≪2≫
富山駅には、昼過ぎに到着した。
乗り換えまでに一時間はあるので、予定通りここで昼食をとる。
ここからは、いよいよ日本海に沿って北上するルート。
食事を終え、乗換電車の到着を待って、すぐに乗り込んだが、急いで乗らなくても電車は予想外に空いていた。
席を確保し、発車を待っていると、ドアの付近で、小柄な女性が大きな荷物を抱えながら、きょろきょろ辺りを見回している様子が目に留まった。
空席ならいくらでもあるので、人捜しでもしているのだろうか、などと考えていると、その女性と目が合ってしまった。女性はしばらくこちらを見ていたが、おもむろにこちらに向かって近づいてくる。
一瞬「え?」と思ったが、ここの後ろに知り合いでもいるのが、お決まりのパターンだな。などと考えていると、彼女は僕の目の前で立ち止まり…。
「すみません。隣は空いてますか?」
「え、ええ、空いてますよ。なんなら僕が移動しましょうか」
意図が分からず、ちょっと狼狽えてしまった。
「すみません。ここに居て欲しいのです」
「はあ」と生返事をして、とりあえず彼女の荷物を棚に上げるのを手伝い、席に座り直す。
「本当にすみません。実は、前の電車で変な人にからまれて…」
「酔っぱらいですか?」
「いえ。関西弁の、若い男性三人組なんですけど…。突然話しかけられて、妙に馴れ馴れしくて、一緒に旅行しないかとか言い出すし、そのうち勝手に写真まで撮り出して…、恐いのと、腹立たしいので、この駅で停まったときとっさに降りて、一生懸命逃げたんです」
女性は、一気に喋った後、ふぅ、とため息をついた。
なるほど。女一人では不用心なので、その番犬代わりに選ばれたのか。
大学生かな。丸顔にクリッとした目が印象的で、小柄だから高校生にも見える。
「まさか、次の特急まで三時間も待つことになるとは、…トホホです」
三時間待ったということは、僕が乗ってきたのとは別の電車ということか。
「理解しました。僕で役に立つなら使ってください。でも、僕が安全という保証はありませんよ」
女性はじっと僕の目を見て「大丈夫です。きっと…。これでも、人を見る目はあるんです」と言って微笑む。
これには苦笑せざるを得ない。
「まぁ、僕の安全性は陽子の保証付きだからな…」
「ヨウコ、さん?」
「ああ、大学んときのサークル仲間でね、新歓の飲み会で、新入生の女の子を誰が送っていくかという話になったんだ」「そこで、僕が陽子に指名された…。『この人に送って貰いなさい。安全は私が保証する』ってね」
ぷっ。と吹き出した後、彼女は思い切り笑った。僕もつられて笑う。
あの時は、全員に爆笑された。
「ごめんなさい。でも、私の目は正しかったですか?」
「たぶんね」
「本当にごめんなさい。まだ自己紹介してませんでした。私、荒木美晴といいます。美しいに天気の晴れ。長崎から来ました。大学三年です」
「ぼくは、、、ちょっと最近、名乗りにくくなったんだよなぁ…」
とつぶやき、「笑わないでね」と前置きすると、美晴はコクンコクンと首を縦に振り、じっとこちらを見る。
「わたなべよういちといいます。せんじょうかめらまんではありません」
嫌がってみせた割には少しそれっぽく言ってみた。(普段なら意地でもしないけど、旅恥効果かな?)
「あ、目が三日月になっているよ」
「でも、笑ってません。…本当ですか?」
「ほんとうです」
「同姓同名ですね!」
「字が違うんだけどね。太平洋の洋に、数字の一。さっきの陽子が、太陽の陽」
「洋一さんに陽子さんかぁ、これは女の勘なんだけど、陽子さん、洋一さんのこと好きだったんじゃないですか?」
いきなりファーストネームで呼ばれたことにちょっとドキリ。まぁ、他意はないんだろうけど。
「好きな男に、別の女を送らせるの?」
「それは『線引き』ですよ。『安全』という呪縛で、あらかじめ線を引いておくことによって、お互いに手を出しにくくなるんですよ」
へぇ、と感心してみせると、美晴は続けた。
「肉を切らせて骨を断つ、、、違うか…。損して得とれ、、、いまいち」
"線引き"が一番判りやすかった。
「敵に塩を送る」つられて、ひとつ言ってみた。
「あ、それ、いいですね。んで、どうでした、その新人さんとは?」
苦笑しながら「なにも…」と答える。
うんうん、と大袈裟に納得する美晴。厳密に言うと、実は"その時は"何もなかっただけで、でも、そこまで話す事じゃないよな。
それに、陽子が、僕のことを?
それも、違う気がする。
それにしても、出会ったばかりなのに、すごく話しやすい娘だと思った。
美晴のペースに乗せられている気がする。
普段の僕は、こんなに饒舌じゃないはず。
◇
「あのお…、三つ聞いてもいいですか?」
「一つじゃダメ?」軽く抵抗してみたが、聞き流された。
「どちらから?どちらまで?…そして、おいくつですか?」
確かに、そのうち二つは自己紹介されてた。
「ああごめん、名古屋から。目的地は北海道。30代ど真ん中」
「私も北海道なんです」「お仕事ですか?」
「三つ答えたよ」
「ぶーー」
「公には、仕事探し。その実、ただの観光旅行」
「大変なのか、お気楽なのか、よく分かりませんね」
「僕はお気楽のつもりでいるから、気を使わないでね」
会社を辞めることになったこと。仕事探しは公休扱いになること。を掻い摘んで話した。
「なるほどー」
そう言って、コメントに困ったのか、美晴は少し黙り込んだ。
のかと思ったら、、、
「実は私、傷心旅行なんです…」
今度は、こっちがコメントに困った。
美晴は俯いたまま続ける。
「少し前に、好きだったテニスサークルの先輩に告白したんです。いえ、伝えて貰ったの…友達に。でも、その友達が先輩と付き合い始めて…」
「本当はその友達含めた五人組で北海道旅行の計画だったんです。だけど、、、」
「一人で飛び出して来ちゃったんです」
そこまで話すと、美晴はこちらを見た。泣き顔にはなっていなかったのには少し安心した。しいて言えば、強く意見を求めている顔だった。迷子の子犬にじっと見つめられた時は、こんな感じかもしれない。
どうして自分で告白しなかったのか、なんて事を言える立場ではない。
一人で飛び出してきた気持ちも、よく判る。
「きっと心配しているよ」
「してるかなぁ…」
しばらくの沈黙。
「話して、少し楽になった?」
「そういえば、そんな気分かも。こういうの心理学的になんて言うんでしょうね?」
「カタルシス?…何でも溜め込んでしまうのは良くないね」
「カタルシスかぁ、なんか聞いたことある」
「いや、ふと頭に浮かんだだけ。調べてみよう」
携帯電話で検索してみた。こういうのははっきりさせないと気が済まない性質なのだ。
『便利な世の中になったもんだ』と、言うこと自体が古くさいが、こういった、あやふやな意味からの逆引きにはまだ弱い。まだ、というより、だんだん弱くなっている気がする。検索エンジンがあいまいな検索をするようになったので、あやふやな検索が、あいまいになって、収拾がつかない。頭に浮かんだ単語を片っ端から入れてみた方が、手っ取り早いこともある。
まだまだだな、ネット。と言っておこう。
「いっぱいある。元々は古代ギリシャ語の医学用語で『病的な体液を体外へ排出すること』とある。それ以外にも多方面で、いろいろ解釈されているみたい」
「なるほどです」
そういえば、僕も溜め込みすぎたのが良くなかったのかもしれない。二年間の溜め込みの結果が、今の自分なのかも…。
◇
「そういえば、今日中に北海道に着くことは、ほぼ無理な状況なんだけど、今晩はどうするか決めてる?」
「あー、考えなきゃですね」
携帯電話でいろいろシミュレートした結果、酒田あたりで一泊することになった。
駅近くのビジネスホテル。もちろん、別々にシングルルームを予約した。
その時、夕飯はどうするかという話になり、食べ物の好き嫌いの話題になった。
「私、お肉がダメなんですよ。よく動物に感謝しなさいという話あるじゃないですか。その話で、感謝を飛び越えて、食べられなくなっちゃいました」
「僕も、学生時代までは偏食が酷かったよ。でも、社食っていろいろ選べるけど、うちの会社の場合、CランチかDランチを食べ続けるのが、一番バランスに良い献立になってて、毎日選ぶのも面倒だし、Cランチを続けてみたら大抵のものは食べられるようになった。でも、納豆はいまだに苦手」
「わー、私は大好きですよ。ランチのAとかBはないんですか?」
「AとBはそれぞれ肉系と魚系のランチ。栄養士が腕をふるうのはCとD。Cは一般向けで、Dはさらに低カロリー、糖尿病などの人向けってことらしい。予約制になってて、前の日の夕方5時までに予約券を買っておかないと、数量限定なんだ」
「大きな会社なんですか?…私、就職が、不安で不安で」
「美晴さんみたいに元気があればきっと採用されるよ。面接では元気が一番。社会に出てから思ったのは、僕みたいな陰気な性格でよく採用されたなってこと」
「ぜんぜん、陰気じゃないですよー」
途中から話はそれたが、決まったメニューが出る(かもしれない)ホテルの夕食は避け、選べる外食をすることにした。
何事もなくファミレスで食事を終えて、ホテルの部屋に戻り、バスタブに浸かりながら、荒木美晴のことを考える。
最初は、無鉄砲で明るい娘という印象だったけど、話しているうちに違う一面も感じた。
臆病で頑固。本当は不安で仕方ないのに、それを見せるのが恐い。だから、努めて明るくしているような気がする。
もちろん、普段はそのまんま明るい性格なんだろうけど…。
本当に女の子一人で、北海道を回れるのか心配になってきた。
いや、たぶん、一緒に回りたいという気になってしまっている自分。…のが正直だろう。