オペラ鑑賞の結果はまた違うものになった
案内されたボックスでオペラを観覧しているのは、男性1人だけだった。
入ってきた私たちを見た後、一瞬驚いた顔をしたが、嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、エリーおば様にウインクをしてからまた観覧を続ける。
幕間になり、会場が明るくなると、男性はエリーおば様の前に来た。
肩くらいまでの少し波打った栗色の髪と、ラピスラズリのような深い蒼い瞳が印象的な男性だ。
燕尾服の上からでも、鍛え上げられた背筋の強靭さがわかる。
「エリー伯母様!来てくれたんですね」
「私の可愛いエル!忙しいあなたからチケットが送られてきて驚いたわ」
エリーおば様は、嬉しそうにハグをした。
「このボックスは2ヶ月前から予約していたんですよ」
「まあ!大変だったのではなくて?」
「ええ。使えるコネを総動員しました。体調はどうですか?たまには出歩かないと」
コネを使ってでもプラチナチケットのボックスルームを貸切にできるなんて、この人はかなりの高い爵位があるのかもしれない!
「そうね。今日は、観劇に来ようか迷ったのよ。1時間も遅れて到着したから帰ろうかと思ったのだけれど、このお嬢さんがね。フフフ」
はずむように笑う。
「このご令嬢がどうしたのですか?」
男性のラピスラズリのような瞳がキラキラと好奇心で輝いた。
「毅然とした態度で受付の女性と交渉しているのよ。その姿を見ていて、若い頃のキャスを思い出してね。私も交渉に加わったのよ」
悪戯っぽく笑うご婦人を見て、エルと呼ばれた男性は嬉しそうに笑った。
「伯母様のお話に出てくる古い友人のキャスさんと、このご令嬢は似ているのですか?」
「ええ。似たところがいっぱいあるわ。だから私の新しいお知り合いになってもらったのよ」
「そうですか!それはよかった。お嬢さん、私はエルヴェ・イステルです。伯母様がこのボックスまで来る勇気をくれてありがとう」
「わたくしはアビゲイル・ダンフォードでございます」
「ダンフォード侯爵家のご令嬢ですか。確かにそのストロベリーブロンドと、琥珀を連想させる瞳はダンフォード侯爵家の特徴ですね。これは失礼いたしました」
イステル氏は膝をつき騎士の礼をした。その対応で家格が下であることがわかる。
という事は、イステル氏は伯爵以外ね。
社交界で見たことのない若い男性だったけど、一気に興味をなくした。
外見だけは好みのタイプなのに。
爵位が低いのでは話にならないわ。
「プラチナチケットは伯母様のために用意したんですよ?オペラの後のお楽しみのために」
「お楽しみですか?」
不思議に思って質問をする。
プラチナチケットでオペラを見たことが無いから、この後のお楽しみなんて聞いたことがない。
「バックヤード探検よ。出演者や、楽屋裏に準備されているたくさんの予備の衣装も見る事ができるの。もう1人の名付け子にも会えるし、ワクワクするような事がいっぱいあるの。アビーもいかが?」
エリーさんが嬉しそうに誘ってくれたが、私は一切興味がない。
「申し訳ありませんが、この後は用事があるもので」
私の返事にエリーさんは少し寂しそうな顔をした。
「そうね。お若い方は、予定がいっぱいありますわよね」
しゅんとした様子を見て、イステル氏がエリーさんを元気つけようと笑いかける。
「伯母様には僕がいますよ」
再開のブザーが鳴り、幕間が終わった。
灯りが消えて、オーケストラの演奏が始まる。
前回までは、幕間のタイミングで貸切ではない、ボックスに案内されていた。
毎回、対応が悪いと怒りながら席に着いていたが、今回は全く違う事になっている。
もしかしたら隣国の漆黒の王子に出会えるかもしれない。
気もそぞろにオペラを鑑賞し、期待を膨らませながら幕が降りるのを待った。
オーケストラの演奏がやみ、会場が明るくなるとすぐに立ち上がる。
「今日はありがとうございます。本当に楽しい時間を過ごす事ができましたわ」
2人に挨拶をして、急いでボックスを出た。
プラチナチケットの貸切ボックスはこの上下左右だ。
きっとどこかにいるはずだ。
左右のボックスは幕間の話し声からして女性が多いように感じた。
という事は隣国の皇太子殿下はいないわね。
他にもプラチケチケットの貸切ボックスはいくつもある。
やはりこれは入り口で待つべきだわ。
エントランスホールに行くと、既に高位貴族の馬車が乗降所に横付けにされていた。
あれ?
今まで見ていた馬車と、今回見ている馬車が違う。
何故そう思うのかというと、馬車に刻印されている紋章が違うからだ。
今まで見てきた馬車は……かなり後方にいる。
前回までよりも早い時間にエントランスに来れたのね!
こういった会場ではプラチナチケットとゴールドチケットの席から退場が可能となる。
プラチナとゴールドがほぼ同時なのは、プラチナを押さえることができなかった高位貴族がゴールドチケットを買っているからだ。
それから遅れる事15分後にシルバーチケットの席からの退出が可能になり、さらにその後に通常チケットの観客が帰れる。
と思っていたけど、実際にはプラチナチケットの席とゴールドチケットの席では退出可能時間が微妙にずれているのね。
帰っていく高位貴族達の顔ぶれは何回も見て知っていたはずだが、今私とすれ違っている方々がプラチナチケットで観劇していた人なのだろう。
今までよりも、明らかに家格が上そうな人が多い。
その中にラブラジュリ公爵家のご兄妹がいらっしゃった。
ご嫡男様は初めてお会いするけど、オレンジの混ざった栗色の髪に、榛色の瞳の魅力的なお方だ。
お隣にいる、妹君のルアーナ様によく似ている。
ルアーナ様と言えば、王立学園の時には常に成績が一番。聡明で、誰にでも優しい。
私より一学年上のすべての生徒に慕われたお方だ。
爵位が高い人が、低い人に話しかけるのがマナーなので私からは話しかける事ができない。
「あら、ダンフォード侯爵令嬢。ごきげんよう、貴方もオペラにいらしていたのね。そのドレス素敵ですわね」
ラブラジュリ公爵家のご兄妹は馬車の乗降場に向かうためにエントランスを出て行こうとして、私に気がついて声をかけてくれたようだ。
「ごきげんよう、ラブラジュリ公爵令嬢様」
カーテシーをして、簡単な挨拶をした。
見目麗しいラブラジュリ公爵家のご兄妹を見られて、眼福だわ。
ここまでは、前回とは全く違う事になっている。
きっと隣国の皇太子殿下に会えるわ。
期待をしたけれど、この後の展開は同じで、皇太子殿下には出会えず、お屋敷に帰る事になった。
そして、ここからの展開は全く同じだった。ディナーのメニューも、家族の会話内容も。
そしてそれに対する相槌も全部同じ。
夜、ベッドに入ってから考える。
これまでと違う事を選択して変えられる事があるなら、明日の出来事も何か変えられるかもしれない。
少なくとも、今までよりは充実した一日だった気がする。
これまで繰り返してきた時は、1人でゴールドチケットの席に行き、誰とも話さずにオペラ鑑賞をして、誰とも会話せずに帰ってきた。
でも今回はエリーおば様と知り合いになり、プラチナシートで鑑賞した。そして、ラブラジュリ公爵家のご兄妹に会えた。
目が覚めたら違う未来になっていますように。
祈りながら眠りについた。