≪プロローグ≫
僕は、名古屋駅の新幹線のホームに立っていた。
今、ちょうど上りの新幹線がホームに入ろうとしているところだ。
目の前に新幹線のドアが停止し、静かにドアが開く。
誰も乗ろうとしない。
誰も降りてこない。
じっとドアの奥の方を眺めていたが、結局、誰一人乗り降りすることなく、再びドアは閉まった。
真奈美。
名字は知らない。
名前だって本名かどうかなんてわからない。
いわゆるネット上で彼女が名乗っていた名前。
もう会えないって言われたもんな…。
やがて新幹線は東京に向かって動き出した。僕はそれを目で追う。
新幹線が走り去る線路が、地平線まで続く。
その線路に寄り添うように、プラットホームもが、どこまでも続いていた。
どこまで続くんだろう。
プラットホームを歩き始めた。
一直線に真っ直ぐ伸びる、線路とプラットホーム。
左手には、背の高い草が生い茂り、その向こうは緑々とした山が連なる。
右手は線路があり、線路の向こうは、砂浜と青い海が広がっている。
空は、雲一つない晴天。
いつの間にか、プラットホームと線路以外には、何一つ人工物はなくなっていた。
その中をプラットホームと線路が、地平線まで延びているように見えた。
やがて、プラットホームの右側に建物が見えてきた。
木造の小さな駅舎。
近づくと、かつてペンキが塗られていたようだが、所々パリパリに剥がれて、ほとんど下地の木材だけになっている。
廃屋のような古い駅舎だった。
ここから外に出よう。
外に出てどうするんだろう。
ところで、戻れるのか。
そんな不安も過ぎる。
そういえば、名古屋駅の入場券しか持っていない。
ここから出ても良いのだろうか。
しばらく躊躇したが、駅員に聞いてみようと考えた。
ホームから駅舎に入ると、ちょっとした空間に、木製のベンチが一脚。
右手に改札口があった。
しかし、駅の中に人の姿はない。
少しホッとして、改札口と思われるところに、入場券を置き、駅の外に出た。
駅の外の風景は、まるで異国そのものだった。
地面がヨーロッパを思わせるような石畳だった。
駅前には、小型車が旋回するのが精一杯なくらいの、小さなロータリー。
そこから、ちょうど真正面には、左に少し曲がりながら上っている坂があった。車一台がようやく通れそうな道幅しかない。
そして、ロータリー三時方向にも、自転車一台がようやく通れそうな小道が延びている。こっちは下っていそうだが、ここからではよく見えない。
建物はというと、古い木造の三階建ての家が、ひしめくように建っている。
蟻の這い出る隙もないほどだ。
こんな風景を何かの映画で見たような気もするが、何の映画か思い出せない。
そして、やはり、ここにも人の気配はまったくなかった。
僕は、真正面に見える上り坂を進むことにした。
道が狭い上に、両側が三階建てになっているので圧迫感を感じる。
今にも古い建物が崩れ落ちてきそうな錯覚を覚える。
どれだけ歩いただろう。
坂道を上りつめたところに、金網のフェンスが見えてきた。
道はここで終わりなのか。
フェンスの所まで登りつめると道は丁字路になってはいるが、フェンスに沿って左右に延びる道は、自分の肩幅ほどの幅しかない。人とすれ違うのも大変そうだ。
フェンスの向こうは、広い川だろうか。
それとも湾なのか。
向こう岸には、コンビナートが建ち並んでいるのが見える。
何本もの白い煙が左斜め四十五度の角度で棚引いていた。
しばらく、コンビナートを眺めた後、さて、これからどうしようかと考える。
左右に続く道を進んでみたい衝動にも駆られたが、引き返した方が安全策と判断した。
同じ道を引き返しているつもりが、先ほどとは違い、建物がまばらになっている。
木造なのは変わらないが、平屋造りのこじんまりした建物ばかりだ。
ふと、左手に見えてきた、小さな木造平屋の建物に興味を惹かれた。
入り口は、道路側に面したガラス戸らしいが、近づいて中の様子を覗き込んでも暗くてよく見えなかった。
僕は、ガラス戸を開き、中に入ってみた。
室内は六畳くらいの広さだろうか。
薄暗い。
入り口以外は、全て床から天井まで本棚になっており、沢山の本で埋め尽くされている。
図書館だ。そう思った。
いや、この建物を見つけたときから、ここが図書館であることは判っていた気がする。
そして、奥にも、もう一部屋あることに気付いた。
そのつながり方が異形で、普通に二部屋が並んで繋がっているのではなく、互い違いに繋がっているようだ。
なぜか奥にある部屋は、薄暗いこちらとは対照的に、光に満ちている。
しかし、その部屋には、なにか危険なもの感じた。
薄暗い部屋の本棚から、一冊の本を何気なく手に取って、開いてみてドキッとした。
そのページには、犬の写真。
中学の時に実家で飼っていた"クロ"だった。
そしてそのページには、出会いの経緯から、別れの時まで事細かく記載されていた。
その前のページは"ジョン"だった。同じく実家で飼っていた犬だ。
次々にページをめくる。
懐かしいペットの写真で埋め尽くされていた。
これは、ぼくの本だ。
持って帰りたい。
そう思ったとき…。
誰もいないはずの背後から、男の声がした。
「ここは貴方の図書館ですよ」