106話
エスタ王国を襲撃した超巨大トレントは早期に発見されたお蔭か、明確な被害が出るまでに押し留めることができた。王国騎士の他、アドラメレク社の冒険者たちが奮戦したお蔭でもある。そうして戦線が安定した頃、計画されていた超巨大トレント討伐作戦が開始されることになった。
「勇士たちよ! もはや説明の言葉は不要だろう。我々が討伐するべきは故国を脅かすあの化け物だ。見上げるほどの巨体を恐れることはない。我々は奴らの野望を突き破り、喉元にこの剣を突き付ける。このウィリアム・ウルズに続け!」
家宝の剣を掲げ、ウィリアムは勇猛な演説にて士気を高める。トレントの群れを突破し、ボスである超巨大トレントを討伐する部隊が完全に揃った。貴族としてその部隊の最前線に参加するウィリアムは代表として振舞う。
これはエスタ王国の権威のためであった。
王に忠誠を誓うウィリアムは、仮にこの戦いで死ぬと分かっていても出陣を躊躇わない。いや、死ぬと決まったわけではないが、ウィリアムの実力では最前線を生き抜くのは難しいだろう。
(最期かもしれない。私の手紙はシェバに届いただろうか)
戦士たちの放つ気合の咆哮を受け止めつつ、ウィリアムは思案する。
貴族として生まれたからにはその使命を全うするつもりだが、それでも己を捨てているわけではない。家に残した家族や使用人たちのことが気がかりだった。ウルズ家についてはもしものことがあればウィリアムの弟が継ぐようにと遺書を残しているの心配はない。唯一の心配は妻のことであった。
未練がないとは言わない。
正直なところ引き返したいとすら思う。
だが、それは決して口にしてはいけない。
「行くぞ!」
もう引き返せはしない。
ウィリアムは巨大すぎる魔物に向けて駆けだす。彼に付き従うのはウルズ家に支援を受けている騎士たちだ。
それに続いて竜殺剣を抜いたグリゴリ・アドラーも続いた。その息子であるメルド・アドラー、また炎爆属性魔術で頭角を現した少女イーラなど、実力者として認定された冒険者たちが続く。
エスタ王国史上最大級の戦いが佳境へ突入しようとしていた。
◆◆◆
魔王として魔力を管理する必要のあるセイが、わざわざ魔力核を使って強化した王異種を使い捨てにするのは、ある目的があるからだ。
というのも、エスタ王国が北部へと戦力の大部分を送り込むということに意味がある。
これによって冒険者という対魔物に特化した戦力を調査できることに加え、彼らが活動する七つの迷宮へと仕込みを行うことができるのだ。
セイは王都サウルの南部に存在する城の迷宮へと訪れ、新たなる仕込みを行っていた。
「ここは……本当にゴブリン系統ばかりなんだ……」
城の迷宮はエスタ王国が誕生するよりも以前から存在する。
かつて滅びた小国の古城がそのまま迷宮化しており、ゴブリン系と呼ばれる魔物が蔓延っている。この魔物は増えやすいという特徴があり、定期的な駆除が求められる。またドロップアイテムとして魔核が大量に採取できるため、魔導具用の燃料資源として重宝されている。普段は多くの冒険者が訪れる仕事場なのだ。
だが現在は北の戦場のこともあり、最低限の警備を残すのみとなっていた。
多重の堀や城壁、櫓など防衛設備はかなり充実しており、万全の状態から攻めるとするとかなり手間取らされるだろう。ただ残念ながら既にエスタ王国が制圧しているので、魔力核含めて防衛上重要な地点は近づくことすら困難だ。
そこでセイは人があまり近づかない地下へと訪れていた。
この迷宮はかつて人間が使っていた城なので、地下には倉庫や牢が存在している。当然ながら迷宮化しているのでここにも魔物は沸くのだが、冒険者もあまり近づかない。暗くて狭いという条件の中に飛び込んで命を危険に晒す必要もないからだ。出入口も限られているので、ここから現れるゴブリン系魔物たちも特に人間を殺害したわけでもなく、魔力を取り込んでいないのですぐに討伐できる。故に放置されるのが常であった。
「少し集まってくれ。一番強い奴は前に出て欲しい」
セイがそう呼びかけると、ゴブリンたちは大人しく出てくる。彼らは古き魔王が残した魔物であり、いわゆる魔族と呼ばれる存在だ。しかしながら魔力の精霊王に仕える精霊の一種ではあるため、セイの言葉にも従う。
命じられた通り、地下のゴブリンたちは集合した。また最も魔力を蓄えたゴブリンが前に出る。
(最大でホブゴブリンか。本当に弱いな)
元々ゴブリンは数に特化した魔物なので、仮に進化したとしても強さはそこまで変わらない。この魔物の真価は数を揃えて初めて発揮される。故に城の迷宮で間引きされながら管理される状況では、いつまで経ってもゴブリンに反抗のチャンスがない。
しかし常に冒険者が討伐し、不用意に増殖しようものなら駐屯騎士が撃破しているという状況は今この瞬間に限りチャンスが訪れている。
「少し魔力を分け与える。今は余計なことをせず雌伏の時を過ごしてほしい」
「ガァ」
「また来る。あまり外に出ず、時を待て」
魔族たちは主たる当時の魔王を失っても、その使命のために人間を襲う。仮に死ぬと分かっていても、それこそが魔力の精霊の役目だと理解しているからだ。
しかしセイは敢えて、今はそれを止めろと告げた。
本来なら現代の魔王とは何の関係もない魔族でも、今世の精霊王であるからして従う。
代表してホブゴブリンが深く頷いた。
◆◆◆
エスタ王国に存在する七つの迷宮の内、岩の迷宮と穴の迷宮は少し特殊だ。共に王都サウルから南西部に存在する迷宮なのだが、この二つは内部で繋がっている。
まず特徴的なのは穴の迷宮で、これは垂直の大穴だ。後から設置された階段を使って降りていくのだが、内壁には幾つもの横穴が存在している。その横穴は複雑に繋がっており、スライム系の魔物が多く生息しているのだ。魔法成分を帯びた液体をドロップするので、それを目当てに冒険者たちが訪れる。
そして岩の迷宮は巨大洞窟だ。地上から潜っていく形でこの洞窟に入ると、視界不良な鍾乳洞が現れる。また出現する魔物もスパイダー系統と非常に厄介だ。音もなく近づき、糸や毒で暗殺を仕掛けてくる。またトラップも容赦なく仕掛けてくるので油断していると熟練者でも殺されるだろう。スパイダー系と言いながらサソリなどの節足動物への分岐進化もあるので、名称詐欺でもある。ただ、ドロップアイテムの糸や甲殻は重宝される素材だ。先程の穴の迷宮と接続している影響で、稀にだが穴の迷宮でも出現することがある。
「予想より深い」
深淵竜に乗るセイは眼下の大穴を目の当たりにして呟く。ほぼ真上から見下ろしているにもかかわらず、底がはっきりと見えない。
穴の迷宮という名に相応しいものだった。
「アビス、地の底に向かえ。ここから始める」
『是』
「魔力核の制御を奪うぞ」
セイは腰に吊るした袋の紐を緩める。そして大穴に向かって投げ捨てた。その中身である金貨が散らばり、大穴の底へと吸い込まれていく。
それらは本物の金貨ではない。
アビスが変化した姿だ。
「スライムのふりをすれば警戒されないだろうし、大穴の底からは通信も届かない。厄介な冒険者さえいなければ、駐屯騎士くらい倒せるはず」
エスタ王国に未曾有の危機を与え、北にあらゆる戦力を集中させた。特に迷宮内を良く知る冒険者たちを遠ざけたのは大きい。
魔王として既に二つの国を滅ぼしているセイではあるが、自分を強いとは思っていなかった。どちらの国も念入りな準備を重ね、相手に最大の力を発揮させなかったことが勝利の要因である。この国においては本来セイのフィールドである迷宮ですらアドバンテージが取れないという問題点があった。それを克服するために、魔力核を与えて強化した魔物を使い捨てにするという戦略が必要となった。
『回収任務を開始します』
『全アビスの着地が完了しました』
『冒険者および騎士の数は現在ゼロ』
『地底への通路を確保しました』
『スライムとの意思疎通を確認。魔力核の場所が確定しました。データを共有します』
アビスの固有能力がここで上手く嵌る。
思考リンクのお蔭で次々と記憶が共有され、穴の迷宮が暴かれた。また固有魔族であるスライム系と意志疎通できたことも大きい。これによってスライムのような流体に近い生命体でなければ通れない岩の隙間を使い、地下へ潜ることができるようになったのだ。
同じく思考リンクで情報提供されているセイも、これらのログを追いながら思案する。
(思ったより順調か。だったら、慎重になる必要もない)
隙間に潜り込んで移動するスライム系はかなり鬱陶しい部類だ。だが攻撃力の低さがネックとなり、人類に対して致命傷を与えるのが困難となっている。仮に攻撃力が高くなるよう進化してもすぐに対策されて討伐隊が組まれてしまう。そして一度討伐されれば、それで終わりだ。進化してもすぐに摘み取られてしまう現状、スライムでは魔力核の奪取が不可能と思われていた。
しかし、アビスは違う。
これまでの戦いで充分に魔力を獲得し、また思考リンクのお蔭で知能も高度に発達している。ダークマター体という特殊な肉体によって様々な性質へと変化し、形態も流動的だ。
攻撃力は充分。
不意打ちできる環境が成功を約束させる。
ずるずると這いまわるアビスは人間の通れない岩の隙間を移動し、魔力核が配置されている深奥へと到達した。
『人間を確認。装備からエスタ王国騎士と断定』
『数は外に六。また後付けで建設されたと思われる拠点も発見。内部に人間が潜んでいる可能性あり』
『推奨、会話の分析』
『魔力核は防護壁に守られている。土、水、風の複合属性結界であると断定』
「室内の人間は仕留められそう?」
『現状では不明。確信がありません』
「そうか」
アビスのお蔭で魔力核の状況は理解できた。
ただ予想通り厳重に守られており、そう簡単には奪取できないらしい。
「その建物は簡単に壊せそうか?」
『氷竜王の材質であれば問題なく可能と断じます』
「分かった。なら、俺も直接向かう。アビスはひとまず待機だ」
『是』
セイは深淵竜に指示を出し、大穴へと降りていく。だが、その途中でセイは飛び降りた。精霊という種である以上、物質に依存することはない。落下死の心配がないため、こうして飛び降りても問題がないということだ。
唯一の問題があるとすれば、セイが飛び降りると目撃者が生じるということである。
ここは二つの迷宮が重なる地ということもあり、近くには街もある。空から穴の迷宮へと落ちていく何かが目撃されるのは都合が悪い。
そこで深淵竜に囮を命じたのだ。
(お前はあの街を襲え)
『是』
命じられるがままに、深淵竜は街へと向かっていく。街からすれば何の前触れもない魔物の襲撃であり、そちらに注目してしまうということだ。
ひたすら目立って囮となることが目的なので、深淵竜は初手からブレス攻撃を放つ。破壊効果の乗せられた魔力砲撃が街へ向かって落とされた。しかしそれは街より発動された水属性の防壁により減衰させられてしまう。すぐに反撃となる魔術が地上より放たれ、深淵竜を襲い始めた。
氷竜王をコピーした姿であるにもかかわらず、このままでは落とされてしまうだろう。
戦力の大部分を北へ送り込んでいるにもかかわらずこれほどの対応力だ。こんな街ですら、セイは正面から叩き潰すという手段を使えない。仮に襲撃に成功したとして、セイも大きな打撃を覚悟せねばならないからだ。
こうして深淵竜が街を襲っている間に、セイは大穴へと侵入する。
そして落下しつつ迷宮内部での魔力を掌握することで、自身の存在確率を揺らがせた。
(アビス、動け)
腰から短剣に偽装したアビスを抜き放ち、同時に迷宮内転移を発動する。
するとセイの視点が急に変化し、浮遊感も消え去ってしっかり地面に立った。一瞬にして魔力核が保管されている深奥へと移動したのである。また転移が完了すると同時に深淵剣を横薙ぎに振るった。
氷竜王牙という材質が再現され、なおかつ形状変化によって短剣は延伸する。
狙うは外にいる騎士……ではなく併設された建造物だ。セイは建物ごと、中に隠れている人間を真っ二つに切り裂いたのである。休憩していたであろう騎士たちは抵抗する術もなく深淵剣の糧となった。
「貴様! 何者だ!」
しかし騎士たちは全く動揺せず、剣を構えてセイに攻撃を仕掛けようとする。常にスライム系魔物の不意打ちを警戒していた彼らを不意打ちで殺すのは困難と考えていたのだが、セイの判断は正しかったようだ。仮に迷宮内転移した直後に彼らを狙ったとしても防がれていた可能性が高い。
(流石に防具の性能も高いな)
魔物からドロップしたであろう素材の他、アダマス鋼にミスリルといった魔法金属もふんだんに使われた防具だ。パッと見るだけではわからないものの、魔法付与も施されているだろう。多数の迷宮を擁するエスタ王国の装備は侮れない。
休憩中で防具を脱いでいる、といったことでもない限りは一撃で皆殺しにはできないと確信した。
しかし問題はない。
結局は彼らも人間なのだ。
いきなり現れたセイが何の躊躇いもなく仲間の休憩する建物を攻撃した場合、その注意は僅かであっても逸れるはずだ。
天井の隙間から多数のアビスが落ちてくる。
それらは瞬時に形態変化し、氷竜王牙の刃を為して騎士たちを首の後ろから貫いた。ただし貫けたのは六人中四人だけ。二人はギリギリで気付き、体を捻って回避する。
(やはりこうなったか)
しかし想定済みだ。
セイは手に持っていた深淵剣を投げ、体勢を崩した騎士の顔面を貫こうとした。その騎士はかなり慌てた様子で深淵剣を弾き、更に体勢を崩してしまう。深淵剣は回転しながら宙を舞い、代わりにその騎士は倒れた。
一方で自らの武器を投げたセイはもう片方の騎士に向かって無魔術の《障壁》を移動させながら放ち、大きく突き飛ばしてしまう。更には思考リンクで強化した演算力により《破魔》を発動した。
あらゆる魔法を無効化してしまう《破魔》は、当然ながら魔導具にも効く。
これによって騎士たちの防具は魔法的な守りを失ってしまったのだ。
(今だ。殺れ)
弾かれ、回転していた深淵剣がピタリと空中で制止し、切先を真下に向ける。それは勢いよく射出され、倒れた騎士の胸に根本まで突き刺さった。
また《障壁》で突き飛ばされた騎士は壁に叩きつけられ、直後に他のアビスが殺到する。同じく剣形態で容赦なく突撃し、魔法効果の壊れた鎧を突き破ってその奥に隠された肉を抉った。
二人の騎士はピクピクと痙攣した後、鼓動を失う。
「……ふぅ。意外としぶとかった」
セイは続いて魔法で守られた祭壇のようなものに向けて《破魔》を放つ。するとかけられた魔法が解け、ボロボロと崩れていった。その内側にはセイの求めた魔力核が鎮座している。
天井からぼとぼとと落ちてきたスライムたちが騎士たちの死肉を貪る中、セイは魔力核へと近づいて手を触れた。やはり今代の魔王ということもあり、本来は魔力核を護らなければならないスライムたちも邪魔をしない。
とはいえ、今回は魔力核を吸収するつもりはない。
最古の迷宮と同じく再利用するつもりなのだ。
登録はすぐに完了した。
「よし。このまま隣にある岩の迷宮も侵略しよう。繋がっているし、少しは楽だと思うんだけど……」
再び魔王の手が加わった穴の迷宮は、早速とばかりに魔物を生成し始める。スライムだけでなく、セイの魔物であるアビスもだ。思考リンクのお蔭で登録した魔力核とも繋がっているため、遠隔でも《魔物創造》ができる。
時間にしてほんの数秒の間に、穴の迷宮は取り戻された。




