第十三話 じゃじゃ馬ならし
コジロウとタマモさんに後を頼み、屋敷を飛び出て、学園に向かって走り出したら……。
「待てー! グレッーグ!!」
高らかな馬の足音と共に、リリア公女の叫び声が後ろから迫ってきた。
「はあ?」
振り返るとフライパン片手に馬を駆る、凜々しい公女様のお姿が。
――ちょっとなにが何だか理解できない。
「乗って、行き先は書架でいい?」
そして走り去り際、抱きかかえられた。
うん、これじゃあ俺が白馬の王子じゃなくて、助けられるお姫様だ。
よくわからないが、とりあえずリリア公女の細い腰に手を回し、馬の背に飛び乗る。
「行き先は書架だけど……何事?」
「家を見張ってた騎士たちが騒がしいから問い詰めたら、学園でまた火事騒ぎだって。しかも燃えてるのが、あの書架がある『東の旧図書館』の辺りって聞いて」
「それがどうしてフライパン片手の乗馬に?」
「家を出ようとしたら止められたのよ。で、グレッグの家に向かったら、ちょうど……」
リリア公女の話は要領を得ないが、この馬の鞍には王国騎士団の紋章がある。
もしかしたらフライパンで騎士を殴り、馬を奪って飛び出してきたのだろうか。
これはきっと深く突っ込んじゃいけない問題だ。
ここはスルーしよう。
「でさ、アレは蹴散らしていいの?」
正面を見つめるリリア公女の視線の先には、防御陣形を組んだ騎士たちが待ち構えていた。
盾の紋章は『剣に絡む二匹の蛇』。ヘンリー王弟直轄の騎士団だ。
騎士の数は十を超えている。分隊ひとつと考えていいだろう。
さすがのリリア公女でも、フライパンひとつで蹴散らすのは無理かもしれない。
「そうしたいところだけど……ヘンリー王弟と正面から喧嘩しても大丈夫?」
「あたしなら問題ないわよ。どうせ放っておいたら、没落斬首コースまっしぐらなんだから」
……確かにそうだな。
それに直轄とはいえ正規軍を堂々と出してきたってことは、もうなりふり構ってられないと判断したってことだ。
なら、こっちも出し惜しみはなしだな。
俺が胸ポケットの鍵にそっと手を触れたら、さらに後ろから馬の足音が聞こえてくる。
こちらは三頭だが、正面の騎士分隊より厄介そうだ。
「なによ、挟まれた?」
「ああ、いやあれは……味方みたいなものかな?」
振り返ると中央の一頭が飛び出し、見覚えのある騎士が苦笑いしながら近づいてきた。
リリア公女が手綱を緩め、追ってきた騎士の馬に寄せる。
「王子、ここは俺に免じて引いちゃくれませんか? 同じ王国騎士をこんな所で無駄死にさせたくない」
失礼な、俺を惨殺鬼かなにかと勘違いしてないか?
だがたしかに、時間もないし、全員無傷での突破は難易度が高すぎるな。
「ヒューイ、俺と公女が安全に学園まで行けるなら、引いてもいい。できるか!」
俺の問いかけにヒューイが頷き、後ろを追走している騎士にハンドサインを送る。
「ちょいと遠回りになりますが、勘弁してください」
ヒューイがそういって下がると、違う騎士が俺たちの横を通り過ぎ、追ってこいと手を振った。
「着いていけばいいの?」
「頼む!」
追い越していった騎士が、路地裏の障害物だらけの細道を駆け出す。
――かなりの腕だ。
しかしリリア公女の馬術も上手く、難なく細道を追走する。
……とんだじゃじゃ馬だな。
振り返っても、追っ手はいない。
ヒューイがリチャード王弟の騎士団と交渉をはじめたのだろう。
どんな交渉になるかはわからないが、彼なら大丈夫だろうと、なぜか信頼できた。
■ ■ ■
――どうしてなんだ。
俺たちが東の旧図書館にたどり着くと、燃えていたのは裏の薬草園。
火の手が徐々に広がり、図書館の壁にも引火しつつある。
学生たちや駆けつけた職員たちが、虚ろな表情で畑を踏み荒らし、松明の炎をまき散らしていた。
だが、彼らにはきっと罪はない。
立ちこめる炎に混じって、淫猥な呪いの匂いが周囲に蔓延している。
「グレッグ……また、あたしが手伝ってあげる。今は顔を上げて」
馬から下りたリリア公女が、立ち尽くす俺の肩にそっと手を置く。
初めてリリア公女と出会った日が脳裏をよぎる。
――そうだ、あの時も、彼女はこの薬草園を守ってくれた。
怒りと失望が俺の心の中で渦巻いたが、リリア公女の温かな手が、なにかを引き留めてくれた。
「けど、もう……」
ここまで燃えて、踏み荒らされてしまったら、ダメかもしれない。
「落ち着いてグレッグ。悔やんでる場合じゃないわ、急いで消化しなきゃ図書館まで!」
リリア公女がフライパンを振りかざして、炎に立ち向かおうとする。
その前向きで立ち止まらない彼女の言動が、俺を勇気づけてくれる。
鍵はまだ反応しないが、この蔓延した呪気を一掃するくらいのことはできそうだ。
「下がってて、今火を消す」
リリア公女が、俺の気迫に追われるように後ろに下がった。
「ウェーバー」
俺の声に反応して、スライムのような水玉が肩に乗る。
水玉に手が生えただけのかわいらしい見かけだが、こいつは水の呪い。
書架の奥に潜む、悪鬼の一体だ。
「流せ!」
ウェーバーが震えながら巨大化し、水の呪いが怒りを吐き出すような濁流となり、燃えさかる薬草園を包み込む。
薬草園に火を放っていた人たちも、ウェーバーの呪気に触れると、正気を取り戻したように立ちすくんだ。
――なにもかも流し去る呪い。
ウェーバーが消えると、踏み荒らされた大地だけが残った。
「グレッグ、大丈夫なの! あなた顔色が真っ青よ」
足下がふらつくと、リリア公女が俺を抱きしめる。
何かがカチリと音を立て、俺の身体の中の憎悪が肥大していく。
しかし密着した身体からリリア公女の心音が伝わってくると、温かな体温が俺を優しく包み、身体の中で渦巻いていた憎悪が沈んでいった。
彼女の心音と同期するように、俺の心が癒やされていく。
「ありがとう、もう大丈夫。それより書架に急ごう。悪い予感がするんだ」
俺が苦笑いしながら離れると、リリア公女は子供みたいにぷくりと頬を膨らませた。
「まあいいわ、お説教は後でたっぷりしてあげるから」
元薬草園を見下ろしていると、ここまで案内してくれた騎士が、兜を外しながら話かけてくる。
「グレッグ王子様、私は北花壇騎士隊『鉄壁のジェニファー』と申します。隊長命により、先ほど王子の指揮下に一時移動しました。なにかご命令があれば」
俺とリリア公女が驚きながら振り返ると、青髪ショートヘアを綺麗に整えた、プライドが高そうな十代半ばぐらいの美少女がいた。
「鉄壁のジェニファーって……あのジェニファー・ナイトストーン?」
リリア公女があんぐりと口を開けた。
「知り合い?」
「超有名人よ、去年の剣術大会で若干十四歳にして優勝した、天才美少女って話題の……」
「そっち系の話題にうとくて」
ジェニファーを見ると、
「まだ見習い隊員ではありますが、多少は腕に覚えがあります」
自信満々に、そう言い放つ。
彼女の目端に存在する、どこか人をバカにしたような視線が、俺の不安を煽った。
連れて行くわけにはいかないし、無視するわけにもいかない。
「じゃあ、命令ってことで」
「はい!」
食い気味なのが気になったが、
「まず最優先で自分の命を守って。で、次にこの人たちに被害が出そうだったら、助けてあげて。最後に、ここが落ち着いたら隊長さんに報告に行って」
そう伝えたら、やっぱり嫌な顔をする。
「グレッグ王子様、その、こう見えても私は……」
あまり時間がなかったから、俺は荒らされた薬草園の中にあった手頃な棒を取りだし、軽く数回振る。
「この先へ行くのは、まだ君には早い」
そして踏み込みながら、棒の先を首元に突きつける。
剣術大会優勝は、伊達じゃないのだろう。このスピードで踏み込んだのに、彼女の手は腰に差していた自分の剣に届いていた。
だが、それが精一杯だったようだ。
額から一筋の汗が流れ落ち、手も足も震えている。
「ここまでこれるのを待ってる」
俺が棒を投げ捨てジェニファーにいつもの作り笑顔を向けると、なぜか彼女は頬を赤らめ、パタンと音を立てて尻もちをついた。
震える肩に、荒れた息使い。
その目に宿っていたのは恐怖なのか、それとも――。
図書館の窓から侵入しようとしていたリリア公女に近づくと、
「グレッグってさあ……女たらしなの?」
振り返りながら、じと目でそんなことをいってきた。
「なぜ?」
「あれはもう、完全に恋する乙女の目よ。きっと自分より弱いやつは、男として認めない! とかってタイプなんじゃない?」
「酷い誤解だ!」
「まあいいけど。で、あたしたち書架に急いでるんだよね。そこになにがあるの? 目的は共有した方が能率的だと思うの」
まさにその通りだと、俺は頷く。
「長い話になりそうだけど、いいかな」
「構わないけど……まさか、書架に女の子がいっぱい居るって話じゃないでしょうね」
リリア公女の疑うような視線に、なぜか背筋が寒くなる。
キャサリンは女性だし、師匠も見た目は可憐な少女だ。
さてさて、どこから説明すべきかと、俺は頭を抱えたが……。
――書架で待っていたのは、予想を絶する真実だった。