第二話『従者への片道切符』
和泉夕河が『果報部』で従事することになった翌日の昼休み。
少年は学園にある広大な花壇のなかで、一人寂しく花に水をやっていた。
先日の罰として、天門院火乃佳から学園の昼休みに水やりをするようにと仰せつかって、いや、命令されているのだ。
とにかく夕河は気が重くなっていた。
これからどうなるか、全く予想がつかないからだ。
昨日は軽い紹介ということで話は終了したので、今日からが本当の始まり。
地獄の底か天国の園か。考えられる事柄は懸念すべき対象ばかりをもてはやすが、巨悪(火乃佳)には逆らえないのでやるしかない。
「とは言ってもなぁ」
夕河は大きなため息を吐いた。
憂鬱な年頃の男子高校生には、悩みの種が尽きない。
夕河は手のひらを見つめて、くにくにと指を開いたり閉じたりする。
その掌中には、未だに消えない柔らかさと暖かさの同居した感触が残っていた。
「しかし、勢いとはいえ気持ちよかったな」
天門院雪。
転んでしまった際に彼女の胸を触ってしまった。
触ったどころではない。揉んでしまった。それも一度ではなく二度、三度と。
そしてもう一人。
天門院火乃佳。
できれば、あの傲慢で女王様然とした態度が憎らしい女のパンツを見たことに関しては、この身の不遇さから帳消しにして欲しいところだ。
けれど、あの花を摘み取ってしまったことは間違いなく自分の責任だと言える。
(部室に行ったら、もう一度謝っておくかな)
覚悟を決めて夕河はせっせとホースを傾ける。
「ん?」
そのとき、急にホースが途中で破裂した。
放散された水が宙を舞い、下にいた少年のもとへ降り注ぐ。
夕河は頭から水を引っかぶってしまった。
「あぁ、今日は正座占いが十二位だったかな……くそぉ」
本日はあいにくと、天気が良い。
燦然と降りしきる陽光は、すこぶる少年の苦悩とは裏腹な態度を見せつける。
肩を落として、花壇の前にへたり込む。
せめてこの目の前で生まれた小さな虹だけは、自分を祝福してくれると良いが。
夕河は花から落ちる雫を見つめながら、もう一度大きなため息を吐いた。
2
がらがらがら。
「やってきましたよっと。おわっ!?」
放課後になって部室へとやってきた夕河は、扉を横に開けて入るなり、靴が飛んでくるという驚きの展開に身をたじろがせた。と、同時に靴をキャッチする。
「遅いっ! 何やってたのよもうっ!」
聞き覚えのある特徴的な声。
間違えるはずもない。一度聞けば誰もが覚えるだろう。
長椅子に座り本を読みつつ黒いソックスに包まれた足を組んでぶらぶらさせて眉をひそめながら文句を言い高校に入学して二日目だと言うのにも関わらず他者の脳内に問答無用で自らの価値観をねじ込んでくる傲岸不遜で品性下劣な最低女のなかの最低女。
それが彼女。
ひいては理事長の娘で、この果報部の部長である天門院火乃佳だ。
睨みつける火乃佳の視線。
瑞々しい紅唇が尖って言葉が飛んできた。
「きたのならちゃんと、ただいま参りました! とか言わないわけ?」
「ぐ……こ、この……」
早速、その性格を遺憾なく発揮しはじめる。
夕河のこめかみ辺りの血管が、びくんびくんと脈打っていた。
顔面にぶつけられた靴を手に抱えながら怒りを抑える。
「ねえ、早く靴を返してよ。それともなに? 臭いを嗅ぎたいとか、そっち系の変態なの?」
「違うわっ!! ほらよっ」
投げたら怒りそうなので、口だけで態度を示しつつ靴を手渡しする。
「あと、私は部長なんだから、ちゃんと敬語を使いなさいよ。私のことも部長って呼ぶこと」
「うるさいなぁ……なんでお前にそんなことを……」
「ま、別に言わなくてもいいけど? あんたの立場が悪くなるだけだし」
火乃佳はニヒルに笑う。
「くそっ、分かったよ……!」
心中ではドス黒いものが渦巻いていたが、なす術もないので押し黙る。
(まったく……口に税金がかからないと思って言いたい放題だな)
せめて胸の内だけは怒りを晴らそうと文句を垂れる。
夕河が喜怒哀楽の百面相をしていると、急に横から声がした。
「やぁ、また会ったね。ゆうが」
「よう雪……って」
パソコンと睨めっこしていた雪が、回転椅子を少し動かして夕河に挨拶をした。
雪は昨日と同じように下着姿だった。
それとなく視線をはずす。
上のほうは着けていたので、少年は同じ轍を踏まなそうだと安堵する。
昨日は純白下着だったが、今日はアクアブルーの上下同色だ。
「ああそうそう、チラ見してるつもりかもしれないけど、ものすごい視線を感じるよ」
「わ、悪い……」
雪が椅子を戻しながら呟き、ヘッドフォンを耳にかける。
そうして再びパソコンのモニターと格闘を始めた。
「雪はそういう子だから。あんたもこの部で働くなら慣れるべきね」
「はぁ……」
火乃佳も、夕河を見るでもなく本のページをめくっている。
二人とも自分の趣味に没頭し、夕河は何をするでもなく入口で黙り込む。
時刻は午後三時五十七分五十五秒を経過したところ。
正面にある、黒塗りで物々しいアンティーク調の柱時計が知らせる時間だ。
(……ううむ)
かちかちと音がして、時計が針を刻む。
り~ん、ご~ん。
り~ん、ご~ん。
時刻は四時ジャスト。
礼拝の鐘がアンジェラスでも知らせているのだろうか。
そう思うほどに厳かな音が響いて、また静まり返る。
静寂のなかで、夕河の退屈感は次第に大きくなっていた。
時刻が四時二十分を過ぎる。
夕河はそれとなく、昼に水やりをしていたときのことを思い起こす。
(そういや謝るとか言ってたっけ)
花のことや胸を触った件について謝罪をするつもりだったのを、部室に入る寸前まで覚えていたのに、入った瞬間に忘れてしまった。
間違いなく靴が原因だろう。
「ふぁ……」
区切りがついたのか、本を閉じた火乃佳が口元を隠して小さなあくびをした。
すると火乃佳は、きょとんとした表情で口を開いた。
「何してるの? 足痛くないの? 座ったら?」
「どこにだよ」
「床でいいんじゃない」
(……イラッ。本当に人の神経を逆立てるのが上手いんだよな、こいつは)
胸のなかで煮え切らない感情を押し殺す。
「ところであんた、この部屋見てなにも思わないの?」
「広いな」
「それだけ?」
「ものがいっぱいある」
「そうね。ほかには?」
「汚い」
「じゃあ、早く片づけなさいよ」
「は?」
「は、じゃない。あんたは天門院火乃佳の下僕で、この果報部の雑用なんだから、汚いと思ったらすぐに片づけて然るべきでしょ」
なんという女王気質。
夕河は内心で苛立ちと同時に感心し、そして恐怖した。
彼女にとって他者を使役するというのは、特別なことではないのだ。
他人にへりくだり媚びへつらうなど、凡人以下の味噌っかす野郎がすることだと、この女は伝えているのだ。それこそがまさに、天門院火乃佳の人間性を形容する言葉にふさわしい。
数日前まで健全な少年として努めてきた夕河。
彼は、ここにきてようやく立場の違いを理解した。
天門院火乃佳はどこにでもいる普通の少女で、怒りっぽいところもあるが優しい面もしっかり見せてくれる、ちょっと人づき合いが苦手なだけの、二次元的に言うツンデレかなにかだと考えていた。
──間違いである。
天門院火乃佳は言うなれば神。
そう、神なのだ。
自分だけは他人よりも優れていて、すぐに人を見下し、嘲笑い、蔑む。
究極的に完成された殺戮的サディスティック支配における体現者。
この学園に潜む、現人神である。
夕河はいかに自分が現実を知らなくて甘えていたのかを痛感した。
常識とは、理解しあえる相手がいて初めて成立するもの。
煮ても焼いてもどうしようもない輩というのが、必ず世の中に存在する。
その意地悪なカーストの頂点に立つのが、彼女なのだ。
であれば、夕河が望んでいた華やかな学園生活など、一縷の望みにも届かないゴミ以下の可能性でしかなかったわけだ。
俺は一パーセントのわずかな希望に賭ける!
なんていう主人公の花道なんかは、用意されてないのだ。
初めからゼロなのだ。
自分の感情は何故だか花開いたように、理性を柔軟に享受し始めた。
可能性? それが何だと言うのだ。
逆に考えるんだ。あげちゃってもいいさと。
悟りの境地。
肉体と精神の狭間にある仏心が、ゼロの地点に到達したのだ。
そう考えれば、自分が直面している事実など些細なことなのかもしれない。
今なら、目の前にいる彼女の存在がとても綺麗で穏やかなものだと受け入れることができる。
夕河はすうっと息を飲み込む。
満面の笑顔。
屈託のない表情で、しかも影がない。
そんな勇ましい輝きをともなって、夕河は口を開いた。
「かしこまりました! 喜んでやらせていただきますよ、お嬢様!」
「は? なに燃えあがってるの? きもっ」
「…………………………………………」
夕河はあまりにも鋭い発言のせいか、笑顔で固まってしまった。
「ぷっ、くくく……ふふ、ははは……」
ヘッドフォンをはずしていた雪が、遠くで堪えきれない様子で笑っている。
火乃佳もなにごともなかったかのように、読みかけの本に目を通す。
夕河の穏やかだった心に、怒りという激情が戻りつつあった。
「ああ、ついでに紅茶も淹れておいてよね」
駄目押しの一声。
その瞬間、彼のなかで決定的な何かが切れた。
「だああああああっ!! くっそおおおおおおおおお!!! 綺麗にしてやる!!! ダストホールも泣いて謝るくらい綺麗にしてやるぞちくしょおおおおおおっ!!!」
現実に踊らされた悲しき少年が、甲高い叫び声をあげる。
どうやら彼に、平和などないようだった。
3
「はぁ……はぁ……」
頭に三角巾を巻いてベルトの隙間にはたきを装着した、エセ使用人スタイル。
学生服の上からそんな姿をしていた夕河は、息を切らしていた。
「なにようっ。まだ全然綺麗になってないじゃないのっ」
「うるせい! 読んだら片づける習慣をつけろっ! 端から汚くしていくんじゃない! 雪、お前もだっ! ゲ・エ・ム・ソ・フ・トは床に投げるなっ! 聞けよ!」
雪はなにがそこまで忙しいのか、ちょっと黙っててと口にしながら、コントローラを握り締めてモニターに釘付けになっていた。
火乃佳に至っては返事すらない。
その癖、たまに気づいて野次を飛ばしてくる。
正直うっとうしい。
「ふ~ん。本とかは大分すっきりしたじゃない。あと、言っておくけど服は全部その子のだからね。私のものはないわよ」
「へいへい……」
第一段階をクリアした夕河は、大量に落ちている服をかき集める。
「なぁ、これはどこにしまったらいいんだ?」
雪に問いかけると、数十秒ほど遅れて指示がきた。
まさに指だけの示しが。
命を受けておもむろにクローゼットの前へ行き、戸を開ける。
(なんかもう、住んでるような感じだな)
呆れつつ収納する。
そもそも学園なのに衣食住の設備が整っているのはどういうことだろうか。
問いかけてみたい気持ちはあるが、下手に刺激すると危険そうなのでまずは片づけに集中しよう。
雑念を捨てて服を拾う。
学生服はシワがつかないよう、丁寧にハンガーにかけて収納。
丸まった靴下や薄着などは恥ずかしいが、なんとか洗濯行きのバスケットへ放り込んでまとめることができた。
しかし。
「おい、コレはどうするんだ?」
ずっと気にしないようにしていたが、雑魚敵(なるべく恥ずかしくないやつ)を全部倒してしまったので、やむを得ず落ちている危険物と対峙する。
「どれ?」
「いやぁ、そのね……」
どれもなにも残っているのは、もう下着しかない。
仕方なく、夕河は落ちていたパンツを恐る恐る摘みあげる。
模様はシンプルで飾り気ないが、ふわっと吸いつく柔軟な手触りを感じる。
当然だが上と左右にぽっかりとした空間ができており、青春謳歌中の男子高校生なら誰もがその輝かしい存在感を放つ物体に興味を惹かれるであろう。
少年にも、見てはいけないという悪との葛藤があったものの、えも言われぬ好奇心に押されて股部分の布地やらリボンのワンポイントやらをじろじろ観察してしまう。
そんな夕河を見て雪が一言。
「気になるなら貸してあげようか? あ、ちゃんと使用後の感想も聞かせてね」
なんていうトンデモ発言。
(つか、感想ってなんだよ! まてまて、その前に洗って返してねとか聞くべきとこじゃないのか普通。いやおかしいな。どうも根本的なところで間違っているような……)
悶々として頭を悩ませる。
触っていいからなんとかしといて、と改めて指示がくる。
指先だけでつまんでいるのも悪い気がしたが、とても直視できないので伏し目がちに運ぶ。
辛くも、高難易度ターゲットをバスケットのなかへ放り込むことに成功した。
(はぁ……これじゃ雑用じゃなくて母親になった気分だ)
まさか十五の身空で女の子のパンツを拾い集めるようになるとは思わなかった。
そんなことを思いつつも、夕河は黙々と作業をつづける。
愚痴を零しながらも、どうにか部屋は美しい姿を取り戻していった。
ふと、火乃佳が立ちあがる。
「……どこに行くんだよ」
「紅茶の葉がなくなったから、校長室にでも行って拝借してくるわ」
かつかつと小気味良い音を鳴らして、火乃佳は部屋からでていった。
「くそっ。せっかく部屋掃除してるって言うのに、のんきなもんだ」
主が不在なのを良いことに、夕河は少しでも多く罵倒してやろうと躍起になる。
だが案の定というべきか、立てかけてあったモップが急に倒れてきて、先端の棒が夕河の後頭部にコツンと当たる。
女帝の力、恐るべし。
「……ゆうがは、姉さんのことが嫌いかい?」
ヘッドフォンをはずした雪が、立ちあがりながら尋ねる。
「あぁ、嫌いだね! あんなビータカ女は食あたりして寝込んじまえばいいんだ!」
下着姿のまま夕河の前を通過した雪は、割とお高い値段でまとまってそうなゴツい冷蔵庫をぱかっと開放。一リットルサイズの牛乳を取りだして、そのまま飲みはじめた。
「……ごきゅごきゅ…………げぷ」
キレのいいラッパ飲みをして一息ついている。
口元からだらりと零れる、白い液体。
「……拭いて」
「ったく、しょうがないな」
夕河は呆れつつも、テーブルに置いてあったティッシュで雪の口元を拭いた。
「うん、ありがとう。すっきりしたよ」
「そりゃ、どういたしまして」
使ったティッシュをくしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱にポイっと捨てる。
「ゆうがの……とっても濃厚だったから」
「今の文章に『の』は必要ないよな?」
「気にしたらハゲるよ。まぁ、姉さんはいないし座ったらどうだい」
促されて、夕河は火乃佳が座っていた場所の対面にある長椅子に腰かける。
「飲み物はなんでも構わないかい?」
「ああ」
雪は先ほどまでの態度とは打って変わって献身的な感じだ。
置かれたコップのなかに、飲み物がトクトクと波打って注がれた。
疲労していた夕河は、一気に中身を飲み干す。
「ふぅ、さんきゅ。生き返ったよ」
お礼を述べると、雪は対面の長椅子に、
「いや、ちょっと待ってろ!!」
「うん?」
夕河は駆けだしてクローゼットを漁ると、すぐに戻ってくる。
「……ぼくの制服じゃないか」
「着てろっ! 直視できん! それに、あのときの二の舞はゴメンだからな!」
「分かったよ……」
ずいっと服を渡すと、渋々だが雪は学生服に腕を通し始めた。
「これでいいかい?」
「ん、完璧だ!」
夕河は、雪の学生服初お披露目に唸った。
少しばさばさになっている髪の毛の下に、ようやく下着以外のものが装着された。カジュアルチックな雰囲気のある制服だが、彼女の身なりに着せられているような印象はない。
宝石はどこに置いていても輝く、ということか。
「似合っているのなら……そうだね。普段も着てていいかもね」
「むしろこっちが恥ずかしいので、エターナルで身につけて欲しいが」
「前向きに検討しておくよ」
軽くいなしたような様子で、夕河に返事をする雪。
雪が空になった夕河のコップにあらためて飲み物を注ぐ。
「そういや、廊下で雪に会ったときはびっくりしたよ。まさか同じ一年だったなんてな」
「フフ……ぼくは入学する前からここに遊びにきてたから。ゆうがには、少し分かりにくかったかもしれないね」
雪は持ってきた牛乳をラッパ飲み。
やっぱり零すので、夕河は口元を拭いた。
「じつはね、少し前までこの部屋も綺麗だったんだよ」
「まぁ……そりゃ部室なんだから、定期的に掃除はしてたんだろ」
「いや、そういうことじゃなくてね」
夕河が首を傾げる。
すると、雪は言った。
「本当にね、この部屋は寂しかったんだよ。せっかく用意した家具とかはまったく手がつけられてなくて、ただじっと、ここの椅子に座って姉さんが本を読んでただけなんだよ」
「……そうなのか? あいつが?」
こくりと雪は頷いた。
「姉さん、ああいう性格だからさ。基本的に誰とも話は噛み合わないし、合わせる気もなくて、この学園でもずっとそんな感じだったみたいだね」
夕河は、予想外のできごとに驚愕する。
話を聞けば、どうやら部屋が汚いのは、わざわざ雪が意図的にそうした理由があったらしい。
確かにあの鬼畜お嬢様が、他人にケチをつけられそうな話題を残しておくのは考えにくいことだ。
だから、と雪は言葉をつけ加える。
「きみと話してる姉さんを見たとき、楽しそうだなって思ったんだ」
「楽しそう?」
「うん。姉さんがきみを連れてきた理由……ぼくもなんとなく分かるけどね」
雪は牛乳を飲み終えて立ちあがった。
「無理にとは言わないけど、少しだけでも仲良くしてあげてよ」
「仲良く、か……」
夕河はテーブルに残されていた火乃佳のティーカップを眺めて、そっと呟いた。
すると、間もなくして噂の張本人が室内に戻ってきた。
「おい」
夕河は唐突に声をかけると火乃佳の前へ歩み寄る。
そして、彼女の握っていた紅茶缶を掠める。
「……紅茶の淹れ方、教えろよ。別にお前のためにってわけじゃないぞ。まだ花のことちゃんと謝ってなかったし、その罪滅ぼしっていうかだな……」
口を開けたまま、放心する火乃佳。
彼女は深いまつげを数回ほどぱちぱちさせて、
「はぁ? 自分で覚えなさいよ。ていうか、そこに立たれると邪魔なのよ。早くどきなさいよ」
「………………イラッ」
ふん、と一蹴した火乃佳は、そのまま椅子へ。
なにごともなかったかのように淡々と本を読み始めた。
「くっそおおお! てめえの血はヘドロでできてんのかよ! そこに直りやがれ!!」
「なにようっ! 下僕の癖に生意気ね! シツケてあげるから正座しなさい!!」
「うるせえよビータカ女! お前は生きてちゃいけない人間なんだよ!」
「言ったわね! あんたの家系、末代まで祟ってやるんだから!」
二人の激しい口論は続く。
最初こそ最低限の節操は保った会話だったが、その後はもう馬鹿と死ねの応酬。
ヘッドフォンをかけなおした雪が苦笑する。
「はは……これからは、賑やかになりそうだね」
窓から映る夕日が、室内を優雅に照らす。
果報部のなかは、日が暮れるまでずっと喧騒が絶えなかった。