≪6≫
帯広のホテルのパンフレットで『幸福駅』を見て、興味がわいたので、立ち寄ってみることにした。
今日は、北海道に来て初めての雨だった。雨の中、昨日来た道を少し引き返すことになる。
"駅"とは言っても、随分昔に廃線になっていて、現在は完全な観光地と残っているようだ。
半年前の夢に出てきた、廃屋のような駅舎を連想したが、到着してみると、かなりイメージとは違っていた。それでも、当時の切符のレプリカが観光用として売られていたので、せっかく逆戻りまでしてやって来たので、買っておくことにした。
その後、また帯広に戻って、今度は釧路へ向かった。釧路湿原を見た後、時間的には余裕があるが、天候も悪く、洗濯物も溜まったことだし、今日は釧路に泊まることにして、コインランドリーを探した。
翌日は見事な快晴になった。今日は、とりあえず根室半島の先端、納沙布岬を目指す。根室半島の途中の道路脇に「北方領土が見える宿」という立て看板が目に入った。白い二階建てで洋風なペンションだった。
ずっと、ビジネスホテルや観光ホテルばかりだったので、直感的に今日はここと決め、そのままクルマを滑り込ませる。
玄関に入ると、すぐにオーナーらしき男性が現れた。
「突然で申し訳ありませんが、今日は泊まれますか」
愛想よく、二つ返事で「大丈夫ですよ。まだ部屋の準備は出来ていませんけど」と返ってきた。
とりあえず、予約だけ済ませ、納沙布岬を見に行くことにした。
ホテルに戻った頃には、ちょうどいい時間になっていた。
フロントで予約したときと同じ男性に部屋の鍵を貰う。
二階に上がり、部屋の扉を開くと、その明るさに一瞬たじろいだ。さすがにホテルの小さな窓とは違い、部屋の向こう側は、カーテンが閉まっているものの、光の具合から全面がガラスになっているようだ。
部屋に入り、さっそくカーテンを開けてみる。ガラスサッシの向こう側は、ベランダがあった。そのままベランダに出てみると、ベランダは隣の部屋まで仕切りなしに繋がっている。
遠くに見える国後島をぼーっと眺めながら、美晴のことを考える。
今頃、どの辺だろうか…。
二日続けて、早めに宿に入ったのは、自分が進みすぎているような気がしたから。
やっぱり、会えるんなら、会いたいよな…。
そんな事を、5分ほど考えていただろうか、突然、隣の部屋の窓がガラリと開く音がして、我に返った。
そこから、ロングヘアーの女性が出てきた、今度はその髪型から真奈美を思い出してしまった。
「うわー、今日はよく見える」
女性は僕に気付くと、
「こんにちはー、今日はよく見えるね」
「そうですね」
ロングヘアーに白いTシャツとジーンズ。昔、流行った小説に出てきそうな格好だ。
その後、女性はしばらく無言で国後島を眺めている。
女性が出てきてすぐに部屋に引っ込むのも、なんだか格好が悪い。
とはいえ、逆にここにいては邪魔なのかもしれない。
戻るタイミングを図りながら、ぼくも国後島を眺めた。
「そうだ。写真撮ってくれないかな」
「いいですよ」
女性は部屋に戻って、デジカメを持ってきた。女性が持つには、少々ゴツイ大きさだ。
「こっちの部屋の中から撮ってくれる?」
とまた部屋に入る。ホテルとはいえ、女性の部屋に入るのは、少々緊張する。
中にはいると、ヘルメットとオートバイ用のツナギが置いてあった。ますます小説の世界だ。
女性はカメラを窓に向けながら、何度かダイヤルを操作していた。…オートじゃないのか?
「私は影になって良いから、海がよく写るようにね。まずは、一枚撮ってみて」
そういってカメラを渡すと、ベランダに立ってポーズをとった。
とりあえずシャッターを押す。
女性は写真を確認すると、液晶画面を手で覆ったりしながら構図を指示し、いろいろなポーズを撮った。
正面から三枚。横顔で一枚。後ろ向きで海を見ているところを一枚。
確かに、美人だが、ナルシストか…?
でも、人物が暗すぎる写真では意味がないような気がする。
「うんうん上出来。ありがとう。変な女だと思った?」
ドキッとした。…思っていた。
「私、松園涼子。雑誌のフリーライターしてるの。記事にして売り込むから、君の撮った写真、雑誌に載っちゃうかも」
「そうなんですか」と感心しながらも、どう見ても年下。二十代半ばくらいに、"君"と呼ばれたことに少々の違和感を感じる。
「バイクで北海道を回ってるんですか」
「クルマや自転車じゃ、こんなの着ないものね」
どうも調子が狂う。そろそろ退却するか…。
「あ、ごめん。君も撮る?」
そういえば、北海道に来てからあまり写真を撮ってない。
「じゃ、カメラ持ってきます」…撤退の機会を逸した。
部屋に戻って、荷物からデジカメを取りだし、涼子に渡してベランダに立った。
涼子は、カメラをしげしげと観察したあと、動きながらアングルを決めている、かなり写真にこだわりがあるみたいだ。フラッシュが光って撮影完了。
デジカメを受け取り、ディスプレイの画像を見ながら礼を言う。
「あ、そうだ。まだ君の名前を聞いてなかった」
そういえば名乗ってなかった。
「渡辺洋一です」
「嘘」速攻で否定された。
「本当です」
「へえー。まぁ、同姓同名でも不思議はないわね」
字が違うことを言う気力もなかった。
◇
部屋に戻って、ベッドでうとうとしていると内線電話が鳴った。食事の準備ができたらしい。
部屋を出ようとしたところで、目の前でドアがノックされる。
開けてみると、松園涼子だった。
「夕食でしょ。ご一緒しましょ」
「よろこんで」…ちょっと、やけくそ。
一階の食堂に行くと、オーナーらしき人が、
「あれ。ご一緒でしたか」
「さっき友達になったの」…そうだったのか。
「じゃ、席はご一緒でよろしいですか」
「よろしくね、オーナー」
食事が、まるでフランス料理のような盛りつけだったのにも驚いたが、涼子のテーブルマナーには、さらに驚いた。テーブルに座ってからは、別人のように上品で優雅だった。
それに、ナイフとフォークの扱い方が半端なく美しい。"蝶の舞うように"とはこのことだ。
ほとんどマナーなど知らない自分が対面にいるのが恥ずかしい。
「どうしたの?」でも、口調だけは変わらない。
「いや、ナイフとフォークの使い方に見とれてた」
「子供の頃から家では常にこれだったから、逆に箸は苦手なの」
うへー。そんなお嬢様には……、今は見える。
「一応、お嬢様育ち。でも、そういう世界が合わなくて、家を飛び出して、こういう仕事をしてるわけ」
納得できた。




