第九話 もうひとつの影
「出がらしの分際で、兄を待たせるとはけしからんな」
客間に入った瞬間、つまらなさそうにリチャードが吐き捨てた。
後ろに控えていたコジロウが、腰のカタナと呼ばれる東国特有の剣を抜きかけたので、手で制する。
――まだタイミングじゃない。
「所用がありまして屋敷を開けておりました。ご無礼申し訳ありません」
テーブルを挟んだ対面の椅子に座ると、コジロウは不服そうな顔のまま、俺の後ろに立った。
コジロウは怒り心頭のようだが、タマモさんは何食わぬ顔でお茶を配っている。
コジロウと寄り添って長いそうだが、ぱっと見、彼女の年齢わからない。
種族的な問題なのだろうか?
リチャードをはじめ、客人たちがタマモさんに見惚れている。その隙に“印”を結ぶ姿は、さすがだなあと、ちょっと惚れ惚れしてしまう。
見回すと兄リチャードの後ろには、騎士が五人、執務服姿の男が三人。
特待生のマリーが来ていないのは残念だが、欲はかけないだろう。
「構わんさ、出来の悪い弟の面倒を見るのも兄の仕事だ」
リチャードは美しい金髪をかき上げ、切れ長の青い瞳で俺を睨む。
「それで兄上、今日はどのようなご用件で」
配られた紅茶に手をつけたのは、兄と、騎士が四人。執務服の男は全員、口元まで持っていった瞬間、顔を歪めた。
タマモさんがお茶を飲みたくなる“印”を結んでいたのに、拒絶するとはなかなか。
身のこなしから手をつけなかった騎士が、一番腕が立ちそうだ。
執務服の男たちは訓練された魔法使いか、暗殺を生業とする輩だろう。
まあ兄が茶を飲んでくれれば、どうとでもなる。
「少々悪戯が過ぎたようだからな、お仕置きだよ。不敬罪で流刑。――で、済ませてやろうかと考えていたんだが、妙な情報を耳にしてな」
俺が話をうながすように微笑むと、その態度に腹を立てたのか、すごみながら言葉を続けた。
「『禁じられた書架の管理人』。自分のことを、そう騙ったバカがいたそうだ。おまえ程度でも名前ぐらいは知っているだろう?」
俺が頷くと、兄は意気揚々と話を続けた。
「その存在は、王国の守護にして世界の調停者だ。もし本当にその名を騙ったのなら、国王の名を騙ったに等しい。いくら王族の端くれとは言え、死罪は免れんぞ」
タマモさんが一礼して部屋を出た。
同時に、「コン!」という鳴き声と共に、魔法結界が部屋を覆う。
この部屋は、賊を捕らえるための設計し直されたタマモさん特別仕様だ。
母の暗殺以降、そんな仕掛けが屋敷中に存在している。
それに気付いた執務服の男たちが立ち上がった。
やはり訓練された戦闘員なんだろう。動きにそつがなく、判断が速い。
「包囲されました」
「くそっ、なんて結界だ!」
「術式がまったく読めん!」
立ち上がった執務服の男たちが慌てふためく。
東国の神秘と言われた魔術師タマモさんの腕は、まだ衰えていないようだ。
「とっとと蹴散らせ、グレッグは殺しても構わん!」
やっと状況を察したリチャードが怒鳴りはじめる。
騎士服の男たちが剣を手に取ったが、お茶を飲んだ四人はバタリと音を立てて倒れた。
「ど、毒か⁉」
ティーカップをもって震える兄上に「ただの睡眠薬ですよ」と教えてあげたが、どうやら聞こえていないようだ。
残った一番腕の立ちそうな騎士は、なぜか楽しそうに俺を眺めている。
執務服の三人が懐からナイフを取り出し、俺に向かって飛び出したが。
「フン!」
コジロウが剣を抜くと同時に、バタバタと音を立てて倒れる。
その一閃は風を裂き、床板に白い線を刻む。
「案ずるな、峰打ちじゃ」
コジロウは倒した執務服の男たちとリチャードを無視して、正眼に構え直し、いまだ楽しそうに微笑んでいる騎士に剣を向けた。
コジロウも楽しそうに微笑みながら、すり足時でジリジリと間合いを詰め、一足一刀の必殺の間合いまで距離を詰める。
コジロウが放つ闘気と騎士の放つ魔力が音もなくぶつかり、ビリビリと空気が震えた。
その緊張感に耐えきれなかったのか、リチャードが叫んだ。
「おおお、お前! こんなことをして、ただですむと思うな‼ 父上が黙って……」
そして半泣きのまま、パタリと倒れる。
一瞬途切れた緊張感に、誘うようにコジロウが切っ先を震わせたが、まだ騎士は動かなかった。
俺の目端に小さく赤いノイズが見える。
しかし鍵は不調なのか、その後、沈黙してしまった。
しかたなく兄のバカ面全開の寝顔を確認する。
――ちゃんと薬が効いたようだ。どうか良い夢を。
まあ確かに、父上のことを考えると頭が痛い。事後処理が大変そうだ。
やれやれと俺が首を振っていたら、動かなかった騎士がやっとしゃべった。
「つまらん仕事だと思っていたが、なかなかに楽しくなった」
彫りの深い三十歳前後の色男は、無精ヒゲをさすりながら、ゆらりと動いた。
隙だらけのように見え、まったく隙が見当たらないその動きに、コジロウが眉根を寄せる。
「俺は王子直轄の騎士じゃない。目付役できた北花壇騎士隊の者です」
「北花壇騎士隊?」
王国には、南花壇騎士団を筆頭に、西花壇、東花壇を名乗る三つの騎士団がある。
それぞれ王国を守護するエース級の騎士団だが、さらにその上には、国王直下の『北花壇騎士隊』が存在すると噂されていた。
公には存在しないとされている少数精鋭で、一騎当千のバケモノの集まり。その実力は、南・西・東の三団合わせた戦力より上だと言われている。
「大陸三剣『闘将コジロウ』殿は衰えておらぬようだし、東国の神秘もご健在のようだ。それ以上にグレッグ王子が不気味でならない」
失礼な! 俺はただのか弱い王子ですよ。
ちょっと呪われ体質なだけです。
「取引しませんか? リチャード君を俺に預けてくれれば、そのまま帰ります。ダメならちょっと暴れます。グレッグ王子には逃げられるかもしれませんが、コジロウ殿とタマモ殿の腕一本ぐらいなら奪えそうです」
俺がコジロウを見ると、
「ハッタリではなさそうですな。しかしご命令くだされば、お坊ちゃまの手をわずらわせずとも、こやつを倒し、リチャードを人質に取って見せます」
剣を握りしめたコジロウが呟いた。
俺は冷えはじめた紅茶を口にしながら、考えを巡らす。
こんなつまらないことで、双方どちらかにけが人を出すのは愚策だ。
リチャードいらないし。
「悪い取引じゃないですね。オマケでそこに倒れている人全部あげますから、少し俺の話につきあってくれませんか?」
「なんでしょう、王子」
不敵に笑う騎士には余裕がある。
この手の交渉は、主導権を握らなきゃ勝てない。
――まずはこの余裕から剥がさないといけないな。
北花壇騎士隊は国王陛下直轄だと聞く。
そうなると、背後には父上がいると考えるべきだろう。
「父上はお元気ですか?」
「さあ、俺のような木っ端騎士、国王陛下の御前には立てません」
やはり、しらを切る気は満々だ。
リリア公女へ証拠として提出されたのは『学園の会計書』。
いくら公爵家が関わっているといえ、その程度であの父上が首を突っ込むだろうか?
父上の力でも、事前に情報が必要になるもの。
最悪、国を揺るがすほどの大事。それが、なにか。
思い出せ――ここが勝負だ。
あの夜の貴賓席に、国を揺るがせるほどの人物は……。
「ヘンリー王弟」
俺の呟きに、一瞬、目の前の騎士の眉根が寄る。
すると、目前に赤いノイズがいくつも走り、消えたり途切れたりを繰り返した。
しかし胸ポケットの中の鍵は、ピクリとも反応しない。
俺は天井を見上げて、小さくため息を漏らす。
――集中を切らすな。
そう、ヘンリー王弟は過去父と王位を争い……いまだ国王の座を狙っていると噂されている。
彼は学園の理事もやっていた。
それなら、会計書を事前に入手することだってできる。
俺が騎士の顔を見つめると、ニヤリと微笑み返してきた。
しかし、余裕を崩さなかった騎士の手が微妙に震えている。
――どうやら当たりを引けたようだ。
「叔父上……ヘンリー王弟殿はお元気ですか?」
俺の質問に、騎士は目をぱちくりとさせる。
「質問が悪かったようですね。ヘンリー王弟殿に対し、北花壇はどこまで介入していますか?」
言い直すと、その騎士は楽しそうに笑い出した。
「俺がお目にかかった時は、お元気そうでしたよ。まあ……いろいろとご多忙のご様子でしたが、その内容までは存じ上げておりません」
要は調べてはいるが、わかんないってことだな。
俺が頷くと、それを了解と取ったのだろう。
話はこれまでだといわんばかりに立ち上がる。
「いやいや、噂どおり恐ろしい御方だ。――実に楽しいお話でしたよ」
そして美丈夫の体躯を綺麗にかがませながら、騎士の最敬礼をする。
「私の名はヒューイ。『氷剣のヒューイ』と呼ばれております。機会があればまたいずれ」
ヒューイの足元に霜が広がり、空気が凍りつく。
氷混じりの風が舞い始め、やがて竜巻のようになる。
その風がおさまると、リチャードのバカ兄を含めた来訪者全員の姿が消えた。
部屋の外でタマモさんの「きゃん!」という、かわいらしい悲鳴も聞こえてくる。
「タマモの結界まで破りましたか……やっかいな相手ですな。できればもう会いたくない」
コジロウが剣を収める。
しかしその顔は、好敵手に出会った戦士そのもの。どこか楽しげだ。
「コジロウ、表情と言葉が合ってないよ。それに向こうもそんな表情だったね」
俺があきれてそう言うと、コジロウは白髪交じりのヒゲを楽しそうに撫でた。
キャサリンの話では、明日公爵家の取り潰しが決まり、リリア公女の処刑が決定する。
きっとそこに『大災害〔第一門〕』の問題が絡んでいる。
そしてヘンリー王弟も。
俺は完全に冷えてしまった紅茶を一気に飲み込む。
身体はだるいままだし、さっきから軽い頭痛もする。
鍵を確認すると、視界にノイズが走った。
《SYSTEM》
【警戒】虫によるシステム異常を感知 危険度 不明
【イベント】???
【ルート】???
【残り時間】???
やっと動いてくれたのに、これか……。
軽く目眩がし、部屋全体が揺らぐような感覚になる。
ただでさえ、『虫』問題に加え、『災厄の魔女』だとか『ヘンリー王弟』だとか。
物騒でしかたがないのに。
まったく、肝心なときに頼りにならない相棒だ。
後でゆっくりねぎらってやるから、今はもうひと頑張りしてくれ。
俺は急いで立ち上がり『禁じられた書架』に戻ろうとしたが……。
また、目前に赤いノイズがいくつも走り、消えたり途切れたりを繰り返す。
そして悪寒が、むしばむように俺の身体に駆け巡った。