107話
穴の迷宮で魔力核を掌握したセイは、続いて隣接する岩の迷宮をも掌握した。岩の迷宮は地下に広がる鍾乳洞で、スパイダー系の魔物が生息している。スライム系の住まう穴の迷宮と同じく不意打ちを警戒する必要のある厄介な迷宮だ。
だが魔王たるセイはそれを気にすることもない。
寧ろ魔物たちに案内され、最短ルートで魔力核の隠されたエリアへと到達することができた。そこはエスタ王国軍の駐屯地として簡単な小屋が建てられている。優秀な装備に身を包んだ騎士たちが隙なく見張っていた。
『王よ。つつがなく配置につきました』
『ご命令を』
そんなアビスからの思念伝達を聞き、すぐに返す。
殺れ、と。
途端に黒い旋風が通過した。騎士たちは決して油断していたわけではない。鍾乳洞を利用した完全な死角からの攻撃に対処しろという方が酷だ。また騎士たちが反応もできなかったのはそれだけが理由ではない。
カチカチと牙を鳴らし、威嚇音を立てる頼もしい味方がいた。
「助かった」
セイがそう告げた相手は巨大鍾乳石に張り付くスパイダー系魔物であった。直接魔素を注入されたことで進化を果たし、人間たちが言うところの魔王種へと至っている。アトラネクアという大型の厄介な個体であった。
この魔物は前脚が鎌のようになっており、その鋭さは金属をも切り裂くほどだという。また糸を自在に操ることで獲物を罠にかける狡猾さも備えていた。今回はこの糸によって騎士たちの動きを鈍らせ、それによってアビスの攻撃を確実に当てたのだ。
外で見張っている騎士たちを瞬時に倒したことで、小屋の中で休んでいた騎士たちも外の様子に全く気付いていないようだ。アトラネクアは眷属と共に小屋を取り囲む。そして巨体を生かし、踏み潰しながら蹂躙を開始した。逃げ場のない包囲の中、無数のスパイダー系魔物の蹂躙が行われる。これがその辺にいる雑魚ばかりなら騎士たちも対処できたかもしれないが、その内の一体は魔王種と呼ばれるほど強力な個体である。
驚愕の声はすぐに断末魔へと変わった。
セイはその間に、結界で守られた祭壇のようなものへと近づく。
「これで岩の迷宮も俺のもの、だ」
無魔術《破魔》により結界を無効化し、鎮座されている魔力核へと触れる。これによって所有権がセイへと書き換わり、ダンジョンを掌握することができるようになった。当然だがアビス・ネットワークにも組み込まれる。
振り返るとアトラネクアたちも食事を終えたらしく、返り血を浴びた彼らがセイの元へと近寄ってきた。元の人間らしい感性を有するセイからすればかなり恐怖を感じるはずだが、魔王となってしまった影響か、それとも慣れか、ごく自然に対応する。
「ここから始める。後は任せた」
牙を血で濡らしたアトラネクアは鎌を打ち鳴らして答える。
任せろと言わんばかりの頼もしい姿を信じ、セイは迷宮内転移で地上へと移動した。
◆◆◆
まだ日も昇らぬ朝、穴の迷宮と岩の迷宮の側にある迷宮都市は微かな揺れに襲われた。地震など縁のない都市だったので、まだ眠っていた住民たちは一斉に起きて不安そうな顔を見合わせる。
当然だが、その揺れは自然現象ではない。
いや、ある意味で自然現象なのかもしれない。
突如として地面が割れ、その隙間からスライム系の魔物が襲いかかってきたのだ。貧弱な個体の多いスライム系だが、戦うことを知らない一般人が不意打ちに対応できるほど弱いわけではない。
「おいおいおいおい! どうなってやがる!」
「いいから武器を取ってこい! それと住民の避難だ!」
「クソ! 何だってこんな……」
いち早く対応できたのは冒険者たちであった。今は多くが北の戦場にいるが、これは義務ではない。一部の冒険者たちは迷宮で安全に今まで通りの稼ぎをするべく活動していた。彼らは大抵が街の住人であるため、自分の生活環境を守るために戦い始める。
だが数が圧倒的に足りない。
「騎士様たちを呼ばねぇと!」
「今はほとんどいねぇよ!」
「何とか持たせるしかない」
寝込みを襲われたとしても所詮はスライム系だ。すぐに立て直し、魔術も併用することで地面の亀裂も塞がれ始める。
しかし襲ってきた魔物はスライムたちだけではなかった。
都市の西側にある大穴より這い上がってきた大量のスパイダー系魔物も襲ってきたのである。本来、地下洞窟である岩の迷宮に住む魔物であるため、わざわざ潜らなければ遭遇することもない魔物たちだ。住民たちは余計に混乱し始める。それに手を取られ、冒険者たちも戦いに集中できない。平地で戦うということに限定すれば大したことのない魔物ばかりだったが、状況が彼らを不利にさせた。
「これは、だめだ……援軍がいる」
もはや地面が見えないほどの夥しい数であった。
スライム系とスパイダー系に限られてはいたが、これまで見たこともないほどの魔物災害である。主戦力が全て北に行ってしまった現状で、この都市を守り切れると断言できない。そう判断し、冒険者たちは援軍の必要性を察してしまう。
朝日が昇る頃には都市の住民は多くが避難し、魔物によって半分以上が占領されてしまったのだった。
◆◆◆
北の戦場では王異種ユグドラシルを仕留める最後の作戦が行われていた。優秀な騎士や冒険者を中心に構成された突撃部隊によって道は切り開かれ、大地に陰を落とすほど巨大な魔物へと突貫する。ユグドラシルが無尽蔵に生み出すトレント系魔物は溶けるように始末されていき、比較的順調に進んでいた。
しかしユグドラシルが目前へと迫る頃になって流れが変わる。
現れる魔物の質が格段に上がったのだ。
「なんだこいつら! 見たこともない!」
特に厄介だったのは人型のトレントであった。平均的な成人男性と比較してもそれほど変わらない大きさだったが、その力は異質である。見た目こそ貧相な枯れ木であり、首のない人間のようなものだ。しかしながらひとたび腕を薙ぎ払うだけで瞬時に木々を成長させ、冒険者や騎士を捕獲して磨り潰してしまう。魔法金属の防具を纏っていようとも関係なく圧殺してしまう。
「炎爆魔術で吹き飛ばせ! 怯むな! 進み続けろ!」
「その通りだ! この私に続け!」
騎士ウィリアム・ウルズとアドラメレク社長グリゴリ・アドラーは先頭に立って全員を鼓舞する。特にグリゴリは竜殺剣を解放し、混沌属性の斬撃で凶悪なトレント種をも容易く屠っていた。
またイーラのように炎爆魔術に長けた者は進んで大爆発を引き起こし、魔物を近づけないように露払いする。簡単というわけではなかったが、それでも彼らは止まることがなかった。
(ふん。温いのだ)
中々進まないことに鬱陶しさを感じたイーラは、上位悪魔らしい力任せの魔術を発動させる。地面が割れてマグマが噴き出し、次々とトレント系魔物たちを飲み込み始めたのだ。これによって周囲の温度が上昇し、炎爆魔術の効力が増していく。
この手の魔術に長けた者を重視して選抜しているため、トレント系魔物は絶大な炎に包まれた。
またメルド・アドラーのように聖魔術を会得した者たちは負傷者を回復させ、死んでさえいなければ戦線に復活させる。
「おおおおおお! 我らが国を侵すもの共を許すな! 進めええ!」
先頭を進むウィリアムはひたすら仲間のために声を張り上げ、進んで強力な魔物と戦う。純粋な戦闘力でいえばこの選抜隊の中でも劣っている方だ。しかしながら彼の気迫は誰よりも凄まじい。
またウィリアムにとっても厄介なのは数であって、質ではない。人型の正体不明なトレント種も一対一の状況であれば彼でも勝てるほどだ。
「ウィリアム殿! 退避を!」
「うむ。頼むぞグリゴリ殿」
「おおおおおおお! 滅びよ魔物共!」
そして少しでも詰まれば竜殺剣が薙ぎ払う。混沌属性の中でも特に破滅へと偏った性質を持っているため、防御力など関係なくトレント系魔物を消滅させてしまう。あらゆる属性の上位に立つ法則属性の面目躍如であった。
ただこの攻撃にも欠点があり、威力と範囲が大きすぎるのだ。
まるで汚染のように広がる混沌属性は確かにトレント種を問答無用で消滅させてくれる素晴らしい威力を誇っている。しかしながら長期にわたって混沌属性が留まり、周囲を腐蝕崩壊させてしまうため、一度放てばしばらく待たねばならないのだ。その間も両脇からは魔物が押し寄せてくるので、結局はそれを抑え込まなければならない。
心強さはありつつも、一長一短ある方法だった。
「ぐっ……」
「ウィリアム様! お下がりを!」
「私が勇ましく前に出なくてどうするというのだ!」
「……ではせめてお供を!」
国王の権威のためにも冒険者に任せっぱなしというわけにはいかない。せめて勇ましい印象を与えられる立ち回りが必要だ。経済でこそアドラメレク社が王国を支配していると言えるが、歴史や伝手から生まれる権威ともなれば別である。王の血族、王の歴史、王の配下というものは権威を象徴的に示す。
死を覚悟してでもウィリアムはそれを示す忠誠心を持っていた。
トレント種の攻撃が鞭のように迫り、ウィリアムはそれを槍で受け止める。アダマス鋼という特別堅い金属を穂先に採用しているため、簡単には折れたりしない。しかしながら絡めとられ、宙に打ち上げられてしまった。仕方なくウィリアムは槍を手放し、予備装備の剣を抜く。風と炎属性を混ぜた魔術によって激しい炎の渦を巻き起こし、トレント種を追い払った。
これほどの乱戦になれば武器は防御用になってしまう。ウィリアムも攻撃を捌くためと割り切って武器を用い、魔法で攻撃する。とても手加減する余裕はないので武官貴族たる彼でも魔力残量が心許なくなってきた。
(敵が巨大だから見誤っていた。こうも距離感を狂わされるとは)
これについては完全にウィリアムのミスだった。
ユグドラシルは見上げるほどの巨大さで、距離感がおかしくなっていた。つまり彼の想像よりユグドラシルまでの距離が遠かったので、ペース配分を間違えてしまった。
そこでウィリアムが控え気味に魔法を使い始める。
トレント種は炎を苦手としているので、弱くとも炎魔術を使えば近づくのを躊躇ってくれる。だが上位種ともなれば再生力でゴリ押してくる場合も多い。途端に選抜隊の突撃速度に陰りが見え始めた。
「ウィリアム殿! 今はペースを落とすわけにはいかない。ここで止まってしまえば動けなくなる!」
「分かっている……だが……」
「ここは私たちが――」
「避けろ!」
巨大なトレント種がぱっくりと口を開き、騎士の一人を飲み込んだ。食虫植物を思わせるそれは大量の蔦で巨大な口の部分を支える特異な個体で、毒々しい煙を放射している。何人かはその毒煙を吸い込み、泡を吹いて倒れ始めた。
ウィリアムはどうにかそこから退避するが、僅かに毒を吸ってしまったらしく息苦しさを感じる。あっという間に手足の先に力が入らなくなり、剣を取り落としてしまった。また身体を支えきれなくなって膝を着いてしまう。
「こいつはイベルボックスだ! 毒の息を吐きだす。絶対に吸い込むな!」
そんな声がウィリアムにも遠く聞こえた。
トレント種の中でも最上位に位置する凶悪な個体がイベルボックスである。たった一体で軍隊が動くとされる正真正銘の魔王種であり、大量の上位個体がひしめく中にいてよい存在ではない。広域に広がる麻痺毒の息を僅かでも吸い込めば動けなくなり、更に吸い込めばいずれは心臓麻痺で死んでしまう。
冒険者たちが風魔術で毒を押し返さなければ全滅もあり得た。
しかしこの僅かな間で三十人以上が行動不能となり、選抜隊は絶体絶命にまで追い込まれる。グリゴリも竜殺剣で薙ぎ払い、動けなくなった者たちを守るために奮戦した。またイーラも爆熱の嵐を巻き起こし、目に見える限りのトレント種を一掃する。
だがユグドラシルが無限にトレント種を生産する以上、ただ消耗するだけに陥っていた。
(不甲斐ない。私は、このようなところで……)
一転して守られる立場になってしまったウィリアムは必死に歯を食いしばり、体に力を入れる。吸い込んだ麻痺毒は本当に少しだった。だからこそ意識を保っていられる。しかしながら動けなければ意味がない。
ただ見ていることしかできない状況が悔しかった。
イベルボックスは即座に討伐されてしまったが、ここで遂にユグドラシルまでが動き出す。これまで大量の同族を産み落とすだけに留まっていたこの魔物が進み始めたのだ。地面に突き刺さる太い根が蠢き、大蛇の如く這っていく。大地を抉りながら巨体が迫ってくる。
またユグドラシルは身を震わせ、天に広げた枝葉へと赤い果実を実らせた。ユグドラシルの巨大さもあって小さな果実だと錯覚してしまうが、実際は人間大ほどもある。そして果実は次々と落下し、地上へと質量攻撃を始めたのである。
高所から落下してくるそれは、直撃すれば魔力で強化していようと間違いなく即死である。
またそればかりでなく、地面にまで落ちた果実は爆発し始めた。どうやら果実の内部は圧縮された空気が込められているらしく、破裂と同時に衝撃波が放たれる。
果実による爆撃はトレント種をも同時に葬りながら、選抜隊に大打撃を与えた。
「耐えろ! 耐えろ! 結界を張れ!」
「ぬ、おぉ……この痛み! 流石の僕も堪えるぞ」
「黙ってろメルド! テメェもさっさと聖属性結界を張れ!」
「ふん。あんなもの焼き払ってやるのだ」
とにかく防壁系の魔法を使って爆撃を防ぎ、余裕のある者は魔法で果実を撃ち落としていく。ユグドラシルまで一度も立ち止まることなく突き進めると確信していたメンバーだったにもかかわらず、大苦戦させられていた。
ここで活躍したのがイーラである。
上位悪魔として保有する無尽蔵の魔力から放たれる劫火はトレント種に効果抜群だ。辺り一帯を炎の海に変えていき、地の底からマグマを引きずり出し、彼女一人で無双してしまう。また炎を抜けてくる強個体はグリゴリが竜殺剣を使って仕留め、どうにか耐えることができていた。
耐えることだけならできていた。
(駄目だ。このままでは押し負ける……)
呼吸に集中するウィリアムは拳を強く握りしめつつ戦況を見守る。
どう考えても自分たちが足手まといになっていた。毒で動けなくなってしまった者たちを守るため、他の騎士や冒険者も動けない。超巨大トレントという圧倒的脅威を討伐するためには攻め込むしかないにもかかわらず、それができない。
「……け」
上手く吸えない空気をかき集め、声を出す。
「ぃ……けェ」
国のため、武官貴族ウルズ家当主として必要な犠牲は払わなければならない。
それがたとえ、自分の命だとしても。
「い、けええええええ! 進めえええええええ!」
酸欠になり、ウィリアムは倒れ込んだ。
だが震える体を最後の気力で動かし、右手の人差し指でユグドラシルを指し示す。その行動はグリゴリの眼にも留まり、彼は無言で竜殺剣に魔力を流した。
そして全力の一撃を振り下ろす。
剣の内側より溢れだす破滅の混沌属性が斬撃として放たれ、その直線上を全て切り裂いた。混沌は炎のように伝播し、周辺のトレント種を朽ち果てさせていく。
わざわざ注目を集める大技を放ったグリゴリは、声を張り上げた。
「動けぬ者は置いていく! 今は進み、あの脅威を打ち払うのみ……進め! 犠牲を無駄にするな! 英雄たちの姿と声を心に刻み、我らは前に行く! 行くぞ! エスタ王国に栄光あれ!」
竜殺剣の切っ先をユグドラシルへと差し向け、宣言する。そして返事など不要とばかりに彼は走りだした。
誰かが引っ張る必要があった。
この状況を打破する覚悟を持った者が必要だった。
ウィリアムはそれをグリゴリに託し、グリゴリは間違いなくそれを受け取った。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおお!』
ある者は泣き、ある者は怒り、それでいて皆が奮起しつつ走る。まだ戦える者たちは負傷者たちを置き去りにして前に進んだ。
その光景を最後に眺めつつ、ウィリアムは思う。
(ああ。済まないシェ―――)
ぶちゅりと体が押しつぶされる感覚に襲われ、彼は永久に意識を失った。




