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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

月華蝶/月の大地

瑠璃色の踊り子

※成人向けではありませんが、百合などが苦手な方には不向きな内容となっております。

◆ 胡蝶の娘


 その人はいつだって踊り子に夢中だった。

 青く美しい輝きの身体。真似のできないステップはあらゆる者の目を奪い、あっという間に花の深いところまで入り込んで蜜を奪っていく悪魔。

 彼らの餌食となった花は、ついでに心まで奪われてしまって、また夢見心地な気持ちにさせてはくれないかと、青の踊り子をいつまでも待ち続けてしまうらしい。

 じゃあ、この花もそうなのかしら。

 わたしは半ば蔑むような気持ちで空を見上げ続ける花の子を睨み付けた。訪れたわたしのことに気付いてもいないらしい。花の心をすぐに掴むこの容姿も、彼女の前では無意味のよう。

「ちょっと」

 たまらず、わたしは花の子に声をかけた。すると、やっと花の子はわたしの存在に気づいて、こちらをやや驚いたような目で見つめてきた。

 間抜け面もいいところだ。わたしは態度を緩めずに彼女に文句を言ってやった。

「このわたしを無視するなんて、花のくせにいい度胸ね。今日も来てやったのだから、さっさとこっちにいらっしゃい」

 我ながら偉そうにそう告げると、花の子はやけにかしこまった様子で従った。その態度がまた、わたしに不満をもたらしてくる。さっさと、って言ったのに、どうしてこうも遅いのかしら。その理由がよく分かっているからこそ、わたしは更にいらいらした。

 青の踊り子。まったく忌々しい。どこにいるかも分からないくせに、どうしてこうもこの子に好かれているのかしら。この花はわたしが拾った子。逃げもせずにわたしに従う子。だから、わたしのもののはずなのに。

「何を見ていたの?」

 ゆっくりと近寄ってきた花の子をちっとも待てずに捕まえてから、わたしはその目を見つめて訊ねた。被虐的な目。どこまでも支配されるものでしかないこの目。でも、その奥には確実に奴がいる。

「空を見てたの……」

 泣き出しそうな声で花の子は答えた。

「いい天気だなって」

 うそだ。期待しながら見ていたことくらい、わたしには分かっている。初めて会った時からそうだ。どんなにわたしが傍にいても、どんなに優しくしても、彼女の心から踊り子は出て行ってくれない。

 踊り子がこの子の前に現れなくなってどのくらい経っているのだろうか。

 動くことも出来ないごく当たり前の木々が取り囲む、誰からも忘れられたかのようなこの場所で、遥か上に見える青空を仰ぎながら、彼女は唄を口ずさんでいた。この森で最も弱い立場にあるはずの白い花の一族だというのに、まるで何の危険も迫っていないかのように彼女はふるまっていた。

 あの時から変わらない。

 生きるために花をかどわかして蜜を吸い、時にはその命まで奪ってしまうような胡蝶のわたしすらも恐れなかったのだから。今だって同じ。いつ、わたしの気が変わって殺してしまうかも分からないのに、この名もなき花の子は恐れもしなかった。

 命じれば面白いくらい素直に身をゆだねる花の子を抱きながらその蜜の甘さを静かに感じていても、遥か上の青空と違ってわたしの心は曇ったままだった。

 踊り子が何だというのだろう。

 最後に会いに来てから随分経っているはずなのに、そんなにも奴との蜜吸いが心に焼き付いているのだろうか。どんなに誘いを受け入れられても、蜜を受け取っても、わたしの心は満たされない。だって、いつもいつもこの子の心には忌々しい音で羽ばたくあの鳥がいるのだもの。

 視界が歪んではっと気づいた。

 わたし、泣いていたのかしら。

「どうしたの、胡蝶」

 蜜を吸う手も止まり、花の子が心配そうにわたしを見上げた。

「具合、悪いの?」

 心配そうなその表情。けれど、やっぱりわたしの心は晴れなかった。

 分かっている。素直に慣れないのはわたしの方。見えもしない彼女の心を勝手に想像して、一喜一憂するわたしの方だって。

 でも、頭で分かっているからといって、止めらるものでもない。結局、わたしの態度は変わらないまま。花の子から視線を逸らして素っ気無く答えることしか出来なかった。

「何でもないわよ」

 逃げるようになってしまうのは何故だろう。

 蜜の味だけではない。花の子が踊り子に夢中になっているように、わたしもまたこの花に夢中になっているのだろう。


◆ 白い花の子


 その踊り子が最後に訪れたのはいつだっただろう。

 森という場所は危ない。そう教えてくれたのは踊り子だった。高貴な青をまとうその姿は神々しくて、時折見せてくれた華麗なステップは、真似も出来ないほど見事なものだった。その踊りに少しでも近づきたかったから、わたしは必死に歌を練習した。花の唄なんて、頻繁に聞こえてくる歌鳥たちに比べられないくらいのものかもしれないけれど、それでも踊り子は来るたびに褒めてくれた。

 ――昨日よりも上手だね。おかげで踊るのも楽しいよ。

 お世辞だったとしても、贔屓目に見られていたとしても、わたしは嬉しかった。

 だって、踊り子はいつだってわたしの味方だって知っていたから。その愛を感じられるだけで、わたしは満足していた。瑠璃色はわたしにとって安心の色。安全な場所でほんの少しの光と水、そして清らかな土に恵まれながら過ごすわたしの孤独な心を、踊り子が癒してくれたらそれで十分だった。

 だから、突然一人にされて、わたしは戸惑ってしまったのだ。

 いつも踊り子が来てくれた空を見上げながら、わたしは待ち続けた。

 蜜を吸ってくれるものがいなくても、わたしは確かに枯れないけれど、こんな寂しい場所で一人きりで芽吹いてしまったわたしの心は枯れてしまいそうだった。

 一日目、二日目は疑問に思っただけだった。一週間は心配を深めただけだった。一か月、二か月、三か月と経って、さらに一年経ってしまって、わたしは思い知った。

 踊り子はもう来ない。わたしは捨てられてしまったのだろうか。それとも――。

 森という場所は危ない。わたしのような弱者はもちろん、あらゆる危険を教えてくれた踊り子にとってもそうだったのだとしても、不思議ではない。

 けれど、そんな現実を受け入れるのはあまりにも辛くて、わたしは歌を唄い続けた。踊り子に褒められた唄を必死に歌い続けた。その旋律が、そして込めた思いが、彼女を運んできてくれたのだろうか。

 胡蝶。

 その種族のことは踊り子がかつて教えてくれた。

 美しく、可愛らしいのは見た目だけ。花として未熟なうちは彼らの口車に乗ってはいけない。十分成長し、賢くなってからでないといいように利用されて終わるだろう。そう教えられてはいたけれど、踊り子が来なくなってずいぶんと経ったこともあって、内心、その胡蝶の訪れは嬉しかったのだ。

 どうせ踊り子は来ないのだ。このまま殺されたっていい。

 胡蝶を恐れないわたしを、彼女はきっと世間知らずだと思っただろう。

 そう思わせておいて、支配されたように見せかけておいて、わたしは彼女の心にそっと忍び寄った。踊り子の蜜吸いに比べれば、胡蝶の蜜吸いはどこまでも乱暴だったけれど、不器用ながらも加減してくれているのを感じた。

 かつて教えてもらった胡蝶とこの胡蝶は若干のずれがある。

 わたしの蜜を気に入ったのか、それから彼女は毎日来るようになった。

 ――来るかどうかも分からない。生きているかも分からない鳥なんかにいつまで酔いしれているつもり?

 わたしの心に踊り子がいると分かって以来、名も知らぬその胡蝶は時折、踊り子を貶した。けれど、特に不快には思わなかった。その代り、違う感情がわたしの心に浮かんだのだ。

 嫉妬している。

 分かり易いほどに分かり易くて、わたしの心の中で意地の悪い笑みが浮かんだのを確かに感じた。自分でも知らなかったけれど、きっとわたしは残酷なのだろう。嫉妬させればさせるほど、勝ち誇ったかのような満足感が生まれ、さらに、意地になって必ず会いにくる胡蝶が愛らしくなって、ずるずるとその関係を深めていくばかりだった。

 いつかは言いたいと思っていた。踊り子はもう来ないのだから、貴女と会える方が楽しみだと伝えたい気持ちもあった。それでも、もう少しだけ、もう少しだけ。優位な立場にいたいあまり、そして、踊り子との思い出を過去のものにしたくないあまり、わたしはその機会を何度も見送ってきた。

 けれど、この関係はいつまで続けられるのだろう。

 当たり前だと思っているこの日常にだって終わりは来るのだ。

 胡蝶の涙を見た瞬間、わたしはふと我に返った。

「何でもない」

 彼女はそう言ってすぐに涙をぬぐったけれど、一瞬だけみせたその顔があまりにも不安だったものだから、思わずわたしは胡蝶に抱き着いてしまった。

 かつて踊り子から胡蝶という種族について聞いている。それは彼らの残酷さばかりではない。胡蝶が強く振る舞えるのはわたし達のような花くらいのもので、それ以外の殆どの者からは手頃な獲物にしか思われていないのだと。

 踊り子よりもずっと、この胡蝶には危険が潜んでいるのだ。

 この日常にもいつかは終わりが訪れる。それがどんな終わり方なのか、知ることはできない。もっと先の事かもしれないけれど、ひょっとしたら明日の事かもしれない。それが怖くて怖くて仕方なかった。

「胡蝶……」

 それでも。

 それでも、わたしは、彼女に言えないままだった。

 わたしの心に潜む踊り子がその踊りを遥か過去のものにしたくない。胡蝶との思い出はいつまでも現在のもののままでいてほしい。そんな願いが強いあまり、そんな日常を崩したくないあまり、わたしは素直になれないまま、ただ全てを運にゆだねるばかりだった。

 どうか、この日常の終わりは緩やかなものでありますよう。

 誰にも知られないまま、もう少しだけ、この優越感に浸らせてほしい。

 そんなわがままな気持ちと共に、わたしは胡蝶に囁いた。

「もっとわたしの蜜を吸って」

 その感覚の果てに、わたしの脳裏で在りし日の踊り子の影がちらついたような気がした。

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