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和泉夕河の優雅で従者な学園生活  作者: モカブレンド
第一章『始まり編』
1/10

第一話『始まりの花』

(俺もついに高校生か……)

 桜舞い散る校門の前で、一人の男子生徒が校舎を眺めて感慨に耽っていた。

 同時に、決意を表明するような握りこぶし。

 和泉夕河いずみゆうがは、かつて少女と交わした約束を忘れることにした。

 それは幼少の頃に出会った少女との、ささやかな恋の思い出。

 親の都合で海外に旅立つことになった少女。

 別れ際に伝えた『ずっと待っている』だなんて臭いセリフ。

 そんなものを後生大事に抱え続けていた結果、無為な中学校生活を過ごしてしまった。

 長い空白の間に幾多もの英雄が時を駆けて、たくさんの主人公が美少女ヒロインとのラブやらコメディーを成立させてきたのだ。

 そう考えると、果たして自分の人生は充実したものなんだろうか。

 自分が一度でも、女の子と曲がり角でぶつかったことがあるだろうか。

 偶然にも傘を忘れてきてしまったヒロインと相合傘をしたり、車に水をかけられたり急なハプニングで透けた学生服から覗くブラジャーを目に焼きつけたことがあるだろうか。

 ──いや、ない!

 夕河は過去の遺産を捨てる。

 紛れなき高校デビューへの証明。

 自分にだって本気をだせばラノベ主人公みたいな胸ときめく展開が待っているはず。

 少年がそんな期待を抱えながら足を踏みだした。

 抜けるような青空。校舎に降り注ぐ一筋の光条。

 校門を越えると、夕河の眼前には虹色の庭が広がっていた。

 私立天門学園には、玄関までの道程に色鮮やかな庭園が続いている。

 中央の噴水広場を囲むような花畑と、行き交うたくさんの生徒。

 その間にできている石造りの道を進んでいると、ある光景が目に映った。

(……絡まれている?)

 一人の女子生徒が、三人の男子生徒と話している。

 姿は男の背中に隠れていてよく見えない。分かるのは、その女子生徒が気品のありそうな、すらっと伸びる長い髪をしているということだけだ。

 これは間違いないと夕河は確信した。

「おい」

 少年の一声に、男子生徒が振り向いた。

(フ、やっぱりな……)

 夕河は微笑する。

 自信満々に声をかけた夕河とは正反対で、三人の男子生徒は震えていた。

 いや、震えなどという生易しい状態ではなかった。

 目尻に涙を溜めて、許しを懇願するような表情をしているのだ。

 きっと自分の研ぎ澄まされた高校生オーラが、彼らの本能を焚きつけているからだろう。

 そうなれば、これはもう実力の差が見えた消化試合。彼らに戦う意志はないはず。

 夕河は花壇の前に立つと、ブチィッ! と一輪の白い花を引っこ抜いた。

 指先で花をくりんくりんと弄ぶ。

「お前ら、悪いことは言わない。武器(は、ないか……)を捨てて早々にこの場を」

「う……うわああああああっ!!」

 夕河が啖呵を切り終える前に、男子生徒は散っていった。

「あ、あれ? おい、ちょっと?」

 更に、その光景を目にした周囲の生徒が一斉になってひそひそ話を始める。

 少年は少し悩んだ。

 なんて言うか、あれなんだろうか。

 ちょっと高校生らしすぎて、感動してしまったとか。

 何はともあれ、これで夕河は『男子生徒に絡まれて困っている女子生徒を救うことができた』と胸を撫で下ろす。

 最後に、女子生徒との感動のご対面。

「大丈夫でしたか? どこか怪我とかは──」

 夕河がロングヘアー美少女に声をかけようとした瞬間、これまでに体験したことのないほどムッとした熱気が身体を貫通して、消えていった。

 そんな感覚に囚われる。

「よくも……やってくれたわねっ」

 夕河は、ふいに美少女と目が合ってしまった。

 途端、さきほどの男子生徒のように身体の震えが止まらなくなっていた。

「お、おおう……」

 情けない声をあげて、夕河が一歩たじろぐ。

 女子生徒の全体像があらわになる。

 シンプルゆえに拡張性のある可愛らしい制服。少年が目にしていた長髪は、両サイドがリボンで小さく結われていた。芯のある瞳。眉目は丁寧に描かれた精巧品のよう。気品のある立ち振る舞いと、それを支えるしなやかな体つきが、女子生徒を正真正銘の美少女であると肯定していた。

 しかし、そんな現実も今の夕河には分からなかった。

 最初に飛び込んできたのは、何者をも凌駕するような鋭い眼光だった。

 百獣の王らしき威厳を称える瞳が、少年の心を捉えて離さない。

 水風船のように膨らんだ胸を支える両腕が、果たして胸を強調しているのか、女帝の風格を成しているのか、それさえも頭のなかで混同して分からなくなっていた。

 肉体は弛緩せずこわばっているのに、聴覚だけはやたら研ぎ澄まされてクリアで「あの新入生やっちまったな……」とか「理事長の娘になんてことを……」や「彼女が大事に育てていた花畑が……」など、そんな言葉が聞こえてくる。

 女子生徒が眉間にしわを寄せて口を開く。

「なに。人の大切にしてる花畑を荒らしておいて、だんまりなわけ?」

「いやっ、その、ははは……」

 にべもない態度にひどく狼狽する。

 結論から言うと、和泉夕河は取るべき行動を完全に間違えたのだ。

「ひれ伏しなさい」

「え?」

「いいから早くひれ伏しなさいッ!!」

「ああ、は、はいっ……!」

 激しい一括により、流されるまま腰をおろし地面に手をつけてしまう。ついでに花も転がる。

 夕河にとって人生で始めての土下座。

(……謝るしか、ないよな)

 ここにきて夕河は、ようやく自分がした過ちに気づき後悔。土下座をする覚悟を決めた。

 それはさておき、土下座には幾つかの型分けがある。

 何も考えず、ひたすら平謝りする一式。

 自己の責任回避のみを追求する斜め上の二式。

 誠心誠意の限りを尽くして相手の立場に献上する対空迎撃用(?)の三式。

 そして、

「あのですね……」

「なにようっ」

 女子生徒の履いている、チェック柄のスカートがひらひらと舞う。

 ツンとわさびの利いたような声を投げてくる。

 土下座の体勢を保ったまま、見あげる姿勢で夕河は言った。

「お、お美しい桃色パンツで……」

「~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!」

「んげぶばらあぶらはむっ!!」

 激怒した美少女は、靴底で思いっきり夕河の頭を踏みつけた。

 少年が地面と熱いキスをしている間、美少女は赤面顔で左右をギラリと睨みつける。

 今の土下座が、間合いのない密着状態から上半身の首のみで繰りだす零式。

 またの名を、ドゲザゼロスタイルという。

「あんた、顔の如く最低な下衆男ねっ!」

「うう……ずびばぜん……」

 たとえ緊張度マックスだったからと言っても、今のは言い訳のしようもない。

 こうなったらもう、ひたすら謝るしかない。

 夕河は覚悟を決めた。

「すいませんでした! 何でもするので許してください!」

「ん?」

「えっ!?」

 意外な反応に、思わず顔をあげる。

 ついでにもう一度パンツを直視してしまい、また蹴られる。

 聞こえなかったのだろうか。

 こんな痴態を二度も晒すのは癪だったが、夕河は息を呑んで叫んだ。

「何でもするので、許してください!!」

「…………」

 長い膠着が続く。

 外野から聞こえるざわつきも薄れた頃、美少女が口を開いた。

「今、何でもするって言ったわよね?」

「あぁ……まぁ、一応」

「じゃあ下僕になりなさい。この命令を撤回することは許さないわ」

「えっ、ちょっと待ってくれよ!」

 地に手をつける夕河の前から、美少女は長髪をゆらめかせて去った。

 根から取り残された白色に咲く一輪の花が、虚しく地面に転がっている。

(くそぉ、やっちまった……俺の高校デビューが……!)

 期待を胸に秘めて喜んでいた、数分前までの自分は消えていた。

 ラノベ主人公みたいに。

 和泉夕河の学園ライフは、どうやら彼女の支配下に置かれたようだ。

 暗黒の世界に心が沈んでいく。

 済んだ青空の下。

 夕河はしばらくの間、周囲の笑い種にされるのだった。


   2


 時は放課後。

 校内放送で呼びだされた夕河は廊下を歩いていた。

(完全に失敗した……勢い余ってあんな行動を……いやそれよりも、まさか彼女が学園理事長の娘だったなんて)

 夕河は自分の行動を悔やんでいた。

 あの後、授業中も休み時間も散々だった。

 嫌でも耳に入ってくる情報をかき集めると、およそ彼女の仔細が鮮明になる。

 まず、名前は天門院火乃佳てんもんいんほのか。この私立天門学園の二年生だ。

 彼女には姉妹がいて、特に姉のほうである火乃佳(さっきの美少女)は、入学して以来、ずっと傲岸不遜な態度で人を見下してきた、学園で最も警戒しなければならなかった相手なのである。

 彼女にも長所がある。

 それは花を愛でる生粋のお嬢様ということだ。

 つまり、夕河は不幸にも彼女が嫌っている両方の面を刺激してしまったのである。

 これでは許されるはずがない。

 いや、それどころか麗しき学園ライフが終焉を迎えてしまった。

 平凡な日常はおろか、以降はずっと下層、そのまた下層、そのさらなる最下層の位置で、学園生活という長い時間を過ごさなければならない。

 まさに学園と名のつくプリズンと化したわけだ。

 夕河は重いため息を吐きだした。

 とりあえず目的地に向かう。

「ここか。なになに、特別室……?」

 プレートを仰ぎ見ると、そんなふうに書かれていた。

 指定された場所は教室から随分離れていて、更にはこんなけったいな名前の部屋。

 ああ、そうかと夕河は理解した。

 特別な折檻室、という意味だろう。

 こうやって不遜な態度を行った生徒を懲らしめているのだ。

 意を決して少年は扉を開く。

「なんだこりゃあ」

 その部屋は異次元だった。

 まず、室内が異常なほどに広い。次にテーブル、長椅子、冷蔵庫、パソコンにテレビ。果てはバスルームなどの様々なものが完備されている。少し高めの新築といった内装だ。

 けれど、それは夕河にとってまだ納得のいく事象。

 一番に少年の心を深く抉ったのは、部屋の汚さだった。

 汚い。とにかく汚い。

 夕河は親の教育もあってか、そこまで部屋を汚くしたことはなかった。とはいっても、普通の男子高校生(の予定だった)だ。それなりに汚くしたことはある。

 が、目の前にある光景は少年の予想をいたく度外視している。

 乱雑に脱ぎ捨てられた衣服、靴下、シャンプーハットに下着、パジャマまである。

 服の展覧会を見終えるなり、今度は大量に積み重なったゲームやら本の山、どうしてここにあるのか分からないが、ちょっと肌色の多すぎるパッケージのゲームまでもが目に飛び込んでくる。

 これぞまさしく、噂に聞く『汚部屋』というものだろう。

「いったい、こんなところに呼びだしてどうするつもりなんだ」

「──誰かいるのかい?」

 夕河が頭を悩ませていると、ふいに声がした。

 天門院かと思ったが声質が違っている。

 彼女のキンキンと響く感じの声ではない。とても落ち着いた声色だった。

 夕河はそろりと周辺を見渡す。

 すると、スリッパを履いた少女が室内にあったおそらくバスルームからでてきた。

 それも下着姿で。

「ん。姉さんじゃないのか。きみは誰だい?」

「おおお、お前っ……!?」

 夕河は戸惑う。

 その様子を、無表情で眺めている少女。

 宝石ならアクアマリンをイメージするだろうか。奥底まで見通すような澄んだ瞳が、あの美少女とは対照的な雰囲気。ボディラインは天門院ほどではないにせよ、同じようにきゅっと引き締まっていて、夕河は思わず何を着ても似合いそうだなと感心してしまう。

 ただ、そんな場合でもない。

 加えて、下着姿というには少し語弊があるようだ。

 下は履いているけど上はない。上のほうには、飾りレベルでほかほかと湯煙を散らすタオルが添えられているだけ。

 ほとんど裸と言っていい。

「どうかしたのかい?」

「い、いいや、別にっ!」

 夕河は顔に手をあてて視界を遮断する。

 が、ついつい見てしまう。

「ああ、もしかしてぼくの身体を見つめてるの?」

 少女は含み笑いをした。

「どうかな。きみから見て、ぼくの身体は綺麗に映っているかい?」

「えっ? そ、そうだな……」

 丸みを帯びた肩。その肩上を髪先がつついている。しかも風呂上がりのようで、しっとりとしたつやつや感がある。体格は女子生徒のなかでも華奢な部類だろう。

 なんと言っても美少女。その一言だけあれば十分。

「綺麗なんじゃないか?」

 そんなことをつい口走ってしまった。

「……ふふっ、そうかい。それはありがとう。ところで、きみはこの場合どうする?」

 突然に少女が言う。

「選択肢その一。我慢できない! 俺はこの娘を押し倒す!」

「選択肢その二。彼女は理事長の娘だ……そんなことはできない」

「選択肢その三。タオルだけでもいいんで取ってください」

 指を折って説明した少女と困惑する少年。

「さぁ、どうするんだい?」

「いやおかしいだろ。なんでこんな選択肢を選ばなくちゃいけないんだよっ!」

「もしものケースだよ。ああそれと、言っておくけどこの状況。ぼくが叫んだら、きみは学校の最低人間どころか犯罪者にまで登りつめてしまうんだからね。気をつけなよ」

「そ、それは質問に答えなきゃだめってことか……」

 少女は頷いた。

 夕河にとっても、罪に罪を重ねるようなことはしたくない。

「じゃあ二番で」

 迷わず即答する。

「ああごめん。それ売り切れ」

「なんでだよ!?」

「なんでって、つまんないからだよ。ほかに理由があると思うかい?」

「あのさぁ……」

 呆れるも立場ゆえに追及できず。

「じゃあ、いや、う~ん、その、なんだ、あれか、ええと、つまり……」

「早くしないと叫ぶよ」

「うぐっ! さ、三番で!」

「え。そんなことさせるの……?」

「おおおおお、お前ーっ! お前なああっーーー!!」

「しょうがない。叫ぼうかな」

「それだけはやめてくれっ!」

「じゃあどうするのさ」

「そ、それは……」

 夕河は口ごもってしまう。

 ここで、少し冷静になることを考える。

 確かに選択肢を決めてしまえば、彼女から変な目で見られるかもしれない。

 ずっとこの発言を抱えられたまま、天門院と彼女との二重、いや周囲からの軽蔑も含めれば三重苦になるが、それで学園生活を過ごしたって、実際に彼女を襲うわけじゃない。

 そう考えれば、自分は『あえてこの選択肢を取る』ことで、逆に彼女を襲わなかったんだ、という紳士的な印象を持たれて、かつ、それがソーシャルなんちゃらで拡散されることになれば、もしかしたら今の環境が変わって、充実した高校デビューができるかもしれない!

 夕河の腹は決まった。

「じゃあ、いちば────」

 そのとき、部屋に落ちていた服を踏んづけてしまう。

 バナナの皮の要領で、つるっと。

「う、うわ、うわあああっ……!」

 夕河の身体が重力に負けて斜めに。

「お?」

 少女が驚いた表情も見せず喋る。

 後ろに倒れれば良かったのに、夕河は前のめりになっていた。

 彼女を覆うように巻き込み、滑った勢いでタオルをぎゅっと握る。

「うわああああああっ!!」

 どさぁん!

 夕河は彼女ごと倒れてしまった。

(痛ててて……ハッ! なんだ、この手触りは……!?)

 立ち上がろうとして、咄嗟に気づく。

 もにゅもにゅ。

 もにゅもにゅ。

 そんな音が聞こえそうなほど柔らかい感触が手のひらにあったことに。

 タオルは綺麗さっぱりどこかへ消えていた。夕河が疑問を抱えたまま両手で揉みほぐすように手のひらを動かしていると、口の隙間から漏れるような「んぁ……」という声。

 そして意識する。

 彼女の胸を揉んでいたことを。

「す、すまんっ! 違うんだ聞いてくれ、これはだな」

 突然のハプニングに弁解する夕河。

 だが、倒れて胸を揉まれる少女と押し倒した少年。

 この図だけを見れば、どう考えても言い逃れできないだろう。

 口を開こうとした瞬間、一度だけ感じたことのある、あの熱気が背筋を貫通していた。

「あ、て、てんもんいんしゃん……」

 首だけで振り返ると、そこには開きっぱなしの扉の前で仁王立ちする天門院火乃佳の姿。

 どうも不幸というのは立て続けに起きるらしい。

「覚悟は、できてなくても関係ないわね」

「ふぁい……」

 生唾を飲み込んだすぐ後。

「ごめんなさいごめんなさいすいませんでした神様天門院様、許してください!」

 二度目の土下座で切実な弁解をする。

 背中に伝わってくる殺気。

 夕河はこれでもかというほどピラミッドの位置関係を思い知らされ、

「はぁ……」

 る、ことはなかった。

「あれ?」

 お咎めなし、なのだろうか。

 天門院は前髪を掻き分けながら言った。

「ま、大体事情は飲み込めたわ。どうせ雪に遊ばれたんでしょ」

「ええと……つまり、どういうことだ?」

「とりあえず、どけばいいんじゃないの?」

 思わずハッとなる。

 若干頬が赤くなっているが、それでも無表情な彼女が胸を触られたまま、じっと見つめていた。

 ごめん、といいそびれて後退する。

 少女は落ちていたタオルを拾い、首からさげて立ちあがった。

「ふふっ。眼鏡があれば、完璧だったんだけどね」

 よく分からないことを言って、彼女は口元を歪める。

「……ま、いいや。紹介が遅れたね。ぼくの名前は天門院雪てんもんいんそそぎ。天門院姉妹の妹のほうさ。これからひとつ、よろしく頼むよ」

「ああ、よろしく……って、どういうことだ?」

 意味が理解できず、首を傾げる夕河。

「どう? なかなか面白そうな逸材でしょ?」

「おい!」

 そんな夕河を無視して、天門院もとい火乃佳が雪に話しかけた。

「フフ……そうだね。まさか胸を触られるとは思わなかったけど、しばらくは楽しめそうだ」

「話を聞いてくれーッ!」

 大声をあげた夕河に、眠たそうな顔で振り向く二人。

 息をせき切らす少年に向けて、両腕を組む仕草をして火乃佳は言い放った。

「あんたは今日から、この天門院火乃佳が部長を務める『果報部』に従事するのよ!」

「果報……部?」

 夕河は目を白黒させた。

 そう、と口にして火乃佳が唇を弾ませる。

「何でもするって言ったじゃない。この天門院火乃佳は、まだあんたが花を摘み取ったこと許してないのよ? パンツだって見られたわけだし」

「う……」

 全くもって言い返しのしようもない。

「つまり、俺がその果報部ってやつに入部すればいいんだな?」

「は? 何言ってるの?」

「違うのか?」

 またも予想とはずれた答えが返ってきて困惑する。

 火乃佳は、何故か人を小馬鹿にするような目つきで少年を見据えていた。

「下僕よ、げ・ぼ・く。正式な部員じゃなくて、私の召使いとして歓迎するわ」

「なん……だと……」

 夕河は驚きに口をあんぐりとさせる。

「おいおい、いくら何でもあんまりじゃないか! 俺にだって人権ってもんが……!」

「あ~でもぼく、胸触られたんだよね。こう、急に部屋に侵入してきて、ぼくの裸を凝視してニヤつきながら、追い詰めるように三つの選択肢をだして脅迫を……」

「いや! だから、あれはお前が勝手に……!」

「それじゃあんたは、この学園にいる間、ずっと日の当たらない生活をしたいってことね?」

「ぐぐぐ……ッ!」

 左に訴えれば右から、右に訴えれば左から。

 夕河はもう、完全に袋小路に追い立てられた無様な貧弱高校生だった。

 思考回路が世界の外側を駆け巡って、ぐるりと一周する。

 夕河は大きく深呼吸。

 重苦しい息を吐きだした。

「もう、どうにでもしてくれ……」

「ふふっ! ついに新時代の幕開けね! 果報部の目覚しき門出よ!」

「不幸だと思って諦めたほうがいいと思うよ?」

「…………」

 夕河はもう何も言えなかった。

 ふと、桜の舞う校門での一幕を思い返す。

 今にしてみれば、朝は最高だった。

 あのときは高校デビューという名の希望を信じていた。

 何もかもが上手く進むような絶対感が全身を支配していた。

 少年は足元に散乱している衣類を見ながら途方に暮れる。

 とにかく、今日が終わり明日がやってくる。

 せめて明日は、もう少し大人になった自分がいることを切に願う。

 こうして和泉夕河の期待する高校デビューは線香花火のようにあっけなく散り、天門院火乃佳率いる果報部の下僕として、鮮烈にデビューしたのであった。

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