後編 『辺境の地で幸せに』
「アルカディア。貴方も目を通してくれ。辛いかもしれないが」
「いいえ。ランドルフ様。構いません。私のことですし、私は……この辺境の女主人ですから」
「そうか」
まずはじめに。
このセイランの地にわざわざやって来て、私の悪評を広めようとした者たちが居たこと。
彼らは商人を装って現れ、噂を広めようとしていた。
だが、張り巡らされていたセイラン家の網に掛かり、すぐに『不敬罪』で連行されることになる。
領主の妻、辺境伯夫人への意図的な悪意ある吹聴が理由だ。
他家の政治工作であることを前提として動き、強制捜査に踏み切ったところ……。
あっけなく証拠を押さえることが出来た。
死罪にまですることはないが、彼らは徹底的な尋問をされた。
そのやり方は、その。なんというか。
「『北の暴君』というのは、まぁあらぬ噂ではないんだよ。アルカディア」
「……そう、なのですね。意外と言いますか、何と言いますか」
これが唐突に決められた婚姻相手を、ここまで誠実に扱ってくれた人のする事かしら。
物凄くギャップがあるような。
「……セイラン家は、魔獣の件を無視すれば随分と優遇されている領地だ」
「はい?」
「この地の厳しさを知らぬ者たちは、『どうせ大したことなどないくせに』と、優遇措置について不満を抱く」
「なるほど……」
厳しい土地だからこその優遇だというのに。
優遇された部分しか目に入れず、耳に入れない人が居るのね。
「そういう輩は、都合の悪いことは見ず、都合のいいことだけを見て、物事を判断する。
『北の暴君など実際は大したことはない』
『優遇された分だけ金があるだろう』
『婚約相手もおらず、女を宛がえば従うに違いない』……などな」
居ないとは言えないわね。
「そういう連中には、きちんと反撃しないとダメなんだ。
まぁ、これはどこの貴族でも同じか。見下す者は許してはいられない」
「はい。ランドルフ様の言葉は間違っていません」
「……そう言ってくれるか?」
「え? はい」
「よかった」
あからさまにホッとした態度。
まるで私に嫌われなくて良かった、とでも言うような。
……もう。
私は、少し熱が顔に上がってくるのを感じて視線を逸らす。
「そ、それで?」
「そうだな。連中を締め上げた結果、指示を出した者を辿っていったんだ」
私に対して明確な悪意を持つ者が居るのね。
「この件で裏で動いていたのは、ライラック伯爵家のようだな」
「まぁ……ソフィアの?」
「そうだな。件の令嬢の生家だ。既に殿下の婚約者から追い落とした君に対して追い打ちとは……」
「やっぱり私が目的だったということでしょうか」
「それはまだ分からない。だが、並々ならぬキミへの執着心があるらしい」
「ソフィア……」
貴方は何が不満だったの? 私の何を憎んでいたのかしら……。
「噂についての工作はまだある」
「他にも?」
「ああ。こちらは、どうやら王家主体らしい」
「王家が。一体、何を?」
「……『芝居』を考えているらしい」
「はい? 芝居、ですか?」
「王太子殿下の行為を正当化するためか、キミを『悪役』と貶して、殿下たちの恋路を民が応援するように、な」
「あ、悪役……」
悪女ならぬ、悪役?
市井にまで噂を広げ、私を陥れるつもりなの? 一体どこまで。
「というわけで、こちらも芝居をすることになった」
「はいぃ?」
こちらも? 芝居を?
「うむ。劇名は『悪役令嬢の逆転』だ」
「あ、悪役……令嬢。え、それ、私ですか?」
「ああ。よく出来ているぞ? 前半と後半で内容がガラリと変わるんだ。
前半部分は、如何にも連中が考えそうなストーリーで、それが後半でひっくり返される」
「い、いつの間にそんなものを……というか仕事が速い!?」
一朝一夕でできるものじゃないのでは!?
「元々、王家の動きは観察していたからなぁ」
「そ、そうなんですね?」
「ああ。それで今回の件については……、貴方は悪くないことを前提に動いていたんだ」
「え」
「妻だからな。公平ではなく、贔屓目で考えさせて貰った。
だいたい、嫁いでくる令嬢について調べないわけにはいかない。
そして、それを押し付けてくる王家に対して不信感を抱かざるをえなかった」
「それはそうですね……」
王家の動きは元から監視していたのね。
そして私に対する劇についても……考えていて。
「ええと。実際は、どういう作戦? 計画なのでしょう?」
「連中の『劇』と被せる。ただし、こちらの方が先んじて話を流す。
先に言ったように前半と後半で別れた構成の劇だ。
前半部分では『悪役令嬢』はやり込められ、敵対している者たちは勝ち誇る……が。
それは『前フリ』となり、後半で悪役令嬢が逆転してハッピーエンドを迎えるシナリオ」
「……よく分からないのですが、その劇をするとどういう効果が?」
「連中の広める『劇』は、見た者にとって『未完成品』になるということさ。
それを見ても内容を知っている者は『後半部分、第二部はまだか?』と客は思うだろう。
『いつ、悪役令嬢は逆転するの? え、これで終わり?』とな」
「な、なるほど……?」
そう上手くいくのかしら?
「木を隠すなら森の中。連中の『シナリオ』をこちらのシナリオの中に埋めるんだ。
キミが悪役のまま終わる物語は……未完結だとね」
またランドルフ様はニィっと笑った。
私は、その微笑みが少し好きになっていた。
そして。
王都とセイランの地で同時多発的に『劇』のブームが訪れることになった。
観劇が増えたのは、王家もそう動いているから。
ただし、その内容は……きっと、彼らの思う通りにはならなかっただろう。
ランドルフ様のお抱えの者には、優れた劇作家が居るのか。
それとも大勢を抱えているのか。
世の中には『悪役令嬢が主人公の物語』は瞬く間に増えていくことになった。
そのモデルは間違いなく私なのだけど……。
「アルカディア。また新作が出たぞ。今度は『悪役令嬢の華麗なスローライフ』だ」
「またシリーズが増えてる……」
あとスローライフって何かしら!?
王家も自ら劇の量産を推し進めた手前、規制に踏み切れていない。
というより、しばらくは自分たちの画策が上手くいくと考えていたみたい。
放っておけば、いつの間にか王子とヒロインの恋は美談にすりかわると待ち構えていた。
その結果、世の中の芝居シェアは、悪役令嬢モノが占めることに。
う、うーん……。
「ヒロインが素直に勝つだけじゃダメなのかしら……?」
「キミがそれを言うのか?」
「いえ、だって世の中の人たちは私たちのことは知らないのだし」
ヒロイン、即ちソフィアが主人公になる物語は、そんなにウケないものかしらね。
「ライラック伯爵家は、それからは?」
「捕まえた連中を逆に使って、情報操作をしている。
伯爵の指示や、思惑とは逆のことをさせ、どんどん落ちぶれていっているようだ」
「まぁ……」
それはまた。
「同情はしなくていい。連中が、こちらに……キミに攻撃をしてこようとしてきた時と逆のことをさせているだけだ。
他の、領民に関して不利益を被るような細工はさせていない」
「それならば、はい。同情は必要ありませんね」
私に対する関心を捨て去ればいいだけ。
だって彼女たちは、もう私に勝ったのだから。
普通は王太子殿下という婚約者を奪った時点で勝敗などついているでしょう。
……ただ、私が、今の環境を受け入れて、幸福を覚えているだけで。
「放っておいてくれればいいのに」
「まったくな」
私の悪評を立てようと画策していたライラック伯爵家には、その工作を逆に利用した。
さらに『劇』を使って私を『悪女』として広めようとした王家の策も潰した。
今では、カルロス殿下もソフィアも肩身の狭い思いをしているそうだ。
噂や劇のぶつけ合いによる印象操作は、だんだんと私たち有利に傾き始めていた。
ランドルフ様が上手かったのは、けっして王家批判に繋げなかったところ。
直接的にはね。
いまや『悪女』と噂されているのはソフィアの方だった。
……だって王太子殿下の婚約者、ってそもそも嫉妬されたり大変だもの。
以前は私に向かっていたその矛先が、今度はソフィアに向いただけ。
彼女の敵は、もう私だけじゃなくなっていたのよ。
だから中央貴族たちは、劇の流れに便乗してソフィアを貶めた。
「……怖いわね、やっぱり」
明日は我が身と言うけれど。
正直に言って、もう戻りたくない世界だ。
現在進行形で、その噂による駆け引きをしている身なんだけどね……。
「件の令嬢、どうやら妃としては足りぬ女性らしい」
「と言いますと」
「キミと比較されて、よく貶されているのだとさ。『アルカディア様ならこれぐらい出来たのに』とね」
「ええと、それはランドルフ様は」
「何もしていないよ。ただの順当な結果だ」
「そうですか……。それはまた。別に私だって1年未満でなんでもこなしていたわけではないのですが……」
「そうだな。3年以上かけて学んだキミの成果と、横並びで評価することはおかしい。
普通はな。だが、それは」
「……当然の結果、ですか」
ソフィアは略奪者なのだから。
私が貶められ、仕方なく選ばれたならば、そこまで言われなかっただろう。
けどソフィアは私の婚約中もカルロス殿下に侍り、親しくなっていた。
それも侯爵家嫡男である兄まで利用して。
そこまでして得た、カルロス殿下の隣に座る席。
言い訳など通用するはずがない。やって見せなければいけないのよ、彼女は。
「この辺りで畳み掛けるか?」
「畳み掛ける?」
「アルカディアの父親に手紙を出すのはどうだろう? もちろんキミの本心の方がいいのだが……」
「父に手紙を。なんと?」
「…………今、俺と共に過ごし、幸せである、と」
そう言ってランドルフ様はまた照れて私から目を逸らしたの。
この方は、その。
もう、私に対して、愛情……を抱いていらっしゃるのではないかしら。
そんな風に思ってしまう。だって態度がね。
それを意識すると私の方も胸の奥が温かくなってくる。
(夫婦……なんですもの)
私と彼は、すでに結ばれている。
期限の決まった契約結婚でもなければ、白い結婚でもない。
だから。私の奥に芽生え始めた感情は……否定しなくていいはずよ。
私は、お父様へ手紙を書いた。
辺境の地でどれだけ大切にされているか。
ランドルフ様が、私にとってどれだけ素敵な人か。
この婚姻に何の不満もなく。これからもこの地で生きていくことを。
たとえ父が『帰って来い』などと言っても、私はもうそれには従わない。
だって私は、既に嫁いだ身だ。
ランドルフ・セイランにこの身を捧げた後。
ならば私はセイラン辺境伯夫人よ。
侯爵であるお父様に従う理由はない。
……そんな風に身構えていたの。でも。
お父様からの返事が届いて。その中には。
『幸せになりなさい。もうこちらの事は何も気にせず』
と。そう書かれていた。
「……お父様」
私は父に愛されていたのかしら。
学園での私の悪評は、対処がしきれなかっただけかもしれない。
兄トーラスまで、私の敵であった可能性が高い。
罪を問うべきはお父様ではなく、トーラスお兄様かもしれないわ。
やがて事態は一気に動き始める。
また『王命』が下ったのよ。今度はセイラン家に。
「アルカディア・レイベルンを王都へ返すように、とは」
「一体、なぜそんなことを……」
「こちらで調べたことなのだが」
「はい」
どうやら。ソフィアがとうとう王家に見切りをつけられたらしい。
カルロス殿下を甘やかしていた国王と王妃。
息子の願う通りにしようと努力? はしていた。
でも肝心のソフィアがどうにもならなかった。
彼女に教育を施す者は、こぞって私と比較してソフィアを貶めて。
そんな環境で耐え忍ぶ根気など彼女にはなく、教育そのものをカルロス殿下の寵愛を盾にして放棄した。
市井にはソフィアの悪評が広まりつつあり、それはカルロス殿下をも巻き込んでいき……。
王家はソフィアに見切りをつけ、私を再びカルロス殿下の婚約者に、妻に据えようと動き始めたらしい。
だけど、それは。
「私たちは『白い結婚』ではありませんもの」
「そうだな。他の男と結ばれた女性を、王妃になどと。貴族院や大臣たちが認めるはずがない」
セイラン辺境伯として当然、その王命は撥ねつけた。
「我が『最愛の妻』を愚弄するのなら、たとえ王家とて許さぬ、と。返しておいたよ」
「……そ、そう、ですか」
必要なことなのだけれど! さ、最愛というのは、その。
愛のない政略結婚なんですけどね!?
王命と言ったが……流石に、貴族当主のその妻を差し出せ、などという命令が通るわけがない。
それを許せば全貴族家から反発に遭うだろう。
「……白い結婚を期待したのだと思うよ、きっと」
「そうでしょうね。どことなく通達にその気配がありました」
私とランドルフ様の仲が上手くいくはずがないと考えていたのだろう。
誠意ある彼ならば、あの夜には私に手を出さずにいただろう、と。
或いは私が嫌がり、拒絶したはずだ、と。
だが蓋を開けてみれば。
私とランドルフ様は貴族の政略結婚として互いに納得し合い、初夜に肌を重ね、義務を果たした。
普段から彼は私をセイラン夫人として立て、その姿を屋敷の者にも領民にも見せている。
付け入られる隙などない。
あの夜、ランドルフ様と結ばれた私は、彼にしっかりと守られている。
王命は退けられた。
その次にやって来たのは……ソフィアの脱走だ。
いや、脱走というか。
「駆け落ち……、お兄様、と……? ソフィアが……?」
何やってるの? 兄もソフィアも。
頭がどうかしてしまったの?
「問題はあるんだが……なぁ」
「なにか?」
「例のソフィア嬢は、王家から見切りをつけられていた。
当の王太子殿下からすら距離を置かれていたらしい」
「それは……」
私から奪った結果が、その有様だなんて。
「だから殿下の友人であったトーラス殿が、彼女を連れ去ることで殿下から問題を遠ざけようとした、と。まぁ、ある意味で忠義のようにも取れなくは……ない、とか」
「忠義でしょうか、それ?」
「さぁ」
さすがのランドルフ様も苦笑いよ。
本当に何してるの、お兄様。
「え、ではレイベルンの家や領地に逃げたのですか?」
「いや、見つかってはいないらしい。彼も嫡男だ。
当然、レイベルン家でも捜索している。事態を把握したいだろう王家もな」
「はぁ……」
王子妃教育から逃げ出し、兄トーラスと共に王宮から逃げ、駆け落ち。
最悪もいいところだ。
レイベルン侯爵家、嫡男の行動としては本当に最悪。
「王太子殿下は、それで……?」
「…………」
「ランドルフ様?」
「……ソフィア嬢を捜してはいないそうだ」
「まぁ」
愛が冷めてしまったの?
私を追い払ってまで結ばれたのに。
「彼が、ソフィア嬢を追いかけないなら、次に来るのは?」
「え」
ランドルフ様が私を見つめた。
え。まさか、と思いたいけど。
そう来るかしら? 嫌ね。もう、そんなの。
だって私は、もう──
◇◆◇
「アルカディア!」
「…………」
本当に来るんだもの。
ランドルフ様に手を引かれながら、私は応接室に入る。
当然、護衛だけでなくランドルフ様に守られている状態でよ。
何を笑顔でいられるの……? この人。
信じられない。
でも、想定通りだから私は冷たい表情を彼に向けたまま対応するわ。
「ご無沙汰しております。王太子殿下。
ランドルフ・セイラン辺境伯の妻、アルカディア・セイラン。
愛するランドルフと共に、殿下にお目に掛かれたこと、幸いに思います」
「えっ」
……カルロス殿下が驚いたような、ショックを受けたような表情を浮かべた。
本当に。
彼のような人は、未練ですらない考えを持っているのね。
「アルカディア」
「ランドルフ様」
「冷たい表情を浮かべたキミも綺麗だよ」
「そ、そんな。ランドルフ様」
演技、演技。演技、なのだけど、いえ、その。
普通に恥ずかしいというか。
「貴方も素敵ですわ」
そう言いながら私は自ら、ランドルフ様に顔を近付け、キスをしてみせた。
「なっ……」
と、というか、これは、こっちも被害が大きいというか。
恥ずかし過ぎる。
初夜以外に男女らしいことをしたこと、なかったもの。
キスだって久しぶりで……。
「な、なぜ……そんな、アルカディア……」
横目になぜか崩れ落ちるカルロス殿下が。
ええ……? そこまでショックを受けるのは、どういう感情なの?
私は、貴方に捨てられたんですけど。
「王太子殿下は、本日は私たちの婚姻を祝福しに来てくれたのですよね?」
「な……なん、違……そんなバカな」
「懐かしいです。ランドルフ様と結婚して、そして結ばれ……肌を重ねて。
私たちの結婚生活は順風満帆で、とても幸せなものでした。
いずれ彼の子も出来ることでしょう。私、そういう予感がするんです。
その時は今日のように祝福しに来てくださいますか? 王太子殿下」
「結ばれ……? 君たちは、なぜ、だって……?」
「何か? 私たちは夫婦ですよ? 結婚したのですから。
初夜を迎えるのは、結ばれるのは当然のことなのですが」
「お、王命による結婚だった! 無理矢理だっただろう! 襲ったのか!?」
「……何を言っているんです? 私たちは政略結婚とはいえ、互いに尊敬し合える相手と認め、そして同意の上で結ばれました。夫婦のことですよ? 王族とはいえ『赤の他人』の殿下になぜそんなことを言われなければならないのですか」
「た、他人って」
「私とランドルフ様こそが真の夫婦で、尊敬しあう関係なのですから。
王太子殿下は他人で間違いないでしょう?」
「ち、違……そんな。アル……」
「セイラン夫人とお呼びくださいませ。愛する夫と分かち合った名ですから」
「…………」
カルロス殿下の絶望した表情。
いい気味だとは思うけれど、腑に落ちなくもあるわ。
どうしてそこまでショックを受けるのかしら、この人は。
そこまで興味はもうなかったのだけれど。納得いかないわね。
「しかし。王太子殿下は、本日は本当に何をしに来られたので?
私と妻のアルカディアはこうして幸せに過ごしていますが……。
ああ、もしや魔獣との戦いを見たいですか?
戦場への参加を希望されるなら……殿下をご案内しましょう」
「ひっ!?」
そこでランドルフ様が威圧……のようなことを。
私は怖いとは思わないけれど。
カルロス殿下には随分と恐ろしいものに見えたようだ。
「な、何もない! もう失礼する!」
「では! 丁重にお帰りを手伝わせていただきます!」
元気よく。追い返すことを嬉々として、部下を呼びつけ、カルロス殿下は帰りの馬車に押し込まれた。
本当に何をしに来たのだか分からないままだったわ……。
「復縁希望を口にするまでもなく帰っていったな? ハハ」
「……反撃の間もなかったようですわね」
話もろくに聞かずに畳み掛けるように情報を与えたのだけれど。
あれで良かったのかしら?
私の羞恥心と引き換えにしたような気がするけど。
ライラック伯爵にやり返し。
噂をひっくり返し。
お父様とは和解のような手紙を送り合い。
王命を退け。
そして王太子殿下は追い返した。
あと残っているのは……。
「アルカディア。どうか助けてくれないか?」
「……トーラスお兄様」
ソフィアと駆け落ちしたトーラスお兄様が、あろうことかセイランの土地へやって来た。
久しぶりに見る兄は、ずいぶんとみすぼらしい。
落ちぶれた姿だった。
かつての私でも、ここまでではなかっただろう。
兄はどこで道を踏み誤ったのか……。
「……ここでは話しにくいことなんだ」
屋敷には入れず門の前で留めた上で、私は鉄の柵で出来た門越しに兄と久しぶりに会話していた。
「どうか俺と一緒に来てくれないか。頼む。アルカディア」
「はぁ……」
私は呆れたような目で見る。
「少々お待ちを出掛ける準備を致しますので」
「……中に入れてくれないのか?」
「王宮から、王太子の婚約者を連れ出して逃げたような罪人を、ですか?」
「ぐっ……! し、知っているのか」
「まぁ、それぐらいは」
「だ、だが婚約者ではない!」
「はい?」
「ソフィアは、まだカルロス殿下と正式に婚約は結んでいなかった!
その前の段階だったんだ!」
「ええ……?」
ソフィアは、王子妃教育は受けていたはずだけど……?
何してるの、王宮。
「彼女は王子妃教育を受けていたと聞いていますが?」
「そ、それが、だから『試し』の期間だったんだ! 正式に婚約を結ぶ前の!」
「それは……また」
そこは慎重だったということ?
だからって私には関係がないことなんだけど。
「で、殿下から聞いたりしていないのか? 2人が婚約はしていなかったって!」
「聞いていませんが……」
え。まさか、カルロス殿下があの日、嬉々として、自信満々に私の前に現れたのって。
ソフィアとまだ婚約していなかったから?
だから『安心して欲しい』とでも言うつもりで……?
だとしたら話を聞かずに追い返して正解だったわね。
「だから俺も罪人じゃない!」
「……だとしても、カルロス殿下を裏切ったことには変わりないのでは。
お兄様だけでなく、ソフィアも」
「ぐっ……!」
どの道、彼らは元には戻れないはずだ。
あまりにも外聞が悪過ぎる。
そもそも、既にカルロス殿下はソフィアへの興味を失っていそうだった。
「どうして、そこまで考えなしなことをなさったのかしら……」
「そ、それは。ソフィアが」
「ソフィアが? ……トーラスお兄様は以前も私に対して、意味の分からない態度を取られていましたわね?
あれもソフィアから何か『嘘』を吹き込まれたと考えてよろしくて?」
「……それは」
「答えねば、貴方については行きませんよ」
「くっ! そ、そうだ。あの頃は、ソフィアに言われて……アルカディアが、ソフィアを虐げていた、と」
「それを信じた? 身内の私よりもソフィアを?」
「……そうだ」
「…………はぁぁああ」
それが私が王都を追われた原因。
そう言えば王都追放の撤回もされていないし、謝罪もされていないわね。
別にもういいけど。
私は、このセイランの地で生きていくのだもの。
「で、ついて来て欲しいのでしたか」
「あ、ああ! そうだ! ついて来てくれ!」
「……これで最後ですよ。もう二度と貴方の言うことなど聞きません」
「ぐっ……。あ、ああ。これで最後だ」
「そう」
私は首を横に振り、屋敷へ一度戻ってから……準備を整えて兄へついていった。
護衛もついている。
ずっと兄は、護衛を気にしている様子だ。
私ではなく。
……本当に、どこまで。
「な、なぁ?」
「なんですか」
「兄妹なんだ。2人きりで話せないか?」
「…………構いませんよ。どこが希望なのですか。貴方の最後は」
「さ、最後って」
「そういう約束でしょう?」
「そ、そうだな……」
ある程度の地点で護衛を離し、兄の誘導するまま。
「こっちだ!」
兄が突然、私の手を引っ張ったかと思えば、ある家の中に連れ込むように……。
「はぁ……」
「うわぁっ!?」
ならなかった。
私の『手』がすっぽ抜けたのだ。
正確に言うと、色を塗った木の棒を上着の裾から垂らしていて、その『偽物の腕』だけ。
それを掴んだ兄が、勢いのまま屋敷の中へ倒れたの。
「バレないものねぇ……」
右手だけの義手というか、おふざけグッズというか。
何を考えたのかランドルフ様に装着された、ダミーアームをひっ掴んだ兄が、私を連れ込む予定の家の中へ倒れ込んだのよ。
護衛にばかり注意しているから。
「ソフィア! この中に居るんでしょう!? 出てきなさい!」
「…………!」
屋敷の中から息を呑む音が聞こえた。
「こちらから踏み込まれたい? おバカなお兄様は気付いていなかったみたいだけど。
私の護衛は離れていないし、この一帯はもう包囲されているわ。
……ねぇ? 私の夫のランドルフ様」
「ああ」
そう呼び掛けると、当然のように彼は現れたの。
……上から。
シュタッと降り立つように。
「どこから現れてるんですか……」
「屋根の上からキミを追跡していた。辺境伯を舐めるなよ」
「いえ、舐めるとかじゃなくてですね」
あと別に辺境伯の特技ではないですから、それ!
「さて。大詰めか」
「はい。これで清算が終わります。私も憂いなく貴方とこの地で暮らせます」
「そうかそうか。では」
「ええ」
コクリと頷き合ったかと思えば……ランドルフ様は閉ざされていた扉を思いきり蹴破った。
バゴォッ! と大きい音を立てて。
けっこう厚めの扉なんだけどな……。
「ひぃ!?」
「きゃああああっ!?」
ソフィアの悲鳴。やっぱり来ていたのね。
本当になんで? 逃げ隠れるにせよ、なぜわざわざ私の近くへ来るのかしら。
ただ私を見下しているというよりも、もう執着心よ、これは。気持ち悪い。
「お前が『悪女』のソフィアか。やはりアルカディアの方が美しくて可愛いな」
「なっ……!」
開口一番。真っ先に私とソフィアを比較して見せるランドルフ様。
狙ってやっているのか、天然なのか……。
「ランドルフ様」
私は、呆れたように彼の隣へ立ち、そして屋敷の中へ押し入った。
扉を蹴破られて驚き、座り込むトーラスお兄様と、そしてソフィア。
ずいぶんと落ちぶれている姿よ。
どうやって逃げてきたのか。見すぼらしい有様で。
「久しぶりね。ソフィア。何をしに来たの? 私、ランドルフ様と結ばれて今、幸せなのだけれど」
「っ!!」
殿下と同じく。なんとなくこうするのが一番だと。
だから私はランドルフ様の左手に絡みつき、腕を組んだ。
ちょっと恥ずかしい……。
「な、なんで! なんでアンタが幸せになってるのよ!?」
「はぁ?」
「『北の暴君』に無茶苦茶にされてなきゃダメでしょ!?」
「……そう思っているなら、なぜセイランに来たのよ。
勝手にどこかで、そう思い込んでればいいでしょうに」
「そんなことを! あ、あんたが幸せになる『物語』ばっかり流れてきて! そのせいで私は!」
「あぁ……」
あれ、効いてたのね。本人にもしっかり。
悪役令嬢が幸せになるシリーズの劇……。
「あんたが私より幸せになっていいわけないでしょうが!!」
「…………」
私は、ランドルフ様と顔を見合せた。
そして彼は呆れたように肩をすくめてみせる。
もはやソフィアの事情など聞く気も起きない。
今の一言だけで想像できる。
細かい、彼女の……お可哀想な事情など知ったことじゃなかった。
「……それで? 貴方が今、隠し持っているつもりのその凶器で。
私を傷付けてしまおうとしたの? お兄様まで使って、呼び出して。ふっ」
私は、最大限ソフィアを挑発するように。
嘲るように、見下して。
『悪女』らしく、笑ってあげたわ。
「バッカみたい! あはは! 何もかも私より下のくせして!
上手くいくと思ったのぉ? 貴方が隠してることなんて全部、お見通し!
お陰で私は『前から愛していた』ランドルフ様と結ばれたわ!
面倒な王妃教育も貴方に押し付けてね! ありがとう、ソフィア!
私のために今まで踊ってくれて! 私、貴方のお陰で幸せだわ! あはははは!」
は、恥ずかしいわね!
このセイラン劇団員・直伝『悪役令嬢の高笑い』って!
「な……なん、ですって……!?」
「貴方、私に泳がされてたの、ぜぇんぶ、見抜かれてたの。
その上で私の手の平の上でずっと踊り続けてたのよ!
私、ランドルフ様と結ばれたかったの、昔っからね! うふふ!
私が捨てたもの、私の要らないもの、ぜぇんぶ引き受けてくれて、あ・り・が・と・う、ソフィア!
流石は私の友人だわ! これからも私の要らないもの、全部押し付けられてちょうだいね? うふ!
バカな女らしく、私の操り人形になってればいいわ!
うふふ、あはは、あーっはっはっは!」
悪役三段階笑いよ!
……ランドルフ様! ちょっと隣で笑いを堪えないでください!
「アルカディアぁああああああッ! 許さない! 絶対に!」
「待っ、ソフィア!」
「はい。おしまい」
「ああ」
ソフィアは隠していた短剣を取り出し、私に向かって突進してこようとした。
凶器を隠し持っていた。
それだけでなく、私たちに向かってそれを向けた。
ガン!
「ぎゃっ!」
ドゴッ!
「あぶっ……!」
ランドルフ様は剣すら使わず、また相手が女性であっても容赦なく……。
武器を叩き落としたそのままソフィアの腹を蹴り飛ばした。
……分厚い扉を蹴り破るランドルフ様のキック。
それをカウンター気味に喰らうなんて。大丈夫かしら?
一発で失神しちゃったけど……。
「まぁ、今のぐらいでは死なないだろう。……おそらく」
「おそらく?」
「……うむ」
せ、正当防衛だから。挑発したのは私だけど。
そうして。当然、周りに集めていたセイランの騎士たちに2人は拘束されたわ。
その後は相応の罪に問う。徹底的に。
それで、おしまい。
彼女の動機なんて、もはや興味はなかった。
嫉妬心だったのは間違いない。それがどこで芽生えたかなんて、本当に知った事じゃない。
兄はおそらく廃嫡となるだろう。
レイベルン侯爵家は、縁戚から跡継ぎを探すはず。
ソフィアは殺人未遂で犯罪者として捕まり、王宮から逃げたことでさらに事態は悪化。
ライラック伯爵家も落ちぶれ、爵位や領地を手放すことになる。
王命を違えたことでセイラン家と王家は距離が開いたが……。
理不尽な要求をしてきたのは王家の方だ。
貴族たちの多くはセイランの味方についてくれた。
その王命を聞き入れる国にしてしまっては、他家の貴族とて、ただでは済まないのだから。
そんな理不尽すぎる王命を『出そうとした』王家への風当たりは強い。
私を陥れた人々は少なからず報いを受けた。
それで私はもう十分だ。
王都や実家に、未練はない。私は前へと進んでいく。
「アルカディア」
「ランドルフ様……」
私と彼の関係は相変わらず。
初夜以降、まだ肌を重ねていない……。
でも、気持ちの方は。
最初に出逢った頃よりも、ずっと、ずっと、深く芽生えていた。
「……ひとつ、提案したい」
「なんでしょうか。ランドルフ様」
「これから、キミのことを……『アルカ』と。愛称で……呼んでもいい、だろうか?
まずは、その辺りから、その。愛のある……夫婦を始めていこうかと。
そう思うのだが……」
「────」
私は、当然。その言葉を受けて。
とびきりの笑顔を浮かべて──
アルカディア・セイランは、辺境の地で幸せを掴むの。
~Fin~
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いえ、分かっているんですよ。
契約結婚や白い結婚してから、やっぱり好き好きーってなって
一悶着あって改めてゴールインってのが王道だって。
でも、どうせお前、後でベタ惚れするだろ……とか。
白い結婚のせいで敵につけ込まれてピンチになるんだろ、とか。
そう思うとね。
『抱けっ! 抱けーーーーっ!!』
ってノスタルジックな気持ちになりまして。
なので初対面で初だけど、貴族なんだから覚悟を持ってヤれ!!
という話になりました。
ぎゃ、逆張り……。
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【偽りのピンクブロンド ~貴方が愛した令嬢~】
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