第十六話 交差する時間
リリア公女から借りた黒いナズナのような『魔女の呪い』の断片から、呪いの特性である『紋』を感知して、キャサリンから同系統の呪いがないか探る。
身体に触れないよう、手をかざしながらくまなく探していると、
「それはそれで、なんかエッチよね」
リリア公女が隣で首を傾げた。
「そんなこと言われても」
さすがに困る。
確かに顔や心臓辺り、腰回りには呪いが寄生しやすいから、念入りに手をかざしているが……。
「で、見つかりそう?」
「これと言って反応はないけど」
「じゃあ、変わってあげる」
「できるの?」
「わかんないけど、なにごとも挑戦よ!」
リリア公女が『魔女の呪いの断片』を俺から奪い取って、キャサリンに顔を近づけた。
すると、呪いの反応が急激に膨れ上がった。
「危ない!」
俺がリリア公女をかばうように抱き留めると、
「ああ、我が愛しき人よ……その女は……そうか、そのような運命か……」
低い女の声が響き、黒い腕が現れ、俺とリリア公女を包んだ。
隣で爆睡していた師匠が薄めを開けて、チラリとこっちを見た。
そして、小さく笑う。
――こうなることを予測してたのか?
慌てて俺は師匠に手を伸ばしたが、また暗闇が俺を包んでいった。
■ ■ ■
気が付くと見知らぬ狭い路地裏にいた。
俺は隣で倒れていたリリア公女を確かめる。
静かに寝息を立てていて、外傷もなさそうだった。
安心して抱き上げると、突然目をパチリと開け、
「ここは……?」
心配そうに、周囲を眺めた。
薄暗闇の路地裏には、ゴミが散乱し、すえた匂いが鼻を突く。
「キャサリンの記憶の中だろう。どうやら俺たちは魔女に取り込まれたようだ」
しばらくすると、キャサリンが路地裏に走り込んできた。
ドレスは既にズタボロで、疲れ切った表情で、額には薄らと汗が浮かんでいる。
「キャサリンちゃん!」
腕の中のリリア公女が叫んで手を伸ばしたが、正面に立つ俺たちに気づかない。
きっと記憶を再生しているだけで、俺たちは見えないのだろう。
キャサリンが目を見開き、俺たちを通り越す眼で正面を見る。
振り返ると、路地裏の反対側からひとりの男がゆっくりと歩み寄ってきた。
俺たちを挟んで、ふたりが会話をはじめる。
「もうこれで99回目だよ。いいかげんヒントぐらいつかんでくれないと」
あきれたような男の言葉に、キャサリンが小さく首を振る。
「なんのこと。もう、やめて……」
リリア公女が俺の腕から飛び降り、男をにらみつける。
「あの男をぶっ倒せばいいのね!」
「これは記憶の再生だから……」
ドカドカと男に向かうリリア公女を止めようとしたら、
「君は……? 時空の歪みがこんな所になぜ」
突然男が、リリア公女に視線を合わせた。
「くっ!」
そのスキにキャサリンが路地裏を引き返して走り去る。
しかし男はキャサリンを追わず、リリア公女を楽しそうに眺めた。
そしてなにかを読み取るように手をかざし、
「ああ、君は『医聖』なのか。書架のメンバーにこんな所で出会うとは」
納得したように頷く。
「だから何?」
リリア公女のポケットが薄く輝いている。きっと彼女の書架の鍵が警告を出しているのだろう。
「回復魔法を極めると、壊れる前に戻す力を得る。それは時間を超える力だ。もっとも、禁呪指定されていて、通常の方法では不可能なんだが……」
そこまで話すと、男は俺に視線を移した。
「なるほど、『管理人』が補佐しながら、誰かの治療をしているんだね」
男がゆっくりと歩を進める。
呪気が濃霧のように立ちこめ、俺たちを絡め取る。
ここに来る前、薄目を開けていた師匠が脳裏を横切った。
師匠からはなにも聞いていないが、男の言葉が本当なら、知っていて俺とリリア公女を嵌めた可能性がある。
後でじっくり問い詰めよう。
「リリア公女、さがって」
俺はリリア公女をかばい、男との間に飛び込む。
この口調、動き。そして立ちこめる独特の呪気。
「剣で二つに裂かれたはずだけど、元気そうだな」
俺を強制的に別空間へ移動させた『虫』で、間違いないだろう。
しかし男は、俺の言葉に首をひねった。
「新しい管理人だよね、君は。会うのは初めてなはずだが……そうか、この後と君と話す運命にあるのか」
こいつの言葉を信じるなら、この時間軸は、俺がリリア公女と庭でスコーンを食べたときより『前』にあたるのか。
「俺たちはキャサリンのために『こいつ』を心から取り除きたいだけだ。後でいくらでも遊んでやる。――今は引き下がれ」
体調は万全、呪術回路にも問題はない。だがこの男に勝てる気が一切しない。
交渉に乗ってくれないのなら、リリア公女だけでも逃がす方法を探さなくては。
男は俺が取り出した黒いナズナのような物体を眺めると、こくりと頷いた。
「災厄の魔女の破片だね。そうか、あの女が妙な動きをするのもそのせいか。いいかげん飽きてきたところだからちょうどいい。そいつは俺がなんとかしてやるよ」
男の言葉に、後ろにいたリリア公女が呟く。
「あいつ信用していいの?」
「情報が少なすぎる。今はいったん引いて、立て直すべきだ」
俺たちの会話を聞いていたのだろう、男は楽しそうに笑うと、
「新しい管理人さん、まだ君の力は不安定のようだ。この時空に定着してしまう前に帰った方が良さそうだね」
左手を軽く挙げて、羽虫でも払うように手首を返した。
それに合わせて、「ドン」と鈍い音が響き、爆風のような呪気が俺たちを包んだ。
徐々に周囲が暗闇に包まれる。
「面白い情報ありがとう。そうそう『落ちた精霊』にもよろしく伝えておいてくれ。君の前任者とは上手く行かなかったから、今回は期待してるよ」
笑い声に混じって、そんな声が聞こえてくる。
やがて視界が赤いノイズで崩れ、世界が砕け散るように暗転した。