オペラに途中入場する方法
本日2回目の投稿です。
何故、他の客は遅れなくて、私だけ遅れているのかしら?
うーんと頭を悩ませてやっと思い出した。
そもそも、道が混んでいなかったとしても開園10分後に到着予定だったのだ。
大抵の事は家名を言えば叶う。ダンフォード侯爵家は、高位貴族の社会では立場は弱いが、伯爵以外平民に至るまでは、侯爵家と言うと、相手はかなり譲歩してくれるのだ。
だから、時間の事など気にせずに出発したのだったわ。
結局、元々遅れる予定だったのと、事故が重なり1時間遅れで到着した。
これでは前回までと何ら変わらないと思ったが、一つだけ違う点があった。
もう一台、事故のせいで遅れた馬車があったのだ。
その馬車は、2台前を走っており、オペラ座のエントランスに到着したのはほぼ同時だった。
この後の展開がわかっている私は、ズカズカとオペラ座に入り、入り口の係員の前まで行く。
「いらっしゃいませ。申し訳ございませんが、このお時間からのご入場のご案内は致しかねます」
ダークブラウンの髪を、綺麗に結った受付嬢が申し訳なさそうに言う。
受付係を睨みながら、オペラのゴールドチケットを持った手で受付台を思いっきり叩いた。
バン!
大きな音が鳴った。
「何故よ?ちゃんとチケットを持っているのよ?私を誰だと思っているのよ!」
私の剣幕に受付係が右往左往する。
「何ビクついているのよ!ほら、あちらにも入れなくて困っているじゃない!」
同時に到着したが、もう一台の馬車から降りて来たのは、車椅子に乗った高齢のご婦人と、30代半ばくらいの年齢の女性だった。
私が受付係に詰め寄っている最中に、エントランスに入って来た。
2人とも私の勢いに押されて、じっと私と受付係の様子を見ている。
車椅子のご婦人は私の剣幕に少し引き気味の様だが、オペラを見たい気持ちがあるのか帰りもしなかった。
「ほら、早く案内しなさいよ!」
大きな声を出して睨んだので、怯んだ案内係がチケット台の上に万年筆を落としたが、今回は万年筆がチケット台から転がって来ない。
あれ?どうしよう。
ドレスが汚れないから、これでは中に入れてもらえない。
「道が事故で渋滞していたのよ。ほら、あのご婦人方も同じよ?幕間のタイミングでいいから入れてくれないかしら?」
予定通りの展開にはならなかったので、狼狽して、思わずそこにいる人を引き合いに出してみた。
「そう言われましても……」
受付係は困った声を出した。
オロオロするばかりの受付係の後ろの扉が開き、しつらえの良いスーツを着た男性が出てきて、受付嬢の前に立つ。
「お客様、どうされましたか?」
前回まで出てきた支配人とは違う男性が来た。
「この係員が中に入れてくれないのよ」
怒るってエネルギーが必要で、なかなか難しい。
声を張り上げるしかできない。
もう、毎回怒るのに飽きてしまっている自分がいる。
「そう申されましても。公演中のご案内は致しかねます」
男性は丁寧に断ってきた。
このやりとりにも飽きてしまった私はその男性に私のチケットを見せる。
そもそも隣国の皇太子殿下に会える確率が限りなく低いのに、私は何をやっているのだろうか。
頭の片隅にうっすらと浮かんだ疑問を振り払うかのように、毅然とした声を出す。
「ゴールドチケットよ?ラグジュアリーエリアでしょ?大渋滞に巻き込まれてしまって遅れてしまいましたし」
「それは大変でしたね」
男性は慰めるように言う。
「この辛い気持ちを慰めるためにも、途中からでいいからお席に案内してもらえないかしら?ほら、あちらにも同じ境遇のご婦人方も一緒に」
気まぐれに、全く知らないご婦人達を駆け引きの材料に使っう。
私と男性のやり取りを聞いていた車椅子のご婦人がゆっくりとこちらにやってきた。
「わたくしの名付け子が、このオペラの関係者なの。ですから、私もお願いしたいわ」
高齢の女性は、プラチナチケットを出して、控えめににっこり笑った後、こちらを向いた。
「普段は出掛けないから準備に戸惑ってしまってね。名付け子がチケットを送ってくれたのよ。あなたが掛け合う様子を見て、勇気を出してみましたのよ」
「そうなんですね」
突然話に割って入ってきたので、どうしていいかわからず適当に相槌を打った。
プラチナチケットはお父様のコネクションを使っても手に入れるのが難しい。
いったいこの女性は何者なのかしら?
社交の場にはよく行くが、私が顔を出すのは若い貴族ばかりの集まりのみだ。
気を使わないといけない場所は私の管轄外と決めていて、全く顔を出した事がない。
社交を選り好みしていては、いい相手になど巡り会えないなんて言う人もいるけれど、そんなのやってみなくちゃわからないじゃない?
「お嬢さんは物怖じせずに、すごいわね。しかも、わたくしの事も気を遣ってくださるなんてね」
グレイヘアのご婦人はにっこり笑い、私の手を握った。
驚いてビクッとなるが、普段から年長者と接していないのでどのようなリアクションを取ればいいかわからない。
「このチケットなら、こちらのお嬢さんも一緒に観覧できるのではなくて?」
ご婦人のチケットを受け取った男性係員は、席番号を確認するとにっこり笑った。
「かしこまりました。ボックス一つ貸切になっておりますので、こちらでしたらご案内可能でございます」
男性が案内をしてくれる。
「お嬢さんもご一緒に行きましょう?」
車椅子のご婦人にそう言われたので私はついて行く事にした。
目が覚めてからの選択を変えたせいで、少し違う状況になっている。
「お嬢さんのお陰で、久々に冒険をした気分だわ。わたくしは、エリーヌ・ドラテオよ。こちらは、わたくしのお世話をしてくれるイビサ」
イビサと呼ばれた女性は、軽く挨拶をしてくれた。
世話係という事は、きっとこのご婦人の侍女なのだろう。お茶会などで出会う伯爵令嬢達より上質なドレスを纏っているところを見ると、このご婦人の豊かな資金力を感じる。
でも、ドラテオという家名の方に社交場で会ったことはない。
ライバルとなる令嬢か、または、結婚相手の候補がいない限り、人の名前なんて覚えないから知らないだけかも。
「お嬢さんのお名前を聞かせてくださらないかしら?」
「わたくしはアビゲイル・ダンフォードですわ」
歩きながらなのでカーテシーはしなかった。
「ダンフォード侯爵家のお嬢さんね。アビーって呼んで構わないかしら?」
「ええ。もちろんですわ」
あまり愛称で呼ばれないので慣れないが、あきらかに高位貴族のご婦人に酷い態度を取ると、それこそどうなるかわからないから大人しくする。
「私の事は、エリーおば様と呼んでちょうだい。久々に可愛らしいお知り合いができたわ」
「奥様、よかったですね」
イビサが楽しそうにエリーおば様と私に笑いかける。
私は作り笑いを浮かべた。
「さっき、受付係が万年筆を落としたでしょ?その素敵なビンテージドレスにシミを作るのではないかとヒヤヒヤしたわ。まるで咲き誇るバラに夜露が付いているかのうよに宝石が縫い付けられていて本当に美しいドレスね。アビーのそのストロベリーブロンドに良く似合っているわ」
エリーおば様に言われてドレスを見る。
ここに来て万年筆を落とされるから、ドレスの事なんて何にも考えてなかったけど、確かに高価なビンテージドレスだ。
50年前に他界した世界的に有名な女優であるゾーイの私物で、オークションで落札したものなのである。
金額は、確か平民の生涯年収より高かったはずだ。
もうそんな事すっかり忘れていた。
「素敵なドレスね」
「ええ、世界的女優であるゾーイの私物だったものです」
人工ダイヤを散りばめた真っ赤なドレスは光を受けて、輝く。
弟は「流れる血のようで気持ち悪い」と言ったが、私は薔薇の蕾が綻んだようだと思って、まあまあ気に入っている。
「まあ!では、噂のオークションで落札したのね」
「ええ。父にお願いしました」
ゆるいスロープを螺旋状に登った先にあった扉の前で係の男性が止まったので、私たちもドアの前で止まった。
「では、こちらでございます」
係の男性が廊下の灯りを落として、ボックス席のドアを開ける。
廊下が明るいままだと、オペラの演出に影響が出るからだ。