クッキーの運命
「ところでこの後のご予定は何かありますか?もしよろしかったらエリー伯母様の邸宅に行きませんか?これ以上詳しい話はここではできませんし、かと言って未婚のご令嬢と二人きりになるのもは、変な噂が流れてしまいますから貴女様に迷惑が掛かりますので」
「ええ。よろしいですわ」
「そう言ってもらえると予想して、エリー伯母様に馬車の手配をお願いしてあります。そろそろ到着するとおもいますよ」
スパークリングワインを飲み干して、にっこり笑った。
確かに、変な噂が広まってもらっては困るから、馬車の手配をしてもらっていてありがたいが、何が起きているのか一秒でも早く知りたい。
「ほら、雨が止みました。今、ドラテオ公爵家の馬車が到着したみたいですよ」
通りを眺めてそう言った後、こちらを向いて意味深にほほ笑む。
馬車の到着後しばらくで、給仕係が手紙をもってこちらに来た。
「ダンフォード侯爵令嬢、ドラテオ公爵家からお迎えの馬車がいらっしゃいました。『エルに護衛をお願いしてあります。訪問を楽しみにしております』と伝言も預かっております」
渡された手紙は、エリーおば様のものに間違いない。
「では、そちらに居る大尉と主催者にご挨拶をしてから行きましょう」
言われるがまま挨拶を済ませて、ダンフォード侯爵家の馬車に、「ドラテオ公爵様の招待を受けたので遅くなる」と伝言を依頼して返し、エリーおば様の馬車に乗る。
エリーおば様が手配してくれた馬車は、一人乗りの馬車だった。
婚約していない男女が二人きりで同じ馬車に乗るのは、マナーとしてダメな事である。
だから一人乗りの馬車なんだ。
エステル氏は、護衛をするというだけあって、馬にまたがり馬車と並行して走るようだ。
「一つ、寄って頂きたいところがあるのですが。寄り道してもよろしいですか?」
「かまいませんよ。ではどちらに向かえばいいのですか?」
「時計台広場の方へ向かっていただけませんか?」
クッキーの運命を救わなかったせいで、また殺されるのは嫌だ。
それも必ず行わなければいけないことの一つである。
「時計台広場、ですか?」
「そうです。これもこのタイムループを終わらせるカギの一つだと思っておりますの」
「それなら急がなくてはいけませんね。案内しますよ、大通りはどこも込み合っていて、何時に到着するかわかりませんから、裏通りを進みましょう」
案内された裏道は、通った事がない狭い路地ばかりだった。
こんな小さな馬車乗った事が無いから知らなかったが、小回りが利いて便利だし、それに乗り心地も悪くない。
あっという間に時計台広場に到着した。
結婚式でいただいたお菓子の箱をもって馬車を降りると、馬を繋いだイステル氏が私の横に来た。
「どうするんですか?」
「クッキーの運命を救うんです」
この地区のボスであろう男の子を目で探しながらクッキーを配る場所まで進む。
「クッキーの運命ってどういう事ですか?それってどんな意味ですか?」
「そのままの意味ですわ」
答えながら男の子がいたのを確認できた。
少し離れているが、クッキーを配れば、様子を伺いに寄ってくるだろう。
今までと全く違う時間だから、男の子に出会えないと思った。
あの子がいないと、クッキーを欲しがる子供に群がられて酷い思いをするかもしれないと思うから、男の子がいるのを確認したかったのだ。
私はクッキーの箱を開けて、子供たちの方に近づいた。
「さあ!皆様にお祝いのクッキーを差し上げますわ」
オペラ座の受付で怒鳴った時のように声を張り上げる。
今まで走り回っていたこどもたちがピタッと止まり、恐る恐るこちらに歩いてきた。
「あの。お嬢様、本当にクッキー頂けるんですか?」
穴の開いた靴を履いた10歳にもならないくらいの女の子が聞いてきた。
「ええ本当よ。さあどうぞ、手を出して」
女の子が私の顔色を伺いながら、そっと手を差し出してきたので、クッキーをその掌にのせてあげる。
「ありがとうございますお嬢様」
「どういたしまして」
私の返事を聞いた女の子はぎこちないカーテシーをして、急いで離れるとクッキーを口いっぱいに頬張る。
「あまーい。すっごくいい匂い!」
その様子をみて沢山の子供がやって来た。
「私にも頂けますか?」
「私もください」
「ええ。どうぞ、好きなだけ食べていいのよ」
子供達に箱を差し出すと、そっとクッキーを取り、「ありがとうございます」といって走って私と距離を取る。
そして、嬉しそうにクッキーを食べる。
何度見ても餌を取られまいとする子犬のようで、すこしだけほほえましいと感じる。
子供達は喜んで食べている。
「もっと召し上がりなさい」
私の言葉に嬉しそうにまたクッキーをとりにくる。
「ありがとうございますお嬢様」
何人かの女の子は不恰好なカーテシーをしてくれた。
「貴族の食べ物ってすっごく美味しいんだな」
「甘くていい匂い」
「食べ終わった手からも甘くていい匂いがするよ」
この反応は毎回同じだ。
私のそんな様子をイステル氏は少し離れて見ていた。
沢山の子供達がクッキーを食べていると、10代半ばの男の子がやってきた。
この地域のボス的な存在なのだろう。
今までの子供たちよりも背が高く、大人になりかけの男の子をみて、イステル氏の雰囲気がすこし変わった。
もしかして、何かあったら私を守ってくれるつもりなのかもしれないが、心配には及ばない。
「お嬢様、私も数枚頂いてもいいですか?」
「いいわよ?これ全部あげるわ」
箱ごと男の子に押し付けた。
「ありがとうございます」
男の子は驚きながらも箱を受け取ると、細い路地に入って行く。
イステル氏に目配せをするとすぐに隣にやって来た。
「あの子についていくの」
「わかりました」
「でも、やっぱりちょっと怖いから距離をとってね」
「それがいいと思いますよ」
エステル氏は優しい笑顔で私を見た後、距離を取って男の子の入った道を覗く。
狭い路地の軒下には、体が悪そうな子供や、お年寄りが数人、身を寄せ合って座っていた。
男の子はその人達に残りの全部のクッキーをあげている。
きっと地域のボスである男の子が体の悪いホームレスの面倒を見ているようだ。
これも今までと同じ。
「我が家では、決まったパティスリーのものしか食べないので、持って帰ってもあのクッキーは捨てられる運命なんです。でも、クッキーを捨てずに配ると、少しだけタイムループの時間が伸びるんですよ。クッキーの運命を救うと私もすこしだけ生きられるんです」
「クッキーの運命を救う……ですか?」
「そうですわ。それ以外に何があるというのです?」
疑問を投げかけると、イステル氏はすこしクスっと笑った。
「これって世間では慈善活動というのではないですか?」
「クッキーの運命を救う事も、慈善活動と言うのなら、慈善活動って幅広いんですね」
思わず感心してしまうと、イステル氏は大笑いをした。
「わかってないならいいですよ。普通はノブレスオブリージュにあたると思うんですけどね」
「?よくわからないわ。それよりも、せっかく馬車を降りたのだから、ご招待をしてくれたエリーおば様に何か手土産を買おうと思いますの。エリーおば様って何がお好きなんですか?」
「エリー伯母様の好きな物か。申し訳ないがちょっとわからないな」
このタイムループから抜け出た後のことも考えて、これからのご縁を繋いでおいた方がいい。
それにエリーおば様がキーパーソンだから、媚びを売った方が得策だ。
辺りを見回すと、先ほどの子供の姉妹とみられる十代半ばの女の子が花を売っている。
あれがいいわ。
タイムループの中で、エリーおば様から真っ赤なポピーの花を贈られた事があった。だから、きっとお花は好きに違いない。
お花なら、高級店も露店もそう変わらないわよね。
「女の子が花を売っているから、あのお店から買うわ」
馬車に戻ってクラッチを取ってこようとすると、イステル氏から引き留められた。
「不躾な質問ですが、硬貨をもっていますか?」
「お金なら持っているわ」
「紙幣じゃなくて硬貨ですよ。いつものつもりで高額紙幣を渡すと、あの子がギャングから狙われたり、周囲の人間から、やっかみでいじめられたりするんです」
「でも、紙幣一枚では何も買えないわよ?」
「それは普段、ダンフォード侯爵令嬢が行くような高級店の話ですよ。ここでは違います。ちゃんと、まっとうな値段を払わないといけない。だから、支払いは私がしますよ」
「ああ、クラッチは絶対に持って来ないでくださいね。スリや通り魔に狙われて、ここで命を落とすのはごめんこうむりたい」
「何よ!」
怒る私をよそに、イステル氏は女の子に近づき花を買った。
そして、ポケットから硬貨を出すと、女の子に渡す。
「せっかく生き延びる道を模索しているのにこんな所で命を落とすのは馬鹿らしいでしょ?それよりも、この花束、伯母様はすごく喜びますね」
イステル氏は女の子から花束をうけ取ると、御者に渡した。
馬車に乗せると、私がずっと膝の上に載せておかねばならないから、御者に荷台に載せてもらったようだ。
「ダンフォード侯爵令嬢は馬車でお待ちください。少し用事を済ませ来てます」
イステル氏は、にっこり笑って私に背を向けると、この地域のボス的な存在の男の子の元に走っていった。
そして、にこやかに話しかけた後、ポケットから小さい紙を出して男の子の手に握らせている。
あれは多分、名刺だ。
それから、男の子の隣に立ち、道を教えているようだ。
男の子に何かお使いを頼むつもりだろうか?
それから、またポケットから硬貨を出して男の子に渡すと、馬に戻って跨った。