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和泉夕河の優雅で従者な学園生活  作者: モカブレンド
第一章『始まり編』
6/10

第六話『メイドさんSHOCK』

「初めましてえっ! このたび入部することになりました。生まれは島国、萌えていずるは桜道、遅生まれの九条ルルさんじゅうななさいです。よろしくお願いしまぁ~すっ!」

 部室の入口にて。

 自己紹介してねと火乃佳が伝えてすぐ、快活で張りのある声が部室に拡散した。

 あまりのテンションの高さに、バケツの上で雑巾を絞っていた未憐が目を白黒させている。

 かくいう少年──和泉夕河も驚いていたわけだが。

「……ああ、先輩ですか。私は一年の小田桐未憐という美少女です。是非よろしくお願いしますね。うふふふっ!」

 社交モード全開の未憐が、九条ルルと名乗った少女の声に笑顔で応えた。

 雑巾を握ったまま。

(うっ、傷がうずく……)

 夕河は未だ癒えぬ傷の元凶、過去の小田桐未憐を思いだして一人悶絶する。

 トイレで論争を繰り広げたあの日から、未憐は果報部(もとい同好会)の部員だ。とはいえ、未憐は教室と部室で二種類の顔を使い分けている。彼女がなにを考えているのか判然とはしない。けど、あの頃より毒の抜けた表情をするようになったので、きっと健やかな現状を送れているのだろう。

 とりあえずは満足だ。かつての少年にとって十二分に嬉しいことは間違いない。

 それはそれとして未憐にはまた別の問題があるようで。

「なにキモい口調で喋ってるのポチ。貴女にそんな発言権はないのよ、ポチ!」

「ポチの悪い癖だね。そうやって相手の出方を見る。ぼくは面白いと思うけどね、滑稽で」

 天門院姉妹が続けて喋る。

 ポチと呼ばれた少女、未憐は目尻に涙をためて震えていた。

「うるっせえポチポチ言うんじゃねえ! 通販で買い物でもしたのかよっ! だいたい雪は同じ一年じゃねえか。オレはお前にまでそんなことを言われる筋合いは……!」

「ふ~ん。もしかして姉さんのスプーンを奪ったこと、もう忘れたんだ? そんな薄情な人間だってことを知ったら、ゆうがはどう思うだろうね」

「え、俺……?」

 急に話題を振られた夕河は驚き顔。

 すると、あたふたと取り乱して未憐が弁解を始めた。

「ち、ちち違ぇぞ! オレはただ、せっかく入ってくれた先輩が困らないようにだな……」

 彼女はいつになく動揺しているようだ。

 それに対して夕河は微笑む。

「未憐はここを辞めずに続けてくれてる。立派なことであっても、薄情じゃないと思うぞ?」

「そ、そうか……そうだよなっ!」

 何故か未憐はガッツポーズ。

 代わりに雪は笑顔のままチッと舌打ち。

 火乃佳は気づいたら椅子に座って本を読んでいた。

(ていうか、新しく入ってきた部員を放置していいのかよ)

 夕河は人数分の紅茶を用意しながら部長の態度にやきもき。

 その態度が伝わったのか、本を読んだまま火乃佳が、

「そうね……貴方にお願いするわ、下僕」

 と、申してきた。

 なんでやねん。

 ちら、先輩の横顔を盗み見る。

「ふふふっ」

 入口で直立不動の姿勢を維持したまま、ただひたすらに笑顔だった。

 なにがそんなに楽しいのか。そういう性格なんだろうか。

 夕河には彼女の意図を読むことはできなかった。

 なんにしても、このままだと居づらい。

 未憐ではないが、せっかく入ってくれた先輩に感謝があるのは事実だ。

 頬のマッサージをして筋肉をほぐし、夕河は彼女に話しかける。

「先輩は、どうしてこの部に入ろうと思ったんですか? 言っておきますけど、大して有意義な部じゃないで……痛っ!!」

 どこかから、くしゃくしゃに丸めた紙くずが飛んできた。

 しかも拾って中身を覗けば消しゴムが入っている。なんてやつだ。

 少年の疑問に九条ルルは笑顔で答える。

「はい。ルルさんの趣味はマッサージですう!」

「え?」

 なんだか要領を得ない説明に、自分が大事な部分を聞き逃したような錯覚に陥る。

 もう一度、聞いてみることにした。

「んあーっと……マッサージですか? ちょっと愚問なんですけど、まさか先輩は部長に下僕として連行されてきたわけじゃないですよね? だとしたら……痛っ!?」

 またもや紙くずが飛んできた。

 さらに今度は『違うわ』という文書までついて。

「ルルさんはメイドさんとしてえ、この部にやってきました!」

「……………………あ、ああ?」

 意識が、一瞬だけ黒い海にダイブしていた。

 少年の脳内エンジンはオーバーヒート寸前だったが、まずは話を続行する。

「あ、メイドさん! 素敵ですねっ、じゃあ掃除手伝ってくれたりするんですねっ!」

「いいえ~。ルルさんは掃除が苦手なのですよお」

「……室内に設置されているキッチンに手をだそうと言うのですか。すごいなぁ!」

「料理はできません! できるのは、マッサージだけですうっ!」

 ニコォと鮮やかな笑顔が、のっぺりとした表情で佇む少年の精神を刺突する。

 なぁにこれぇ。

 夕河は薄々と疑いはじめていた。

 もしかすると自分がうんぬんより、この九条ルルという少女こそが、おっとりに輪をかけておっとりしすぎているだけなのではないのかと。

 いや、いやいやいや。

 待て落ち着け冷静になれ焦るな慌てるな心頭滅却しろKOOLになれ。相手のペースに飲まれるから自分が見えなくなる……ここはまず、分かっている部分だけに狙いを定めるんだ!

 夕河はひとまず、外見的に彼女を判断することにした。

 そうして拍を置かずになるほどと唸る。

 経験上、これまで出会った女性達……といっても部内の皆様方ではあるが、その彼女らが美的要素を性格で阻害しているのなら、九条ルルという美少女は『顔』にギャップが存在した。

 綺麗といえば相違ない。

 彼女は笑顔もさることながら、男心を締めつけるような童顔なのだ。

 しかもそれが──、

「ルル、ちょっときて」

 唐突に雪の声が響いた。

 ぱたぱたと、正装(下着姿)の雪が手を使って彼女を誘導する。

 なにやらバスルームに連れて行かれたらしい先輩。

 がさごそと音を立てて数分経過。

「じゃ~ん。素材にこだわった特別製だよ」

「ふふっ、似合ってますか?」

 室内に戻ってきた美少女はグルッと一回転してスカートを翻した。

(おおうっ……こ、これだ! 俺が考えていたのはこれだ!!)

 夕河のハートが火花を散らしそうなほど、九条ルルのメイド服姿は瀟洒で優雅な雰囲気が満天だった。胸を強調するデザイン。よくある濃紺の柄。そして、随所にあしらわれたフリルやスカート縁の二重フリルが、なんといってもメイド服のデザイン性であることは明白だ。

 さっきの話の続きになるが、彼女の魅力は幼さの残る表情とは裏腹な主張をする、その隠しても隠しきれないプロポーションであった。

 でかい。

 とりあえずでかい。

 言わずもがな、好奇心熱烈大歓迎な男子高校生なら、ちょっと行きつけの小洒落た大人向けサイト(フィルターは父親が解除してくれた)を拝見して、鼻息混じりで画面越しに女性を批評するなど、造作もないことだ。

 しかし、いざそばで本物のメイドさん(語弊あり)を目の当たりにすると、迫りくる情熱を抑えきれそうにない。特定の部位だけで言えば部長をも凌ぐスペックの持ち主である。

 夕河はしばらく見とれていたが、メイド少女と目が合って意識を取り戻す。

「に、似合ってますよ! すごくいい! さすがセンパ……痛ッ! 冷たッ!?」

 夕河は咄嗟に振り返った。

 そこには普段と同じような風景。

 足を組んで読書に耽っている火乃佳と、能面でジャバジャバと雑巾を洗う未憐の姿。

 ただ、床に紙くずが落ちていること、自分の背中に水がかかっている事実が違うだけだ。

 理不尽な目に遭って渋い表情をする少年。

 も、もちろん、先輩の良いところはそれだけではない。

 軽くウェーブがかったセミロングの髪、優しそうな笑顔、アホ毛、とにかく色々だ。

「改めて自己紹介ですっ。マッサージ専門のメイドさんとして入部した九条ルルさんじゅうななさいですう。目標はせかいいちのマッサージ師になって、みんなを昇天させることです! 火乃佳お嬢様がマッサージを果報として貢献する代わりに研究費を出資してくれるらしいので入部を決めました。これからもよろしくねえっ」

 グラスのなかで氷がカランコロン。

 そんな感じの涼やかな笑顔。

(ちゃんと説明できるんじゃん……)

 夕河は疲労困憊して、がっくしとうなだれるのであった。


   2


 夕焼けも幼き日の秘密基地を残して、都会の塀に深く沈んでいく。

 普段なら果報部の窓から映る陸上部の活動。いささか性急な鳥の号令で仕舞いのようだ。

「今日はありがとうございましたあ。お先に失礼しますっ!」

 絶えない笑顔のまま、九条ルルが足取りはやく部室を後にした。

 当然、普通の制服姿で。

「はぁ~~~……ルル先輩、可愛かったなぁ」

 ルル先輩。少年は彼女のことをその呼び名で定着させた。

 思わず夕河はもう一度、感嘆とした息を吐きだす。

「呪呪呪呪呪呪呪呪呪……」

「なにぶつぶつ言ってんだ未憐?」

「な、なんでもないぜっ! はは、ははは……ハァ……(オレには可愛いって言わないクセに)」

「ごめん。最後のほうなんて言ったんだ?」

「るせぇよ……もう帰る……」

 未憐はかたつむりのような鈍重な動きで退室する。

 廊下のほうでも、なにやら唸り声をあげて帰っていった。

 電話をしていた火乃佳が携帯をポケットにしまい、鞄を持ちあげた。

「さて私も帰るわ。下僕、今日も戸締りしておいてね。絶対に鍵かけなさいよ、頼むわね」

「へいへい……わぁっとりますよ、お嬢様ぁ」

 渋々と承諾する。火乃佳が帰り際に電話するのはいつものことで、きっと学園の入口には黒塗りの高級車、そしてボディガードが待ち構えているのだろう。この女相手に用意周到なことだ。

 火乃佳も部屋をでていく。

(しかし、ルル先輩かぁ……最初はなんだかんだ思ったけど、普通に可愛くて綺麗な人だなぁ)

 夕河は頷いて納得する。

 やや性格に難があるものの、温和という点では彼女こそが普通の少女ではないだろうか。

 そのとき、肩にぽんと手のひらが乗った。隣には制服姿の雪。

「少し変だとは思わないかい?」

「変?」

 雪はおもむろにそんなことを言いだした。

「うん。だって、姉さんは自分からあの先輩を連れてきたんだよ。果報部に誘う役目は、元々ゆうがに一任されてたはず。それを忘れるような姉さんじゃないと、ぼくは思うんだ」

 ふむと、それらしく顎をさすってみる。

「でもそれは、ルル先輩が入部したいって声をかけたんじゃないのか?」

「いや、姉さんは果報部の概要をいっさい誰かに伝えてないらしいよ。だから出資するなんて個人的な理由は、姉さんが直接教えないと分からないはずなんだ。それに……」

「それに?」

「ううん、なんでもないよ。ぼくの杞憂かもしれないしね。じゃあね、ゆうが」

 雪は珍妙な言葉を残して去ってしまった。

「う~ん、変ねぇ……変じゃないと思うけどなぁ……」

 閑散とした室内で考え込む。

 しかし、夕河はすぐにメイド少女の両胸を思いだして悦に浸るのであった──。


   3


 翌日の昼休み。

 二階で使った美術室に忘れ物をした夕河は、いそいそと用を済ませて廊下を駆ける。

 それが終われば次は購買。せっかくの昼休みに時間を無駄にする理由はない。

 途中、使われていないはずの教室で半開きになっている扉の前を横切る。

(ん……あれは、ルル先輩?)

 扉の隙間から少女の姿……と、男女混合の数人が見えた。

 気になって中を覗き込む。

 だが、そこにある光景は夕河の想像を超えていた。

 少なくとも、少年にとっては唾を吐きかけたくなるような出来事が、こんな日常の隣で当たり前のように、しかも暗澹と存在していたのだ。

「キャハハ。九条さんってぇ、すごいマッサージ上手だよねぇ。尊敬しちゃうー」

「ほんとほんと。それ絶対ウケるって、他の人にもやってやんなよ」

「わあ、ありがとうございますう。ルルさん頑張りますねえ~」

 夕河が壁に張りついて耳を澄ませる。

 ふと、そんな声が聞こえてきた。

 室内では机を合体させて寝台のようにした上に、男子生徒がうつ伏せになっていた。

 問題なのは次だ。

(先輩が、上に……!?)

 自分からそうしたのか、もしくは指示されたのか、立ち膝になって身体を曲げた九条ルルが、男子生徒にまたがって背中を指で押していた。

 割と丈の短い制服スカートと場所の高さも相まって、周囲には彼女の着けている水色ストライプのパンツが丸見えだ。そんな光景を寝ている男が一人、外側に男女含めて四……五人、計六人。ともに薄ら寒い笑顔で傍観している。

 さらに、ウニみたいな頭の男子生徒が後方に回り込んで携帯電話を構えた。

「はにゃ? なにしてるんですかあ?」

「ヘヘヘ……いいから、そのままそのまま」

 零れ落ちる涎をすすりあげながら、そのウニ男は携帯電話を少女のほうへと定め続ける。

 ルル先輩も言葉を鵜呑みにしたらしく屈託のない笑顔で指に力を込める。

(くそっ……先輩に好き勝手やりやがって。許せねぇ……!)

 夕河のなかで怒りが蓄積され蒸気を帯びて沸騰していく。

 なおも繰り返される室内での惨劇。

「ねえ九条さぁ~ん。その体勢だと力入れづらいでしょお~? 俺に座っていいから、もっと本格的にやってちょお~だい」

 寝そべっている、無駄にうっとうしい口調の男が言う。

「でも……男の人と身体を密着させるのは、紳士で優しい人とじゃなきゃダメって、おばあちゃんに教えてもらいましたよお?」

(お、いいぞ先輩! そのまま攻勢にでるんだ!)

 夕河は緊張しながら内心でエールを送る。

 だが、

「え~~~っ。それじゃあ俺、おばあちゃんが言ってる人まんまじゃん! 俺ぐらい紳士で優しい人もそうそういないと思うんだけど~」

「ギャハハハハハ! きめえ、こいつきめえ!!」

「まじうける~! どの口が言う~って感じだよね~!」

 男の台詞に他の男女が一切に笑いだす。

「分かりましたあ! それじゃ、遠慮なく行っちゃいますよお~」

 九条ルルは紳士で優しい人という言葉に言いくるめられたのか、そのままストンと男の腰に座って指圧を開始した。不幸にも、スカートがめくれてパンツが見えてしまっている。

 携帯電話を握ったまま横に移動したウニが言葉を発する。

「あぁ~~俺のウニ頭を使って九条さんとウニプレイしたいんじゃあ~~」

 ウニは頭をぶんぶんと振って足をくねらせた。

 ふたたび室内に爆笑の渦が巻き起こる。

(くっそお~! あのウニ野郎、とっとと海に帰りやがれ……ッ!!)

 夕河は憤慨する。

 性格の悪い人間がごまんといるのが世の定めだと、少年も理解の上ではある。

 なによりも気に入らないのは、上下があることじゃない。

 その立場を利用して、なにも知らない人間を陥れることが許せなかった。

「そろそろ俺、仰向けになっていいっすか? なんか下のほうが苦しいんすよねぇ~」

 男の白々しい喋り。

「う~ん、分かりました! 本当はまだまだこれからなのですが、次に行きましょう!」

「それじゃ、お言葉に甘えまして……」

 立ち膝で待機する少女の間で、男が息遣い荒く身体を捻る。

 そして夕河は直感的に危険を察知する。

(やばい、このままじゃ取り返しのつかないことになっちまう……!)

 武器になりそうなものはないかと、周囲を見渡す。

 だが果たして、仮に武器があったとしてもあの人数相手に勝ち目はあるのだろうか。

 不意打ちで数人倒したとしても、状況が不利なことに変わりはない。

 ならばいっそ、こちらも同じように携帯電話で証拠を撮って。

(やべえ、ケータイはカバンのなかだった……)

 ポケットに手を突っ込んで空気だけを掴みだしてしまう。

 そして男の声が聞こえる。

「ふぅ~~、やっぱこっちの体勢のほうがしっくりきますわ。普段と同じで」

「??? 普段? ご自宅でもよくマッサージを?」

「あ~まぁ、そんなもんですわ。たまには学園や外でも刺激があっていいかもな。さぞや気持ちがいいんだろうなぁ、見知らぬ女にマッサージを強要するのはさぁ……!」

 男の双眸に光が走る。

(やばい! もう我慢できねぇ!!!)

 夕河は特攻覚悟で扉に手をかける。

 仰向けになった男は両手をすかさず少女の腰に──。

「ああーーーーーっ!!!」

 突然、九条ルルが大きな声をあげた。

「そうでした! ルルさん、まだなんにもご飯食べてないんでした! ごめんなさい、マッサージを振るうのにも体力が必要なんです。手伝ってもらって申し訳ないのですが、また今度の機会によろしくお願いしますっ!」

 ぺこりと頭を下げてアホ毛を揺らしたルル先輩は机上から飛びあがる。

 ちょうど、鼻歌交じりで下の位置にしゃがみこんで撮影していたウニ野郎が、先輩のジャンプ攻撃で踏まれて陥没した。

 少女は誰もいないほうの扉からでていく。

 肝心の夕河は廊下に飛びだしてきた九条ルルに驚いて隠れていた。

 煙を巻き起こして、少女は消えた。

(ルル先輩……多忙なお人だ……)

 驚きに目を泳がせつつも、突然に静まり返った室内をもう一度覗く。

 びっくりしたのは連中も一緒のようで、誰しもが目を点にさせていた。

 一番最初に口を開いたのは、彼女に頭を踏まれ中央の芝生に靴跡ができているウニだった。

「あぁ~~ウニ頭を踏まれて去っていく九条さんも素敵なんじゃあ~~」

「ばかやろう! ああいうときは、撮ってないで捕まえるんだよ!!」

 一瞬にして声色を変えた男が、身体を丸くして悶えているウニを蹴っ飛ばした。

 ウニは、ああんという声を漏らした。

「あ~あ逃がしちゃったじゃん。まじさいて~。どうすんのよ。あんたが面白いもの見せてくれるって言うから、見にきてやったのにさぁ~」

 やさぐれた顔の女子生徒が言う。

 ウニを蹴る男が舌打ちをした。

「ちっ……あの女は天門院のヤツに匿われている。放課後は手をだせねえ。明日の昼休みに、もう一度あの馬鹿女を呼びだすぞ。もちろん天門院に気づかれないようにな。そんときには、俺が最高のパフォーマンスを披露してやる。特別マッサージでな……ははは……はーっははははははッ!!」

 男が高笑いする。

 普段では想像もしなかった現実を見せられた夕河。

(……明日の昼休みか……それまでには、なんとかしないと)

 大変なことになった。

 先輩のおっとりしている性格が、まさかこんな事件を起こすなんて。

(放課後になったらすぐ部長に問いかけてやる!)

 そう決め込んで、夕河は見つからないようにその場を後にした。


   4


「おい、どういうことなんだ!」

 部室にやってきた夕河は、到着早々に火乃佳を問い詰めた。

 火乃佳は口を開いて、まずはと紅茶を一飲み。

 落ち着いた態度のお嬢様に、拳を握り締めて苛立つ少年。

 夕河が早かったのか、それともどこかで道草を食っているのか、九条ルルはまだ部室にはきていなかった。部屋にいるのは天門院姉妹の二人のみ。

 火乃佳は珍しく、座りなさいと少年を椅子に勧めた。

 もうひとつ珍しいことに、興味ありげな表情で制服姿の雪もこちらにやってきた。

「彼女……九条ルルは、今年学園に編入してきた転校生なの」

 開口一番に火乃佳が言った。

「彼女はずっと、ああいう性格だったみたい。今まではそれで良かったらしいのだけれど、高校に入学した辺りからね、幼少の頃から続けていたマッサージの研究に他の人間が興味を示したのは」

 カチッと、ティーカップがソーサーにぶつかった音が鳴る。

「私達は多感な時期を過ごしているわ。物事の基準は抜きにしてもね。けれど、今まで善であり続けた人間が、必ずしも善というわけではないの。環境によって偶然そういう風に育った。一面的には善悪を理解している。でも、興味や欲ってなんなんだろう。そこに疑問を持たない人はいない」

 がらがら。

 部室に誰かが入室してきた。未憐だ。

「人間、同じ場所に同じ環境のまま居られることはないわ。人によって大きな選択肢、小さな選択肢を毎日のようにそれぞれ取捨選択し、自分を納得させることで人格を肯定している。それがどのような内容かにもよるけど、選択すること自体を避けることはできないわ。それを避けているのだとしたら、人間の進化の過程から根本的にはずれることになるのだから」

 火乃佳は討論を続ける。

「話が少し脱線したけれど、彼女を含めた周囲の環境そのものが新しい変化を望んでいるのよ」

「変化、か……」

 夕河はうつむいた。

 自分自身、望んだ環境でなかったにしても、変わったということに対して、少なからず思うところがあったからだ。もしあのときああしていなかったら、なんてことはザラにある。

「夕河」

 その言葉に、少年は胸を震わせた。

「貴方なら彼女を救えるわ。なにかを目指して、なにかを成し遂げたいと思う貴方ならね」

「俺が……?」

 そう、と口にして火乃佳かティーカップを摘む。

 紅茶を一気飲みした。

「がんばってね、ゆうが」

 長椅子を背もたれにしていた雪から、そんな一言。

「まっ、和泉なら大丈夫だろ。なんてったってお前はオレの……」

「さすがポチ。負け犬の遠吠えだけは優秀だね。汚名挽回でもするつもりかい?」

「コ、コロス……ッ!」

 顔を紅潮させて怒る未憐をよそに、部室全体が笑い声で満ちる。

 なんだかんだ、この部室は良いところだ。夕河は改めてそう思う。

「ていうか、別に俺一人で頑張る必要はないんじゃないのか?」

 夕河が火乃佳を見つめる。

「イヤよ。果報は貴方が持ってくるんでしょ。それに私、面倒臭いのは嫌いだもの」

「こ、こいつ……!」

「なにようっ。もう飲んじゃったんだから、早く新しい紅茶を用意なさい、下僕!」

 やっぱりこいつは最低だ。

 部室がいつもの環境に戻り、雪や未憐も定位置に就く。

 とはいえ、未憐や夕河の業務はもっぱら掃除や買いだしなどの雑用ばかりだ。

 毒でも盛ってやろうかと考えていると、部室に九条ルルがやってきた。

「おはようございま~す。さぁ、今日も張り切って頑張りましょお!」

 事情も知らず、渦中の少女は安穏としたペースで喋る。

「はれ……どうかしました?」

「いやなんでもないです。それより、俺にもマッサージの極意を教えてくれませんか?」

「極意、ですか……?」

 きょとんとした瞳で、九条ルルが少年を見つめる。

 だが、手を叩いて納得したようで笑顔が点灯。

「分かりました。では、ルルさんが現在研究しているとっておきのツボを紹介しましょう!」

「ツボ?」

「はい! とおりゃっ!」

「……あ? んぎゃあああああああああっ!!」

 ブスッと、床掃除をしていた未憐の背中に九条ルルの指が突き刺さった。

 悲鳴をあげた未憐はそのまま突っ伏す。

「お、おいおい! 大丈夫か未憐……うわっ!?」

 心配して近寄ると、何事もなかったかのように起きあがった。

 それどころか、

「お、お前……胸、胸がっ……!」

「あん? な、なんだよ和泉っ……そんなに見つめられたら、オレだって、その…………え?」

 未憐が下を向く。

 むにむに、と膨らんでいた。

 彼女の両胸が目覚しい成長を遂げる。

 伸縮が収まった頃には、胸が大玉スイカをくっつけたようにででんと巨大化していた。

「う、うおおおおお! オ、オレの胸がでけぇ!! そして、柔らけぇ!!」

 たゆんたゆん。

 ふにふに。

 そんな音が間近で聞こえてくる。

 自分で自分の胸を揉む未憐はその大きさと柔らかさに驚愕。

 そして、悪辣に顔を歪めて大笑いした。

「は、ははは……こいつはでけぇ! そこの女よりでけぇぞ……い、いける! これなら戦えるぞ! ワハハハハハハ、ハーッハハハハハハハ────────ハァ!?」

 急に、未憐の胸はしぼんだ。

 ぼしゅうという音を立てて、いつものサイズに戻ったのだ。

「そ、そんな……オレの……胸がぁぁぁぁ…………」

 泣き崩れる未憐。

 っていうか、一体なにと戦っていたんだろうか。

 ルル先輩が雄々しげに語る。

「今のツボが、最近の研究で新しく発見した九条流・脂肪増幅拳ですう!」

「脂肪増幅拳……」

 夕河は目を白黒させた。

「特定のツボを押すことで人間の経絡を刺激し、それに応じた結果を導きだします! 基本的にツボは様々な方面で効果を発揮し、他にも色々なツボを研究していて、最近では──」

「せ、先輩!」

「はい?」

 夕河は少女に近づく。

 そして、力強い視線で言った。

「俺にもかけてくれ。明日の昼まで待ってくれる、シンデレラの魔法をな……!」

 夕河の表情から微笑みが溢れて続けていた。


   5


「九条さん、待ってたっすよお。さあ、昨日の続きをちゃちゃっとおなしゃ~す!」

「は~い!」

 空き教室のなかには、七人の男子生徒と五人の女子生徒がいた。

 その内の一人が九条ルルだ。

 満面の笑顔で承諾した少女は、机で仰向けに寝そべる男と同じ机に登った。

「はにゃ……? 今日はお客さんが多いですねえ?」

「あぁ、みんな九条さんのマッサージを見たくてしょうがないんですよ」

「そおなんですか? えへへ、照れますねえ……」

 机を囲むようにして、上下左右に生徒が分かれていた。携帯電話を構えてニヤつく生徒も数をましている。綺麗に髪を整えたウニもいた。

「じゃあ、腰を落として……」

 男が目を充血させて喋る。

「ちょっと待ったあああああああああっ!!!」

 そのとき、大きな声とともに教室の扉が開いた。

「そこまでにしてもらおうか」

 ワイシャツ姿の夕河が、そこで仁王立ちしていた。

「ルル先輩を離せ。お前達が先輩の性格を利用してふしだらな(俺もしたい)ことをしていたのは知ってるんだぞ。さぁ、大人しく解放しろ。今ならボコボコにするだけで勘弁しておいてやる」

 集団が一斉に睨みを効かせる。

「ちっ……天門院の犬か。見つかっちまったらしょうがねぇ、路線変更だ!」

「きゃあん!」

「ル、ルル先輩っ!」

 急に少女を後ろから拘束した男は、ポケットからナイフをだして首元でチラつかせた。

「ふ、ふふふ……自分の大切な仲間が目の前で犯される瞬間を、お前に見せてやるよ……!」

「ああ~~自由を奪われて窮地に立たされる九条さんも素敵なんじゃあ~~」

「うるせえ、ウニは黙ってろ!」

 悶絶するウニに一喝する男子生徒。

 ウニはご満悦すぎて昇天した。

「おい、やれっ!」

 男の指示に従って、数人の男子生徒が夕河に向かっていく。

 次の瞬間、

「なに……!?」

 向かっていったはずの男子生徒は全て宙に舞っていた。

「はぁぁぁぁぁ…………!」

 かざされたのは右腕。

 唸るのは隆々と脈動する筋肉と血管。

 破られたのは常識とワイシャツ。

 圧倒的な筋肉のたぎりで立ちはだかる夕河の姿がそこにあった。

「す、すげえ。俺自身もショックで震えてるぜ……」

 夕河は手に力を込める。

 岩をも砕きそうなエネルギーの奔流を感じていた。

「くそ、ハッタリだ! 畳みかけろ! みんなで向かえば倒せる!!」

 ふたたび、恐れずに挑んでくる男子生徒の群れ。

 数人を軽くいなし、椅子を使って攻撃してきた相手を、いとも簡単に止めて叩き返した。

 夕河はツボの効果によって戦闘マシンと化していた。

「まだやるつもりか……!?」

「う、く、くるなぁ、くるなよおおっ……!」

 男子生徒は、既に怯える男以外倒れており、女子生徒は教室から逃げだした後だった。

「ゆ、夕河さん……!」

「待っててくださいルル先輩。今、助け──」

 突然だった。

 視界がぐるんと反転する。

 急に力が抜けて膝から崩れ落ちた夕河は、何故か動くこともできずうつ伏せで痙攣した。

「ち、力が入らない……ぐぁっ!」

「は……はははっ、なんだよ驚かせやがって!」

 男は少女にナイフを構えたまま机から降りて近づき、夕河を足蹴にする。

 顔面を蹴られ、腹部を蹴られ、それでも身体は意思と正反対に動くことができなかった。

 他の男子生徒達も傷が浅かったのか、すぐに起きあがる。

「くそぉ……こ、こんなはずじゃ」

「はははっ! いい眺めだな、オイ? 一時はどうなることかと思ったが、形勢逆転だな。目障りな女どももいなくなったし、こっから先は女を取り合う集団マッサージの時間だぜえっ!?」

 高笑いする男。

 ニヤついた表情で集まってくる男子生徒。

 夕河をぼうっと見つめる九条ルルと、ぼろぼろになった身体で倒れる夕河。

(くそ、俺のなにかを成したい意思ってのは、こんなもんなのか……!?)

 心のなかで何度も動けと念じる。

 だが動かない。

 理想を良しとせず、現実は残酷にも選択のときを迫ってくる。

「悪いなルル先輩……本当の紳士は、こういうときこそ優雅に人助けするもんだが、どうやら俺にはその資格がなかったみたいだ……」

「夕河さん……」

 意識が遠くなっていく。

 少女は、つぶらな瞳でじっと少年を見つめていた。

 なにかを見つけるように。なにかを刻むように。なにかを変えるように。

 ただじっと、横たわる少年を瞳に刻んでいた。

 その様に男が横槍を入れる。

 靴底が夕河の後頭部を踏んでいた。

「オイオイ。さっきまでの勢いはどうしたんだよ?」

「くそっ……!」

 夕河は屈辱に耐えながら反抗する。

 だが、どうあがいても身体は言うことを聞かない。

「夕河さん……!」

 少女が叫んだ。

 その声には、部室で聞いたような笑顔や優しさを連想させる彼女の魅力が入っていない。

 駄目なんだ……。

 彼女の声には優しさがある。

 悩みや辛さなんて忘れてしまうほどの優しい声が。

 そんな彼女から魅力を奪ってはいけない。

「……本当の紳士なら、君を……助け…………っ」

 それ以上の声がでなかった。

 がくがくと身を震わせて、わずかに起こしていた身体も倒れる。

 夕河に近づこうとする少女を強引に押さえながら。

 男は言った。

「まったく、なにが本当の紳士だ! 優しくしたって得にもならねぇ、自分だけが良けりゃそれでいいじゃねえか! こういうのはな……『騙されるほうが馬鹿』なんだよおっ!」

「────ッ!」

 髪をくしゃくしゃにしながら男が叫んだ瞬間だった。

(ル、ルル先輩が……!?)

 夕河は少女の姿を見失っていた。

 男も同様だった。

 突然、自分の懐から少女が消えたことに驚愕する。

 ──影が生まれていた。

 ナイフを構えた男が立っている後方。そこにある机、その上に影が残っていた。

 まず最初に、指先が見えた。

 クロスした腕が机に向かって伸びている。次に重力に従って髪の束が垂れている。そして学生服が見える。最後にその先のスカートと、美しいラインを描く両足が揃っていた。

 九条ルルは舞っていた。

 美しく背筋を伸ばし、逆さまの世界を演出し、翼の生えた天使のように緩やかに下降する。

 少年は、その先で起こった出来事は全くと言っていいほど見えなかった。

 人間の目では捉えることができないのかもしれない。

 それほどまでに美しく、見るものを圧巻させるような動きだった。

「な、ばか……な……!」

 男はなにをされたのかわからないらしい。

 夕河からも、彼女がなにをしていたのかさっぱりだ。

「ルル先輩……」

「えへへ、ありがとうございます。夕河さんっ」

 気づけば少女は少年の前に立っていた。

 ひとつの傷もなく、どうしようもないほど綺麗な笑顔で。

 辺り一面には、さきほどまで立っていた男達が軒並み突っ伏していた。

 今や教室内で両足をつけているのは彼女だけ。

(ルル先輩は一体なにをしたんだ……)

 一瞬、ほんの一瞬だけ見えたのは、彼女が男子生徒の首や背中を指で押す場面。

 それだけが鮮明に記憶に残り続けていた。

 しかしと、少年は表情を変えて深く安堵する。

(別にいいんだ……なにをしたのかが、わからなくても)

 視界に映る彼女の顔に影はない。

 夕河は言う。

「ルル先輩が無事で、本当に……良かった……」

 本当にそれだけだ。

 それ以外はなにもいらない。

 急にふわっとした感覚と、混濁が全身を襲う。

 夕河は間もなくして意識を失った。


   6


「ここは……」

 夕河が目を覚ました場所は部室だった。

 既に日が沈みかけている。どうやら放課後のようだ。

「貴方も中々無茶をするわね。もっとも、私達も控えていたのだけれど」

「部長……」

 長椅子で横になっていた身体を起こすと、淹れたての紅茶がテーブルにあった。

 部長の差し入れらしい。

「そうだぜ。オレだって『お前のため』なら、拳ひとつで勝負しようと思ってたのに」

「ポチは今、自分の都合のいいとこだけ美化しなかったかい?」

「雪、未憐……」

 二人は喧嘩していたものの、すぐに笑顔になる。

 そして、

「あ、痛でででで……っ!」

「ほら、まだ動いちゃダメですよお。ツボの効果は、あくまで人間の能力を一時的に補助するくらいのことしかできないんですからっ」

 頬にそっと伝わるぬくもり。

 九条ルルが、夕河の頬に両手を当てていた。

「……先輩」

 ぼそりと呟く。

 彼女の手のひらは暖かかった。

「結局、先輩が全部一人でやっちゃいましたね。なんの力にもなれなくて、本当に俺……」

「夕河さんは、本物の紳士ですか?」

「え?」

 夕河の言葉を遮って、彼女が尋ねる。

 少し悩んだ。

 だが、答えはすぐに揃う。

「……正確には、本物の紳士を目指しているってとこかな。俺もまだまだ発展途上で、これからどうなるかは分からない。けど、絶対に変わってみせる。優雅に生きてみたいんだ……なんてね」

「ふむふむ、なるほどお~」

 これで十分に納得してくれたのか、ひとしきり頷いた少女。

「夕河さん……身を案じてくれて本当にありがとうございました。ルルさんも全然だめだめですね。いつもぼうっとしているせいで、皆さんに迷惑をかけてしまったようです」

 ──むにゅ。

 急に視界が暗くなった。

 なんの感触だろう。

「それにもうひとつ、気になることがあるんです。あのとき、ルルさんは間違いなく正確にツボを押しました。でも夕河さんには別の効果がでてしまった。多分、夕河さんの身体には謎があるんです。だから、ルルさんはもっともっと夕河さんの秘密を研究していきたいんです……あれ?」

 少女が首を傾げる。

 夕河は九条ルルの両胸に埋もれていた。

 でかい。

 とりあえずでかい。

 夕河は天にも昇りそうな気持ちで、もう一度深い闇の底に意識を放り込むのだった。

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