11話
「ぐっ……」
痛む身体に顔を顰めながらも腕を動かす星。アルギル騎士王国の第三騎士団による極大多重炎風複合魔法によって吹き飛ばされたため、星は霊峰へと吹き飛ばされた。そのあまりの威力によって霊峰の万年雪は蒸発し、山肌すらも見えている。そして山肌には直径にして五メートル程の深い大穴が開いており、奥へ行くに従って直径は縮んでいた。
その一番奥にいるのが星であり、第三騎士団の魔法がどれほどの威力だったのかを最も理解しているのも星だった。
「《障壁》も削り取られた……とんでもない威力だな。魔力の精霊王じゃなかったら死んでた」
魔力を遮断することで魔法を防御できる無属性魔法《障壁》だが、こうして山肌にぶつかって奥まで押し込まれることで擦れて削れ、その効果を失っていた。結果として膨大な熱と衝撃を受けることになったのだが、魔力の精霊王は魔力で身体が構成されているため、すぐに再生されて死ぬことはなかったのだ。
また魔力体ならば自在に感覚を遮断できるので熱さも痛みもすぐに引いていく。感覚を遮断するということは五感で得られる情報を制限することと同義であるため、戦闘においても普段の生活においても多用するべき能力ではない。しかし耐えられないほどの痛みや熱があるならばそれも仕方のないことである。
「それにしても魔王相手に容赦なしか……このまま死んだふりで見逃して貰えたりはしないだろうな」
少しだけ近衛騎士ジュリアスと話した星だが、どう転んでも和解の道は無いように思えた。それに魔王も竜王もかなり舐められていたようにすら感じられる。まるで環境を破壊し、好きなように世界を弄って生態系を絶滅させているかのようだった。もはや彼ら人類にとって、精霊も竜も鉄鋼や石油などの資源と同じなのである。
もしも食用に育てている豚が食べられることを拒否すると言っていたとしても、人間は彼らの言葉を理解できないし、理解しようとも思わないので容赦なく食料にすることだろう。同様に人類にとって資源でしかない精霊も竜も意見を聞き入れられることなどないのだ。
「俺に戦闘能力はないし、竜王の奴もやられてた。逃げるのも無理そうだよなぁ」
空を飛ぶ船まで用いて霊峰に攻めてきたのだ。そんな包囲網を抜けて逃げられるとは思えない。それに正攻法では勝てないからこそ氷竜王クリスタルも霊峰で防御を固めていたのだ。転生したての星にどうにかできるはずがない。
「飛車も取られて王一人か。歩も無しとは十枚落ちより酷いな……」
将棋におけるハンデとして、王と歩九枚以外の駒を除外してスタートする方法がある。飛車角落ちと呼ばれるハンデの上位版だ。これは圧倒的な実力差がある者同士でやる遊びのようなものであり、滅多に見れる勝負ではない。
今回の場合はその歩九枚すらもない状態であり、さらに相手は万全で一人も欠けることなく星の陣営へと攻め入っている。詰んでいると言っても過言ではなかった。
(歩兵は魔物創造で無理やり用意できないことはない。けど魔物の創造に関する制限が多すぎて逆転できるほどは強くなれないんだよな)
初期から強くすることで即戦力となる魔物を生み出せる。だがその場合はある程度の強さまでしか設定できず、しかもその強さで近衛騎士を倒すことは出来ない。逆に初期が弱い代わりに成長して非常に強力になる魔物も設定可能だが、初期が弱いので即戦力としては役に立たず、さらに成長する前に討伐されることが多いので短時間では期待も出来ない。
「やっぱり俺自身が戦う必要がある……よな」
星は立ちあがりながらそう呟く。今は熱によって大穴の壁が高温になっており、中まで入ってこられる心配はない。ならば多少は落ち着く時間もあるはずだと考えて、状況確認のために魔力の感知をし始めた。目を閉じ、ゆっくりと範囲を広げながら心を落ち着けて周囲にある魔力の位置を調べていく。
すると前方から迫ってくる濃密な魔力を感知した。
「―――っ! 本当に容赦ねぇなっ!」
それは先ほどとは真逆の魔法。極大多重によって放たれた氷嵐複合魔法が熱を帯びた大穴の中を吹き抜け、星を氷漬けにしようとする。《障壁》を使える魔王は耐久性が高いことを人類に知られており、たとえ英雄クラスの魔法でも一撃で倒せるとは思われていなかったのだ。
というよりも魔法で魔王を倒せるとは思われておらず、物理攻撃でトドメを指すために大穴を冷却する意味を込めて吹雪にも匹敵する魔法が使われたのである。当然の如く収束魔法陣によって無駄なく大穴に直撃するようにされていたため、冷却どころか完全に凍り付かせる威力にまでなっていた。
防寒の魔道具があるから寒い分には問題ないというのが参謀リオルの考えである。
星はそうして逃げ場のない洞窟内で冷気を直撃させられたのだった。
◆ ◆ ◆
予想外だった魔王の出現にも問題なく対処できたことで胸を撫で下ろす参謀リオル・ジェイフォード。赤熱して近寄ることも出来なかった大穴付近が冷えていくのを見てリオルは次の指示を出す。
「大穴の中に魔王が閉じ込められているハズです。地上に降りている第一騎士団に連絡して、剣で確実に仕留めるように言ってください。普通の騎士では無理でしょうから、第一騎士団長のシギル・ハイドラ殿に役目を負ってもらいましょう。彼はもう降りていますか?」
「第一騎士団は既に予定者全員が降りて準備を整えているそうです。今の指示も送りました」
通信兵の言葉を聞いてリオルは満足そうに頷く。短時間でありながらも第一騎士団四千名が地上に降りて準備を整えている事は非常に驚きだ。さすがは地上を制する部隊だということだろう。
ちなみに第一騎士団の内の千人は飛行船を警護する役目があるので、総勢二十艦に五十人ずつ配備されている。さすがに五千人全員を地上に降ろすような真似はしないのだ。
地上のことを確認したリオルはさらに指示を続ける。
「では竜王は第五騎士団の三名に任せましょう。既に虫の息のようですからね。可能なら捕獲したかったのですが、魔王も一緒でしたから仕方ないでしょう。有用な素材なので無駄ではありません。彼らには即座に竜王を仕留めるように指示を出してください」
「了解―――返信来ました。『すぐに仕留める』だそうです」
「ありがとうございます。これで大方の作戦は完了ですが、まだ魔王と竜王は完全な討伐をした訳ではありません。まだ油断はしないでくださいね」
『はっ!』
大きく息を吐いて自分の席に座るリオル。イレギュラーもあって緊張したが、それでも問題なく作戦を遂行することは出来た。油断するなとは言ったが、もはや勝利は確定していると言っても良い。死者も怪我人もなく終わったというのは拍子抜けだが、想定以上の結果に満足しないはずがなかった。
旗艦の指令室にあるモニターを見れば、霊峰の斜面を登って魔王を閉じ込めた大穴を目指している第一騎士団の団長の姿が見える。体格が他の騎士よりも一回り大きな彼は上空から見ても一目瞭然だった。
歩きにくい霊峰の急斜面をものともせずに登り、数名の部下だけを引き連れて大穴へと近づいていた。
(魔王が暴れる余裕を残していたとしたら普通の騎士では手に負えないでしょうからね。優秀な者だけを連れた少数精鋭というわけですか)
人類は基本的に弱いが、多くの可能性を秘めた種族でもある。鋭い牙も爪も無く、皮膚は簡単に破れる程度の防御力しかないのだが、それでも自らを鍛え、知恵を巡らすことで強くなれる。さらにその中でも才能が有り、努力を惜しまなかった者は一つ抜けた強さを得る。
そうして強くなった一人が各騎士団の団長であり、第五騎士団においてはメンバー全員がそのような強者ばかりである。つまり今リオルが見ている第一騎士団長シギル・ハイドラはアルギル騎士王国においてトップともいえる実力の持ち主なのだ。
さらに標的である魔力の精霊王は基本的に戦闘能力が低い。正確には攻撃力が乏しいのだ。魔王本人の無属性魔法は守りの力に集中しており、魔力核を作るにしても迷宮という要塞を作り上げる能力だと考えられる。つまり、魔王は防御力さえ破れば意外と簡単に倒せるのだ。
ただし、成長した魔王は多数の魔物を従えているため魔王の元に辿り着くことが困難になる。魔物も個体によっては魔王よりも強くなるからだ。
だから生まれたばかりの魔王など雑魚同然である。知恵も力も魔物も迷宮もない魔王がこの状態から巻き返せるとは思えないのだ。
しかしリオルが地上に目を向けている隙に、思わぬほうから攻撃が来た。
「っ! 凄まじい冷気を感知! 《真空結界》を緊急発動しま―――」
ズズンッ……
指令室の観測員が慌てたような声を上げたかと思うと、飛行船全体が大きく揺れた。気を抜いて座っていたリオルも椅子から落ちそうになるが、それを何とか耐えて状況を確認する。
「何が起こったのですか!?」
「氷竜王が最後の足掻きなのか暴れまわっています! 凄まじい冷気です。もしも《真空結界》が無ければ今頃は全ての船が氷漬けにされていました」
「よくやりました。油断していたら死んでいましたね」
この会話を聞いた船員や配備されている騎士たちはホッと胸を撫で下ろす。リオルが油断するなと命じていなかったら死んでいたかもしれないのだ。九死に一生を得たことになる。
今発動している《真空結界》は風魔法であり、熱を通さないことに重点を置いた結界だ。物理的な強度はそれなりしかないが、熱を殆ど通さないという性質を持っている。理由は《真空結界》は二重の膜のようになっており、その二枚の膜の間が真空になっているのだ。空気を媒介している熱ならば遮断することが可能なのである。ただし、光などによって移動する輻射熱は防げない。また空気の壁であるため、それなりの攻撃が当たれば簡単に破壊できるのである。それゆえ通常は物理結界と併用するのだが、今回は緊急であったため《真空結界》を単体で使用している。今回はただの冷気であったため、二十の飛行船全てが《真空結界》を使用するだけでどうにか防げたのだ。
ちなみに地上にいた第一騎士団は防寒の魔道具でどうにか耐えたようである。この魔道具も万能ではないのだが、鍛えている彼らなら問題は無い。
そしてここで観測員がさらにリオルに進言する。
「氷竜王が叫んでいるようですが……音を拾いますか?」
《真空結界》は欠点として音も遮断する。だから暴れまわっている氷竜王が見えても、何を言っているのかは聞こえていなかった。第五騎士団の三名は低位竜を操って果敢に氷竜王に攻撃を仕掛けているが、氷竜王は捨て身でもするかのような滅茶苦茶な動きをしているのだ。そのため氷竜王の動きが予測できず、三人の近衛は上手く近づけないようである。
その様子を見てリオルは静かに告げた。
「そうですね。拾ってください」
「了解です。集音端末を飛ばして接続します」
観測員が何かの基盤を操作していくと、飛行船からドローンのような物体が結界の外に飛び出た。その物体は旗艦の周囲を旋回しながら音を拾い、指令室へと送っていく。
すると指令室全体に氷竜王クリスタルの叫び声が響いた。
『私はただでは死なない! 必ず何倍にもして返してやろうっ!』
それを聞いてゾクリとした悪寒が走り、リオルは本当にこのまま氷竜王を倒しても良いのか迷う。まるで倒した途端に何かが起こりそうな雰囲気ですらあるが、そんな勘を頼りに命令を下すわけにはいかない。参謀とは得た情報を客観的に分析し、常に冷静な立場である必要があるからだ。勘で命令を下すとすれば、それは歴戦の将や王である。彼らは経験という情報から本能的に最適解を導き出しているため、不確定なものだと馬鹿にすることは出来ない。
ふと近衛騎士副長のジュリアスを見ると、果敢に攻めて攻撃を続けている。恐らく倒して問題ないと判断しているのだろう。現地で直接相対している者がそう判断したのならリオルは口を挟むつもりはない。
しかし今度は氷竜王に気を取られている隙に例の大穴の方に変化があった。通信兵が第一騎士団から情報を受け取って声高々にそれを叫ぶ。
「第一騎士団より報告! 例の大穴より漆黒の生物が大量に出現! 魔物だと思われます!」
氷竜王に呼応するかのように魔王も動き出していた。