109話
毎日早起きしてコツコツ書いたんや…
谷の迷宮はエスタ王国で最も東に位置している。深い渓谷の底には川が流れ、谷の側壁に幾つも洞窟が開いている。そしてここにはオーク系と呼ばれる魔物が棲息していた。
オークは高い防御力が特徴で、刃を通さない個体もいる。
通常個体は獣の顔を有する巨漢の人型なのだが、進化と共に異形化していく。腕が増えたり、顔が増えたり、鱗が生じたりと変化していく。これは変異という特性を有しているためだ。食事や周囲の環境に合わせて独自の性質を獲得していく。
それがオークという種なのである。
この性質のため、オーク系は他と比べて種類が多いのが特徴だった。
「よし。イーラが暴れている隙に完成させないと」
セイは谷底へ降り立つと同時に探査を開始する。のそのそとオークたちが現れたが、セイを見ても無視して川の水を飲み始める。彼らも自分たちの王が誰なのかは理解しているのだ。
既にユグドラシルが討伐され、時間がない状況だ。ひとまずオークたちは放置して魔力探査を行い、奥底にある魔力核へと触れる。
(そこか)
これまで通りならば谷の迷宮にも魔力核を守る衛兵がいるはずだ。なのでいきなり迷宮内転移で接近するのは得策ではない。
アビスに命じて先行させ、魔力核の付近まで近づけた。
既に迷宮の構造は分かっているので、思考リンクでマップ情報を共有する。アビスたちは流動するダークマター体で這いまわり、あっという間に魔力核を守る基地を取り囲んだ。
『王よ。騎士の数は六人です』
「やはり少ない……今しかない」
北の戦場にほぼ全ての戦力が集まっているお蔭で、迷宮の防衛戦力は最低限にまで落ちている。また迷宮各地で騒ぎを起こしているということもあり、このタイミングを逃せばより強力な戦力で魔力核を守られてしまうだろう。
あまり強いとは言えないセイなので正面から六人はきつい。
不意打ちで数を減らすいつもの方法を思い浮かべた。
(見張りは?)
『二人ずつ同じ方向を向いています』
(洞窟の形状は?)
『真上に続く竪穴があります』
思考リンクで状況を読み取る。
地形、相手の立ち位置、視線、そして味方の配置を計算する。
「問題ない。すぐに終わらせる」
セイはそう呟いた。
◆◆◆
北部の戦場はこの世の地獄と化していた。
天を覆い尽くすほどに枝葉を伸ばした巨大トレント種は息絶えた。グリゴリ・アドラーが竜殺剣による決死の一撃を放ったことで決着がついた。
だがそこで冒険者に紛れていた憤怒の高位悪魔イーラが反乱する。
まだユグドラシルの生み出した高位トレント種が残っているにもかかわらず、ユグドラシルに匹敵する悪魔が現れたのだ。人間たちからすれば悪夢という他なかった。
「ぬぅ……俺も魔力が」
グリゴリは余裕がない。
指揮官らしく振舞おうとしていた仮面も剥げてしまい、今は生存本能のままに戦っていた。しかし灼熱の魔法を操るイーラは容赦しない。
「消え去れ! 《転獄》!」
白い光を放つプラズマ球が出現し、それが回転を始める。独楽のように激しく回転するプラズマ球は、周囲に灼熱の渦を作り出した。
イーラは完成した《転獄》を解き放つ。
巨大なプラズマの独楽は大地を焼き焦がしつつ駆け抜ける。直線上にいた騎士や冒険者たちは漏れなく黒焦げとなった。一瞬だったにもかかわらず、原形すら残らない。恐ろしい魔法だった。
「気を付けろ! 呪いの魔力が込められているぞ!」
「水だけじゃ消えない……だめだ。こいつらは諦めるしかない」
「なんでこんなところに悪魔が!」
「三公国に悪魔が現れたらしいからな。そこから流れてきたんだろうよ!」
「迷惑な話だぜ!」
憤怒の悪魔は驚異的だ。
しかし冒険者たちは畏れることなく奮い立った。彼らは命を代価に金と名声を手に入れる者たちだ。悪魔の討伐は名誉あることであると考え、勇んで戦う。
かつて勇者によって悪魔は倒された。
冒険者たちは新しい勇者になろうと考えていたのである。
「ちっ……しぶとい」
ここにきてイーラは敵を侮っていたと感じさせられる。
彼女が竜殺剣より解放されてからそれほど経っていない。その間、人間の国軍とは戦ったがそれは有利な状況下での話だった。
今回も人類はユグドラシルとの戦いで消耗しているが、それはイーラも同じ。
彼女は予想外に苦戦させられることになる。
◆◆◆
エスタ王国の王都サウル近郊には最古の迷宮が存在する。アドラメレク社が独占して攻略しており、毎日のように多くの資源を採取している。最古の迷宮は多くの歴代魔王たちが手を加えてきたということもあり、未だに攻略されていない。攻略を完遂させ、歴史に名を残したい者はここに集うのが通例だった。
普段は多くが攻略のため下層へと赴くが、最近に至っては資材採取に注力している。それは冒険者部門の要請でもあった。北部でユグドラシルと戦う者たちのため、早急に大量の資源を集める必要があったからだ。
アドラメレクは少しでも多くの資材を集めるため、普段より割り増しで報酬を渡している。
しかしそれでも尚、資材採取が滞る事態が起こっていた。
「これは困りましたよ。本当に困りました」
冒険者部長は現在進行形で頭を抱えていた。
その理由は手元にある一枚の資料である。それは資材採取による金銭の流れをまとめたもので、折れ線グラフは右肩下がりを示していた。
「部長、例の病を治療する方法を医薬部に依頼した件で報告が上がっています。ウイルス性のものではなく、呪いに近いものだろうとのことです」
「やはりそうですか。治療法も魔法に頼るしかなさそうですね」
「はい。魔法開発部と連携チームを作る用意をしています」
彼らを悩ませていたのはある病気だった。
その病気は冒険者たちの間で蔓延しており、ただでさえ少ない迷宮探索者が激減している。どれだけ報酬を高くしても、冒険者の数が減れば自ずと採取量も減る。迷宮資材で外貨を獲得しているエスタ王国にとって、これは由々しき事態であった。
「熾灰病の最も厄介な点は後遺症です。早く治療しなければ冒険者たちが再起不能になってしまいます」
「はい。焼けるような苦痛と共に末端から炭化していく……手でも足でも指を失えば冒険者として致命的です。自由組合を介して再生薬を輸入する準備を進めていますが、治療できなければ意味がありません」
「呪いの系統なら聖属性で治療できるでしょうが……最悪の場合は神聖ミレニアから大聖女を招聘することになるかもしれません。どれだけの代価を支払わされることか」
「そちらは国王陛下の権威に任せるしかありませんね。お疲れ様です部長」
部長は深い溜息を吐く。
しかし手を付けないわけにはいかない。文字通り、王都サウルは危機的なパンデミックに晒されていたのだから。
◆◆◆
谷の迷宮の奥底で、迷宮駐留軍に属する衛兵たちが血の海に沈んでいた。魔力核を守っていた基地は臓腑と血肉に塗れ、生きている者はいない。
セイは魔力核の登録を終え、そこから立ち去る――前にある目的を果たすことにした。そのため迷宮奥底で一体のオーク種を呼び寄せる。
「魔素を渡す。衛兵どもを始末した分の魔素だけど、充分だと思う」
跪くオークに周囲の魔素を吸収させる。
無属性魔法を除けば魔素を利用する方法はない。魔素は魔力を行使した後に残るゴミのようなもので、魔物はそれを吸収して強化される。今、魔力核を守っていた者たちを始末したことで散った魔力が魔素として漂っている。セイはそれを無属性魔法でかき集めたのだ。
オークは進化を果たし、肉体が盛り上がっていく。
そして見上げるほどの巨躯にまで成長した。
「ティタンオークか。確か鉱物の外殻を持つ頑丈な種だっけ」
「……グゥ」
「谷の上にある都市を襲え」
このように命じると、ティタンオークは地響きを立てながら地上に向かっていった。その道中、他のオークたちを従えていく。進化したティタンオークは、人類が言うところの魔王種に属する。一般的に魔物の軍団を率いる個体は総じて魔王種と称されるのだ。
それでも容易く討伐されてしまうだろうが、魔物はそれが役目だ。
魔物は魔素を吸収し、討伐されることによって竜脈に還元する。
(これで七つの迷宮を掌握することができた。急いで接続しないとね)
そしてセイの目的はエスタ王国に存在する全ての迷宮を一つに繋げ、地下大迷宮を構築することである。折角、人類が残してくれていた迷宮だ。一つ一つは簡単に攻略されてしまう程度かもしれないが、その全てを一つに合わせ、思考リンクを用いた高速演算で処理すれば簡単に大迷宮が完成する。
最大規模を誇る最古の迷宮。
火山帯に位置する灰の迷宮。
木々と花々が茂る花の迷宮。
険しい渓谷と共にある谷の迷宮。
廃要塞を再利用した城の迷宮。
普遍的な地下洞窟型、岩の迷宮。
巨大な竪穴が口を開く穴の迷宮。
これら七つをリンクさせることによって各種迷宮が生成する魔物を生み出すことができるようになり、エスタ王国全体で魔素を浄化可能となる。
東大陸においてエスタ王国は西側中心部にあり、非常にアクセスが良い。特に最古の迷宮は生命龍王が眠る最大規模の竜脈湧点でもある。絶対に死守しなければならない。
最終防衛拠点が魔王城クリスタルパレスだとすれば、今回作る大迷宮は攻撃拠点だ。今後の戦いに備えた布石にもなっている。
(東の帝国は戦力も文明レベルも桁違いに高いらしいから……これで戦力差が埋まるといいんだけど)
余力のあるアビスを総動員して思考リンクを発動し、迷宮を接続する。魔力核は魔力の精霊王にとって分身のようなものだ。迷宮領域の魔素を集め、生命エネルギーとして還元する。そして魔物とは生命体を殺害することによって魔素を回収すると同時に、効率的かつ広範囲に魔素を集めるための機構である。
たった一つの魔力核では竜脈を利用しても国土を覆うほどにはならない。しかし複数の魔力核を接続すれば話が変わる。
(弱点といえば、コアが七つもあるから守るべきポイントが増えることかな。それは後で護衛を置くとして、まずは号令からだ)
国全体に散らばっている迷宮を接続し、一つにするためには少し時間がかかる。穴の迷宮と岩の迷宮は元より繋がっているので問題ないが、それ以外を接続するためには地下迷路を伸ばさなければならない。
今は幸いにも冒険者たちの間で奇病が流行っており、探索している者は少ない。急激に迷宮を改造しても判明するのはまだ先だろう。更にセイは各地の迷宮を回り、魔王種を量産している。後はアビスを介して号令をかければ、各地に散りばめておいた魔王種たちが一斉蜂起する。
「アビス。念のため、イーラを回収する準備だけ頼むぞ」
『是。戦況を常時送信します』
「戦争で勝つ必要はない。今回に限ってはマリティアが決着を付けてくれる。すでに致命の一手は打った。次の手番は……エスタ王国だ」
◆◆◆
岩の迷宮と穴の迷宮は元より繋がっており、スライム系やスパイダー系の魔物が棲息する。鉱石や魔法薬の溶液など、重要資源の採取に役立っている。二つ分の迷宮都市ということもあり、その規模も戦力も他より多い。
だからここを落とすのは困難なはずだった。
しかし今、冒険者や騎士といった国防戦力は大部分が北にいる。迷宮都市に残っているのは最低限の防衛機能と、資源採取のためにいる中堅レベルの冒険者たちだ。自由組合の戦士ランクで表せば五あたりになるだろう。
彼らは精鋭とは言えない。
夥しい数のスライム系、スパイダー系の魔物を倒すには実力不足だった。残念ながら広域魔術の修得者は全てユグドラシル討伐に向かっていたのである。
「アトラネクアを発見した。魔王種だ」
迷宮都市の冒険者マネージャー、クローネが深刻な表情で告げる。
既に迷宮都市は半分ほどが占拠され、今は建物を崩して作ったバリケードを境に前線維持している状況だった。ここで問題なのが、魔物たちを統率している個体である。
スパイダー系の強個体アトラネクアが発見された。
他の魔物を率いていることから魔王種と認定され、まずはその情報が集められる。
「奴の毒はトリネヒドロルペトロキシンという。呼吸器系にダメージを与える致死性の高い毒だ。もしも奴の毒をくらったら、必ず撤退して治療を受けろ。毒を侮るなよ。冒険者の職を失いたくなければな」
そう言いながら彼女は自身の右足を叩いた。
鈍い金属音が鳴り、彼女の足が人体でないことを示す。クローネは冒険者マネージャーの中では珍しく、現場上がりの人間だ。冒険者の仕事とマネージャーの仕事は全く異なるので、相当な勉強が必要になる。クローネは毒で右足を切断することになったことをきっかけとして勉強を始め、支部マネージャーにまでなった人物であった。
このような経歴を持つだけあって、彼女は現場にも詳しい。
通常はマネージャーが現場指揮することはなく、管理業務に集中するのが通常だ。しかしながら緊急時ということ、クローネが現場経験者ということが重なって、彼女を中心とした迷宮都市奪還部隊が結成されていた。
「王都からの連絡で守護軍を援軍に寄こしてくれることが分かっている。戦力が揃えば一気に攻め入り、アトラネクアを始末。統率を失った魔物を掃討する計画だ。北の化け物を討伐に向かった同胞たちから故郷を奪う真似はするな。彼らの帰るこの地を絶対に守れ!」
彼女は奪還部隊の指揮所で通信機を使い、構築した基地に向けて激励を飛ばした。
あまり時間もないのですぐに具体的な作戦へと入る。
「まずは指定した地点を奪還する。食い破って浸透し、そこから傷を広げよ。少しずつ前線を押し上げ、可能な限りアトラネクアに近づくのだ」
エスタ王国西部の戦いは厳しい局面から始まった。
◆◆◆
南部に位置する城の迷宮はゴブリンと呼ばれる貧弱な魔物の巣窟だ。弱いということはドロップアイテムもないに等しく、迷宮の特性から採取できる魔法資源もない。しかしながら魔物が確定でドロップする魔核については別だ。
魔核は魔宝珠に加工することで魔法的な触媒や高効率エネルギー資源になる。また加工しなくとも魔力資源として優秀だ。弱い代わりに数だけは多いのがゴブリン系の特徴なので、城の迷宮は今も残されていたのだ。
しかし数が多いということは迷宮管理もそれなりのノウハウが必要になる。
一つ間違えれば大氾濫を引き起こし、数千という群れが溢れ出ることになるだろう。故に城の迷宮を管理する迷宮都市は、ゴブリンの上位種を発見すれば即座に討伐することで指揮官となる個体を潰し、少しでもゴブリンが増えるようならば数減らしをしていた。
「そんな馬鹿な……」
だからこそ、長年蓄積されてきた知識があるからこそ、迷宮都市を拠点とする冒険者たちは唖然とした様子を隠せない。
「ありえない。氾濫の兆候なんてなかったのに」
「上位種がどこかで生まれたってのか? でも急すぎる!」
「奴らは頭が悪い。仮に魔王種が生まれたとしてもこれだけの数が集まるには年単位かかるはずだ」
彼らには自分たちの管理方法に絶対の自信があった。
ここ数十年は城の迷宮攻略者に一人の死者もいないことがその証である。ゴブリンは一定以上の魔素を吸収すると卵のようなものを吐き出し、そこから新しいゴブリンが誕生する。自己増殖という特性を有する魔物なのだ。
その代わり、獲得した魔素を増殖に使用するので強くなりにくい。
ある程度の数があったとしても、対処できる。
「とにかく倒すぞ!」
「ああもう! 強い奴らは北に行ってるってのに!」
魔王が放った詰めに近づく一手。
しかし彼らはまだ、自分たちが追い詰められているという自覚がなかった。多少面倒な事態に陥ったという程度にしか認識できていなかったのだ
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