失敗を重ねる
時計台を見ると、時刻は13時46分。
「今から事故現場に向かっていたら、エリーおば様が先にオペラ座についてしまうわ。イステル様はいないし、オペラ観劇をするキッカケをつくる私がいないと帰ってしまわれるわ」
イステル氏は時計台を見た後、真剣な顔でこちらを見た。
「確かに、もうこんな時間だ。オペラ座に向かいましょう」
イステル氏に手伝ってもらい、もう一度横乗りに騎乗する。
しかし、上手くは行かず、足の小指を大きくぶつけてしまった。
痛いけど我慢して馬を進める。
「事故現場はオペラ座の先ですから、そこまでは一緒に行きましょう」
「よろしくお願いしますわ」
と返事したはいいものの、道が混んでいるので細い路地を縫うようにして先に進む。
イステル氏の馬を追うようにして、一列に進んで行った。
細い道ですれ違う女性達が、イステル氏に、手を振ったり、「警らのお兄さん、私を守って!」と叫んだり、「今夜、私のベッドに来て!」なんて言う激しい女性までいる。
皆アピールがすごい。
「ありがとう、またね」
イステル氏は女性達に返事をしながら通り過ぎていく。
随分と愛想がいい。
この人、女性なら誰でもいいのかしら?
文官や書記官は、仕事の性質上貴族が優遇されるので平民はなかなかなれないと聞いたことがある。
それに比べて警ら隊は身分格差があまりないので、庶民の女の子達は警ら隊と結婚を夢見てると聞いたことがあった。
だからって見境なさすぎじゃないかしら?
「イステル様はあの猛アピールする女性達に好意的ですわね。明日にでも押し掛けてきますわよ」
「警ら隊の制服や馬には、番号あるでしょ?これはどこの隊の所属の誰なのかを識別するためのものなのです。だから、さっきの女性達はきっと、この馬とジャケットの持ち主であるザッカリー隊員の所に押しかけるでしょう」
「ザッカリー隊員が迷惑するのではなくて?」
「いえいえ。彼は恋人募集中ですから大丈夫ですよ」
本当かしら?
甚だ懐疑的だが、今は急いでオペラ座に向かわねばならない。
私達がオペラ座に到着して馬を降りる時、エリーおば様の馬車が入ってきた。
その後ろから我が家の馬車も入ってきたので、急いで馬車に駆け寄ろうとしたが、御者は私の姿を見ると安堵した表情を浮かべて馬車の待機所へ向かってしまった。
しまった。手袋も宝石も何もない……。
侯爵令嬢としてマナーを欠いた服装で、これではオペラ座に入れないわ。
もう!
御者って気がきかないんだから。
小指が痛くて、追いかけることもできない。
馬車の後姿を眺めて途方に暮れている私の視界の先では、エリーおば様が馬車から降りて来た。
イステル氏が、警ら隊のジャケットを脱いで脇に抱えながら出迎えている。
「エルヴェ、あなたはこんな可愛いお嬢さんを巻き込んで何をしているの?もういい大人なんだから悪戯する歳ではないでしょ?」
「伯母様、久しぶりに会った名づけ子に対する言葉ですか?」
「当然ですよ」
イステル氏をみて苦言を言った後、こちらを向いた。
「エルヴェのいたずらに巻き込まれたのね。初めましてお嬢さん、わたくしはエリーヌ・ドラテオ。こちらにいるエルヴェ・イステルの名づけ親ですわ」
ネックレスもイヤリングも何もない、手袋もしていない、ケープを羽織ったままのマナーも何もなっていない状態の私は、ここでできる最善の方法を取る。
それは一つしかない。
……開き直る事だ。
「はじめまして、わたくしはアビゲイル・ダンフォードでございます」
カーテシーをして満面の笑みを浮かべてみた。
「エルの悪戯に付き合わされたせいね。そんなに不安そうな顔をしないで。わたくしの予備の手袋を貸してあげますから」
その言葉でイビサが自らのバックから黒い手袋を出してくれた。
「ありがとうございます」
受け取ってその触り心地に驚く。細やかなレースでできた手首までの黒い手袋だ。
あまりにも手触りがいいのでびっくりする。
「肌触りいいでしょ?うちの領地で作っているのよ」
「あまりにも滑らかでびっくりしました」
返事をしながら急いで手袋を着用する。
「ダンフォード侯爵令嬢のせいではないわよ。エルが悪いのだから」
「ええ。僕が全面的に悪いです」
「わかればよろしいのよ。ところでその馬と上着はどうするの?」
「警ら隊に返しに行ってきます。伯母様とダンフォード侯爵令嬢は先に中に入っていてください」
「イステル様、あの……わたくしのチケットは馬車の中なんです」
これではオペラに入れない。