煉獄の星女3
「……いくぞッ!」
ウラエウスの剣の熱によって沸き上がった潮の白煙は、彼女の姿をすっかりと覆いつくした。
私は焦りと白煙から逃れようと上下左右に大きく機動したが、白煙の広がりの勢いは猛烈なものであった。さらに激しい機動の跡から自身の位置を知らせてしまうことに気が付いた私は脱出を一時あきらめるしかなかった。
しかし、完全に止まってはならないことも意識のうちにあった。
海面すれすれを這うように低速飛行しながら全周に感覚を集中させていると、飛行機のエンジン音のようなキーンとした高音が白煙の中を駆け抜けた。そしてその音の正体を理解するまでもなく直後に私の右側からとてつもなく強い風が吹きこんできた。
覚えのある風であった。それは先ほど受けた彼女の斬撃から生まれる衝撃刃に伴う風圧であった。
彼女は私の右側の何処かで剣を振ったに違いないが、それは私のいた方向とは大きく外れていた。もしかして威嚇しているのか?そうでなければ斬撃を外したことは一体何を意味するのか?
衝撃刃と風圧によってあれた海面は再び元の落ち着きを取り戻し、一時は晴れたかのように見えた白煙もまたふたたび静寂と共に私たちを包み込んだ。
…………
………………
……………………。
あたりは穏やかな波のおとのみで、それ故に緊張から来る心臓の高鳴りが己の内より響くのがわかった。
そして喉と下腹部がギュウと締め付けられる感覚に襲われ、海水由来の白煙のジメジメとした湿度と吐き気を催すような緊張感もあいまって私の頭から足先まで汗がポツポツと滴っていたのであった。
(これは……どうすれば、どうすればいいの……?)
視界が得られない……どこに逃げればよい……?
(上空はだめね。白煙は上に登っていくのだから)
私はちらりと足元の海面を見た。とてつもない深さだが、非常に高い透明度のために空色の海底がうっすらと見える。
(そうだっ!)
私はズバンッと海中に飛び込むと辺りを見渡した。透き通った海中は、白煙立ち込める上空より何倍もあたりを見やすかった。動きは制限されるが、今度は視界の確保ができたぶん安心感があった。
ズバンッ!
背後に水に飛び込む音を感じると、数十メートルさきの海中に彼女が揺らめいていた。
彼女は剣の切っ先をこちらに指向し、突きの構えをゆっくりととった。
動きが制限されているとはいえ、こちらはいつでも攻撃に対処できる(心身の)態勢をとることができている。さらに彼女の構えから次に繰り出される攻撃は実にわかりやすい。これは即ち、一発逆転の反撃を打ち込める公算が大きいことを意味していた。
だが、海中では武器の原料となる希ガスを集めることはできない。代わりにできること、それは己のうちに残る電力を濃縮して一撃必殺として至近距離から打ち込むしかなかった。
チャンスは一回。
私は額の前で右手こぶしを作り上げると、そこに電力を集中させた。彼女がこの決闘じみた一騎打ちに付き合ってくれることを願いながら。
すると彼女は私の意を解したのか、笑みをみせ首をコクコクと振った。彼女のサムライ的性格が長年の復讐の炎によって歪められていないことに私は安堵した。
一騎打ちの準備は整った。
静寂を突き破って攻撃を仕掛けたのは私の方であった。彼女も間髪入れずこちらに突っ込んできた。
1秒間よりも短い世界に多くの情報が生まれた。その中でも特筆すべき出来事が二つあった。
私が彼女のお腹に一撃を見舞ってやったこと。そして。
彼女が私の左腕と側腹に決定的な攻撃の跡を残していったこと。
海中にもうもうと立ち上る血煙。二頭筋の半分くらいを残して消え去った左腕。そのどれもが非現実的で認めがたいものであった。
(……負けた……?)
痛みも息苦しさも感じない。
ぼんやりと海中へ差し込む太陽の光をみつめる。視界の隅に彼女が向かってくる姿があった。
彼女は生きていた。
(終わった……まけた……)
私のもとまで寄ってきた彼女の顔を見つめると、皮膚がただれ左目が破裂していた。普段は笑うとかわいいお姉さん顔の彼女もまた無事では済まなかったようである。
彼女は壊れかけた口で何かをつぶやくと、私の右腕を握りグンッと体ごと放り投げた。
私のからだは海中と立ち込める白煙からとびぬけ、グルグルと上空へと吹き飛ばされた。
(あぁ……これが”介錯”ってやつね……)
いつしか体は白煙が立ち上ってできた濃い黒色の雷雲の中へと舞い上がっていた。そこは地獄の底のように紫や白、青の稲妻がそれぞれ暴れくるっていた。
(かみなり……いなずま……すごいなぁ……きえるまで、けっして、いきおいがおとることがないのだから)
視界の端に彼女がこちらに向かって飛んでくるのが分かる。彼女が携えるは本当の最後の一撃。
私の目の前で青と紫の稲妻が衝突し、はじけとんだ。目を開けていられないほどの衝撃とひかりであった。
(…………?)
ふいに体の自由がきくようになった。いや、意識が目覚め始めたというかんじだった。
それと同時に何百か所を思い切りつねられたような痛みが左半身を襲う。私は耐えられず叫んだ。
(いたい! いたいいたい! いたいよぉ!!)
痛みを和らげるためのハッハッハッと小刻みに吐く息が、自身に生の自覚をあたえた。
「まだ死にたくないよ! っていうか死んじゃダメでしょ! いたいいたたたt!! ちくしょう!ちくしょう!! あああああああ!! 絶対に負けてらあああああああっっ!!!」
私は声に出してはっきりと叫んでやった。彼女と自分自身に対してもう一度明確に宣戦布告をしたのであった。
すると私の感情にあわせるかのように周りの稲妻たちは強さと輝きをましていくのであった。
「なにが、煉獄よ!! ほんとうの煉獄の使い方ってものをわたしが教えてあげるわぁッ!! あいたたたたたたッ!!!」
私は再び、下方から迫りくる彼女と向き合った。
そして雷雲が彼女を包み込むとき、私は自身の姿を蒼い稲妻にかえ、一気に彼女を包む雷雲の中を突き抜けた。これは本当に私から彼女に送る最後の一撃であった。
「ギャアア、アアアアアッ!!」
彼女の断末魔が背後に響く。だが、彼女の生死を確認することなく私は海面へとおち、海中で意識を失った……。
……
…………
………………
「ってそれで! そのあとはどうなったの!?」
あきらが私の膝枕から顔をずいっと上げて食いついてきた。
「うふふ、まぁまぁ。このお話で私が言いたいのはね……」
「んふーっ! ふーっ! んーっ!」
あきらはすっかり興奮している。私は愛しい大きなわが子の髪をかき分けながら撫でた。
「……あきらめないことよ」
「んー?」
「最後の一瞬まで何が起こるかわからないの。最後のチャンスは決まってつらい時にやってくるの。あのとき、彼女の巻き起こした白煙が結果的に雷雲になって私のチャンスにつながったのよ」
「ふーっ!ふーっ! 危なかったねぇ、ママ」
「そうねぇ。私があきらちゃんに最後まで粘る力をつけてほしいのは、こういう危ない経験があるからなのよぉ?」
「うへぇ……でも頑張るよ……ししし」
「うふふ、よしよし」
あきらの頭をわしわしと撫でながら、胸元に寄せる。
「ん、あれ? そういえば……」
「どうしたの? あきらちゃん」
「ママ、左腕なくなったんじゃないの……?」
あきらは私の左腕が幻でないか神妙に見つめた。もちろん、断っておくが私の腕は幻ではない。
「うふふ、幻じゃないわ。実はねウラエウス、彼女との物語にはまだ続きがあるのよ……」




