第十五話 時を超える公女
歪んだ空間を抜けると、そこは見知らぬ寝室だった。
多くの使用人や教会の聖職者たちが、沈痛な面持ちで天蓋付きの大きなベッドを取り囲んでいる。
「あれは誰?」
リリア公女は産まれたばかりの俺を抱きしめる生前の母『コチョウ』と、その横で苦悶の表情を浮かべる若かりし父、『国王ベルナルド・マジェスティ』を見ていた。
「母と、父上だ。ここは俺の記憶なのだろう? どうしてこんな場面が」
「お主の記憶と『災厄の魔女』の記憶が混じっておるのじゃろう」
俺の疑問に、師匠が答える。
振り返ると俺の後ろに、ひらひらと師匠が舞い、その後ろに心配そうな顔をしたキャサリンがいた。
「どうして『災厄の魔女』の記憶が?」
「お主が取り込んだ魔女の呪いに残る記憶と、お主の体験が混じり合った結果じゃな」
「師匠、混じり合ったら、どうしてこうなるんですか?」
「そもそもお主に『すべての呪いに愛される呪い』をかけた魔女が誰だかわからんかったが、まあこれで確定じゃな」
師匠は小さくため息をつくと、広がる記憶の映像に目を向けた。
父が母に語りかける。
「コチョウよ、よくやった。元気な王子だ」
「しかしベルナルド王、この子には……」
母が涙ぐみながら産まれたばかりの俺を抱きしめる。
「なぜ……魔女の呪いなど」
聖職者のひとりが涙を流す母に近づき、鑑定の宝珠をそっと俺に傾けた。
「やはり何の魔力も……属性も、感じられません」
その言葉に、母はギュッと産まれたばかりの俺を抱きしめ、父上は天を仰ぐように無言で顔を上げた。
俺は自分の不幸を悔やむより、悲しむ母や父上に申し訳ない想いが溢れる。
リリア公女は落ち込む俺の肩にそっと手を置くと、
「で、お師匠さん。あたしこっから何すればいい?」
フンスと鼻息を漏らし、師匠を見た。
やはりリリア公女は前向きでたくましい。
なぜか俺まで元気が出てくる。
「ここで『災厄の魔女』の形がわかれば、それを追って、心の中で暴れておる魔女の呪気を捕まえれるのじゃが……」
「形って?」
「呪いには特定の波長というか『紋』が存在する。それがわかれば」
「OK『紋』ね、任せといて!」
リリア公女は師匠の説明に頷くと、ドカドカと記憶の中の母に近づいていく。
そんなバカな……と、俺が驚いていたら、
「なんと!」
師匠も驚いていた。
リリア公女は父上の横を通り過ぎ、産まれたばかりの俺を抱きしめる母に近づいた。
そして微笑みながら、記憶の中の俺の頬にそっと手を触れる。
「素敵な赤ちゃんね」
リリア公女の言葉に、母が反応する。
「あなたはもしや、女神様?」
「ちょっと違うけど、この子を助けたくって」
リリア公女が触れた手から、黒い渦が現れ……それが揺れながら、見覚えのある草のように変形した。
「――やはり、ナズナか」
ポツリと師匠が呟くと同時に、映像に赤いノイズが走る。
母が、
「この子の未来をお願い」
と、呟くと、砂が崩れるようにサラサラと音を立てて、寝室の記憶映像が消えていき、すべてが暗闇に包まれる。
残ったのはリリア公女が暗闇の中で立ち尽くしながら、母が居た場所に向かって力強く答えた。
「任せといて!」
■ ■ ■
足下まで闇に包まれると、浮遊感が俺たちを包んだ。
落ちているのか浮かんでいるのかもわからない。
「リリア! お主は時渡りの魔術が使えるのか?」
師匠は羽をパタパタさせながら、一緒に浮遊している。
「なにそれ? あたし回復系以外の魔術使えないけど」
リリア公女も一緒に浮遊しながら首をひねる。
「うーむ、間違いなく、今時を超えたようじゃったが」
師匠が悩み込むと、リリア公女は、
「愛の力かな?」
と、嬉しそうに微笑んだ。
師匠が、
「そんなわけあるか!」
と大声で突っ込んだ後、なぜか俺を蹴飛ばした。
……なぜだ?
「そんなことより、今のペンペン草! あれが『紋』でいいの?」
師匠に抗議する俺を無視して、リリア公女が大声で問いかける。
時渡りの魔術は禁呪中の禁呪で、そんなことですましていい問題じゃない気もするが。
「ペンペン草? ああ、ナズナのことじゃな。あれが『紋』で間違いない。キャサリン、お主の魔法でナズナを探してくれ。相手が魔女となると、我も力を温存せねばならぬ」
師匠も深く突っ込まず、一緒に浮遊しているキャサリンに話しかける。
キャサリンは無言でコクコクと頷くと、詠唱に入る。
長い呪文を唱え追えると、
「見つかりました、移送します」
そう言って、俺たち全員を魔法で包み込んだ。
チカチカと周囲が光ると、目の前に巨大な心臓が現れる。
暗闇に浮かぶ心臓は、黒く渦巻くナズナに縛られていた。
「あれ、俺の心臓?」
「じゃない? ペンペン草が生えてること以外、健康そうで良かったわね」
リリア公女は特に驚いていないし、師匠は詠唱に入った。
キャサリンもそれを見て、師匠をフォローするように、新たに詠唱に入る。
「師匠……おれの心臓に攻撃するんですか?」
心配になってお問い合せしてみたが、なんの返答もいただけなかった。
「きっと大丈夫よ、たぶん、ね」
リリア公女が慰めてくれたが、心配が加速するばかりだ。
「ではいくぞ!」
詠唱の終わった師匠がキャサリンを見る。
「はい、ティンクル様!」
キャサリンもヤル気満々だ。
そして二人は俺の心配など気にせず、特大の攻撃魔法を俺の心臓にぶっ放した。
■ ■ ■
「起きて、ねえ起きてよグレッグ!」
目を開けると、リリア公女がペチペチと俺の頬を叩いていた。
どうやら俺は、生きて戻ってこられたらしい。
「上手くいったのか?」
「そうみたいね」
身体を起こすと、リリア公女が手に持っていた、真っ黒のナズナのような物体を俺に見せた。
「これでグレッグの不調も治って、キャサリンちゃんの治療も安全におこなえるようになったわ」
「それが魔女の呪い?」
「そう。その一部の、破片らしいんだけど」
リリア公女はそこまで言うと、ソファでぐったりしているキャサリンと、その横で爆睡している師匠を見る。
「お師匠さん、あたしに説明だけして寝ちゃったわ。キャサリンちゃんも魔力切れだって。後はあたしとグレッグに任せるってさ」
「それをどうするの?」
「キャサリンちゃんの中にある、この『紋』と同じ呪いを、グレッグが吸収すればいいだけだって、お師匠さんは言ってた」
俺は自分の呪術回路を確認する。
ここしばらく続いていた不調が嘘のように治っている。
むしろあらたに吸収して消化できた呪いが存在するせいか、力が増した感まである。
「了解、それならなんとかできそうだ」
「じゃああたしは、横でフォローできそうなことがあったらするね」
そしてリリア公女と二人で、キャサリンの寝ているソファに座った。
小さな寝息を立てるキャサリンは、触れてはいけない、禁断の人形のように美しい。
「これ触っても大丈夫かな?」
ついつい、そんな言葉がもれてしまう。
「触んないと出来ないの?」
リリア公女がなぜかじと目で問い返してくる。
どこかに触れていた方が確実だが、
「触らなくても出来るかな」
「ひょっとして触りたかったの?」
「いや、そうじゃなくて」
俺がそういうとリリア公女は「ふーん」と唸りながら、そっぽを向いた。