大胆に変えた行動
馬車のクッション材に頭をぶつけて目が覚めた。
そして、空砲の音で、記憶がよみがえる。
今回で24回目。
前回、ここからの行動を変える約束をイステル氏としたことを思い出す。
まず、御者に角を曲がらずに直進を指示する。
それからドレスと同じ色の真っ赤な長手袋を脱ぎ、ネックレスとイヤリングを外した。
手袋の中に、宝石類を隠し、それを座面の下に設置してある隠し金庫に入れる。
普通に走っている馬車は、量産品なので隠し金庫などないが、ダンフォード侯爵家の馬車は全てオーダーメイドだから、当然ながら多数の防犯対策が施されている。
貴重品は全て金庫に仕舞った。
しかし、髪飾りは外せないし、真っ赤なゾーイのドレスは目立ちすぎる。
癪だけど、イステル氏の言っていたとおり、雨避けようのケープを着ることにした。
男性なのに女性用馬車には何が置いてあるかとか知っているなんておかしい話だわ。
あの人を誑し込む笑顔で、何人の女性を騙したのかしら?
スパイというよりは結婚詐欺時に向いていると思う。
私は騙されないけどね。
きっと、金持ちの未亡人とかに貢がせて生活していそうよね。
ため息をついて、ケープのフードを被り、馬車のドアを開けた。
いきなりドアが開いたので御者が驚いてこちらを見る。
「アビゲイルお嬢様!どうされたんですか?時間はかかりますが、ちゃんとオペラ座に向かいますよ」
狼狽する御者のほうに近寄り、紙幣を渡す。
「これ両替できるかしら?」
「可能でございますが……どうされたいのですか?お嬢様が両替が必要になる事などないはずですが」
「あるのよ」
だんだんイライラしてきて、怒鳴りそうになるが我慢する。
イライラしないって、前回決めたのだから。
深呼吸をして、無理矢理笑顔を作る。
「ちょっと、必要なの。お願いよ?」
御者は驚きながらも、小さな袋を出した。
「これは、馬車の待機場でお嬢様を待つ時に必要な硬貨なのですが……。どうしても必要ですか?」
「ええ。ちょっと緊急事態なの」
「わかりました。お嬢様のご希望を叶えるのが使用人の役目です」
いつもは怒鳴り散らしていたけど、それよりも冷静にお願いした方が、なんだか物事がスムーズに進む気がする。
そういえば執事がいつも、『お嬢様の短気を治さないといい嫁ぎ先には巡り合いません』なんて言っていたけど大きなお世話よ。
必要とあらば私だって感情を隠すことくらいできる。
小さな袋を受け取り、紙幣を渡した。
「ちょっと座りすぎで疲れたから歩こうかしら」
「お嬢様!危ないですから馬車にお戻りください!」
「大丈夫よ。馬車は無人でもオペラ座に向けてまっすぐ進んで頂戴」
これでイステル氏に言われた任務は完了した。
前回の話合いを思い出しながら、前方を見る。
長い馬車の列はずっと先まで続いていた。
我家の馬車の2台前がエリーヌ・ドラテオ公爵未亡人、つまりエリーおば様の馬車だ。
この渋滞ではイステル氏はここまで来るのは無理よね。歩いて事故現場に向かおうかしら。
でもどれくらい時間がかかるのかわからない。
進行方向を見ながら考えていると、馬車が一台もいない対向車線の道をすごい勢いで一頭の馬が進んできた。
騎乗しているのは、警ら隊のようだ。
こちらに向かって手を振っている。
事故現場からやってきたのだろうか。
後方に応援部隊がいるのかもしれないと思って振り返るが、一般の馬車が長い長い列をなしているだけだ。
騎乗している人をよくみると、イステル氏だ。
目立つ方法でここまでくるわね。
人目を引くイステル氏は、事もあろうに我家の馬車の横に馬を横づけして、馬から降りてきたのだ。
燕尾服姿ではなく警ら隊の上着を羽織っているのでわからなかった。驚くことに、乗ってきた馬にも警ら隊の紋章がついている。
さては、海兵隊の名前を出して、馬と上着を借りたのね。
確かに、燕尾服が汚れるのは困るから賢い方法だとは思うけど、たくさんの人の注目を浴びている。
「遅れて申し訳ありません、ダンフォード侯爵令嬢」
「大丈夫ですわ。しかし派手な登場の仕方ですわね」
どう頑張っても笑顔が引き攣る。
「これで上手くいけば、この先の未来で言い訳を考えますよ。もしも失敗したら、今の私の行動は無かった事になるだけです」
小声で私にだけ聞こえるように言う。
「毎回、どうにか未来につながるように努力しているのに、笑顔でループ前提のようなことを言わないでください」
私も小さな声で反論した。
「申し訳ありませんでした」
左腕を背中に回し、右腕を胸に当ててお辞儀をしてくれたが、顔はにっこり笑ったままだ。
これが、イステル氏のやり方なんだわ。
恋に憧れるご令嬢や、恋に焦がれる未亡人なら喜ぶ仕草だろうが、私は無視を決め込む。
そして咳払いをして、硬貨が入った袋を渡す。
「ありがとうございます。お預かりしますね」
警ら隊の上着に袋を入れた後、こちらに手を差し出した。
「ダンフォード侯爵令嬢は馬に乗ってください。手伝いますよ。私はエリー伯母様に馬を借ります。すぐに追いつきますので先に進んでいてください。」
イステル氏は、膝をつくと、自分の太腿を踏み台にするように差し出した。
「ここに足をのせて、お乗りください」
躊躇するが、あまり時間はない。
恥ずかしいけれど、イステル氏を踏み台にしてなんとか鞍に横座りになる。
きっと後続の馬車の乗客達は何事かと思うだろう。
こんな形で注目を集めるのは嫌だが、この案を了承したのは私だ。
ちらっと御者を見ると、驚いて何も言えないようだった。
口があんぐり開いている。
「侯爵家の威光を使って警ら隊に美容に効く貴重な薬草を探してもらっていたのよ。今、全部買い占めてくるから、予定通りオペラ座に向かって頂戴」
苦し紛れの言い訳に御者は訝しんでいるが、私は有無を言わせない強い口調で言った。
「かっかしこまりました。お嬢様」
「オペラ座にはちゃんと向かうから心配しないで」
ツンと顎を上げて、ゆっくり進む。