第二話 壊れた選択肢
路地裏に佇んでいたら、視界の端が赤くノイズを帯びた。
そのノイズが徐々に広がり魔法文字に変わる。
《SYSTEM》
【警告】大災厄〔第一門〕起動確認
【ルート選択】リリア/アンジェリーナ/キャサリン
【残り時間】72:00:00
目前に表われたのは、俺の呪術を管理する『鍵』からのメッセージ。
いつも理不尽な使命ばかり表示するが……。
「……へっ?」
理解が追いつかない。
視界の端で、俺を見ている気配が笑った気がした。
舞踏会の貴賓席にいた、黒髪の黒い瞳の男が、思い浮かぶ。
三人の女性の選択肢。
三日間の残り時間。
ヤツは笑いながら、指を『三本』立てた。
「大災厄の第一門が起動?! なんだそれ?」
俺の呟きに鍵が反応して、目の前に地図が広がり、王都一帯が赤く囲まれた後……地図上から消失する。
まさか王都が消滅?
そこでどうして、ルート選択? しかも女性の名前の選択肢って……。
――まったく意味がわからない。これ、どう繋がってんだ?
頭を抱えていると、背中越しに足音と、荒い息遣いが近づいた。
「や、やっとみつけた!」
その声に表示された女性の名前がひとつ、脈打つように点滅する。
この異常事態の責任は俺にもある。
リリア公女など、見捨てればよかったのだ。
それが出来なかったんだから、しかたがない。
大災厄の驚異は、必ず俺が止める。もう二度と同じ過ちは起こさない。
そのためにこの任務を背負ったのだから。
落ち着け……クールになれ。あせったらまた負ける。
今はまだ情報が少なすぎる。
せっかく向こうから現れたんだ。
ルート選択の意味ははからないが、この接触チャンスは逃しちゃダメだろう。
俺は気を落ち着かせるため、もう一度小さく深呼吸した。
しかし俺は覚悟を決めると、ゆっくりと振り返った。
王都消失の危機は、必ず俺が潰す。
■ ■ ■
振り返ると、夜風に揺れる長く美しい銀髪が目に入る。
「あなたは……」
「は、初めまして、グレッグ王子様。あの、私キャサリン・ストーンと申します」
息を切らしながら、切れ長の青い瞳を向けてくる。
リリア公女が追いかけてきたと思っていたので、ちょっと驚く。
キャサリンは乱れた髪とドレスを整えると、背筋を伸ばした。
華奢だが凛とした佇まいは月明かりを背に受け、さらに神秘的な魅力を醸し出している。
その姿はまるで、腕の良い職人がつくった繊細な人形のようだ。
念のため周囲を見回す。
俺に追っ手がかかっているかもしれないし、アンジェリーナも凄い勢いで追ってきていた気がするし。
あの後、リリア公女がどうしたのかも心配だ。
「安心してください。追っ手もリリア公女もアンジェリーナも巻きました」
ドレスから小さな魔法の杖を取り出すと、いたずらっ子のように微笑む。
追っ手がいない以外、安心要素は少ない気がする。
まあリリア公女もアンジェリーナも、俺より強そうだから大丈夫かもしれない。
キャサリンが安心だというのだから、安心しよう。
「俺になにか用でも?」
しかし彼女が追ってきた理由がさっぱりわからない。
俺の質問に、彼女は数回口をパクパクさせると、困ったように言葉を飲み込み、うつむいてしまった。
心なしか、少し震えている。
パーティードレスは肩の出た薄いレース仕立て。
春が近いとはいえまだ夜は寒い。
外套も羽織らず慌てて走ってきたのだろう。
荷物らしいものなどなにも持っていない。
目を凝らすと、肩や額にうっすらと汗が浮かび上がっている。
俺は少し迷ってから、上着を肩にそっと掛けた。
葡萄酒の匂いは気になったが、彼女は小さく「ありがとう」と笑った。
「屋敷までお送りしましょう」
学園最強の魔術師相手にいう台詞じゃないが、これも礼儀だ。
彼女なら盗賊団が束になってかかってきても、すべて薙ぎ倒すだろうが。
「うっ、いえ、あの、家は近くですし、その」
そしてまた無言でうつむいてしまう。
やるべきことは山積みだし、『鍵』の提示も気になる。
一礼してその場を離れようとしたら、後ろからそっとシャツをつままれた。
「あなたはなぜ存在しているの?」
意味がわからず、戸惑う。
哲学的な質問なんだろうか?
俺が首をひねると、
「今までのループにはいなかった。それなら……私も……そのっ」
そこまでいって、息を吸う。
喉が詰まったようだ。
「落ち着いて深呼吸しようね、はい、すーはーすーはー!」
俺の言葉に続き、キャサリンも「すーはーすーはー」と深呼吸する。
「えっと、そのですね、そのっ、この回はまるで、いろんなものが交じりあったっていうか、その中心に王子がいるようで、――あなたなら私を救って……」
震えるキャサリンの声が、俺を不安にさせる。
そこまでいうと、なにかに気づいたように、キャサリンはまた言葉を失った。
瞳の奥には、『絶望』と『期待』が同時に揺らめいているような気がする。
心配していると、
「い、今のは忘れてください!」
と叫び、突然走り出した。
「待って!」
気になる内容だったし、なにより彼女の顔は思い詰めていた。
俺は必死に追いかけたが……あまりにも早い。
「なんてパワーだ」
いっそ清々しい。
魔法で補正しているのだろう。
どう見てもそこらの早馬よりもスピードが出ている。
さらに加速し、土煙が上がり始めたあたりで、諦めた。
荒い息を整え、誰かがキャサリンにはね飛ばされないように祈りつつ、俺はもうもうと立ち上がる土煙を見送った。
赤いノイズが光る。
《SYSTEM》
【緊急】さらなる接触が必要
そして、そんな表示が。
どいつもこいつもまったく……勝手なことばかりいう。
俺の相棒は鍵の形をした『魔導計算機』と呼ばれる失われた禁呪だ。
任務の連絡も、この相棒がおこなう。
まあ、いつも理不尽な命令ばかりだが……。
「しかたない、明日学園で声をかけるか」
大災厄に関する情報は得られなかったが、何かが動き出した気配はある。
やはり無視はできない。
王都消失なんて、しゃれにならない。
俺はため息交じりに、満天の夜空を見上げた。
■ ■ ■
今朝学園でキャサリンを探したが、どこにもいなかった。
しかたなく図書館の回廊をくぐり、『禁じられた書架』に入り、昨夜の件をまとめる。
ここで俺は『管理人』と呼ばれている。
それが、秘密の任務の肩書きだ。
師匠に昨夜の事情を話すと。
「まったくお主は!」
かなりご立腹で、俺の周りをふわふわ漂いながら睨んできた。
「師匠……何度も言ったじゃないですか。ただの気まぐれです。」
「無駄なフラグばかり立てよって!」
書架の主にして代々の管理人の任命者でもある俺の師匠は『人』ではない。ときおり理解不能な単語を口にするし、手のひらサイズだ。
素性を教えてはくれないが、妖精かなにかなのだろう。
師匠は数百年以上この書架の主を務め、多くの『管理人』を導いてきたそうだが、見た目は十代前半の少女にしか見えない。
「しかし、大災厄〔第一門〕起動とはのう」
師匠が腕を組んで「うーん」とうなる。
「その後王都が消滅するような警告も出たのですが……」
「第一門が開けば、王都ぐらい消滅するじゃろうて」
その言葉に、冷や汗が流れる。
「いったいどうすれば」
「鍵が示す任務を遂行するしかあるまい。あれは書架の意志の代弁者だからな」
しかしその代弁者が、女の子を選べと迫っている。
謎すぎて頭が痛い。
悩み込んでいたら、机の隅にあった水晶が点滅しながらビーッ、ビーッ、ビーッと不快な音を立てた。
「お主以来じゃな。扉の前に人がおる」
俺と師匠が水晶を見ると、そこにはリリア公女が映し出されていた。
「すごいですね。鍵なしでここまで来たのなら、あの数式を全部解いたんだ」
『禁じられた書架』へ至る道はいくつもあるが、図書館内の回廊からなら、学園でも未解決の数式群を順に解かなくてはならない。
常人にはとても不可能だ。
「どうする?」
「お招きしましょう。そういうルールですし」
俺の言葉に頷くと、師匠は空中でくるりと回って姿を消す。
扉を開ける呪文を唱え、前まで歩み寄ると、目を丸くしたリリア公女が立ち尽くしていた。
「あなたを追ってきたら、ここに着いたの。グレッグ王子……やっぱり。半年前から怪しいと思ってたのよ。ここ入るのって、あの数式を全部解かないとダメなんでしょ。この世界の人間にはまだ無理なはずだし……」
半年前って、彼女と初めて会話を交わした『薬草畑』での出来事だろうか。
覚えていてくれたのなら、ちょっと嬉しい。
リリア公女は、何やらぶつぶつ呟いたのち、胸を張って俺を指さした。
「やっぱりあなたも転生者だったのね!」
そして、自信満々にそんな意味不明な宣言をされた。
すると待ってましたとばかりに、目前に文字が広がる。
【ルート選択】エラー
【詳細】致命的な問題が発見されました (デバッグを実行してください)
【デバッグ】実行 (管理人によるイベント回収が必要です)
そこは必要じゃないと、胸ポケットを叩いたら、
《SYSTEM》
【クエスト】第一門の阻止 進行度:12%
【残り時間】71:12:45
表示がそれっぽく戻った。
なぜ女性と会話しただけで、第一門の阻止の進行が進んだんだ?
やはり情報が少なすぎる。
さてさてどうしたものかと悩んでいたら、書架の天井に音もなく薄い亀裂が走った。