108話
迷宮の急激な活性は一日と経たずに王都サウルまで知らされた。隣接する穴の迷宮、岩の迷宮はスライム系やスパイダー系といった大人しく陰気な魔物が多いという認識だったからだ。特別安全というわけではないが、少なくとも迷宮都市が占拠されるほどの氾濫は歴史上なかった。
北からはトレントの軍団が迫る中、緊急で対処しなければならない大事件である。
「王よ。すぐにでも王国軍を派遣しなければ……」
「主要戦力の多くを北に出してしまったこの時期に……動かせるとすれば国境警備軍と迷宮常駐軍、それに王都守護軍と私の近衛軍か」
「東の大帝国が激しい動きを見せている以上、国境警備軍は動かせません。迷宮常駐軍を動かして穴や岩の二の舞となっては本末転倒。王を守る近衛は動かせない……選択肢は一つです」
「で、あるか」
エスタ王国は主要な戦力のほぼ全てを北に向けている。トレントの大軍を抑えるために派遣していた軍の一部は帰還しており、王都守護軍という名目で休暇を取っている。休日返上となるが、武官貴族たちに頼み込む他ないだろう。
こうして迷宮を産業としている以上、いざという時の国家対応は策定されている。今回は魔王種と目されるトレントが大群を率いて攻めてきたという不運が重なり、策定がまともに機能していない。本来ならば各地方の武官貴族たちが連携して全ての迷宮を調査しつつ、包囲網を構築して魔物の氾濫を抑え込んでいくはずだった。しかし今はそれを為すだけの軍が揃っていない。
「時間稼ぎでも構わん。迷宮都市の生き残りを可能な限り保護しつつ、穴の迷宮と岩の迷宮から溢れた魔物を討伐せよ。混乱を抑えるため、王都市民には少しずつ情報を流せ。外国の間者に気取られぬよう配慮するのだ。それと街道調査の結果次第では経済や流通の調整も必要となる。ローゼン卿とマクシミリアン卿を呼べ。協議する」
最近はどこか上の空な日も多かったデビッド王は覇気ある勅令を下す。久しく感じた王威に側近たちも規律正しく動き出した。
今は間違いなく国家危機である。
アルギル騎士王国の崩壊、三公国の内乱に続く国際情勢の不安も重なり、楽観視できる状況にはない。こういう時に自由組合があれば外国にある支部から援助を期待できたのだが、この国では自由組合の代わりにアドラメレクがいる。あるものを使い、乗り切るしかない。
即日の内に王都サウルより軍が出発し、南西に位置する迷宮都市へと行軍を開始した。相手はスライム系やスパイダー系と分かっているので、それを踏まえた上での武装も用意されている。その対策だけでも元の策定を利用できたのは幸いだった。
これによって国軍やアドラメレク社の冒険者たちは多くが北の戦場、そして迷宮氾濫の鎮圧に駆り出される。守られるべき王都は守護を薄くするほかなくなってしまったのだった。
◆◆◆
同時刻、セイは深淵竜に乗って空を飛んでいた。あまり目立つことをしたくはないのだが、今は急いでいる。できるだけ高高度を飛ぶことで誤魔化しつつ、目的地に向かっていた。
その時、アビスネットワークを通じて情報が入ってくる。
「っ! もう動き出したか。予想より早い」
それは王都から軍が出発した知らせであった。
各地に潜ませているアビスは擬態によって中枢部にまで潜り込んでいる。それは金貨だったり小動物だったり美術品だったりと様々だが、それによってエスタ王国軍の動きは手に取るように分かった。
『我らが王よ。エスタ王国軍が穴と岩の迷宮都市付近へと到着する時点でお知らせします』
「予想時間は?」
『兵站用馬車は追跡させる形で、戦力となる騎士や兵士を先行させているようです。早ければ今日の内に戦闘が開始されるかと思われます』
「いくら急ぎでも陣地くらい作るだろうし……最速で明日か? とにかく戦闘開始されそうならまた教えてくれ」
『是』
セイの目的地は王都から東に位置する迷宮だ。
王都サウルから見た時、東側には二つの迷宮が存在する。地表の森そのものが迷宮化した花の迷宮が一つ。そしてもう一つは花の迷宮から更に東へ進んだ場所に存在する谷の迷宮だ。さきほど花の迷宮で用事を終え、今は谷の迷宮に向かっている所だった。
その目的は城の迷宮でゴブリンたちにしたことと同じ。
魔力の精霊王として力を与え、備えさせることにある。
花の迷宮に住まう妖花系魔物は薬の材料をドロップすることからエスタ王国において重要な位置づけとなっている。アドラメレク社が保有する医薬事業も花の迷宮に接する迷宮都市に集中しており、北の戦場を助けるためフル稼働していた。
そしてこれから向かう谷の迷宮では希少な魔法鉱石も採取できるため、エスタ王国の防衛戦略上は非常に重要な拠点となっている。魔法鉱石が採取できる他の迷宮は穴と岩、そして灰の迷宮だ。この内の二つは既に魔物氾濫で利用不可となっているため、谷の迷宮さえ抑えればエスタ王国の魔法金属供給は四分の一にまで低下したことになる。
(エスタ王国には魔物討伐のプロ、冒険者がいる。それにアドラメレク社をまとめあげるグリゴリ・アドラーは竜殺剣を保有しているという情報もある。マリティアが手伝ってくれるとはいえ、弱体化に弱体化を重ねないと)
既にセイは魔王の目的に従い、国家崩壊を達成した経験がある。しかしそれを成し遂げる過程において、まともに戦ったことはなかった。相手を弱体化させ、セイにとって有利なフィールドを作り出し、あるいは仲間割れを引き起こし、高位悪魔たちの力も借りることでようやく目的を成し遂げることができた。
だからその成功体験は捨て去り、謙虚な気持ちで罠を仕掛ける。
とにかくセイは他から力を借りる。
アビスネットワークとて弱者たちの集合体なのだから。
「そろそろ仕上げだ。失敗するわけにはいかない。急がないと」
穴と岩の迷宮で起こった魔物氾濫はすぐにでも鎮圧されることだろう。所詮は冒険者が減った状態だからこその勝ち点だった。北の戦場に主力を注ぎ込んでいるのですぐに反撃はしてこないだろう。ただセイとしても北は魔力核を与えることで変異した特殊な魔物を投入している。そう何度も使える手段ではない。分断できる回数は限られているのだ。
また王異種ユグドラシルは既に討伐の目途が立てられ、今は激しい攻勢が仕掛けられている頃だろう。北から冒険者を含む主戦力が戻ってくれば、セイのしている仕込みも無駄になりかねない。
だからセイは深淵竜の背に捕まり、振り落とされそうになりながらも速度を上げさせた。
◆◆◆
トレントの王異種、ユグドラシルによる大侵攻はエスタ王国軍やアドラメレク社の冒険者たちに甚大な被害をもたらした。魔力核をその身に宿すことで無制限に魔力を生成し、そこからトレント種を無数に生み出している。またトレント種の群れもユグドラシルに近づけば上位種ばかりが密集している。
「よう、やく……手が届いだぞ。化け物め!」
竜殺剣を握りしめるグリゴリ・アドラーは枯れた喉から細い声を出した。仲間を鼓舞するためにどれだけ叫んだか分からない。口の中は血の味で染め上げられ、全身で心臓の拍動を感じている。
体力的にも気力の上でも限界が近づいていた。
だがここまでくるために死んでいった兵士や冒険者のため、グリゴリは決して止まれない。何よりここまで付いてきた者たちに弱い姿は見せられない。灼熱を操るイーラ、彼の息子メルド、その他にもアドラメレク社が誇る冒険者たちは多くいる。魔力が充分に残っていることも幸いした。前線を切り開いた騎士たちのお蔭である。
ユグドラシルは巨体だ。
見上げれば空を覆い尽くす枝葉が広がっている。
これを切り倒すことこそ自分たちの生命なのだと奮い立たせた。
「社長! このデカブツ、結界を持っている! 俺たちじゃ歯が立たない!」
「ああ、そのようだ。だがここまで近づけば」
グリゴリは竜殺剣に魔力を流す。魔道具の増幅器が膨大な混沌属性の魔力を呼び出し、生命を殺す波動が溢れだした。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
枯れたはずの喉から声を絞り出し、血飛沫を飛ばしながら竜殺剣を振るう。膨大な破滅の混沌が解き放たれ、それが直接ユグドラシルを抉り取った。法則属性の力はユグドラシルが張る無属性結界を容易く突き破り、ユグドラシルの生命力を奪いながら侵食する。
ユグドラシルの強烈な再生力すら上回って混沌属性の滅びが走った。切り口から亀裂が広がり、無属性結界を消していく。そうなれば他の冒険者たちの攻撃も通りやすくなり、ここで初めてユグドラシルは進撃を止めた。一歩で大地を割る根が腐食し、ユグドラシルは大きくバランスを崩す。
「全く。僕は吸うより吸われる方が好きなんだけどね」
「黙ってろ真っ黒のクソが」
「くふ……君の罵倒だけが僕の癒しさ! 後で結婚しよう!」
「死ね!」
メルドが聖魔術で生気を吸い取る一方、イーラは超高温プラズマを発生させてユグドラシルを炭化させていく。再生力の阻害と巨体の焼却を連携して行っているため、傍から見れば良いコンビなのは皮肉なのかもしれない。
グリゴリはそんな二人を横目に、二度目の斬撃を用意した。
破壊的な混沌属性が直接叩き込まれ、ユグドラシルは更に傾いた。その根元から幹へと向かって滅びが走り、瞬時に朽ちていく。強靭な防御結界も、諦めたくなる再生力も意味がない。生命エネルギーの塊とすら言われる竜すら討ち滅ぼす兵器が竜殺剣なのだ。王異種ユグドラシルといえど、この時点で滅びは確定的となっていた。
「私の魔力……全て持っていけ!」
勢いづく冒険者たちの活躍もあり、グリゴリは三度目の攻撃機会を得た。そしてこの三度目には彼の魔力の大部分が注ぎ込まれている。竜殺剣は注がれた魔力によって内に秘める混沌属性を引きずり出す兵器だ。グリゴリは生命力維持に必要な最低限からも魔力を抽出し、限界ギリギリまで注いだ最大攻撃を放った。
黒い斬撃が空間を裂き、ユグドラシルの張る無属性結界を消し飛ばす。そのまま壁のような太い幹を瞬時に抉り、その半ばを越えても威力は低減されない。
衰えぬ斬撃は一瞬たりとも止まることなく、ユグドラシルを真っ二つに両断した。そして切り裂かれたユグドラシルの上部は重力に従って倒れ始めるが、その間にも急速に混沌属性の生命侵蝕が朽ち果てさせ、舞い散る灰の如く消えていく。
あれだけ恐ろしく、巨大だったトレントの異常種は完全に滅びた。
そして導かれるように魔力の塊がグリゴリの下へと落ちてくる。勝者に対する戦利品だと言わんばかりであった。
「魔力核……なのか?」
メルドはその知識と照合し、似たものを見つけた。彼もグリゴリの息子として行動することは多々ある。だから魔力核を利用した都市結界を見たことがあった。無属性魔力を扱うための触媒として唯一無二を誇り、その希少性から新しく手に入れるのは困難とされている。
アルギル騎士王国でのことは諜報活動を通じて伝わっており、新しい魔王が誕生したことはメルドも知るところであった。新しい魔力核が手に入るのかもしれないと、各国がアンテナを張っている。
(関係あるかどうかは別として、幸運なことだよ)
流石にこれほどの素材をアドラメレク社が独占することはできないだろう。王家へ献上することになるはずだ。実際は報奨金という形で買い取ると思われるが、エスタリオ王家の権力を国内外に知らしめるのに必要なことだ。
どちらにせよアドラメレク社は今までに増し加えて覚えが良くなり、王家はエスタ王国を経済面で支えるアドラメレク社の上にあるのだと示すことができる。
権力と経済力。
それらをはっきりと分け、権力の下に経済が成り立っていることを強く示してきたからこそエスタ王国は自由組合の介入がなくとも大国として維持されてきた。
「さぁ……凱旋だ! まずは残りの雑魚共を掃討するぞ! こんなところで死ぬな。お前たちはこの国を護った英雄なのだからな!」
この国を護るため、死んだ戦士は百など軽く超えているだろう。魔物災害としては最大規模の被害数である。また単純な数に留まらず、失われた戦士たちの質も問題だ。
エスタ王国が元の戦力を取り戻すのにかかる時間は膨大なものとなるだろう。
だからこそ、魔力核の献上によってエスタ王国の基盤が崩れていないことを示すことは何にも勝って必要なことなのである。
心の痛みも、苦しみも、今は我慢して勝利を宣言する必要があった。
グリゴリはただの冷酷な男ではない。
そんな男ではアドラメレク社という大企業を統治することはできない。必要の為に冷酷な振る舞いをすることこそあれど、それは彼の本質ではない。だからこそ、彼の部下である冒険者たちは命懸けの戦いにも身を投じる。
「……そうか、いいだろう。了承したのだ」
ただ一人、憤怒の高位悪魔イーラを除いては。
「ようやく、この狭苦しい生活から解放なのだ」
「イーラ? いやいや君って結構自由だったような気が――」
「お前とも終わりだ。死んでおけ」
まだトレント種はかなり残っており、これから掃討戦が開始される。トレント種を無数に生み出すユグドラシルが消えた以上、残りは多少厄介だとしても大した敵ではない。広範囲魔法を使えば今日中にでも片付くことだろう。
バックアップのない数だけの軍勢など、冒険者や王国軍の敵ではない。
だからメルドを含め、多少なりとも緩んだ空気があった。
そんな彼に向けてイーラは攻撃する。冒険者をするにあたって手に入れたハルバードは使わない。指先からプラズマの爪を発生させ、メルドを切り裂いたのである。彼女自身が得意とする炎属性魔術を応用したものだ。
「うぐっ……何を……」
イーラがメルドを殴ったり蹴ったりするのは比較的日常だった。しかし今回のことは冗談で済まされるレベルではない。明らかに殺意を持った、本気で殺す気の攻撃だった。
だから他の冒険者たちも理解が及ばず、思考に空白が生じてしまう。
自動再生のスキルと聖属性適性を有する彼はすぐに治療が開始される。しかしそんなものは許さないとばかりにイーラが追撃を仕掛けた。手刀に灼熱を宿し、再生中のメルドを焼き尽くそうとした。
しかしそこにグリゴリが割り込み、竜殺剣で受け止める。
「息子はやらせんさ」
「丁度いい、貴様とは戦っておきたかったのだ」
悍ましいほど狂気的な笑みを浮かべ、イーラは全身から魔力を湧き立たせる。まるでマグマのように沸き上がるさまが幻視された。
とても人間が発して良い魔力ではない。
最上位の、化け物たちにある特徴的な濃い魔力だ。魔力の属性を決める固有情報体が偏っているときに起こると言われる現象である。
「この私を愉しませてみるのだ!」
もはや正体を隠す意味もない。
悪魔の性質を隠せば、その分だけ力も落ちる。瞳が縦に割れ、背中からは翼、そして細長い尾が正真正銘の人外であることを証しする。
イーラが高位の悪魔であることが明らかとなった瞬間だった。
◆◆◆
「時間稼ぎでいいって言ったのに……相変わらず殺意が高い」
セイが溜息と共に零す。
予想以上に北の決着が速く、また竜殺剣もこれまでにないほど使いこなされていた。だから保険と潜入役だったイーラの戦力投入を許可したのだ。
「まぁ、倒せるなら倒してくれてもいいよ。その方が楽なのは間違いない」
真下を見下ろせば、深い渓谷が続いている。
近くには巨大都市もあった。
谷の迷宮が存在する巨大渓谷である。オーク系魔物が住まう、セイにとって最後の仕込みの地だ。深淵竜からそっと飛び降りる。重力を緩和する魔術陣を通過し、ゆっくりと迷宮に降り立つのだった。
実はピッコマ様にてコミカライズしています。
まだ知らない方はぜひ見てください。




