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ママの星  作者: ホモはメンヘルちゃん
13/21

神話を繰るもの

 その女は決して沈黙を破らず、こちらへと歩み寄ってきた。ママもまた、彼女に向かってゆっくりと歩み寄った。


 そうして二人はお互いに目と鼻の距離に立ち止まった。


「…………」 沈黙の淑女は、固く閉じた瞼の奥でママを見下ろした。

「…………」 ママは、深い群青色の瞳をもって彼女を見上げた。


 唯一の仲介人であろう竜輝はいまだ眠りから覚めない。この張りつめた雰囲気の中で私のなすすべはなかった。



 すぅ……と一息、ママが口を開いた。



「ふにゃあああああん!!!」

 突然ママは猫のような鳴き声を発して無口な彼女に抱き着き、その豊かな胸に顔をうずめた。彼女はというとママを軽く片手で抱き寄せ、頭を優しくなでている。よしよし、というように。

 


(えぇぇぇええええええっ!!!???)

 思いもよらない二人の唐突な奇行に、私の口は文字通り開いたままふさがらなかった。さっきまでの緊張感はいったい何だったのか。はたしてこの前置きは必要だったのだろうか。


「ゴロゴロ~にゃ~ん」 「…………」

 ママは怪盗のように私の知らない顔をいくつも隠し持っているようだ。まるでというまでもなく、猫そのもの甘え方で彼女に接している。対する彼女は沈黙を保ったまま猫をあやすかのようにママと接しており、このようなことは手慣れているのだといわんばかりだ。



「ふふふ、ありがとう。 テスタメント……うふふ……」 「…………」

 ママは唐突に人間的なセリフを発したかと思うと、今度はまた目を疑うようなことをし始めた。ママはテスタメントと呼ばれた彼女の下あごから首筋を舌であるいは歯でかるく愛撫しながら、労をねぎらっているのである。彼女は相変わらず沈黙と平静を保っているが、流れに身をゆだねているように首をカクンカクンと動くままに任せていた。



 小さな唇が薄肌を吸う音、たっぷりの水気を含んだ舌が触手のように這う水音、重い熱気を帯びた吐息とうめくような甘い少女の声、そして衣擦れの音。いつの間にか響き渡るそれらの音たちは、とぎれとぎれにささやかれる少女の微笑とともにこの部屋をいっぱいにし、私の精神を犯す空気と化していた。


 それを見ていた私は両手で口を押えるざるを得なかった。梅雨どきの蒸し暑い霧に覆われたような二人の世界から目を離せない自分がいることに対する贖罪の気持ちが、そうさせたのだった。



 数分間、ママの味わうような愛撫はつづいた。だが、とうとう唇を重ね合わせることはなかった。私はママの”労い”がどこまでいくのかについて背徳的な好奇心をもって見守っていたが、案外と一線を超えることなく終わったので、気抜けにも似た安心感を胸に迎えた。



(はああぁぁぁ……なんだかすごぉ……。いつもこんなことやってんのかしら……)



 ママは上半身を私の方へひねり、恥ずかしそうに右手で口を押えた。そんなママの顔は紅潮し、額にはほんの小さな汗の露が光っている。その胸が普段よりも大きく上下しているところから、呼吸が荒くなるほど夢中になってテスタメントにむしゃぶりついていたとみえる。



「うふふ……ごめんね、あきらちゃん。いつもはこんなことしないんだけど、星女を追い払った特別な日だからつい、ね。遅くなったけど紹介するわ、この子はテスタメント。深海領域の管理を担当してくれている子よ。この前の戦いでは海面から援護射撃をしてもらったの。見えていたでしょ? 海から光線のような水が吹きあがっていたのを。」


「…………」 テスタメントは、首だけをこちらに向け、閉じられた瞼の奥から私を見つめた(ように見えた)。



「あ、どうも……あきらです。雨戸あまどいあきらです。よろしくお願いします……」

 テスタメントの服装があまりにもビジカジよりなので、私はつい会社でするような挨拶をしてしまった。実際、彼女のような服装をした会社員は服装基準が緩い弊社にいるとおもう。だが、彼女の容姿に勝るほどの女性がいるとは思えないのである。


 背が高く、脚も長い。全体的に細身であるのにもかかわらず、主張する部位はしっかりと主張している。見れば見るほど、同性でも惚れるほどのお姉さま体型なのだ。ママが甘えたくなるのも仕方のない?ほどの大人の雰囲気をまとっている。



「………………」 テスタメントはやはり一言も発することなく、私から顔を背けるとテーブルに寄せられた椅子に着席した。


「お茶を飲もうね。テっちゃん」 ママはそういうとテスタメントのもとにカップを寄せ、ポットのコーヒーをそれに注いだ。白いカップに今ひとたびの黒い炎が注がれると、それは白い湯気と良い香りを放った。


 すぐにテスタメントはソーサーとカップを迷うことなく持ち上げて、優雅な手つきでそれを飲んだ。それにしてもじつに不思議だ、瞼を閉じているのにここまで動作が自然なのは何故だ。だが、薄目を開けているようには思えない。むしろ薄目を開けていれば動作が不自然になりやすいのだから。


 この動きは瞼が閉じている中でも視力が健全であるか、あるいは彼女が何か特別な感覚に依存しているに違いないことを示唆している。



 ところで、私は観察の傍ら、テスタメントに同席しているものとして黙々とカップを傾ける彼女に何か話しかけねばという義務感にかられていた。張りつめた静かな雰囲気がなんとも耐え難いものだったからだろうか、何らかの会話が喫緊だと思われたのだ。



「あ、あのぅ……て、テスタメントさんの水鉄砲みました。……す、すごかったですぅ。私、竜ちゃんと一緒に陸にいたんですけども……まだなかなかママのお手伝いができなくて……」


「………………」 私はテスタメントの横顔と表情を伺いながら話しかけたが、彼女はこちらに顔を向けることも声を発することもなく、ただひたすらカップを傾けていた。


 それどころかテスタメントからは何の音も聞こえない。全くの無音なのだ、コーヒーをすする音さえも!



「『……とても疲れた。私も、旧支配者も』といってるよ、テっちゃんは」 すると突然ママがテスタメントの代弁のために口を開いた。


「え……?」


「テっちゃんの声はね、とっても強い力を持っているのよ。でもそれはセイレーンである本人にも制御できないものなの。だからテっちゃんはみんなを傷つけないために無口に徹しているんだよ」 とママが説明してくれた。


 なるほど、でもセイレーン……? 童話によく出てくる船員を誘惑して海へと引きずり込むあの伝説のセイレーンだろうか。そして先ほど出てきた旧支配者とは?



「はぇえ、でも聞いたことがあるよ。童話とか伝説に出てくるんだもの。セイレーンさんって人魚様のことだよね? 声がとってもきれいでそれには色んな力があるって。そういえば旧支配者ってなんのこと? クトゥルフ神話のことなら知ってるんだけど。」



 クトゥルフ神話ときいて、テスタメントはピクリとわずかに顔を動かした。だが、彼女はカップの中を見つめ続けるだけでものを言わなかった。



「『科学技術の価値を知らないものには、旧支配者について語る術もない。知識不足のものには到底理解し得ないからだ』って言ってるね。って、ごめんね、あきらちゃん。テっちゃんは悪気はないの、ただ単刀直入すぎるだけなの」 ママが弁明した。


 

 しかし、その言葉に私はカチンときてしまった。確かに私は大学を優秀な成績で卒業することはなかったし(並みの上程度、利子なし奨学金を借りれるくらい)、知識不足を一目で見抜いたあなたはすごいかもしれないけども!


(テスタメントのいうことはごもっともだけど、ママもなんでそれを言っちゃうかしら!? ”科学技術を知らないもの”って前置きされても、そんなこと言われて突き放されたら私がすごくバカみたいじゃない!!)



 私はあらゆる面で能力不足だと思う。それは否定できない事実だ。だが、それはあんまりな言い草だ。


 そんな私の怒り心中を察して、ママはなだめるように言った。



「あー……まぁまぁ、テっちゃんもそんなこと思っちゃダメ。あきらちゃんは、竜ちゃんの命の恩人なのよ。あきらちゃんが命がけで竜ちゃんを沖から救い出してくれたから、こうして団らんができているのよ? 科学技術とか知識不足とかそんなこと、あきらちゃんの勇気の前にはなんでもないわ」


「…………」 そういわれるとテスタメントはカップを傾けたまま固まった。


 

 ものの数分、そのままテスタメントはカップの中を見つめたまま動かなかった。その間、頭の中で何かを考えているようだった。そして、ふと気が付いたように私の方へ顔を向けた。



「『旧支配者とは、大深海に棲息する魚竜たちをベースに兵器として改造したいわば人工生命体だ。人工とは例えだ。僕たちは人のなりをしているが、人ではないからな。』」



 テスタメントのかわりにママが口を開き、彼女の声を補った。そしてそれは続けられた。



「『君がみた”水鉄砲”の主はTEL(移動式高射砲)タイプの旧支配者だ。コードネームは”イグ”。細長いトカゲのような体躯が特徴の魚竜をもとにして造られたやつだ。超長射程の高射砲を背負うにはその体躯が不可欠だったのだな』って言ってるよ、あきらちゃん」


 

 どうやらテスタメントは旧支配者について説明してくれたらしい。ママのお宥めのおかげだろうか、それとも私の功績を認めてのことだろうか。なんにせよ、彼女が態度を改めてくれたおかげで私の溜飲はほんのわずか下がったのだった。



「……え? あははぁ……それは言わない方がいいよ。あきらちゃんも私たちの立派な仲間の一人だから、ね?」


 しかし、またしてもママが不穏なことを口にするのだった。ママもなぜこんなことをいうのかはわからないが、今更ながら都合の悪い部分を隠そうとした態度に私はもう我慢ならなかった。



「もう、何かあるのだったらはっきりと言ってちょうだい!」 ついに私は静かな怒りを込めて言い放った。



 その私の態度に、ママはわずかに驚きそして悲しげに眉をさげた。そんなママの顔を見ると私はハッと我に返ってしまったのだが、もはや振り上げたこぶしを下すわけにもいかない。



「いい?大丈夫、ママが悪いんじゃないの。でも隠し事をされるのはいやよ。仲間なら、全部教えてちょうだい。悪いところは改めるから、言ってほしいの」 そう私は言い切ってやった。


 

 ママは言うのをためらっていたが、明後日の方向をちらっと一瞬みたあと私の方へと向き直り、口を開いた。



「『これで十分か。残念だが、君はまだ僕の信頼を得るに足らない。たとえママが認めても、だ』って。あぁ、ごめんね、あきらちゃん。この子は意地っ張りなだけなの……」 とやはりママは申し訳なさそうな顔。



「……いいでしょう。あなたの信頼にこたえてあげるわ。ミス・テスタメント。私も、ママだって誰にも負けない努力を尽くしてきたんだから……!」 そんなことを言っても、誰にも負けないという自信はなかったのだが、意地を張ってしまった。


「………………」 テスタメントは立ち上がり、私の目の前まで歩み寄ると彼我の身長差をもって私を威圧した。そう、私の言葉はママに尽くすもの同士にしか伝わらない宣戦布告であり、彼女はそれを受けて立つと答えたのだ。


 私もまたテスタメントの瞼をにらみかえした。この年でこのような大人げないことをするとは思わなかったが、これは戦争なのだ。ママを争奪する戦争、彼女の信頼を得るための闘争、どんな手段をもってしても負けられない戦いだ。




 起きてはならない内輪もめ、それがどのような結末を招くかは容易に想像できたことだったが……。

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