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Elysia 目が覚めるまでの話

作者: つむぎ
掲載日:2026/06/03

ある日見た夢が、ずっと頭に残っていました。


その夢に、自分の記憶や気持ちを少しだけ重ねて、

ひとつの物語にしてみました。


短いお話ですが、どこかで何かを感じてもらえたら嬉しいです。

ジリジリと焼けるような夏。テレビからニュースの音が流れている。


日本で初めて、安楽死用の薬が開発された。


画面の中では、偉そうなおじさんや専門家のおばさんが、若者への影響や危険性について、途切れることなく話し続けている。

それは自殺を助長するものではなく、他人を巻き込む死を防ぐための対策だと、何度も繰り返されていた。


私は、ただぼんやりとそれを聞いていた。


私は動物看護師だった。


動物が好きで、助けたいと思って、この仕事を選んだ。

小さい頃から、おばあちゃんの家には犬やインコがいて、動物がいることが当たり前だった。


大学に通い、国家資格を取った。

授業も楽しくて、友達にも恵まれて、どこにでもいる普通の大学生だった。


春。ずっと憧れていた職業に就いた。


けれど現実は、思っていたよりもずっと重かった。


どれだけ医療が発達していても、救えない命がある。

腕の中で、静かに消えていく命がある。


ある日を境に、電車に乗れなくなった。


理由はわからない。

ただ、あの音が怖かった。

ゴトン、ゴトンと響くたびに、何か巨大なものが迫ってくるようで、逃げ場がない気がした。


眠れなくなった。

夜が来るのが怖くなった。

ようやく眠れても、夢はいつも悪いものばかりだった。


ある日、職場で息ができなくなった。


これが死ぬということなのかもしれない、と思った。


それが、最初のパニック発作だった。


医師から告げられたのは、「うつ病」という言葉だった。


笑顔が取り柄だね、と言われ続けてきた自分が、

そんなものになるなんて、思いもしなかった。


何より、自分自身が受け入れられなかった。


やがて休職し、家にいる時間が増えた。


時間だけが過ぎていく。


世界から色が消えた、という言葉を、どこか他人事のように思っていた。

でも今は、それがどういうことなのか、よくわかる。


そんなある日、いつものようにメンタルクリニックを訪れた。


「少しお話があります」


そう言われて通された部屋には、見知らぬスーツの男がいた。


次の瞬間、空気が変わる。


「おめでとうございます。あなたは、今年開発された安楽死薬の適用対象となりました」


頭が、うまく働かなかった。


その後の説明は、どこか現実味がなくて、

気がつけば、すべてが決まっていた。


──場所は、お寺。


集団安楽死が行われるという。


一日目。


広い部屋に、同じような人たちが集められていた。

誰も、深く関わろうとはしない。

明日にはいなくなる人間同士だと、どこかで理解しているから。


二日目。


最初の薬を飲む日。


案内された部屋で、お坊さんと向かい合って座る。

優しそうな、年老いた人だった。


机の上には、丁寧に用意された食事。


他愛もない会話をしながら、それを口にする。

好きなもの、苦手なもの。

まるで、普通の食事みたいだった。


薬を飲む。


何も変わらない。

ただ、いつもの睡眠薬と同じような感覚だけが残った。


三日目。


今日で終わる。

そう思っていた。


名前が呼ばれる。


同じ部屋。

同じお坊さん。


同じように、話をする。


そして、薬が差し出される。


──その時だった。


ふと、意識が引き戻される。


このまま、終わるのか。


家族の顔も見ずに。

友達にも何も言わずに。


もっと、できたことがあったんじゃないか。

もっと、違う選択があったんじゃないか。


後悔が、一気に押し寄せる。


手が、震える。


飲めない。


どうしても、飲めない。


喉の奥で、何かが詰まる。


気がつけば、泣いていた。


お坊さんの手が、背中に触れる。

ゆっくりと、優しく、撫でる。


その温もりだけが、やけに現実だった。


結局、私は飲めなかった。


荷物をまとめて、お寺を出る。


空は、何も知らないみたいに青かった。


後から知った。


あの薬は、安楽死のためのものではなかったらしい。


──生きることを選ばせるための、薬だったのだと。


ぴっ、ぴっ、ぴっ……


どこかで、音がしている。


遠く、深い水の底から浮かび上がってくるみたいに、

かすかに、規則的に、響いてくる。


さっきまで、ここには確かに何かがあった。


言葉にできないけれど、

大切で、あたたかくて、

触れたら壊れてしまいそうな、何か。


それが今、少しずつほどけていく。


音が近づくたびに、景色がにじむ。

輪郭がぼやけて、色が溶けて、

まるで最初から存在しなかったみたいに消えていく。


──待って。


そう思ったはずなのに、

何を引き止めたかったのかが、もうわからない。


確かにここにあったのに。

確かに、自分の一部だったのに。


音が、はっきりとした形になる。


現実が、静かに押し寄せてくる。


目を開ける。


見慣れた天井。

朝の光。

鳴り続けるアラーム。


胸の奥に、ぽっかりとした空白だけが残っている。


何かを失った気がするのに、

それが何だったのか、もう思い出せない。


アラームを止める。


静けさ。


カーテンの隙間から差し込む光が、部屋をゆっくり満たしていく。

遠くで車の走る音。

隣の部屋の生活音。

いつもと変わらない朝。


体を起こして、顔を洗って、服に袖を通す。


何も変わらない一日が、また始まる。


──それでも。


ふとした瞬間に、胸の奥がわずかに揺れる。


理由は、もうわからない。


ただ、何かがそこにあったことだけが、

かすかに、確かに、残っている。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


この物語は、ある日見た夢から生まれました。

目が覚めたあとも、なぜか心に引っかかり続けて、忘れられなかったものです。


書いているうちに、自分の経験や気持ちが少しずつ重なっていき、

気づけば「終わりの話」ではなく、「選ぶことの話」になっていました。


生きることは、ときどきとても苦しくて、

何も感じられなくなることもあるけれど、

それでも、ふとした瞬間に心が揺れることがあります。


この物語の中で描いたものも、

きっとそんな小さな揺れのひとつなのだと思います。


もしこのお話が、誰かの中にほんの少しでも何かを残せたなら、

それだけでとても嬉しいです。


ありがとうございました。

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