第八話 侵入者
真っ暗だった視界が徐々に白くぼやけ、やがて真っ白に変わった。
「やあ!」
そこにぼんやりと浮かんだ黒一色の人の影が話しかけてくる。
舞踏会の夜、貴賓席にいた黒髪の男とどこか似ている。
「おまえは……」
脳内で警告音が響く。こいつは危険だと。
俺の姿がよく見えていないのか、人影はキョロキョロと周囲を見回し、
「接続が上手くいってないようだね」
肩をすくめるような動きをした。
「いや……探知されたのかな? キミの前任者はやはり優秀だ」
身体が上手く動かない。
「交差する世界の新たな『管理人』さん、時間がないみたいだから手短に話すよ」
クスクスと笑い声が耳元でこだまする。
「あの『落ちた精霊』もキミの『前任者』も『禁じられた書架の意志』も、信用しちゃダメだ」
「どういう意味だ!?」
「自分で考えてくれよ、それぐらい。道化は観客を喜ばすことが務めだろ」
俺が歯ぎしりすると、影のような男ふと上を見た。
「もうそこまで来たか、相変らず無粋な男だ」
影が見上げた方向から空を裂くような音が響き、光り輝く剣の切っ先が見えた。
それを確認した影は、肩をすくめるような仕草を見せる。
「――じゃあこれが最後の助言」
もったいぶったように、小声で。
「災厄の魔女には気をつけて、彼女はとても嫉妬深い」
その言葉と同時に、降ってきた大剣が影を真っ二つに切り裂く。
空間が激しい光と闇に、交互に切り替わる。
「本当に困ったヤツだなあ……」
しかし影は、二つに割れた身体でケラケラ楽しそうに笑った。
耐えがたい悪寒が身体に巡る。
「待て……」
なんとか声を出したが、プツンと途切れるような音がすると、視界が徐々に暗闇に包まれ……。
俺の意識は、また闇に沈んだ。
■ ■ ■
どこかから甘い香りが漂ってくる。
子供の頃、母が作ってくれた苺タルトを思い出し、匂いの方向に手を伸ばそうとするが、なぜだか動かない。
「グレッグ、グレッグ!」
瞳を開けると、リリア公女が俺の胸をはだけさせ、グイグイ押していた。
そして突然俺の鼻をつまむと、大きく息を吸ってから、艶やかな唇を近づけてくる。
――頬にはちょっと、生クリームが。
そんな状態はちょっと。俺、ファーストキスはまだなんですが……。
ああいや、これは違うな。鬼気迫る顔だし、迫力が半端ない。
ボケた思考をなんとか制御する。
強引に身体を動かして、近づいてきたリリア公女の美しい顔にそっと手を触れる。
額は汗まみれ。手は泥だらけ。頬についた生クリーム。
でも豪奢な金髪と整った目鼻立ちに宿る気品は揺らがない。
なにもかもがちぐはぐで……。
だけどそれが、――とても良く似合う。
ついつい、笑みが浮かんでしまう。
「あー、良かった……もう、心配させて! 回復魔法でも治んないから、ダメかと思った!!」
俺が上半身を起こすと、リリア公女はゴロンと芝生の上に寝転んで、額の汗を拭う。
ドレスの裾も気にしないその態度は、やはり彼女らしい。
――ちょっといろいろ見えそうで、目のやり場に困るが。
「ずいぶん情熱的だね」
「バカ言ってんじゃないわよ、心肺停止してたんだから! 人工呼吸よ」
強制的に別空間に『魂』を持ってかれた。きっとこの空間では俺の身体に魂が存在せず、仮死状態だったんだろう。
高度な呪術だ。リリア公女には説明が難しいし、巻き込みたくない。
――今は黙っておくか。
考えていたら、リリア公女もむくりと上半身を起こし、身体を寄せてくる。
そして俺の瞳を覗き込んだり、腕を掴みながら、なにかを数えたりした。
「持病とかない? 親族で突然死んじゃった人とかは?」
心当たりがないから首を振ると、
「MRIかCT、せめてレントゲンがあれば、検査するのに」
また意味不明な単語を並べた。
「ありがとう、助けてくれたんだね。疲れが溜まってたのかな、ポーションでも飲んで家でゆっくりするよ」
俺の言葉に、リリア公女は不満げに頬を膨らませた。
「でもまあ、この世界じゃ、それが最善かな? こっちも大事だけど、健康が最優先だよ。ちゃんと休んだらまた連絡ちょうだい」
そしてまた木漏れ日のような、キラキラ輝く優しい笑みを浮かべた。
その姿に、俺の心臓が高鳴る。
俺が先に立ち上がり、リリア公女に手を差し伸べると、
「そうそうこれ、お土産」
横においてあった、デカい布袋を手渡してくれた。
確認すると、中にたっぷりとスコーンがあり、ジャムやクリームも小分けにしてビンに詰め込んである。
「うん、ありがとう」
俺の戸惑った答えに、満面の笑みを向けるリリア公女……。
なんだかこの人、ロマンスとは無縁なんじゃないかと、ふとそんな気がした。
■ ■ ■
リリア公女からスコーンと魔導紙を受け取り、公爵邸を後にする。
増えたかもしれない『予言の書』の記述も気になる。
早速書架に戻り、調べ物や師匠への相談をしようと思ったが。
「コジロウたちが心配するよな」
ここからは学園より自宅が近い。
しばらく戻れないと使用人たちに伝えに行くことにした。
王子とは言え、俺は七番目。しかも母は、今は敵国となってしまった東の小国の姫だった。
そのため王位継承権も、兄たちはおろか王弟やその息子たちにも抜かれ、十三位というオマケみたいなもの。
おかげで扱いは慎ましく、小さな屋敷で二人の使用人と共に暮らしている。
二人の使用人は、執事と護衛騎士を兼任するコジロウと、食事や生活まわり全般をまかなってくれるタマモさん。とても仲の良い夫婦である。
二人は母のお付きとしてこの王国に移り住んだ。コジロウは若かりし頃『大陸三剣』とうたわれた剣豪だったそうだ。
七十を超えた伝説の剣士も寄る年波には勝てないのか、最近では闘気なしの剣術練習では三本に一本は俺が取る。
もう引退して余生を楽しむ歳だが、俺の台所事情がそれを許してくれない。
「お坊ちゃま! 大変でございます!!」
屋敷に入るとすぐ、コジロウが大声を上げながら走ってきた。
「どうした、落ち着きなさい」
コジロウは二メートル近い、いまだ鍛えられた巨漢を窮屈そうに執事服に押し込み、白髪交じりの黒髪に黒い瞳で、貫禄のあるヒゲを蓄えている。
そんな彼が慌てふためく姿は、どこか滑稽だ。
正門の前に、四頭立ての豪華な馬車が二台も止まっている。
招かざる客でも来たのだろう。
「リチャードのヤツが、責任を取れと」
いつかは来るだろうと思っていたが、良いタイミングだ。
制限時間が迫っている。
「お客様は?」
「専用客間で、タマモが対応しております」
やっぱりそうなるか。
あの客間を使うのは、何年ぶりだっけ。
「プランは?」
「暗殺警戒の第二段階でございます」
コジロウが俺の耳元でささやく。
少し休みたかったが、なかなかそれを許してくれない。
さっきの『強制侵入』も気になる。
鍵を確認したが、
《SYSTEM》
【残り時間】33:18:42
【状態】制御権限が失われました
そう表示された。
……制御権限?
視界に一瞬赤いノイズがいくつも走り、背筋に悪寒が走る。
問題がさらに悪化したような気がしてならない。
お土産にもらった袋を強く握りしめ、寒気を払うために深呼吸しながら顔を上げる。
青く澄んだ空が目に眩しかったが……。
スコーンの甘い香りが、――少しだけ、俺の心を落ち着かせた。
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明日(2025年10月5日)は、2話の更新を予定しています。
(更新予定 ○10時 第九話 ○21時 第十話)
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2025年10月4日 木野二九