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【10】[とある侍女の……]

 誰もが予想した通りにラージュ皇国がホロストープ王国に圧勝し、ほぼ予想通りに戦後処理も終わった。唯一の例外はヨアキムがオルテンシアを側室としたことだが、彼女のもとへと頻繁に通うこともなく、すぐに人々はその存在を忘れ去った。


**********


「なにをしていらっしゃるんですか? エドゥアルド皇子」

 無事帰国を果たしたエドゥアルドは、自分の後宮とヨアキムの後宮の境の生垣に吊されていた ―― 正確にはベルトが引っ掛かって宙ぶらりん。

 どうしてこのような情けない姿を人気のない庭で晒しているのかというと、側室リザに会いたいエドゥアルドは、正面から入る許可が出ているのにも関わらず(ヨアキムが許可を出し、本人にも伝えている)あいも変わらず生垣を越えて側室リザへと会いに来た。

 帰国して雑事を終えるまでは我慢したこともあり、エドゥアルドは逸る気持ちを抑えきれなかった。

 久しぶりに焦り、心赴くままに生垣をジャンプをして、越えかけたのだがベルトが引っ掛かった。

 このベルト、武器を腰に差す際に使用するもので非常に丈夫である。なにせ剣を二本に槍を三本くらい差しても耐えられる程。

 また高貴な生まれで高い地位に就いている者しか装備できない。

 ベルトは革製で、材料となるのは大陸で最も凶暴で強い爬虫類。幅は一般的な成人女性の中指の長さほどで、厚みはこれも一般成人女性の指関節一つ分ある。

 その革だけでも充分な強度を誇るが、さらに鋼で特注の枠を作りはめ込むことにより、より頑丈になる。

 そのベルト本体と鋼の枠の隙間部分が生垣に引っ掛かったので、吊されているエドゥアルドにはどうすることもできない。

「リザの侍女か」

「ブレンダ・ビショップです」

 その情けない姿を見つけたのは、ブレンダであった。

「私のベルトを外せるか?」

 鋼の枠もそうだが「皮」や「肉」あるいは「筋」を切りなれていなければ、まず切ることはできないので、外せるかどうか? を尋ねた。

 ブレンダは装飾品としてのベルトは作ったことがあるので、庶民には馴染みのない高級品であるベルトの外し方は知っている。

「失礼します……」

 ブレンダはエドゥアルドのことを”リザさまに言い寄るアレ”と認識しているが、自分の国の皇子が他の皇子の後宮で吊されていたら……やはりアレだが、命令には従うことにした。



 先の話になるが、ヨアキムの妃にとっては「ヨアキム<エドゥアルド」という評価であった。これはヨアキムの妃の中でエドゥアルドの評価が高いのではなく、ヨアキムの評価が地表ギリギリであったため、あまり良く知らないエドゥアルドのほうが「まし」であったからである。

 ブレンダは逆で「ヨアキム>エドゥアルド」という評価であった。なので他の者たちが「側室の一人くらいくれてやればいいのに……」そう漏らすのを聞くたびに噛みついた。


―― リザさまの幸せはどうしてくれるのよ! 愛してくれた人のほうが良い? その愛してくれた人が……煩いわね!


 ブレンダはエドゥアルドの奇行というよりは、情けない行動を逐一見ていたので否定するも、相手は一応皇子なので奇行に及ばぬ愚行、愚行とも呼べぬ珍行を他者に語ったりはしなかった。

 ブレンダの語彙では語りきれなかった……ということもあるが。


「私の力では無理です」

 ベルトの端に手をかけて引っぱってみるが、ベルトはエドゥアルドの体重がかかり、びくともしない。

「そうか……ヨアキムを呼んできてもらえるだろうか?」

「あ、はい」

 ブレンダは急いでヨアキムを呼びに走った。

 その間エドゥアルドは宙吊りになったまま。その時、当然ながら後宮に側室リザは滞在しており遠目からその姿を見ていた。そして近付いて笑わない自信が無かったので急いで部屋へと引き返し、ブレンダが戻って来るまで一頻り笑った。


**********


 その頃ヨアキムはというと、皇帝マティアスにユスティカの王女エスメラルダを側室として迎えるにあたって、諸事の説明していた。

「エスメラルダの他に五名か」

「はい」

 ブレンダはヨアキムが皇帝と話合い中だと言われたが、エドゥアルドをいつまでも後宮の庭に吊してはおけないと取り次いでもらうことにした。最初は難色を示されたが、

「私を取り次がないと、呪われると思いますよ」

 脅しをかけられて、皇帝の部下が扉を叩きヨアキムに”ブレンダ・ビショップが大至急会いたい”旨を伝えた。

「ブレンダ・ビショップ……リザ・ギジェンの侍女か」

 息子が懸想している側室の侍女が訪れたと聞き、マティアスはヨアキムと顔を見合わせる。

「呪われると言っておりますが……」


―― エドゥアルドか? だがエドゥアルドは呪わんだろう……なんだ?


「陛下。少しばかり席を外させて……」

 エドゥアルドはあの通りの性格なので、人を呪うことは無いに等しい。側室リザに恋い焦がれている今ですら、ヨアキムに渡せとは言うが呪うようなまねはしない。

「ブレンダ・ビショップを通せ」

 第三皇子が側室リザ関係で騒動を起こしたのであろうと考えたマティアスは、自分も状況を聞くことにした。

 通されたブレンダはヨアキムに接する時以上に頭を下げ、

「エドゥアルド皇子が少々、ヨアキム皇子の後宮で足を滑らせて少々。ヨアキム皇子に少々用事があるとのことで。通りかかった私が少々言いつかりました」

 もの凄く言葉を選んだ。

 侍女をこれ程困らせるようなことを他人の後宮でしでかしていると知ったマティアスは、ヨアキムと共に後宮へと向かった。


 そしてぶら下がっている息子と対面することになる――


「大丈夫か? エドゥアルド」

「降ろしてくれ」

「分かった。だから正面から入ってこいと」

 ヨアキムはその身長と手の長さを生かし、エドゥアルドを生垣から取り外してやった。

 マティアスはと言うと”リザ・ギジェンをエドゥアルドに……”と父として喉まででかかったが、皇帝として耐えた。

 出来の悪くない、凛々しく勇敢な息子、それも大国の皇子が、生垣で宙吊りになっている姿は父としては辛いものである。それも理由が、

「お前にしては珍しいな」

「焦っていたのだ」

 異母兄の側室に会いたくて忍び込み失敗となれば ―― まったく忍び込んでいない状態ではあるが、言葉の綾として忍び込み。便宜上忍び込み ―― かける言葉もない。

「エドゥアルド」

「父上」

 妃であり母であるシュザンナに今回の出来事を伝えるべきか? 悩みながら、

「来なさい」

「はい、父上」

「ヨアキム」

「はい、陛下」

「日を改めて聞く、今日は終わりだ」

「はい」

 エドゥアルドを連れてヨアキムの後宮を去った。そのマティアスの後ろ姿は、まだ皇帝の威厳を保っていた。

―― 陛下を困らせるな、エド……

 ”皇帝を困らせるな、エドゥアルド”そう思いかけたヨアキムだが、エドゥアルド以上に困らせているのは「側室リザは渡さない」と言い張るヨアキムであり、

「面白かった」

「お前なあ」

 同程度困らせているのが側室リザことベニートである。

 エドゥアルドは二人に比べれば、些細なことしかしてない。事情を知らない人にはそうは見えないとしても。

「いつも華麗な動きを見てるから、余計……ぶっ!」

「……」

 ”お前に会いたくて宙吊りになったんだぞ。笑うな”普通であればそう言うところだが”お前”がベニートの時点で、ヨアキムは無言になる。

「そうだ、ヨアキム。ベルトの革、貰いたいんだけど、いい?」

「わざわざ私の物をか?」

「ああ。エドゥアルドの生還お祝いにベルトをブレンダに仕立ててもらおうと思って」

「ブレンダは軍用は無理だろう?」

「軍用じゃなくて、鋼で補強していない……宙吊りにならない為のベルト……ぶっ、ははははは!」

「お前も材料の革は持っているだろう」

「もちろん持っているけれども、それはベニートの革だろ? 側室リザがベニートとも仲良いとかなったら、収拾つかないから。リザはヨアキムの側室だからさ」

 傍から見ると既に収拾がつかなくなっている状態だが、現時点では傍観者がいないので、ますます収拾がつかない方向へと進んでゆくことになる。

「分かった……なんのつもりだ? リザ」

 側室リザはヨアキムに背後から抱きつき、

「革をくれると言ったから、喜んで抱きついてみたんだよ」

「抱きつくまでは仕方ない、許すが……何処を触っている!」

 その抱きついた腕を下げてヨアキムの腰の近辺を触り出した。

「もう一歩、進んでみようかなと」

「何処へと進もうと構わんっ……触るな!」

「遠慮しないで」

「遠慮ではない、気持ちが悪い」

「体は正直、正直。ほら硬くなって」

「ベニーッ……」



 ヨアキム皇子はリザさまを抱いて達する時に「ベニュ……」と漏らすこと多い。不思議なかけ声だな ―― とある侍女の誰にも聞けない、同意も求められない疑問。



 ブレンダが耳をそばだてて聞いているのではなく、極力声を殺しているために、逆に最後の最後が悪目立ちしていた。


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