≪3≫
朝、部屋の内線電話で目が醒めた。
「おはようございまーす」
美晴の元気な声。
ベッドの時計を見ると、まだ、7時6分だった。約束の時間は7時半だったはず、アラームは7時10分にセットしていた。
「おはよう。早いね」
「バイキング行きましょう」
このホテルの朝食はバイキングだというので、朝食だけ頼んでおいた。
「すぐに準備するよ」
旅に出て、最初の朝食。普段の朝食は、コンビニのサンドウィッチに野菜ジュースが主で、ひとパックのサンドウィッチでさえ、半分残すほどの小食。
バイキングは勿体ないかとも思ったけど、自分でも信じられないくらいに食べた。
小食なんじゃなくて、毎日、似たり寄ったりのものばかりで、食欲が出なかっただけなのかも。
10時過ぎに酒田を出発。
もっと早い時間でもよかったんだけど、どうにも乗り継ぎが悪い。今日中に北海道に上陸できればいいということで、この時間にした。
「昨日、思ったことを聞いてもいいかな?」
「なんですか?」
美晴は真顔で応えた。
「肉がダメだっていったよね。昨日食べたのは、ミートソースパスタじゃない?」
「あー、それを言わないでくださいよぉ。連想しちゃう。形がはっきりしてるとダメなんです。カレーライスでも、とろとろに溶けていれば大丈夫で、ブロック状で歯ごたえがあると、噛めなくなるんです」
「なるほどね」
ミートという名称は平気だったのかな、と思ったが、これ以上はつっこむのは止めた。
「美晴さんは、北海道に行くのに、どうしてこのルートを選んだの?」
「それはですね、気分は日本海だったからです。演歌の世界、みたいな」
どちらかと言うと、この娘なら飛行機でひとっ飛びで行きそうなイメージなのに、やっぱり複雑なんだな。
「なるほど。似た者同士というわけか」
「似た者同士ですか?」
「昨日のカタルシスの話…。僕もちょっと毒を吐き出してもいいかな」
「いいですよぉ、そういう話、大好きなんです」
そう言って、美晴はいたずらっぽく微笑んだ。
「実は、僕も二年前にふられたんだ。それ以来ずっと低空飛行していた気がしてた。そこに早期退職の話で、これはもしかしたら上昇気流かもしれないと思って、それで手を挙げたんだ」
「男の人って引きずるっていうけど、二年は大変ですねぇ」
「二年間ずっとってわけじゃないんだけどね。数ヶ月くらい思い出さないことは、ざらにあった。でも、気がついたら二年経ってた。この間、何かをした記憶がないんだよね。会社との往復以外は…」
「ふられる前は長かったんですか?」
「数ヶ月で、何回かデートしたくらい」
「私なんか、片思いで、ふられてばっかり…」
美晴は大袈裟にため息をつく。
「きっと美晴さんのこと、好きな男はいるよ。でも、そういうところに目が行かないんじゃない?」
「いますかねぇ。でも、追いかけるのが好きなのは正解かもです」
いつの間にか、話を持って行かれてしまった。
「私のことを好きな人がいるとしたら、どうやって見つければいいんです?」
「うーん、シャイな男もいろいろだけどね。でも、そういう男から見ると、美晴さんは好きな相手ばっかり見ていると思うから、すぐそれに気付いちゃうと思うよ。だから、男からは告白できない」
これは中学の時の実体験だったりする。
「図星かもしれない。好きな人しか見てない」
「ブリンカーを外さないとね」
「ブリンカー?」
両手で自分の顔を左右から挟むようにして、
「競走馬がここに付けてるやつ。前しか見えないようにしている」
美晴もそれを真似して、両手で顔を挟んだ。
「でも、ここを邪魔しても、視界は変わりませんね」
「馬は目が横に点いてるからね。視野が恐ろしく広いんだ」
「なるほどー。でも、やっぱり好きな人を追いかけるのがいいなぁ」
◇
秋田で、今日一回目の乗り換え。
この頃から、美晴は一人で何かを考え込む時間が増えた。
会話はたまにあるけど、話が弾まない。
「秋田って聞くと、あと一歩って感じがするね」と言っても、
「そんな感じですね」という調子だ。
僕との会話に飽きたのか、ここまで来たことを後悔しはじめたのか…。
青森駅に降り立った。最後の乗り換え。次は北海道だ。
ここで、思い切って聞いてみた。
「もしかして、後悔している?…ここまで来たこと」
「そんなことないですよ」
力強さがまったく感じられない。
今日の予定は函館まで。ここまで来る途中で、昨日と同じ要領で、ビジネスホテルを予約していた。
「函館に着いたら、夜景を見に行かない?」
「どうやって行くんですか?」
「タクシーで登れるみたい」
「タクシー、ですかぁ…」
料金のことを心配しているのだろうか。
「僕は、一人でも行くつもりだから、便乗するならタダ」
「それじゃー、悪いですよ」
美晴は、ここまでも、一切奢らせてくれなかった。頑なに、自分の分は自分で払っている。
「たまには、社会人の財力を見てくれよ。それに、一人で使う方が勿体ない」
美晴は、ほんの少し間を置いて、
「わかりました。お言葉に甘えます」
そう言って、数時間ぶりに笑顔を見せたが、表情はまだ暗かった。
◇
しかし、ホテルに着いてみると、函館山は意外と近かった。もっと、街外れから見下ろすものだと思いこんでいた。
結局タクシーは使わずに、函館の街を見ながら歩いていくことにした。完全なリサーチ不足だったが、美晴は函館の街を見ながら、ライバル心を燃やしたのか、長崎の良さを熱弁しはじめた。機嫌は上向きのようだ。
麓からは、ロープウェイで山頂まで登れる。
「うわー、綺麗。長崎の夜景もすごいけど、函館も格別ですね。ウエストの所のくびれがセクシィです」
展望台の人垣の空いてるところを見つけて、美晴は柵を握りしめながら、
「やっぱり、来て良かった…」
美晴は、夜景を見ながら、そう呟く。
「私、北海道に着いたら、そのまま飛行機で帰ろうかな、なんて考えてたんです」
やっぱりか…。
「でも、この景色見たら、そんなの吹っ飛びました。バイキングはこれからですね」
「洋一さんは、北海道はどこを回るんですか?」
「まだ、はっきりとは決めてないんだけど…」
今が誘うチャンスだと思い、一緒に回らないか、そう言おうとした。
「私、考えたんです。お互いに反対回りして、北海道の反対側で出会えたら、それは運命って感じしません?」
言葉が出なかった。