こんな夢を観た「大きなブルドッグ」
川向こうにあるセメント工場の施設の中に、高さが10メートルほどの囲いがある。窓1つない、打ちっ放しのコンクリートだ。
唯一の出入り口には、頑丈そうな大きな南京錠が掛かっていて、どこかものものしい。
たぶん、資材置き場だとは思うが、イヌも一緒に閉じこめられているらしく、前を通る度に、ワンワンと大声で吠える立てる。
イヌがそこにいる以上、ご飯を与えたり、散歩をさせたりするはずだが、その様子を見た者は誰もいなかった。
そうなると、当然のように、色々な噂が立つ。
「セメント工場というのは表の顔で、実は化学薬品の実験をしているのかもしれないぞ」桑田孝夫が真顔で言う。
「化学薬品って、たとえばどんな?」わたしは何だか、不安になった。同じ町内に危険な工場があるのだとすれば、心穏やかではいられない。
「まあ、生物兵器だろうな」ずばっと、恐ろしい事を言ってのける。「動物を、生きたままゾンビに変えちまうんだ。ゲームや映画でもあったろ、そういうの。絵空事だと思ったら間違いだぞ。案外、現実の方が先を行ってることだってあるんだからなっ」
「じゃあ、囲いの中にいるのは、実験にされたイヌってこと?」
「そういうことだ」
なるほど、厳重に戸締まりされているわけだ。
「なあ、むぅにぃ。あのさ――」桑田が言いかけるのを、わたしは制した。
「だめだめっ。忍び込んで、鍵を盗み出すって言うんでしょ? ばれたら、まずいって。それに、本当に実験動物で、危険なやつだったらどうすんの?」
「なんだ、そこまでわかってるんだったら話は早い。今夜、セメント工場の前で待ち合わせな」
「な、ちょっと。行かないよ、そんなところ。行かないからね?」わたしはくどいくらいに念を押した。
その晩、わたしはセメント工場の門に寄り掛かって、桑田が来るのを待っていた。もう、かれこれ30分も。
「わりい、わりいっ」悪びれるふうも見せず、のんびりとやって来る。「結局、来たんじゃねえか。しかも、待たされてやがんの」
「誰が待たせたのさ。それに、ほっとくと何をしでかすか心配なんだよ」
「よし、じゃあ、行くぞっ」桑田は門をよじ登ると、ひらりと向こう側へ飛び下りた。わたしも渋々、あとに続く。
夜遅いというのに、2階の事務所の灯りだけがついていて、人影が行き来している。夜間は、守衛の詰め所として利用されているのだろう。
「鍵があるとすれば、あそこだな。陰に隠れて、しばらく見てようぜ。そのうち、工場の巡回に出るはずだから、隙をついて探そう」桑田は言った。こういう事に関しては、妙に頭が働く。
わたし達は、砂利山のそばで身を低くして待った。
果たして、人影の動きに変化が現れる。懐中電灯の光が何度か窓を照らし、ドアの開け閉めする音が聞こえた。靴音はやがて、廊下に響き、そして外のプラントへと向かう。
「今のうちだ」桑田とわたしはこっそりと2階へ上がり、事務所に入る。
ドアの脇の板に、たくさんの鍵がぶら下がっていた。打ちつけてある釘のすぐ上には、各室の名前が書き込まれている。
「この『ちはやブル』って、もしかしたらイヌの名前かも」わたしは思いつきで言った。
「なるほど、他のは『設備室』だとか『資材置き場』とかだもんな。その鍵を試してみるとしよう」
わたしは、「ちはやブル」と名札の貼られた鍵をポケットに入れる。
例のコンクリート製の囲いの前までやってきた。イヌは寝ているらしく、これだけ近づいているのに、うんともすんとも反応しない。
「鍵を挿してみるね」ごくん、と唾を飲み、南京錠に鍵を挿入した。カチャリ、と小気味のいい音がし、いとも簡単に開いてしまう。
「開いたな……」桑田も興奮を隠せないようだ。「そっと開けるぞ。やばそうだったら、すぐに閉めちまうから、用意しとけよ」
厚いコンクリートの壁は、ごりごりと音を立てて開いた。天井がないため、工場の夜間灯が差し込んで、周囲をぼんやりと照らす。
「何かあるね。柱かな?」わたしは目を凝らした。大人がようやく抱きかかえられる太さの柱が、1本、2本……全部で4本立っている。
「それだけじゃないぞ。船の係留に使えそうな、でっかい鎖。何に使うんだろう」
その鎖がじゃらっと鳴った。続いて、4本の柱もぶるっと震える。
「何だっ?」桑田とわたしは、同時に上を見た。爛々と光る大きな目が、こちらをじっと見すえている。
ブルドッグだった。とほうもなく大きい! 鼻の穴に、人間の大人の頭がすっぽりとはまってしまうほどだった。
ブルドッグは小首を傾げて、吠えようか、どうしようかと考えあぐねているらしかった。
「今すぐ走って逃げる? それとも、そっと後ずさりしてドアを閉めちゃう?」パニックになりそうなのをどうにか押さえつけ、わたしはささやいた。
「そ、そうだな。そっと逃げてみるか」桑田は後者の案に賛成した。
ゆっくり出口の方へと下がっていくわたし達。ブルドッグはその様子を目で追っていたが、興味を惹くことではないと判断したのか、フワアッと大きなあくびをし、前足を枕に寝息を立ててしまった。
「あれれ、眠っちゃったね」わたしはほっと胸をなで下ろす。
「この距離で吠えられたら、耳がどうにかなっちまうところだったな」桑田も緊張を解いた。「さ、鍵を掛けて帰るとしようか」
できるだけ音を立てないよう、ドアを静かに閉め、元通り、南京錠を掛けた。
懐中電灯の光が、遠くの方でちらちらと動いている。守衛は当分、戻りそうもない。鍵も事務所の壁に戻しておいた。
「それにしても、まるで怪物だったね」わたしは今見てきたことが、まだ信じられなかった。
「うん、ゾンビイヌのほうが、まだましだった。正直、今回ばかりはびびっちまったぜ」




