100話
夜、王宮のテラスからは王都サウルが一望できる。エスタ王国初代国王の名が付けられた王都の光景は、デビッド王のお気に入りだった。
彼はシェバをこのテラスがある部屋で待っていた。
「王よ、シェバ様をお連れしました」
「入れよ」
「失礼します」
側近が予定通り、シェバを連れてくる。デビッドは立ちあがって彼女を出迎えた。
「よく来た。我が忠臣ウィリアムの妻シェバよ」
「陛下。このたびは格別のご配慮を賜り感謝します」
「良い。こちらに来なさい。お前は下がれ」
デビッドは側近を下がらせ、二人きりとなる。そしてシェバをテーブルに着かせた。テーブルの上には今夜の食事が並んでおり、高級なワインも二本用意されている。
「さぁ、食べなさい。ワインを入れてあげよう」
「恐縮でございます。私が――」
「良いのだ。これは北の地で忠義を尽くすウィリアムのため。引いてはアレを支えるそなたのための会食なのだ。王とは国民に尽くす者。不自由なく自堕落に過ごすのが王の役目ではない。それに今夜は身分のことなど忘れなさい。ここには私とそなた以外には誰もいないのだ」
エスタ王国は王族と貴族が誇りを持って治めてきた。特権階級者は国民に尽くし、国民は特権階級者に尽くす。統治者と労働者が互いに尊重する国なのだ。
シェバも貴族の娘であり、その考え方は理解できる。
ここは王を立てることにした。
「さぁ、今日は楽しもうではないか」
「はい」
デビッドは自分のグラスにもワインを注ぎ、乾杯する。
そして二人は静かに食事を始めた。
(あれほど恋焦がれたというのに、逢ってみると何も話せぬか……)
緊張してしまったのか、デビッドはシェバに語る言葉を失っていた。
シェバの方から口を開く。
「陛下……北の戦場はどのようになっているのでしょうか」
「うむ。今は前線の維持に努めている。未だ死者は一人もいないらしい。指揮官はウィリアムだ。彼は優秀だな」
「夫も喜ぶことでしょう」
「ウィリアムからは手紙の一つもないのか?」
「はい。ですがあの人は真面目なのです。私を守るため、戦いに集中しているのでしょう。そのようなところも素敵な方です。私はあの方を支えるため、妻となったのですから」
「彼らしいと言えばそうだな」
ウィリアムは優秀だ。それはデビッドもよく知っている。
しかし仕事人間である彼は、一度戦場に出ると家族に全く手紙を出さない。不器用なのだ。一つのことに集中する性格なのである。その代わり、仕事でないときは妻シェバとの時間を非常に大切にしている。だからこそ、シェバも文句を言うことなく帰りを待っているのだ。
しかし、それでも彼女の目には心配する思いが浮かんでいた。
いつ死ぬかもしれない戦場で命を懸ける夫を心配しないはずがない。そして戦況を知らせてもくれない夫を思い、心を乱していた。言い換えればストレスが溜まっていた。
「シェバよ。そなたは強い女性だ。しかし心細いことだろう。今夜は私に遠慮することなく、その思いを吐きだしなさい」
「そんな、陛下にそのような……」
「どうか今宵の私を一人の男だと思ってくれ。王ではなく……な」
「陛下……」
シェバもこうして会食に誘われた時点で、デビッドの想いに気付いていた。彼女は鈍感でもなければ愚かでもない。どのような目的で王が部屋に呼んだのか理解していた。
王が自分に恋をしていることはとっくに見抜いていたのだ。
女は視線や感情に敏感だ。
そして自分の感情に共感し、慰めてくれる者に弱い。
だが心は許しても体まで許すつもりはなかった。シェバはウィリアムだけを愛している。
(でも王なら、心配ないかしら?)
弱った心、そして王は誠実であるという勘違い。
これが悲劇を生む。
あくまで、デビッドは一人の男としてシェバと逢いたかった。食事を共にして満足するつもりだった。
弱い立場の女を力で手に入れるなど、卑劣なことだとデビッドは分かっている。
だが、抗いがたい心の前に、そのような誠実さなどハリボテだった。燃えるような恋心はデビッドを暴走させる。
「シェバ……」
「陛下……」
シェバは、心を許す態度を見せた。そして王はシェバの態度を見て理性を捨ててしまった。彼はほとんど無意識のうちに彼女を押し倒してしまう。
デビッドは一夜限りの禁断を犯す。
翌朝、シェバは王の側近に見つからないよう、王族だけが知る秘密の通路で帰って行った。
力で押し倒されたとはいえ、夫ウィリアムを裏切ってしまった彼女の心は重い。だが、国王の絶対的な権力と信頼を前に、真実を訴えることはできない。そんなことをしても、頭がおかしくなったと思われるだけだろう。
デビッドの誠実さと正義の心は国民の誰もが知っている。
シェバは泣き寝入りするしかなかった。
◆◆◆
最古の迷宮に挑み続けるイーラは、八日後に地上へと戻った。他の冒険者を殺していたのだが、見つからなくなったので地上に戻ってきたのだ。
そして戻ったイーラは王都の冒険者ギルドへと向かう。
(なんだ? 人間が少ない?)
戻ってきたイーラは疑問に感じた。
以前、冒険者としてアドラメレクに入社した時はもっと多くの人がいた。しかし、今は数人ほどの冒険者がいるだけである。
首を傾げていたイーラは、職員の一人に呼び止められた。
「貴方はイーラさん!」
「む?」
呼び止めたのは、イーラを社員として登録した女性職員だった。登録してすぐに最古の迷宮へと向かい、八日も戻ってなかったイーラを心配して覚えていたのである。
「生きていたんですね。今、最古の迷宮に強力な魔物が出現した可能性が高くて、行方不明の方が増えているんです。良かった……」
「行方不明だと?」
「はい。魔王種の魔物でも出現したのではないかと言われていました」
魔王種とは人類の定めた区別であり、魔力の精霊王のことではない。多くの魔力を吸収して進化を遂げ、下位の魔物を統率するようになった魔物のことだ。
つまり、王異種ユグドラシルも人類の区別からすれば魔王種にあたる。
「それよりもここに人間が少ないのは何故だ?」
「あ、イーラさんは知らないんですね。実は北の国境で魔王種のトレントが出現したんです。その討伐に冒険者も向かっていまして……今は迷宮攻略どころではないんです。社長も討伐に向かわれました」
「社長だと?」
「はい。竜殺剣を操るエスタ王国最強の方です。あの方が向かわれましたから心配はありません。魔王種なんて瞬殺ですよ!」
それを聞いてイーラの目は鋭くなった。
竜殺剣は高位悪魔を封じ込めた武器だ。その在り処が分かったというのはありがたいことである。
(魔王の言った通りになったな。最古の迷宮に人間が見えなくなったのはこれが原因か)
セイが放ったユグドラシルは、予定通りの働きを見せた。
エスタ王国のあらゆる戦力を北に引き寄せたのだ。王異種ほどの大戦力を使い捨てにするのだから、これぐらいの効果がなくては困る。王国最強のアドラメレク社長は勿論、強い力を持つ冒険者も全て北だ。王都にいるのは最低限の防衛戦力である。勿論、最古の迷宮も守りは薄い。
「そうだ! イーラさんも是非、北に! 報奨金も凄いですよ!」
「……いいだろう」
どうせ迷宮にいても目的は果たせない。
イーラも北へ向かうことにしたのだった。
◆◆◆
全速力で北へと向かっていたアドラメレク社長グリゴリは、遂に国境戦線へと辿り着いた。
「あれがトレントの魔王種か……地面はあいつの影で覆われているな」
「はい。まずは指揮官殿の所へ向かいましょう。ウルズ卿が指揮を執っておられるようです」
「連れて行け」
「少し場所を聞いてきます」
グリゴリに付き添っているのは彼の秘書だ。ただし、王宮に付き添った秘書とは別人である。戦場での動きをサポートするための秘書であり、戦闘力重視だ。
(俺の予想以上だ。魔王種トレントめ……)
最強兵器、竜殺剣はあくまでも剣だ。滅びの混沌魔力を放つという攻撃も不可能ではないが、攻撃範囲が狭すぎる。
倒すには時間がかかるだろう。
そもそも、ユグドラシルが生み出した配下のトレントも多過ぎるのだ。これでは本体に辿り着くだけで魔力が尽きかねない。
(俺に近い戦士が百人は必要だぞ)
層の厚いトレントの群れを突破し、本体へと致命的な一撃を加える。その致命的な一撃は竜殺剣から繰り出すことが可能だ。ユグドラシルの纏う無属性結界も切り裂き、本体の生命エネルギーを削り取ることができる。
問題はトレントの群れの突破。
グリゴリの動きに付いていける戦士が必要だ。
(一人は俺の息子として、あと九十九人。冒険者からピックアップさせるか)
グリゴリは待つ間、一つの魔道具を起動する。それは遠距離通信を可能とする魔道具であり、連絡の先は王都サウルの本社で待機している秘書の一人だ。
「俺だ。俺と同じ動きが出来る冒険者を百人ほどピックアップしろ。可能な限りで構わん。足りなければそれはそれでいい」
『百人ですか……とりあえず半分の五十人ならすぐに思いつきますが』
「可能な限りだ」
『期間はいかほどで?』
「明日までだ」
『お、お任せください』
秘書が引き攣った表情を浮かべている光景が浮かんだが、無茶を言うのはいつものことだ。秘書もなんだかんだでグリゴリの無茶な要望を叶えてきたので、そこに信頼もあった。
「頼む。こちらは想定以上に危険だ」
『……分かりました。全力を尽くします。ご武運を』
通話は途切れる。
まずは指揮官であるウィリアム・ウルズと話し、この状況を変える作戦を立てなければならない。続々と冒険者も集まっているので、その配置も考える必要があるだろう。
(戦場に出るのは明日、あいつからリストが届いてからだな)
そんなことを考えていると、連れてきた秘書が戻ってくるのが見えた。
感想欄でデビッド王は嫌われてますね。まぁ、そういうキャラを描いてみたかったので大成功です。一切の慈悲なく叩きのめすことができる敵キャラになってくれるでしょう。
ちなみに王には実在のモデルがいます。