101話
魔王セイと大悪魔マリティアは最古の迷宮に辿り着いていた。今は深淵竜に乗って上空を旋回しているだけであり、地上には降りていないが。
「予定通り、人が少なくなっているね」
「あの中に入るの?」
「最古の迷宮は俺のものにしておきたい。それには理由もあってね」
「そうなの?」
「最下層が竜脈湧点になっている可能性が高い。つまりあれ、特異点の上に迷宮がある状態だ」
最古の迷宮は地下に潜っていくタイプの迷宮であり、一階層あたり三メートルから十メートルほどの高さだ。そして攻略最前線は地下八千メートルを超えている。
現在、人類は七百二十一階層まで突破している。
転移魔術陣を利用し、少しずつ下へ潜ってきたのだ。数十年という年月をかけて。
階層数では魔王城クリスタルパレスには及ばないものの、あれはアビスネットワークという桁外れな演算力があるからこそ。通常はこのレベルの迷宮でも充分に複雑だ。また、クリスタルパレスは狭さで攻略者に精神的圧迫を与えることを考慮している。故に五千メートル程の山に二千階層を超える大迷宮を詰め込んだ。
クリスタルパレスは戦闘を想定しておらず、攻略者の疲弊を狙ってアビスによる不意打ちをするだけである。なので狭くて良い。
「人類も分かっているんだろうな。あれの最下層に特異点があるってこと」
「分かるでしょうねぇ」
「先に抑えておく。まぁ、迷宮領域内に入ってしまえば、迷宮内転移で魔力核までは楽に行ける」
「私の役目はいつかしら?」
「ユグドラシルが討伐されてからだな」
「そんな遅くていいのかしら?」
「その時期なら全てユグドラシルの責任にできる。折角使い捨てる訳だから、最後まで有効活用しないと勿体ない」
既にエスタ王国の陥落計画は立っている。
アビスネットワークによって情報収集は完了しているのだ。金貨に擬態したアビスが広範囲に散っているお蔭である。
「できればこの国が抱えている七つ全ての迷宮を上手く利用したい。それにはちょっと時間がかかるから、マリティアの仕事は時間稼ぎの役目もある」
「ふぅん。まぁいいわ。それより貴方は法則属性を掴めたかしら?」
「いや全く。無理だな」
「努力で手に入るものじゃないもの。仕方ないわね」
セイは最終的に無属性の上位である力属性を手に入れたいと思っている。そのためにマリティアからコツのようなものを教わったのだが、意味がなかった。
「さて、行ってくる。魔力核に辿り着いたら転移で迎えに来る」
それだけ言って、セイは深淵竜から飛び降りた。
◆◆◆
セイが降り立ったのは最古の迷宮の一階部分だった。地下に潜っていくタイプではあるが、地上部には立派な神殿じみたものが建設されている。古びて遺跡のようになっているが、実はこれも立派な迷宮の一部だった。
初代魔王は、この遺跡の地下に迷宮を広げたのである。
「ん? 今何か落ちてこなかったか?」
「そうか?」
見張りの騎士たちはセイの着地音に気付いたが、すぐに隠れたセイを見つけることはできなかった。そもそも空から落ちてきたとしても、それが人だとは考えないのが普通である。
「鳥か何かだろうさ」
「それもそうだな」
「それにしても暇だ」
「そういうな。私たちが暇な代わりに、冒険者たちは命懸けで戦っている。優秀な騎士の人たちもな」
「北の戦場は地獄らしい。私たち程度ではすぐに殺されるだろう」
「私たちにはここがお似合いということか」
呑気に会話している間、セイは迷宮構造に干渉していた。無魔術は迷宮を生み出す魔術だ。古い魔王の生み出した迷宮であっても、干渉に成功すれば転移もできるようになる。
(深い……まだ届かない)
そして干渉に成功するためには魔力核がいる。
最も深い位置に隠されている核へと魔力を届かせるには、しばらく時間がかかりそうだった。これが一番楽ではあるが、時間がかかるのは仕方ない。
(もう少し簡単にいくと思ったけど……想定が甘かったか)
人類が到達したのは七百二十一階層まで。
少なくともそれより下に最下層が存在するハズである。
歴代の魔王が手を加え続けた迷宮とはいえ、広大で複雑で深い。セイも迷宮内転移がなければ攻略してまで中に入ろうとは思えないほどである。
しかし、魔王には無属性魔術がある。
迷宮など思いのままだ。
ついにセイは迷宮の最下層まで掌握する。魔力核にも制御が届き、お蔭で迷宮内転移が使えるようになった。
(さて、最下層まで飛ぶか)
セイの姿がフッと消失した。
◆◆◆
転移したセイは、眩しさで反射的に目を閉じた。
眩いばかりの青白い光は、精霊でなければ失明していたのではないかと思わせるほどである。そしてセイにはこの光が何なのかすぐに分かった。
(魔力の光……それもこんな濃密で莫大な……)
魔力核を大量に吸収して魔力最大量の増えたセイですら及ばない魔力。それがこの空間に満ちていた。
段々と目が慣れていき、最下層の様子が掴めるようになる。
莫大な魔力は祭壇のようなものから放たれていた。
(あれは魔力核)
祭壇に見えたそれは、最古の迷宮を管理する魔力核を安置するためのものだ。歴代の魔王に魔力を注がれ、かなり高性能になっている。具体的には、複数の魔物を生産することができる特別なコアに変質していた。
通常、魔力核は一人の魔王が生み出し、一種類の魔物だけを生み出す。
しかし最古の迷宮だけは別だ。魔力核が複数の魔王によって手を加えられていることが原因となり、幾つもの魔物を生み出せる。
勿論、今ではセイの魔物であるアビスも生み出せるようになっていた。コアはアビスネットワークに組み込まれ、セイの思うように操作できる。
(これで魔王城に次ぐ拠点ができたね)
セイが最初に生み出した魔王城クリスタルパレスは、難攻不落だ。ここに籠る限り、魔王に人類は近づくことすらできない。
だが北の霊峰に位置するので、場所としては不便すぎる。
人類に攻め込むための拠点としては使えない。どちらかといえば、セイの最終防衛拠点だ。
その点、最古の迷宮は王都サウルの近くに存在する。このエスタ王国を陥落させるという意味では、この上なく使いやすい拠点だった。
またコアを完全掌握して理解したことだが、この迷宮は七百八十二階層もある。人類は七百二十一階層までしか攻略できていないので、まだ六十階層分は余裕があるのだ。それだけあれば、充分にエスタ王国を滅ぼせる。
(それにしてもこの魔力……俺の魔力量すら超える魔力は、やはり竜脈特異点のお蔭か)
エネルギーの湧き出すところ。
つまり保存の法則から破れた地点。故に特異点。
そこに魔力核を設置して竜脈に接続すれば、確かに莫大な魔力を利用できる。魔王城クリスタルパレスもその要領で生み出したのだ。間違いない。
だが、最古の迷宮を維持するコアは、クリスタルパレスのコアよりも活性化されていた。
(この異常な活性はコアが地下深くにあるから? いや、コアは地中だろうが地表だろうが、竜脈に接続できる。大差はないハズ……となると、別の要因があるのかな?)
考察しつつも、セイは既に察していた。
コアが納められている祭壇の奥に、広い空間が存在し、そこに何かがいると分かっていた。正体こそ不明だが、隠す気のない強い気配を放っているので存在は簡単に察知できたのだ。
魔王が生み出した最古の迷宮に潜む何か。
竜脈の源泉に潜む何か。
(まさか……)
慎重に、そして緊張した面持ちでセイは祭壇の奥へと歩みを進める。一歩進むだけで気配は強くなり、全身に鳥肌が立つような感触すらある。尤も、魔力の精霊王に鳥肌などという生理現象は存在しないので、セイのそれは錯覚に過ぎない。だが、逆に言えばそれほどの存在がいるということだ。
感じる圧は魔力ではない。
だが、強い波動だ。
セイの体が溶けていくような、そんな感覚すら覚える。普通の人間が近づけば、それだけで発狂してしまうのではないかと思えた。通常の肉体ではない、魔力や生命エネルギーの凝縮体である精霊だからこそ、耐え得るのだ。
「見つけた……これが……」
視線の先には強烈な波動の源があった。
セイが思わず呟いてしまうほど圧倒的な存在。精霊王も竜王も悪魔すらも上回る、この世界において最強最大の存在。
「龍王。生命エネルギーを生み出す生命龍王か」
太陽のように生命エネルギーを発し続け、地中から世界中に送る存在。
純白で巨大な蛇を思わせる龍の姿があった。




