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和泉夕河の優雅で従者な学園生活  作者: モカブレンド
第一章『始まり編』
8/10

第八話『銀色恋愛相談』

 り~ん、ご~ん。

 室内に掛けられた柱時計が四時丁度の鐘を鳴らした。

 汚れを一切として映さないほどに磨かれた横並びの窓ガラス。

 その向こう側の景色には、白雲をたなびかせた黄昏の色が現れ始める。

 綺麗に磨かれた光沢のあるフローリング。部屋の中央に配置されたテーブルの両側には、横長の椅子が配置されている。室内では部を束ねる主とその妹、そして一人の少年が、椅子に座って穏やかで優雅なひとときを過ごしていた。

 もっとも少年だけは、優雅とは縁遠い生活を強いられていたが。

「下僕ーっ、まだぁーっ?」

 長椅子に座ってティーカップを持っている火乃佳が大きく声を張った。

「もう少し待ってくれー!」

 夕河は声の主に返事をする。

「ゆうがーっ。お腹空いたよーっ」

「はいはい、あとちょっとで完成しますからね~! もうちょっと我慢してね~!」

 遠くから聞こえる雪の声に対応するよう、夕河も叫んだ。

 現在、少年のいる場所はキッチン。

 置いてある巨大で透明な逆円錐型のグラスに、色んなものがぎっしりと詰まっている。

 底面から眺めて、ヨーグルト、ストロベリーアイス、バナナ、バニラアイス、コーンフレーク、イチゴとメロンを交互に添えて、頂点にもうひとつストロベリーアイス。

 これでストロベリーパフェの完成だ。

 隙間ないほどに詰められたパフェを見て、見事なでき映えだと自賛する。

 早速、三丁分(自分の分は見つからないようにこっそり)用意した内の二つを抱え、形が崩れないよう慎重にテーブルへと運んでいく。

「はいよ、お待たせっ」

 対面同士で座っている火乃佳と雪のもとにパフェを一個ずつ置く。

「う~ん、圧巻だね……」

 雪が感想を述べる。

「ふっふっふ、どうだ。美味しそうだろっ」

「ま、下僕にしては良くやったほうじゃない? 評価に値するわ」

「…………」

 お前には聞いてねえよと言いたいところを、なんとか胸の内で収める。

 準備は既に万端らしい。テーブルには銀のスプーンと白地で六つ折りの紙ナプキンが。

 火乃佳も言葉とは裏腹のようで、砕けた表情が幾分しっとりとしていた。

(こうして黙ってると可愛いんだけどなぁ)

 なんて達観して喜んでいると、

「ちょっと下僕! これ○ッキー刺さってないじゃない。なんでよ!」

 と怒りだした。

 前言はさっくり撤回させてもらうことにする。

「いや、お前さっき食ってただろ。パフェに入れる分だけは残しとけって言ったのに」

「食べちゃったものは仕方ないじゃない」

 えへんと自慢するようにふてぶてしく反り返る。

 パフェはこんなにも色鮮やかなのに。

 まるで反省の色がない。

「第一、こうなることも想定して予備を用意しておくのが下僕でしょ?」

「あれが予備だよバカヤロォ」

 むー、と唸りながら、渋い表情で火乃佳はスプーンを握ってパフェを頬張る。

 なんだかんだ言いつつも味には文句言わずに食べてくれるようだ。

(まったく……子供かよ)

 こういうケースでは雪のほうがスマートで楽だ。

 雪を眺める。

 ひょいぱく、ひょいぱくという感じで、次々にパフェを口に運んでいる。

「あうっ」

 雪がスプーンからバニラアイスを落としてしまった。

 しかも下着姿なので、直に太ももに。

「冷たい」

「なにやってんだよ……」

 落ちたバニラアイスが太ももの上で溶けて、今にも零れ落ちそうだ。

「ゆうが」

「ん?」

「舐めて」

 雪が照れている。

 拭いて、じゃないのかよ。

 やれやれとため息を吐いてテイッシュを渡す。

「えー、してくれないんだ」

「それくらい自分でやってくれ」

 またいつもの含み笑いをされたので視線を逸らす。

 実際のところ、美味しい、なんていう風に思ってしまっていた。

 それを見透かされた可能性がある。

 夕河は多少耳が赤くなったのがバレる前にキッチンへ戻る。

 二人が気づかない内にこっそり冷蔵庫に隠して、隙をうかがって食すのだ。

 コンコン。

(うわっ……!)

 どこかからした音に反応して、夕河は持っていたパフェをさっと後ろに隠した。

 火乃佳が前を見つめている。

 それはどうやら、部室の扉を叩く音だった。

 両手を後ろで控えたまま同じように扉のほうへ視線を移す。

「入っていいわよ」

 急な来訪者に動じた様子もなく、火乃佳はすぐに返事をした。

 気がつけば少し前までのゆとり系お嬢様とは打って変わって、腰を据えた態度と澄ました表情、そして落ち着いた声量は、毅然としたおもむきのある有権者の風格そのものだった。

 がらがら。扉が開く。

「……失礼します」

 夕河は目を見張った。

 入ってきたのは、不思議な存在感のある少女だった。

 雰囲気的には雪に近いが、なんていうか、とにかく出で立ちに印象があるのだ。

 まず目につくのは彼女が銀色の髪をなびかせているということ。

 次に澄んだ青い瞳。

 いくら天門院姉妹が外国人みたいな顔立ちと言っても、日本人の特徴が多いことに変わりはない。

 この銀髪少女は違う。物腰どうこうではなく、容姿のベクトルが異なっている。

 率直に言えば、ハーフなのかもしれないということだ。

「……月森唯です」

 彼女は幼気の残る声色で言葉を発する。

 丁寧に身体を折る動作に、夕河は見惚れてしまう。

「私のことは知っているでしょうけど、この学園の理事長の娘である天門院火乃佳よ」

 随分と大層な自己紹介だことで。

 夕河は内心で毒づいた。

「ぼくは雪だよ。よろしくね月森さん」

「……唯でいいです」

 雪が声をかける。

 続いて自分も口を開いて、

「俺は和泉ゆ──」

「こいつの名前は下僕よ!」

 しれっと部長に横槍を入れられる。

 なんでかわからないが、やけに誇らしげだ。

(おのれは、某Sなんちゃら団の団長か!)

 夕河は内心で毒を大量に撒き散らした。

「では、改めて唯さん。この部にどんな用かしら?」

 銀髪の少女は、ぺこりと頭をさげた。

 小さな口が相応に開く。

「……学園の理事長が聡明な方だとお聞きしたので、相談に乗って頂こうかと」

「そう。誰が言ったのか知らないけれど、立派な知り合いをお持ちのようね」

 少女の姿勢に大層機嫌を良くする火乃佳。

(どうせ、嫌味かなんかが教室で広まってたんだろ)

 心中で呟いただけだというのに、部長がこちらを睨みつけてきた。

 心を読まれたのか、悟り系か、怖い。

「で、私にいったいなんの相談かしら?」

 火乃佳は紅茶を口に含む。

「……はい。実は、恋愛相談なのですが」

「────!」

 その発言に天門院姉妹が同時に素早く反応した。

「良ければもう少し話を聞きたいわ」

「立ち話もアレだから、とりあえず座ってもらったらどうだい?」

「そうね、それがいいわ。そうしましょう」

 二人とも声が倍速になっていた。

 突如、躍起になった雪が下着姿のまま少女へ近づき引率する。

 誘導されるままに、銀髪少女が火乃佳の座っている対面の椅子に座り込んだ。

「……美味しそうなパフェですね」

 少女が火乃佳の近くに置いてある食べかけパフェを見つめて漏らした一言。

 ついでに雪のパフェは既にからっぽ! だ。

「大丈夫。唯さんの分もあるわよ」

「えっ」

 反応して口を開いてしまったのは夕河だ。

 気持ち悪いほどぬくもりのある笑顔で火乃佳が見つめてくる。

 部長の視線が超痛い。

「……分かったよ」

 夕河は渋々と背後で抱えていたパフェを献上する。

 どうやら、部長に隠しごとは難しいようだ。


   2


 銀のスプーンが動いている。

 しなやかな手つき、細い指先、艶のある縦長の爪。

 男ではまず見られない繊細な握りで掴まれたスプーンは、窪みにストロベリーアイスを乗せてゆっくりと移動していく。その先にある赤く瑞々しい唇へ。

 ぱくっ。

 小柄な唇の隙間を潜って、ストロベリーアイスとスプーンが一斉に食べられてしまった。

「……美味しい」

 銀髪少女は口元を手で押さえながら、そんな感想を述べたのだった。

「良かったね、ゆうが」

「まぁ、ほとんど既製品からつくったようなもんだけどな」

「ふふっ、そんなことを言っても口元が震えているわよ」

 夕河はついつい嬉しさを内心でこらえていた。

 部長と雪では実感として湧かないが、普通に考えて女の子に自分のつくった手料理を褒められて嬉しくならないわけがない。学園で下僕というフィルターなしに賞賛されたのは重要なことだ。

「さて、早速本題に入りましょうか」

 火乃佳が対面に座る少女と向き合う。

「お客さんこういうお店は初めて? 大丈夫、怖がらなくていいからね。はぁはぁ」

 隣に座っている雪は密着して銀髪少女の膝に自分の手を乗せている。

 そして何故か息が荒い。

 いったいなんの接待をしているつもりなのか。

 特に気に留める様子もなく、銀髪少女は正面を向いて会話を始めた。

「……じつは今、光様という男性と一緒に暮らしているのですが、最近上手く行ってないんです」

「ぶぶっ!!」

 思わず吹きだしてしまった。

 ……まじか。

 あまりのショックに朦朧とする。

 あれですか、ひょっとして同棲ってやつですか。

 青春真っ只中発育真っ盛り、一触即発が一発即触イッパツソクサワになりそうな、ひとつ屋根の下という環境で麗しき魅惑のジェーケーと?

 ありえない。いや、アリエナイ。

 夕河は混乱する頭を手で押さえつける。

 なんていうかあれだ。

 ──単刀直入に言おう。その男は馬鹿だ。

 この子には申し訳ないけど、こんな可愛い美少女と同棲してて上手く行ってないとか、もうね、常識的に考えてありえないですよ。その男のフューチャーは、たった今からノーフューチャーに変わったぜ。未来が許しても自分は許さない。そんな気持ちで胸が張り裂けそうな今日この頃。

 夕河とは違い、他の二人は冷静だった。

 特に部長は姿勢を正して淑女っぽく紅茶を飲み下している。

(あれ、部長って普段はソーサー置いてなかったっけ?)

 ふとそんなことを考える。

 あまり覚えてないので深く気にしないことにした。

 銀髪少女の会話が続く。

「……その、出会って最初の頃は学校でもすれ違うだけで話はなかったんですけど、ちょっとしたきっかけからお互いのことを知り合って、その後は普通に話をしてたんですが、最近になって特に避けられるようになったんです」

 銀髪少女の表情は曇り、少し肩を落としていた。

 一方、夕河も肩を落としたかった。

「ふ~ん。話をしてくれないなんて、ちょっと冷たいのね」

 少年の悩みを火乃佳が代弁する。

(お、いいぞ部長。普段は大っきらいだけど、今はお前の味方だぜ!)

 夕河は心のなかでガッツポーズ。

「……私が悪いんです。光様は誠実な方ですので、きっと気配りが足りなかったんです」

 銀髪少女は表情にわずかな起伏を見せて喋る。

(いや、ありえないよ唯さん! そいつ絶対に隙を見て襲う腹積もりだよ!)

 夕河は概ね嫉妬九割の感情を抱いて内心で悪態をついた。

 雪が口を開く。

「唯さんは、その人とつき合っているの?」

「……それは」

 少女が言葉に詰まる。

 同棲しているからそういう関係かと思っていたが、少し事情がありそうだ。

 というよりストレートすぎじゃないかな?

 聞いているこっちも恥ずかしいが、少女は一段と赤くなって答えた。

「……えっと、一度告白して、断られたんです」

「もう我慢できません俺そいつ殺したい」

「下僕は黙ってて」

「……ふぁい」

 怒られてしまった。がっくし。

「……その、一度は断られて、その後、光様のほうから告白されたのですが、そのときはお互いに大事な話があって解消して、それからは保留になっている感じです」

(よし、殺そう!)

 夕河は背中に天の文字が刻まれそうなほど殺意の波動に目覚めてしまう。

 よ~く分かったことがある。

 その男が、正真正銘の鈍感野郎でまともに告白もできない『ヘタレ』だということ。

 少なくともこの和泉夕河とは違うのだ。

 自分に限って相手の恋心を受け止められないなんていうことは、ない!

 だからこそ、その男が憎いんである。

「ふ~ん。じゃあつき合ってはいないけど、相思相愛ではあるんだね」

「……だと思いたいです」

 雪は何故か、銀髪少女の絶対領域にある太ももをすりすり撫でさすっている。

(気に入ったのか……)

 次に火乃佳が質問をする。

「ところで、もう、その……エ、エ、エ、Aくらいは行ったのかしら?」

 部長の言うAとはおそらく、ABCになぞらえた恋のいろはのことだろう。

 さげていいわよ、という指示を受けて、夕河は空になっていたパフェのグラスを回収する。

 火乃佳が凛々しい表情で、ゆっくりと紅茶を口に含んだ。

「……いえ、Cの片足くらいまでは」

「ぶぶーっ!!!」

 火乃佳が紅茶をスプラッシュした。

 隣でグラスを回収していた夕河は、茶色い水滴の散弾銃をお見舞いされる。

「そ、そそそそそ、そうなの! それはすごいわね!!!!!」

 火乃佳はカップとソーサーを握り締めたまま叫んだ。

 茶飛沫を浴びさせられた夕河は散々だったが、確かに部長の気持ちはわかる。

 Cの片足ってなんだよ。

 ちなみに雪は、銀髪少女の履いている黒色サイハイソックスの縁に指を引っ掛けて遊んでいる。

 お前はテクニシャンなのかようっ。

 銀髪少女は会話を続ける。

「……悩んでいるのはそこなんです。どうしても、その先に行けなくて」

「そ、そうっ! その先ね! その先……そ、その先よね、うんっ……その先……!?」

 自分を納得させるように、その先という言葉を繰り返している火乃佳。

 その先もひったくれもない。

 あるのはもう、コンセントのオスがメスにザクリとか、人差し指と中指の間に親指をズドンとか、下半身のドリルがおにゃのこのなんたらかんたらを天元突破的なアレしか残っていない。

 それまでの過程を終えている。

 つまりはそういうことだ。

「ふんふん。初めてのキスはどこでしたの?」

 雪は常に一直線だ。

 もう少しオブラートに包んでくれると精神的に助かるが。

「……お風呂場で、ですね。月の光が満ちる夜に抱えられたまま」

「ほう……それはいいね」

 雪はおもむろにスカートの暗部へ手を伸ばす。

 が、弾かれていた。

 さすがにそれは駄目らしい。

「あ、あのあの、えとえと、そのののののの、ののののの……!」

 気づいたら部長が目を回してショート寸前まで追い込まれていた。

 端正な顔立ちはなりを潜め、渦を巻いたように慌ただしい心情を体現している。

 左手と右手は独立した動作でしどろもどろに。

 口から漏れでる言葉は、既に言語として機能していなかった。

(落ち着け部長!)

 いつもは憎たらしい部長が、今はこんなにも無残な姿になって……。

 夕河は思わずエールを送っていた。

「……なので、経験豊富そうな部長さんに助言して頂こうと」

「はぇ!? わ、わたわた、わたわたた、わたがしが経験豊富で……!?」

 ワンダーランドの精霊かよ。

 珍しく部長は顔を真っ赤にしている。

 自分がなにを言っているのかも分かっていなさそうだ。

(落ち着け部長、落ち着け部長、落ち着け部長、落ち着け部長……!)

 夕河は両手に精一杯の念を込めて火乃佳に放った。

 それが伝わったのか、突如びくりと背を仰け反らせる火乃佳。

 目をぱちぱちとさせて焦点を元通りに戻していた。

「……ゴホン。そ、そうね……助言。いいわ、この天門院火乃佳が助言をしてあげるわ!」

 取り乱した言動を抑えた部長は咳払いをして言う。

「きっとそう、あれよ! そ、その、む、昔の女の影が潜んでいるんだわ!!」

 と、火乃佳は声を荒らげて叫んだ。

「……昔の、女……?」

(あちゃあ……)

 呆気にとられた表情で、銀髪少女は火乃佳を見つめている。

 やきもきしていた夕河も気を落とす。

 部長が適当なことを口走ったせいで、少女が混乱しているのだ。

(つか、昔の女ってなんだよ!)

 少年がため息混じりに火乃佳へ目配せをした。

 火乃佳は少しの間なにようっ! と言いたげな顔をしていたが、自分が伝えたことの意味を数秒遅れて理解し、額に汗を滲ませている。

 それだけのことを言ったのだ。

「唯さん安心して……」

 急に雪が穏やかな表情で喋りだす。

 少女の手をそっと握り、優しく諭すように。

 やはり、こういうとき頼りになるのは雪なのだなと夕河は思った。

 雪が満面の笑顔で、

「唯さんの太ももなら大丈夫」

 と、のたまった。

(信頼した俺が馬鹿だったよ!)

 夕河はがっくりうなだれて、深く落胆の色を示した。

「……もしかしたら、そうかもしれないです」

「ほほう」

 銀色の髪を散らして頷く少女の発言に、雪は頬を染めて反応する。

 いや、雪さん。太もものほうじゃないと思いますよ?

「……光様は昔のことを思いだしているのかも」

「そ、そうよね。やっぱり、私が思ったとおりだわ……っ!」

 急に顔をぱあっと明るくした火乃佳。

 なんだか知らないが調子が戻ったようで。

「……彼女は明るくて人に好かれる性格をしていたので、光様はきっと……」

「えっ、えっ……!?」

 銀髪少女に映る表情の影が濃くなった。

 それと同時に、部長の取り乱し加減も濃厚さを増す。

(おい部長……落ち込んでるぞ。どうすんだよ!)

 夕河はこっそりと火乃佳に近寄って静かに話しかける。

(し、しょうがないじゃない……私だってその……い、いえ、これも想定通りよ!)

(信じるからな……)

 ぎこちない笑顔の火乃佳を置いて元の場所に戻る。

 まったく強情すぎるのも困りものだ。

 火乃佳が空になったカップを持ちあげながら、声だけは理性的に答える。

「お、押しが足りないんじゃないかしら? 男なんてちょっと誘惑したらイチコロよ!」

「……なるほど。確かに足りてないのかもしれません」

 少女は黙考した。

 偶然の産物か、部長のラッキーガール能力でも発動したのか、歯車が噛み合っている。

 火乃佳は、どやあと言いたげな顔で息を荒くした。

 それを無視する。

 雪は銀髪少女の髪の毛を自分の鼻に押し当て、すんすんと香りを嗅いでいる。

 なにがしたいんだ、アンタ。

「……先日はゴムを用意して待っていたのですが、没収されてしまいました」

「はんにゃああああああっ!?」

 部長が奇声をあげる。

 ついでに空になったカップと、ソーサーを落としそうになっている。

 いい加減テーブルに置けばいいのに。

「……こう、事前に温めておいた布団のなかにティッシュとゴムを仕込んで、めくったら見えるようにしておいたのですが、少し謙虚すぎたのでしょうか。もしくは、私の身体も一緒に火照らせておきましたとつけ加えたほうが良かったのかも……」

 火乃佳は顔面を真っ赤にして放心した。

「……一応、その前日も貴方の身体が抱き枕券ハートマークつきを発行して定め逃げ道を塞いでいたのですが、翌朝に目覚めたら光様は床でダンゴムシのように寝ておられました。あ、ええっと、ベッドは一台しかないので同じ布団で眠っています。補足になりましたが、『人生経験豊富』な部長さんなら理解して頂けるかなと」

 銀髪少女が熱い眼差しで正面のお嬢様に追撃を送る。

 火乃佳は既に半分ほど死んでいた。

 口から白い煙を吐きだし、魂が現世から切り離されかかっている。

 他意がないのは理解しているがあえて言おう。

 もう許してやれよ、と。

「……やはり、光様は私のことが嫌いになったのでしょうか……」

 銀髪少女の声は暗く沈んだ。

 迷いと悩みが道を閉ざしているのだろうか。

 彼女いない歴(以下略)の自分にはわからなかったが、きっと彼女の感じている戸惑いはただの男子高校生が想像しているものより大きいに違いない。

 少なくとも彼女は──本気でその男を愛しているはずだ。

 でなければ悩みなど最初から必要ない。

 悩む必要があるほど自分にとって大切な存在。故にもがく。

 代用の効かない、一途という名の愛情なのだから。

「まだ結論をだすのは早いんじゃない?」

「……え?」

 闇のなかに手を差し伸べたのは雪だった。

「唯さんは、自分の気持ちが誰かより劣っていると思う?」

「…………」

 少女は首を横に振った。

「その人のことが好きで、その人の良いところをたくさん知ってて、それでその人のことを大切にしたいんだよね? それとも、自分だけの独りよがりだった?」

「……光様は、そう思っているかもしれない。私のわがままに愛想が尽きているのかも」

 再び、少女のなかに暗闇の世界が満ちる。

 それでも雪は話をやめなかった。

「じゃあ、その人と歩いてきた道は間違いだったの?」

 少女がわずかに顔をあげた。

「一緒に進んだ道のなかに答えはある。辛いことも明るいこともわかち合って、お互いに歩んできたのなら、その想いは彼の胸に届いてるんじゃないのかな。大事なのは信じ続けることだよ。そうすればいつかきっと道は寄り添う。だから唯さんは、そのままでいいんだよ」

「……信じ続ける、こと……」

 ひたむきに真っ直ぐな表情で少女は窓の外を見つめる。

 雪が笑う。

「かっこいい男を持つと大変だね。ま、うちの誰かさんはパフェなんかつくれるのに、パッとしない性格してるけどね。そういう類の男もいるんだよ。人知れず、って言うね」

「おい、なんか言ったか?」

「……ふふっ」

 この部室に入ってきて初めて彼女は笑った。

 銀髪少女の瞳が震えている。

 本当に一瞬だったが、彼女の瞳のなかで形のないなにかが目覚めた気がした。

 遠巻きに見守る少年にはそう映っていた。

 少女はすっくと立ちあがる。

 その途端、意識を取り戻した火乃佳が慌てて口を開く。

「ハッ……そ、そう根気よ! 根気が大切なのよ! 二人の仲には時間が必要! とりあえず、忍耐強く辛抱して仮にひどい仕打ちがあったとしても一生懸命に尽くし続ければ……!」

 熱いメッセージを送りながら、カップとソーサーを戦わせる火乃佳。

 言っていることは意味不明そのものだが。

「……部長さん」

「な、なにかしら?」

「……色々とアドバイスありがとうございました。これからは根気強くやっていこうと思います。雪さん、信じ続ける気持ちを大切にします」

 深々と頭をさげて席を離れる。

 後ろに立っていた夕河の前を通り過ぎようとしたとき、声がかかった。

「……パフェ美味しかったです。光様に似た雰囲気を持っている方……下僕さん」

 少女は扉の向こうに去っていった。

 ……終わった、のか。

 なんだかあっけない幕切れだったなぁ。

 そう思いつつも話の内容は凄まじいものがあって、いつもの日常を取り戻した瞬間、夕河は一気に迫りくる疲労感でぐったりとしていた。

 同じく、意気消沈どころか廃人寸前の我が果報部代表。

「……あれで良かったのか?」

 夕河は雪に問いかける。

「うん。きっと大丈夫だよ。それよりも、ゆうが」

「なんだ?」

 雪は息を溜めて言った。

「ご褒美が欲しいな」

「ん? なにをやればいいんだ?」

「ご飯」

「なに?」

「ご飯食べたい」

「なんですって?」

「ご飯つくって」

「…………」

 これだよ。

 雪はなんだかんだ言って雪だった。

「私もお腹が空いたわ。下僕、なにかつくりなさいよ」

 すっかり元気を取り戻していた火乃佳が、あまりにもハキハキしすぎる声で喋る。

 言っておきますけど、火乃佳さん株絶賛大暴落中ですから。

 もう底値が近いですよ?

 夕河は口を尖らせて抗議する。

「なにかってなんだよ。大体、もう六時近いぞ。晩飯はどうする気なんだよ」

「うるさいわねえっ。下僕も少しくらい根気強く生きなさいよっ!」

 根気と理不尽は別物だって理解しているんだろうか、うちの部長は。

 とはいえ、なんだかんだ部長らしい気がしないでもない。

 大きく息を吐きだして返事をする。

「はいはい。で、なにをつくりゃいいんだよ。言っとくけど、そんなに材料残ってないぞ」

 すたすたと室内を歩いた夕河は冷蔵庫に手をかける。

「う~ん、そうねぇ。やっぱりここは中華じゃないかしら?」

 またそんな難題を……。

 雪が答える。

「中華、食べたいね。なんちゅうか美味しいよ」

「そうそう。チュウカ美味しいわよね」

「チュウカ食べたいね」

「チュウ、カ……」

 火乃佳は急に固まった。

「はぁ…………………………」

 そしてまた落胆する。

 終いには、中華食べたいと中華したいを延々と繰り返す始末。

「……やっぱり、中華は遠慮しておくわ」

「ん、いいのか? 一、二品くらいならつくれそうだけど?」

 火乃佳はじっとこちらを見る。

「な、なんだよ」

「はぁ…………………………」

 再び落胆。

(まったく、なんなんだよ……面倒臭いやつ)

 時刻は午後六時を回ろうとしている。

 果報部の日常は、本日もつつがなく終了を迎えるのであった。

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