104話
北の魔王種トレントと戦う騎士たちが帰還する。
その一報を聞いてデビッド王は自ら出迎えた。忠臣たるウィリアムを始め、出向いていた騎士たちを労うためである。
ただ、出迎えるといっても彼が自ら動くわけではない。デビッドは玉座でただ待つのだ。それが王たる者である。
「陛下、ウルズ卿が参られました」
「うむ。通せ」
玉座の間とは相応の者を出迎えるためのものである。
普通ならば非常に大切な客人――他国の力ある貴族や王族――を迎え入れるために用いられる。部下の貴族に用いられるときは、その者が素晴らしい働きをした時だ。
デビッドはウィリアムを含め、北で戦う武官貴族たちを充分に評価していた。
「ウルズ卿がご入場なさいます」
大扉が開かれ、正装したウィリアムが静かに現れる。
決して足音を立てず、疲れも見せず、ただ王の前に跪く。
「拝謁を許す」
デビッドが告げると、ウィリアムも顔を上げた。
「よくぞ戻った。我が忠臣よ」
「陛下におかれましてもお変わりなく」
「うむ。しかして、北の戦場はどうなっておる?」
「はっ! アドラメレクの助力もあり、勝機を見出すことができました。私もまた北へ戻り、必ずやこの国を救って見せましょう」
ここまではある意味で様式美。
まるで取り決められた台本でもあるかのようにやり取りされる。
「さて、ウィリアムよ。疲れておるだろう。今夜はお前の妻の元に帰り、ゆっくりと休むがよい。また明日にでも詳しい報告を聞こう」
「はっ! ありがとうございます」
「褒美は戦いが終わった時に渡す。何か考えておくがよい」
「光栄にございます」
「うむ。では下がれ」
謁見は何事もなく終わった。
◆◆◆
その日の夜、全ての仕事を終えたデビッド王は自室で寛いでいた。真っ赤なワインをグラスに注ぎ、少しずつ口に含みながら自身の計画を思い浮かべる。
(今夜はウィリアムも妻の……シェバの元に帰る。そのように命令したのだから。そして久しく会う妻と床を共にするはずだ)
実に予定外なことで、デビッドと一夜を共にしたシェバは子を孕んだ。これは忠実なる部下の妻に不貞を働いた王などという汚名を誤魔化すべく考え出した策であった。
(世間にはあれがウィリアムとシェバの子であると錯覚させる。シェバさえ黙っておれば、誰も不幸せにならずに済む)
その考えがシェバという一人の女性に一生の重荷を背負わせることになると気付きもしない。傲慢な独りよがりと虚栄心によって一人の女性を死ぬまで苦しませると思いもしない。いや、気付いてはいてもそれを心の隅に追いやる。
民のために尽くす偉大な王も、今は一人の最低な男であった。
◆◆◆
「うむ。素晴らしい報告であった」
翌日、王を含め複数の貴族が集められていた。その理由は北の戦場で何が起こっているか、そしてどんな作戦を取っているかという報告を聞くためであった。
ウィリアムが持ち込んだ詳細資料を手にしつつ、デビッドは告げる。
「では要請通り民需を少し削るとしよう。その分を北に回す。国民には負担をかけるが、同時に戦時特殊法令を発動する。フルーレ卿」
「はっ。私にお任せください」
「懸念はしていたが、この様子ならば他国への救援要請はやはり必要ないか」
「我が国にはアドラメレクがありますからね」
一国の軍事力と経済力に匹敵するのがアドラメレクだ。
王と貴族が国家を運営し、その決定にそってアドラメレクが働く。別にアドラメレクは国の手足ではないが、実質的に国という身体を形作っている。
エスタ王国はずっとこのやり方を貫いてきた。
「しかし随分と凝った報告書だな。非常に分かりやすい」
「ほほほ。ウルズ卿が徹夜で作成したものですからな」
「グラルアンド卿! それは!」
「何?」
それを聞いてデビッドは固まる。
またすぐにウィリアムを睨みつける。勘違いしたウィリアムは目を伏せながら謝罪した。
「も、申し訳ありません王よ。我が妻の元へ帰る前に報告書を仕上げようと思ったのですが、思いのほか時間がかかってしまいまして」
「ほほほ。ウルズ卿を責めないくださいませ陛下。彼は真面目で凝り性な男なのです。手を抜くということを知らない」
デビッドが考えているのはそういうことではなかった。
本当にウィリアムが自宅に帰っていないのだとすれば、デビッドの計画は崩れ去ることになる。
「しかし問題ありません陛下。私もこの会議の後に自宅へ顔を見せに行く予定です。その後は王宮に戻り、討伐計画を仕上げてみせます」
そういうことではない、とは流石に言えない。
ウィリアム・ウルズという男の真面目さによってデビッド王の浅ましい計画は崩れ去った。
◆◆◆
会議も終わり、王の昼食の時間。
デビッドは上の空であった。
「どうなさったのですか陛下?」
その様子を心配に思ったのか、王妃も手を止めて尋ねる。
「北の戦場を心配なさっておられるのでしょうか?」
全くの見当違いなのだが、デビットは本当のことを言うわけにもいかない。取りあえず、王妃の話に合わせることを決めた。
「うむ。勝利の心配はしておらん。しかしこれだけ長く戦ったのだ。その復興を考えると、今から頭が痛くなる。他国からの支援はないから、その礼を支払う必要がないということだけ救いか」
「陛下の国には迷宮があります。迷宮資材の輸出ですぐに取り戻せますよ」
「そうだな」
今はシェバのことで頭がいっぱいだったが、その問題もある。デビッドは国王としての働きを忘れる訳にはいかない。
「そう言えば陛下。私が侍女から聞いた話なのですが、迷宮に挑む冒険者たちの間で疫病が流行っているということです」
「何?」
「この時期ですから、国全体にまで流行らない内に手を打った方がよろしいかもしれません」
「そうだな。ありがとう」
「いえ。王を支えることが王妃の務め。当然のことです」
これほどに支えてくれる者がいるにもかかわらず、またデビッドはシェバのことを考えていた。どのように自分の不義を隠し、なかったことにするかということに心を奪われていた。
◆◆◆
午後からはいつも通りの執務を行う。
王の仕事は民のために新しい法令を許可したり、法令の修正をすることだ。法とはその時と場合によって流動的に変化させなければならない。古き掟をそのままにして不利益をこうむるのは国民なのだ。
民あっての王。
王のための民。
エスタ王国の伝統に従い、デビッド王は民の必要を満たす。
(そういえば疫病の話があったな。この提案はそれの対策か)
ある文官貴族から提出された書類には、疫病に対する国民保険適用制度の改正案が記されていた。既に複数の貴族で協議したものらしく、充分な資料が添付されている。
改めて自国の貴族が優秀であることを認識し、思わず笑みを浮かべた。
(さて、次は……ああ、アドラメレクに渡す報酬の権利か)
今回の戦いは膨大な戦費が必要となる。アドラメレクはあくまでも一般企業であり、ボランティア団体ではないのだ。戦いに参加させた以上、報酬が必要となる。
その報酬として用意したのが都市の開発権利であった。
またその都市では税の徴収をしばらく半分にすることが確約されているので、その特例を認めるための法律が必要なのである。
デビッドは迷いなくそれにサインした。
「ふぅ……」
書類を脇に置きつつ、深く息を吐く。また体を椅子に預けて力を抜いた。
「どうにも眠い。疲れているのか……」
目頭を抑えてそんなことを呟く。
肉体的にはともかく、精神的に疲れる原因には心当たりがあった。
「しっかりと休まねばならんな。さて……」
「あら、それなら疲れを癒してあげるわよ?」
「ふむ。それでは頼もう――」
デビッドは跳ねるように立ちあがり、振り返る。
誰も入れていないはずの執務室に、見覚えのない女が立っていた。
「何者だ! 衛兵!」
「呼んでも無駄よ」
女は怪しい笑みを浮かべながら告げる。
デビッドは首を傾げたが、その通りであった。扉の前に控えているはずの衛兵が入ってくる様子もない。そこで彼は扉の前まで走り、力いっぱい開けようとする。
しかし扉は全く動かなかった。
「なっ……」
「無駄だって言っているじゃない」
「貴様、何者か!」
護身用に持っている武器を懐から貫き、女へと突き付ける。それは東の大帝国から流れてきた武器で、銃と呼ばれるものであった。非力な王でも護身に充分な性能であることから持ち歩いている。
武器を手にしたことで落ち着いたのか、デビッドは女をよく観察した。
彼女は間違いなく美女に分類される。魅力でいえば、今まで見た誰にも勝るだろう。しかし、何故かデビッド自身は彼女を魅力的だと感じてはいなかった。
「あなた、悩んでいるわね」
警戒するデビッドに対し、女は告げる。
「そう、あなたは正義と悪の間で揺れ動き、悩んでいるのよ」
何のことだ。
そう惚けるつもりだったが、口が開かない。
「あの女が欲しい」
心臓が掴まれたような気がした。
「邪魔なあの男を消して、自分のものにしてしまいたい」
やめろ、といいたくても口が開かない。
いや寧ろ女の声が恐ろしいほど自分に馴染む。
「何も恐れることはないのよ。北を見なさい。あそこは誰が死んでもおかしくない戦場。そう。誰が死んでもおかしくないのよ。そして男が死ねば、女は好きにできる。だってあなたはこの国の王なのだから」
違う、やめろと心が叫ぶ。
しかしどうしても身体が動かない。
それはデビッド・エスタリオという男が心の奥底で抱えている醜い感情。決して暴かれてはならない考えなのだ。
「さぁ、唱えなさい」
ピタリと閉じていた口が開く。
「これから指令書を書くの」
「指令書を、書く」
「そこにはこう記されているわ。ウィリアム・ウルズを騎士の先頭に立たせ、戦いの最も激しい場所に送り込めと。それは士気向上に必要なことだと」
「ウィリアム……激しい、へ……送る」
「あの男さえ死ねば」
「死ね、ば……」
「あの女は」
「シェバ、は」
「あなたのもの」
「私の、もの」
◆◆◆
はっと目を覚ます。
デビッドは周囲を見渡した。
(私は、何を?)
記憶が曖昧だ。
しかし状況から、自分が眠っていたのだろうということは分かる。だが、ふとデスクに目を落として悲鳴を上げそうになった。
「馬鹿、な。これは……」
そこにあったのは指令書。
忠臣にして武官貴族ウィリアム・ウルズを先頭に幾人かの貴族で魔王種トレントに突貫し、道を切り開けというもの。それは間違いなく自分の筆跡であり、最後にサインと勅令であることを示す玉璽まで押されていた。
「あれは、夢では」
浅ましい心が見せた夢。
そうに違いない。
だが、間違いなくデビッドがこの指令書を書き記したのだ。
「……」
そんなものは破り捨てれば良い。
破って燃やして、その灰をどこかに捨ててしまえばなかったことになる。
しかしどういうわけか、それが実行できなかった。指令書を見れば見るほど、それが素晴らしい名案のように思えてくる。絶対に実行しなければならないと何かが囁く。
(そう。これがシェバのためなのだ)
不義の子を孕み、心を痛めているだろう。
ならば自分が大義名分を作り、その棘を抜いてやるのだ。
自分の中で正当化を完了したデビッドは、その指令書を厳重な封の中に入れた。
◆◆◆
「ふふ。馬鹿ね」
窓の外で、悪魔が嗤う。




