10話
「聞きたいことだって?」
目元を細めながらそう言ったのは第五騎士団副長のジュリアス・アルコグリアスだ。同僚であり部下でもあるヘンリー、アンジュリーと共に放った三重嵐属性魔法《神鳴》を消し去られたことで一瞬の驚きを覚えたのだが、参謀リオル・ジェイフォードが魔王の存在を声高々に叫んでいたのを思い出して納得する。
彼自身は魔王を見たことはないのだが、御伽噺や過去の資料からその能力について知っていた。魔力を支配し、魔法を消し去るのは魔王の十八番だ。ジュリアスだけでなく、ヘンリーもアンジュリーもすぐにその考えへと思い至ったのだった。
それを踏まえたうえでジュリアスは言葉を続ける。
「魔王が僕たちに何を聞きたいのかな? 冥土の土産に一つぐらいは質問に答えてあげるよ」
かなり尊大で余裕な態度をとるジュリアスだが、これは油断から来るものではない。何故なら自分たちはアルギル騎士王国でも最高クラスの戦力であり、一騎当千の実力を持っていると自覚している。さらに武器には国宝でもある竜殺剣があるのだ。混沌属性で生命力を削り取るため、掠り傷でも致命傷になり得る。例え魔王が出てこようとも負ける要素はないと思っていたのだ。
そして転生したばかりであり、さらに戦いなどしたこともない魔力の精霊王である星もそれは理解していることだ。星は緊張しつつもそれを顔に出さないように注意して口を開く。
「どうして霊峰を攻めるんだ? 俺たちは別にお前たちに危害を加えてはいないはずだが?」
「否定しないってことはやっぱり魔王なんだね?」
「……質問に答えてくれ」
星が魔王であることを確認した途端に目つきが変わるジュリアス。それは彼だけでなくヘンリーとアンジュリーも同様だった。今まで氷竜王クリスタルに向けられていた殺気は星にも向けられ、思わず星は口籠る。しかしそれでも星は何とか口を開いて答えを催促した。
害虫でも見るような目つきになったジュリアスはヤレヤレといった様子を見せながら答える。
「竜脈はそこの愚かなトカゲよりも僕たちアルギル騎士王国に使われる方が相応しい。知能の無い竜よりも僕たち人間の方が竜脈を有効活用できるからね。それにこうして来てみれば魔王までいるじゃないか! 魔物を生み出す世界の害悪は駆除するべきだろう? あぁ、なんなら魔力核を作れるだけ作って置いていきなよ。そうすれば今は見逃してあげてもいいよ」
「ちっ! どうせ後で追いかけて殺すんだろう? まぁ、魔王がお前たちにとって害悪だってのは百歩譲って認めよう。だが竜種は竜脈を管理する存在だろう。なぜお前たちが竜脈の管理者になり替われると思ったんだ!」
「ふん……今でこそ竜脈と言っているけど、本来は地脈というのが正式な名前だよ。昔から竜が管理しているから竜脈と呼ばれているに過ぎない。僕たちが管理できないはずがないよ。何故なら人類は世界で最も優秀な種族だからね。竜種は騎獣になるか素材になるかで僕たち人類に貢献するべきなんだ」
「…………」
余りの言い分に星は言葉を失う。周囲を見回すが、ヘンリーとアンジュリーも当然と言った顔つきでこちらを見ているのだった。寒さを感じないハズなのに背筋が冷える感覚がする。星は自分が何か勘違いをしていたのではないかと思い始めていた。
人類の横暴は氷竜王クリスタルから聞いたばかりだった。しかし、星は話に聞いた歴史と今の状況を何処か楽観視していたのだ。いや、他人事のように感じていたという方が正しいかもしれない。武力による戦争とは無縁だった生活を送っていたからこその平和ボケという奴だろう。その感覚から『話し合えば理解しあえる』と心のどこかで思っていたのである。
(こいつら……何なんだよ……)
彼らにとって魔王が害悪。これは星自身も納得していることだ。歴代の魔王が迷宮を生み出し、魔物を生み出したことで人類に与えた被害は計り知れないだろうから。たとえ世界を維持するために必要なシステムだと分かっていても、感情論的に許せないのは理解できる。
しかし竜脈を管理する竜種を蔑み、侮り、あまつさえ素材や騎獣のようにしか考えていないことに関しては星は理解できなかった。
そんな星の様子を感じ取ったクリスタルは静かに口を開く。
「……お前も分かっただろう? これが人類だ」
状況は詰みそうなだけではない。投了すらも許されない事態にまで進行していたのだ。各自然を管理する精霊王は全て隷属され、竜脈を管理する竜は氷竜王クリスタルのみ。悪魔種も全て封印、討伐されているため星を助けてくれる味方などいない。奇跡など初めから存在しないのだ。
どうしても助かりたければこの場を自力で生き残るほかない。
生まれて初めての『人殺し』をして……
「ああ、分かったよ」
そして星はそう答えた。
甘かったのだ。魔力の精霊王としてこの世界に生まれ変わったときから呪いのように宿命づけられていた人類の敵としての生活。どこかで人間と妥協点を見つけ、仲良く暮らせると思い込んでいた。
だが星は魔王だ。魔王とは『魔王』だからこそ魔王と呼ばれる。
地球の物語で人間と魔王が敵対するように、この世界でも人間は星を敵視する。それは星がどう足掻いても変えることの出来ないモノだった。
「何が魔力の精霊王だよ……」
この極寒の霊峰でも寒さを感じず、酸素の薄い上空でも苦しさはない。常に身を護る《障壁》を展開すれば大抵の攻撃は防げるだろう。例えば前世の星を殺した銃弾さえも弾くことが出来るはずだ。
だが、この心を抉るような苦しさだけは防いでくれない。
「何が中立の存在だよ……」
魔力の精霊王は生物が発した魔力を迷宮を介して生命エネルギーへと変換し、竜脈に戻す役割がある。それ故に中立の立場。生命エネルギーと魔力という自然界を担うエネルギーを管理する精霊は誰からも敵対されないと思っていた。いや、思いたかった。クリスタルからの予備知識もそれほど深刻には受け止めなかったのだ。
だが実際はこれほどまで敵視され、もはや和解という選択肢はない。星が何もしていなかったとしても、生まれたときから有罪の烙印を押されているのだ。それは人類基準の自分勝手な烙印だ。だが星には自己弁護することすら許されていない。
星にとっては理不尽すぎる世界。もしも自分を転生させた神がいるならば、呪い殺せるとすら思えた。
「さてと……納得したかな? いや、したよね害悪」
目を伏せて震える星を眺めつつジュリアスはそう告げる。そして竜殺剣をゆっくりと上段に構える。それに合わせてヘンリーとアンジュリーも竜殺剣を構え、さらに騎獣である低位竜に指示を出して更に上昇した。
低位竜は竜王に比べれば小型で弱いが、その分だけ小回りの利く動きが出来る。全長五十メートル以上もある氷竜王クリスタルは慌てて冷気を強め、次の動きに備えることしかできなかった。
しかしジュリアスはそれを鼻で笑いながら口を開く。
「ふふっ。その程度で防げると思うなよ。ヘンリー、アンジュ、僕に合わせろ!」
「はい」
「ええ」
すると上段に構えた竜殺剣の刀身が黒い靄のようなものに包まれ、強い負の気配を放っていく。そしてそれと同時に彼らが騎獣としている低位竜が少しふら付いた。
それを見たクリスタルは声を荒げて叫ぶ。
「貴様ら! 竜脈の生命エネルギーを利用する気か!」
「まさか騎獣に生命エネルギーを供給させているのか!?」
クリスタルの叫びに星も驚き声を上げる。
確かに星が集中して魔力の流れを見てみると、低位竜が地脈から生命エネルギーを受け取って騎士へと渡し、そして騎士がそれを竜殺剣に注いでいることが分かった。そして混沌属性である竜殺剣は強い瘴気を纏って黒く染まり、全ての命を刈り取るような凄まじいオーラを発しているように感じられた。
拙いと判断した星とクリスタルは即座に回避行動を取る。しかしそんなことはさせないとばかりに三人の騎士は声を揃えて剣を振り下ろした。
『《瘴覇竜滅斬》!』
振り下ろされた竜殺剣の刀身から黒い斬撃が三日月状になって飛び、それが三方向から一点に向かって降ってくる。星は咄嗟に無効化しようとしたが、法則属性である混沌は無効化できないことを思い出して横跳びに回避の続行を選択する。そして巨体のクリスタルも一早く動いて三つの《瘴覇竜滅斬》を避けようとしていた。
偶然にも星とクリスタルは全くの逆方向に回避し、星は空中へと投げ出されることになる。だが星は慌てずに空中に《障壁》を張って足場にした。同様の方法で霊峰の斜面からクリスタルや第五騎士団が戦っていた空中へと移動していたので、パニックになることなく冷静に対処できたのである。
そして急いで上空を見上げて三人の騎士を視界に収めようとしたが、その瞬間に三つの《瘴覇竜滅斬》が一点でぶつかり炸裂した。
「くっ!」
「ぐうぅぅぅ……」
混沌属性によって作られた濃密な瘴気の固まりが同時にぶつかり合い、まるで爆風のように瘴気を広範囲に広げて星とクリスタルに襲いかかる。星は体に纏っている《障壁》のお陰で瘴気によるダメージを受けなかったが、クリスタルに関しては濃い瘴気を直接受けて大ダメージを負っていた。
生命エネルギーを削り取ってダメージを与える瘴気は毒よりも質が悪い。有効な防御手段を取ってなければ問答無用で致命傷を与えるからだ。
ましてや竜脈から吸い上げられたエネルギーによって強化された混沌属性の攻撃は威力が桁違いである。如何に拡散していたとはいえ、瘴気を直に浴びてしまったクリスタルは一撃で満身創痍となっていた。
「おい竜王!」
星はそう叫ぶが、クリスタルに返事をする余裕はない。飛行することすらも維持できず、そのままフラフラと霊峰の山頂に不時着したのだった。普通の生物よりも耐性の高い竜種であり、さらにその中でも特別な竜王にすら一撃で致命傷を与える……それが竜殺剣と言われる所以だ。星も《障壁》が無ければクリスタルと同じく瀕死か、酷ければ魔力体が消滅して死亡していたことだろう。だが無属性魔法《障壁》は物理的な硬さだけでなく、魔力を通さないという性質を持っている。この性質のお陰で万能の防壁として機能しているのだが、今回はそれに救われた形だった。魔力の掌握と違い、《障壁》は法則属性にも対応できるのである。
そしてこの結果を遥か上空から見ていた三人の近衛騎士は星を見下しながら会話する。
「やはり魔王だけは生き残ったね。あの《障壁》は厄介だ」
「ですが竜殺剣で直接切れば《障壁》ごと切り裂けます。何なら俺がやりましょうか?」
「ヘンリー待って。どうやら第三騎士団が大魔法を使おうとしているみたいよ。私たちは竜王を倒したのだから魔王を殺す栄誉は彼らにあげましょうよ」
「アンジュの言う通りだね。それにあの規模の魔法は滅多に見られないから見学させて貰おう」
「……それもそうか」
それだけでなく、三つの《瘴覇竜滅斬》がぶつかって炸裂したことによる瘴気がまだ消えていない。制御から離れた瘴気は時間経過で自然消滅するのだが、今回は濃く瘴気を練り過ぎたせいで中々消失しなかったのだ。
そして見れば第十九艦と第二十艦に搭乗している第三騎士団が大魔法の準備をしていた。魔法による遠距離攻撃のエキスパートたちが準備を整えているならば、自分たちが瘴気の中に突っ込んでまで魔王殺しの栄誉を手にする必要はないと判断したのである。
第十九艦で第三騎士団を指揮していた第三騎士団長レイナ・クルギスは良く通る美しい声で命令を下す。
「十九艦で極大多重炎風複合魔法《紅蓮鳳炎砲》を起動用意。二十艦は収束魔法陣を五連展開。照準を魔王として全力で放つ。カウント五で発射だ!」
『はっ!』
「五、四、三……」
第二十艦の騎士たちが発動した魔法によって十九艦の飛行船の先端に五重の魔法陣が展開される。それには複雑な幾何学模様が浮かんでおり、魔法陣の円は船の先端から順に徐々に小さくなっていた。
そしてその十九艦に乗る騎士が準備しているのは炎風複合魔法《紅蓮鳳炎砲》。これは炎と風の属性によって凄まじい熱と炎を放つ魔法であり、先に氷竜王クリスタルへと向けられたものと同じ魔法だった。
「……二、一、極大多重炎風複合魔法《紅蓮鳳炎砲》発動!」
カウントを終えて発射を命令する第三騎士団長レイナ。団員たちはそれに答えるように心を合わせて大魔法を行使したのだった。百人以上が力を合わせて発動させる極大多重魔法。上手く発動させるには相当な修練が必要となる高等技術だが、常日頃から訓練を欠かさない第三騎士団は難なく発動させてみせた。同じ魔法を百人以上が同時に発動することで相乗効果を発揮し、一騎当千の英雄に届くような魔法が放たれる。
さらにそれは魔法を収束させる魔法陣によって収束され、さらに威力を高めていた。五連の収束魔法陣によって直径十メートルはある熱線砲を直径一メートルにまで圧縮し、その温度は数百倍にまで上昇している。それによって紅蓮色の炎は輝く蒼色に変化し、霊峰の寒さを吹き飛ばしていた。
《蒼白龍炎砲》
激しい光を放って一直線に星へと向かっていた。
「くっ!」
星は眩しさに片目を閉じながらも右手を翳して受け止めようとする。魔王の力である魔法の無効化ならば対抗できると考えたからだ。
しかし《蒼白龍炎砲》の先端が右手に触れた途端に星は違和感を覚える。
「魔法が消えない? いや、消えた端から補充されている!」
本来の《紅蓮鳳炎砲》は魔力を注ぎ込む限り熱線を放ち続ける魔法だ。それを収束させただけの《蒼白龍炎砲》も同様なのである。だからこそ星が魔法を消すたびに熱線が補充され、拮抗する形となっていた。
いや、拮抗は十秒ほどでしかなかった。
星の演算能力の関係で無効化処理が追い付かず、次々と押してくる青い熱線に耐え切れなくなったのである。魔王が魔法を無効化するには魔法に使用されている魔力を掌握する必要があり、その掌握のためには結構な演算能力を必要とする。何度も魔王を討伐してきた人類はそれを理解しており、魔法の無効化は連続で行えないことを知っていたのだ。
本来ならば連続五分程度は持つのだが、星は魔王の力に慣れておらず、さらに氷竜王が倒されてしまったことで動揺していた。だからこそ十秒で競り負けてしまったのである。
「があぁぁぁあああっ!」
それでも身体に纏っている《障壁》は何とか機能していたらしく、星は体を焼き尽くされることなく青い熱線に飲み込まれる。そしてそのまま背後にあった霊峰へと突っ込み、大きな地響きを立てながら奥の方へと捻じ込まれたのだった。