現化する。
苛烈な性格であれば炎属性。
落ち着いた人物であれば水属性。
風変りで積極的な人物は風属性。
内向的ならば土属性。
これらは極端な一例でしかないが、少なからず性格と魔力属性はリンクしている。激情を司る言葉を冠し、憤怒の高位悪魔として創造されたイーラは炎の属性が強く宿っていた。炎属性に類する魔力特性が強力であるということは、逆説的にその性格も苛烈極まりないということ。
それこそ、彼女の怒りは理性を吹き飛ばすほどにもなる。
(く、そ……)
殺到する無数の魔法がイーラの視界を遮った。
回避できる空間など存在しないほどの密度だ。ダメージ覚悟で耐えるしか選択肢はない。盾として中位以下の悪魔を召喚するには時間が足らず、そもそも魔力不足で発動すらできない。
だからこれら魔法を甘んじて受け入れる以外、残されていなかった。せめてダメージを減らそうと体を丸め、被弾面積を最小限に抑え込む。
痛みと衝撃に襲われ、彼女からは方向感覚すら失われる。
強い爆発の魔法が背中に直撃し、今までとは一線を画す痛みを感じた。思わず呻いてしまったその痛みの原因は、彼女の背に生えた翼である。蝙蝠のような皮膜の翼は比較的弱い部位であり、それが爆発の衝撃で引き千切られてしまったのだ。
「ぐっ……こんな、ところで……!」
悪魔の力は魔力に依存したものだ。
破壊神の使いとして、人間とは比較にならない戦闘能力が与えられている。その源になるのが破格の生命力である。不老不死の高位悪魔たちが精製する魔力は膨大であり、紡がれる魔法は都市をも滅ぼすだろう。イーラとて天より火と硫黄の雨を降らせ、地を割って灼熱地獄を生み出す大魔法の使い手だ。
一度でも門を開けば、そこからは無数の悪魔が軍勢を成して襲いかかる。
しかしそれらは魔力がなければどうしようもない。
「いける! いけるぞ!」
「あの悪魔を殺せ。ここで命を燃やせ!」
冒険者たちは英雄を夢見て猛る。
人型の悪魔とは、それすなわち高位悪魔の証だ。その一つを殺すことができたのなら、間違いなく歴史に残る英傑と称えられる。
「我ら貴族は王と国に身を捧げたのだ! ここで散ろうとアレを仕留めよ!」
騎士たちは一体となり、合理的な魔法発動によってイーラを狙い続ける。巧みに拘束と攻撃の魔法を組み合わせ、魔力切れのイーラに何もさせない。
怒りのままイーラが放ち続けた火球は地上を劫火で包み、幾多もの犠牲者が出た。
ここで仕留めなければ悪魔の被害は広がり、エスタ王国の被害は増え続けるだろう。武官貴族は課せられた義務を勝利によって為そうとしていた。
「悪魔め……これで、終わりだ!」
投げ出されたイーラを今度こそ仕留めるべく、グリゴリは竜殺剣に魔力を込める。もはや無に等しい魔力では竜殺剣を起動することすら叶わない。だから彼一人ではなく、仲間からも魔力を集めた。
所詮、竜殺剣とは魔法武器である。その効果は刻み込まれた術式によって生み出されており、注がれる魔力属性は何でも良い。それこそ多人数の魔力を注ぎ込み、無理やり起動させても同じである。
「社長! 限界まで注いでやりましたよ」
「アタシも」
「これで倒せなきゃ馬鹿だろ……ってくらいに」
「お給料弾んでくださいよね」
一人や二人ではない。
次々と有力な冒険者たちが竜殺剣へと触れて、残る魔力を注入する。誰もが魔力を使い果たし、大きく生命力を減じている。つまり疲労困憊だった。だが決して躊躇わず、残る自分たちの力をグリゴリへと託した。
「頼む社長、仲間の仇を取ってくれ」
「僕はもう戦えない。右手がない。だから全部託しますよ」
「これが最後の力です。決めてください」
それぞれが注いだ魔力は小さなものだ。
しかしそれが総勢十八人にも昇れば、それなりのものになる。そうして合わさった魔力が竜殺剣を起動させ、内部から滅びの混沌属性を引きずり出す。全てを侵し、万物を無に帰す瘴気が解き放たれる。
グリゴリは膂力を振り絞り、それを振るうだけでよい。
(メルド……)
その時、脳裏に過ったのは息子の姿だ。
特殊な性癖には頭を悩ませていたが、それでも愛する子供であった。やがては竜殺剣を継がせて良いと考えていた。
だが、もはや生きてはいないだろう。
高位悪魔イーラが残る魔力を全て注ぎ込んで無数の火球を叩きつけたのだ。如何に高い再生能力を有していたとしても、アレに耐えられるはずがないのだ。
恨みか。
使命感か。
怒りか。
希望か。
複雑な感情を乗せて竜殺剣を解放する。斬撃は正確に、動けないイーラへと迫った。
「くっ! 避け――」
法則属性と言われる混沌の魔力は強大だ。
魔法の嵐に耐えるイーラも自身に近づく滅びの斬撃には気付けた。だが翼を片方失い、空に縫い留められたイーラに回避の術はない。
暗黒の瘴気が炸裂する。
混沌瘴気はイーラがいたはずの場所を抉り取り、周囲の魔法ごと消し去る。
「どうなった」
空に散っていく混沌瘴気をじっと眺め、その結果が現れるのを待つ。固唾を飲み、どうか滅びていてくれと願い、やがてその時が訪れた。
その結末とは……
「いない」
「消えた、よな」
「ああ」
「勝ったのか? 勝ったんだよな?」
「た、たぶん?」
あれほど激しかった戦いが、今は光を湛える泉のように静かだ。
だから実感がなかった。
まずは戸惑いが広がり、続いて希望的な結果が伝播する。そしてやがては確信へと至り、すぐさま歓声となって表れた。
「か、勝ったああああああああああっ!」
「俺たちが勝った?」
「ああ。勝ったんだ! 国を守ったんだ!」
貴族たちは、冒険者たちは身分を越えて喜びを分かち合った。
今だけは勝利を噛みしめていた。
「さぁ、掃討戦だ! 今度こそ残ったトレント種を残らず倒すぞ!」
「おお!」
――混沌魔力が散り、黒い雪となって彼らに降り積もっていた。
◆◆◆
「無茶するわね。魔王には足止めでいいって言われたのでしょう?」
「うっ……」
竜殺剣により憤怒の高位悪魔イーラは完全消滅した、と人間たちは錯覚した。だが混沌瘴気が直撃する寸前、大悪魔マリティアが救い出していた。
滅びの混沌瘴気は彼女自身の混沌魔法によって打ち消した。人間が搾りかすのような魔力を必死で注ぎ込み、ようやく放てた斬撃など何の意味もない。
万全の大悪魔は置き土産まで残してイーラを救出してみせた。
「さ、帰りましょうか。眠っていなさい」
その言葉に安堵したのか、イーラは両目を閉じる。
すっかり魔力を使い果たし、生命力は枯渇寸前まで低下している。如何に悪魔といえど休息が必要だった。
「混沌の呪い……解呪できるかしら?」
マリティアは挑戦的な笑みを浮かべていた。
◆◆◆
「おい……あんた?」
掃討戦の最中、ある冒険者が気付いた。
それは天より振り続ける黒い粉のような何かだ。高位悪魔の討伐に成功した直後から見えていた現象で、竜殺剣の余波だと皆が信じていた。だが、いつまでも降りやまないことで不穏な空気が流れつつあった。
それが確信に変わったのは、一つのきっかけである。
「あんた……まさかメルドさんなのか!?」
とある冒険者の目の前に、ボロボロの人型が現れたのだ。全身が火傷で酷い有様となっているが、輪郭から特徴を見出せる。彼はメルドをよく知る実力の高い冒険者の一人だった。
その人型は現在進行形で肉体が修復しつつあり、本当に少しずつだが元の身体へ戻ろうとしていた。
「よかった。あんた、あの炎で死んだかと――」
イーラの炎は凄まじく、絶対に死んだ者と思っていた。死体すら残らず焼き尽くされたと考えていた。だからこそ喜びは大きく、ともかく彼に再生薬を飲ませなければと行動を始める。
そうして背を向けた直後、その冒険者は胸に強い痛みを感じた。
「え?」
見下ろせば、胸鎧を貫いて白い何かが見える。
「え……」
それは引き抜かれ、彼は大量の血を噴出させながら倒れた。
犯人は一人しかいない。
霞んでいく視界には骨だけとなったメルドの右腕から血が滴っている光景が残る。そのまま、彼は意識と共に命を消失させたのだった。
「お、おい止めろ!」
「どうなっているんだ! 死体が……死体が動き始めた!」
メルドはきっかけでしかない。
イーラの炎で焼け焦げた死体、トレント系により圧殺された死体、毒殺された死体、ともかくこの戦場で死んでいたはずの者たちが立ち上がり、動き始めたのだ。それはかつて最も人類を震撼させた魔王、アンデッドの魔王を思わせる恐ろしい光景である。
死体はほとんどが欠損しており、まともに動けるはずがない。
しかしながら舞い落ちる黒い何かによってその欠損は埋められ、動く死体となって復活する。それは究極の呪い、死霊魔術と分類される魔法であった。
「くそ! 悪魔の最後っ屁って奴か!?」
「知るかよ! だが普通じゃない」
「アンデッドの弱点は聖属性だ。あとは火で燃やし尽くすか……ともかく距離を取れ! 呪いが感染すると不味い!」
アンデッドは瘴気によって動く死体人形だ。
本質的な原理としてはゴーレムと同じである。しかしながら根本的に異なる点として、『瘴気』の存在が挙げられる。瘴気とは穢れの総称だ。生命力を蝕み、万物を欠損させ、そこに死を与える。魔力のようであり、生命エネルギーにも近しい特異な状態にあるのが瘴気だ。
瘴気は命を反転させ、不死とする。生命エネルギーにあるべき自然性を歪め、異質なものとして具現化してしまう。だから死んだはずの者が生き返り、不死の生命体として動き始める。一般的なゴーレムは生命エネルギーの注入により仮初の命を与えるため、原理的には近しい。だが性質は正反対なのである。
瘴気を操る混沌魔法が法則属性と呼ばれる所以もここにあった。
「この数は……」
「数えるだけ無駄だ。どれだけこの戦場で死んだと思っている!」
「撤退だ。流石に相手にできん」
「それはお前が決めることじゃない!」
武官貴族たちも状況の変化を察し、すぐに指示を飛ばした。それは戦線の撤退と集合の指示だ。
この戦いで生じた死者の内、初期に死んだ者たちは既に土の下へと埋められていた。数が多いので火葬することもできず、死体をほぼそのまま土葬されていた。不死者の呪いはそれらの死体にも効力を及ぼし、生き返った死体たちは地上へと這い上がる。
それはつまり、突如として陣形の中に敵が出現したことを意味する。
死体などその辺りに、何か所にも分けて埋めてある。掃討戦のために散開していた冒険者や武官貴族の部隊は、あっという間に不死者の群れで分断され、孤立してしまう。
「お、お前……テイラーなのか?」
「ブリッツ、ゲイル……確かに俺が埋めたはずなのに」
そしてアンデッドという存在がもっとも忌み嫌われる理由がこれである。かつての友が武器を持ち、呪いを携えて自分たちを殺しに来るという点だ。しかもアンデッドに殺された場合、その呪いが感染することでその者もアンデッド化してしまう。この悪辣さゆえに五百年前、アンデッドという魔物を生み出した魔王は世界を滅ぼす寸前まで人類を追い詰めた。
全ての死体がこうして蘇った。
大悪魔マリティアが振りまいた混沌魔力は瘴気となって降り注ぎ、死体に宿る無念を吸収して生前の姿を取り戻させる。
「ば、馬鹿な……ウルズ卿、ウィリアム・ウルズ卿ではないか! なぜ貴殿ほどの高潔な男がアンデッドなどに!」
心残りのまま死んだ偉大な騎士もまた、不死の身体を得て蘇っていた。
◆◆◆
地上の各地が大混乱に陥っている中、セイは迷宮で作業を行っていた。地上の混乱を納めるべく冒険者たちは迷宮に入ってこない。だから安心して作業できるというものである。
城の迷宮と呼ばれる迷宮域の、魔力核を改造するため少しばかり時間が必要だったのだ。
「アビス、リンクの調子は?」
『問題ありません。魔力核とも同期しております。しかし多重起動にラグを確認しました。微調整が必要です』
「並列演算機能は?」
『そちらも問題なく』
「そうか。ようやく……ようやく一体だな」
すっかり疲れ切った様子でセイは近くの階段に腰かける。
城の迷宮は人工物の通路が特徴的な迷宮だ。よって魔力核が安置されている深奥も、同様に石造りの地下室のような様相をなっている。
しかしながらその広さはかつての安置部屋とは比較にならないほどとなっている。具体的には十倍にもなっていた。
これはつまり、ボス部屋化である。
ゲームでもよくある仕様だ。最後の部屋に迷宮のボスを配置し、大切なものを守らせる。今回は魔力核を守護するボスとして、とある魔物を設置した。
「個体名は……アリオトにしよう」
『是、我はアリオト。了承しました』
そのように言葉を紡ぐのは漆黒の立方体であった。
しかしそれはひと繋ぎではなく、各辺に四つずつの立方体を並べることで形作られている。つまり、四の三乗で合計六十四個の立方体が組み合わさった、より大きな立方体だ。
当然だが正体はアビスである。
六十四体のアビスを組み合わせ、一つの魔物として成立させているのである。
「魔力核を魔物に取り込ませた王異種……ユグドラシルの件が役に立ったかな。アビスには思考リンクがあるから、より恩恵を受けやすい。多重思考に加えて魔力核のバックアップも受けられる。簡単にはやられないはず……」
『是、我は経験を共有します。魔力核の演算機能を流用し、最適解を生み出し続けます』
「無属性結界も独自に展開できるからね」
完成した個体、アリオトは安置された魔力核の上に浮かんでゆっくりと回転している。しかしながらこれはまだ一体目だ。エスタ王国に存在する七つの迷宮を接続し、一つの大迷宮として再誕させた今、この大迷宮には七つの弱点が存在するのと同義だ。
出力も七倍。
だが弱点も七倍。
ならば増えた出力を利用して防衛機能を生み出すのは当然のことだった。
「魔力核は設定した通りにしか動かない。これは俺も危惧していた。魔力核は魔素浄化の大前提なのに、想定された防衛機構は迷路だけ。だけど魔力核と魔物を接続すればボス化する」
王異種にして七つの魔力核が連なる共同体。
七星ゴーレムである。
「急がないと。地上の混乱はすぐに終わるはず」
各迷宮の氾濫。
北の戦場で起こっている悪魔騒ぎ。
そしてマリティアの巻いた呪詛。
これ以上の混乱は他国からの介入を警戒する必要があるため、このあたりが限度だろう。マリティア次第ではあるが、近い内にエスタ王国を滅ぼす算段はできていた。




