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前編 『初夜』

「キミはどこまでの覚悟をしてきている?」

「覚悟、ですか……?」


 結婚式を挙げた夜。つまり初夜。

 私、アルカディアは、夫婦の寝室で夫となった彼にそう問われた。


 銀色の髪と青い瞳をした、美しい男性。

 ランドルフ・セイラン辺境伯。


 ……私が彼と会ったのは今日が初めてだった。

 形ばかりの式を行い、強引に結ばれた婚姻。


 そうなった理由は……私が婚約していた人、カルロス王太子殿下に……婚約破棄をされたせい。




 私は政争に敗れた。

 小さな女の戦いという政争に。

 友人と思っていた女に王太子殿下の寵愛は奪われ、あれよという間にやってもいないことで断罪されて王都を追い出された。


 私の実家は侯爵家だ。

 でも父は、王太子から捨てられた私を助けてはくれなかった。

 ……助けられなかったのかもしれない。


 『悪女』とまで罵られ、悪評も立てられ、対処がし切れず……。

 私の力足らずが原因だった。


 兄も居たが、私の味方にはなってくれなかった。

 殿下の側近として近くで過ごして、彼への忠誠心もあるから。

 私は兄には、むしろ軽蔑すらされていた。

 ありえない断罪劇の裏には兄も居たのかもしれない。


 母は既にこの世におらず、多くの貴族子女たちから疎まれてしまった私に味方は誰も居なかった。



 そうして。

 婚約破棄を突きつけられ、断罪され。

 王家の命令で……セイラン辺境伯に嫁ぐように言われた。

 父も、その命を抗わずに受け入れ、私を辺境伯領へ送った。



 セイラン辺境伯家、ランドルフ様に婚約者や妻が居なかったのにも理由がある。


 それはセイラン家が辺境伯という地位にある理由と同じだ。

 この地が隣接しているのは他国でない。


 王都から見れば北にあるこの大地。

 その、さらに北からは……魔獣が溢れ出す魔の領域が広がっている。


 セイラン辺境伯家は、魔獣たちから王国を守るためにある土地なの。

 この地には争いが絶えない。

 停戦協定を結ぶ相手すら居ないから。


 ……そのような家と土地に、中央貴族は令嬢を嫁がせたがらない。


 この婚姻は『悪女』に課せられた罰のようなものだった。



「覚悟、とは」

「俺とキミは今日、会ったばかりだ。

 王命での婚姻であり、式すら簡易なもの。

 互いに愛など芽生えさせる時間はなかった。

 ……つまり、これは愛のない結婚だ。

 政略結婚にだって、親愛と呼べる絆、互いへの尊敬を構築する時間があるものだろう。

 だが俺たちには、それすらなかった」

「……はい」


「俺はキミのことをよく知らない」

「そうですね」


 でも。それは。私も。


「キミもそうだろう?」

「え」

「キミも俺のことを何も知らない。

 ……噂ぐらいは聞いただろうが。

 互いにくだらない噂よりも、目の前にいる自分自身を、相手自身を見て判断するべきだろう。

 せっかく夫婦となり、すぐ近くに居るのだから」

「…………」


 私は改めて、ランドルフ様を見た。


 銀色の髪も青い瞳も、整った顔立ちも。

 魔獣を打ち倒す乱暴者のイメージはそぐわない。


(でも、身体付きはとても逞しい。鍛えられているのね……)



「そこでキミの覚悟を問いたい」

「私の覚悟を……」

「キミは今日、辺境伯夫人になった。

 アルカディア・セイランになったんだ。

 ……キミはこの婚姻をどう受け止めた?

 『どうあっても逃れたい婚姻』か。

 それとも。

 『この地での運命を受け入れ、生きていく』か」

「……!」

「通達は王都でされた。迷う時間はあっただろう。

 ……その時間が短かったとしても。

 どうだ? キミはどう決めて、この場に居る。

 絶望か? 矜持か?」


 まっすぐに、彼の目は私を射抜いていた。

 彼は貴族の女としての私の覚悟を、矜持を問うている。



 ……どんな理由であれ。

 婚姻を結び、初夜の場に姿を見せた。

 その時点で、その女は覚悟を決めていなければならない。


 そこに愛がなかったとしても。

 親が決めた、家のための結婚であったとしても。

 過程が異なっただけで私のような結婚をする女は居る。

 それでも彼女らは泣き言など漏らさず、初夜を迎えるだろう。


 私にその矜持は、誇りはあるか……。



「──私は侯爵令嬢として育った、貴族として、この婚姻を受け入れています。

 その覚悟をもって、ここに居ます。

 ランドルフ・セイラン辺境伯閣下。

 ……貴方に嫁ぐと覚悟をして、この地に足を踏み入れました。

 逃げるつもりはありません」


 ぐっと、心を奮い立たせて、彼の目をまっすぐに見返した。



 ……恐怖は、ある。それでも。

 それは、いつだって。

 貴族に生まれた女なら、いつかは訪れる行為。



「よく言った。度胸がある。貴方は『いい女』だな」

「え」


 ランドルフ様は、ニッと。

 少年のような微笑みを浮かべた。


「……俺たちの間には、まだ愛はない。

 だが、いずれは生まれるかもしれない」

「え」

「たとえ愛が芽生えずとも。

 俺は、妻となるキミとは互いを尊敬し合い、尊重し合えるような関係を築いていきたい。

 ……文字通りの政略結婚だ。

 それでも俺は、この地の主として。

 アルカディア・セイランを妻として立て、仕える者たちや、領民からも敬意を払われる女主人として歓迎しよう」

「……!」


 私は目を見開いた。



 ……勝手に思っていた。

 私は、どうせこの地でも蔑まれ、悪意を向けられるのだろうと。

 夫となる者からも敬意など払われないのだろう、と。

 かつての婚約者だった王子のように。


 だけど。



「……差し当たって」

「は、はい」

「今日会ったばかりの俺たちではあるのだが」

「はい……」

「今夜を乗り越えねばならない」


 今夜。初夜……。


「……このような時、本来ならキミを気遣い、契約結婚や、白い結婚を提案すべきかもしれないが……」

「それは……」


 視線を逸らす。

 だけど、そんなことは。


「アルカディア。貴方は美しい」

「へ」

「……美しい上に度胸もある、良い女だ。

 おそらく俺は、この先……キミに惚れる。

 気がする。それは、普通の男なら仕方ないことだ」

「え、あの」


「すまない。これは女性の思う『愛』ではないだろう。

 だが、これほどの美しい女が妻として嫁いできて、それで惚れ込むな、というのは……。

 たぶん俺には無理だ。

 キミに微笑みかけられたら、俺は照れてニヤついてしまう自信がある」


「いや、あの」


「それが愛かはさておき、男として、貴方が好ましい。

 ……この先どうあったとしても、きっと手放したくなくなるはずだ。

 キミの心がそれに伴うかはともかく、自分の女にしてしまいたかった……と。

 絶対に後悔する。

 なんだったら、キミとの婚約破棄をした王子なんか既に後悔しているんじゃないか?」


「それは知りませんけど」

「うむ。だから正直に言わせてくれ」

「は、はい。どうぞ……?」


「俺と今夜、結ばれてくれ、アルカディア。

 俺はそれを望んでいる。

 愛はまだ深まっていないが……。

 それでも貴方を丁重に扱う。

 ……念の為なのだが。一応、傷つけないための液も用意している。身体にも悪くないものだ」

「ま、まぁ……。それはまた、準備がよろしくて……」

「うむ。政略結婚の初夜であるからには、流石に、な」


 ロマンチックではない。

 でも。


 でも。

 なんだろう。


 悪い人ではなさそうだな、と。そう思った。

 それに少年のように微笑んだ顔は可愛かった。

 ……体格のがっしりとした、成人男性なのに。



(政略結婚の相手としては……悪くない、誠実そう、それに)


 今、愛が芽生えていなくても、これから尊敬し合える関係を築きたいと彼は言った。


 それは政略結婚に臨む貴族令嬢が願うこと、そのものだ。

 出来れば愛し合う相手がいい。


 だけど、そうでないなら、せめて、と。

 その……最低限の、一線は越えてくれている。


(なら、悪くないわ。ええ)


 燃え上がるような情熱的な愛が芽生えなかったとしても。


「ど、どうぞ、お手柔らかに」

「相、分かった。……俺は初めてなのだ。

 慎重にする。欲望に任せ過ぎないようにも」

「そ、それは……はい。こちらも初めてですので……」


 そうして。

 私とランドルフ様は結ばれた。


 白くはない結婚。


 ……ごくありふれた政略結婚と、初夜を迎えて。


 それは思っていたよりも、ずっと優しい。

 私の心を傷つけない夜だった。


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― 新着の感想 ―
[一言] せっかくの素敵なお話なのですが、王太子妃候補にもなった令嬢が、とっさに「へ?」というのは、ちょっと…
[一言] いい女だし、いい男だし。 期待が持てますね。
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