不死原の仮面
七回目の二千二十六年七月十一日を迎えた。不死原と連絡がついたことで少し安心できたのかこの日はベッドで睡眠をちゃんと取る事にする。快適な眠りを約束するマットというだけに、私は横になるとすぐに眠りに落ちていった。
※ ※ ※
成田空港の出発ロビー。私は親友の一人レイカの見送りに来ている。
『レイカまで遠くに行くなんてさみしいよ〜』
友人のアサヒがアメリカに旅立つレイカに抱きついて泣いている。アサヒは最近彼氏と遠距離恋愛状態となり、少し情緒が不安定気味。
『今時、ネットでいつでも話せるでしょ!』
『そうだけど、こうしてヨシヨシして貰えないじゃん』
私とレイカは顔を見合わせて笑ってしまう。
『私がレイカの分までヨシヨシ仕上げるから!』
レイカから少し離れて私をチラッと見るアサヒ。
『でもさ、周子の家、あの男がいつもいるじゃん。せめて席外してくれたら良いのにシレッと同じ部屋にいて私が持ってきたお菓子食べてるし』
その話を聞いてレイカも顔を顰める。
『あのさ周子、お笑い芸人しているというけど、アイツほとんどヒモ状態じゃん』
『いや、流石に養うまではしてないけど』
『バイトして家賃とか入れてくれているの?』
私は笑って誤魔化すしか出来ない。しかし付き合いの長い二人は誤魔化せない。
『あんな男に周子は任せられない!
さっさと放り出して捨ててしまいなさい!
いい、今度私が休暇で帰るまでに別れなさい!』
そう友人命じられて私はハハハと笑うしか出来なかった。
甲斐性にない男だから捨てる。そんなドライな事しても良いのか? という想いとただただ私に甘えるだけの行動しかしてこなくなっている恋人に疲れを感じている私もいた。
※ ※ ※
目覚めはなんともスッキリしないものだった。何とも言えない苦い気持が心に広がる。私は頭を横に振って気持ちを切り替える。
バスルームで身体をキレイにして、しっかり朝食をとってから不死原を迎えることにした。
三回目以降はパニックを起こしていたことで、ワンピースを着ていたものの髪やメイクは適当で出かけていたような気がする。
今更しっかりメイクをしてもとは思う。しかし人との待ち合わせということで、私は鏡に向かってしっかり身だしなみを整えた。
チェックアウトを終え、私は緊張しながらロビーで不死原を待つ。
それは本当に来てくれるのか? という不安からくるものなのか、不死原と二日ぶりに再会することに対してなのだろうか?
ホテルのエントランスに車が来るたびに身体を動かしてしまう。八時四十五分約束の時間にもなっていないというのに。
四十七分になり、見慣れた車がエントランスに滑り込むように入ってくるのが見えた。
ドアマンと言葉を交わしてから、こちらに向かってくる不死原の姿も確認する。
私はすぐに立ち上がりトランクを引っ張って入り口へと急ぐ。
今日はカーキのシャツに淡いベージュのパンツ姿でお洒落なホテルの雰囲気と相まって颯爽とした感じに見えた。
最初ロビーに視線を巡らせ人を探そうとしていた不死原は私の姿を見つけ何故か少し驚いた顔をするがすぐに笑みを作る。
「佐藤さん、お待たせしました」
そう言ってからスマートにトランクと荷物をもち車へと誘ってくれる。こういう所は本当に紳士的だと思う。
「佐藤さん、申し訳ありませんでした」
ホテルを出て走り出してからの不死原の第一声はそれだった。
「え? 約束九時でしたよね? 全然早いじゃないですか!」
私がそう返すと、顔を横に振る。
「貴方の気持ちをもっと考えるべきでした。この三日間不安でしたよね」
その通りではあるが、大人としてそう返しにくく私は言い淀む。
「え、あ、まあ。色々調べることは出来たので」
「……さっき顔を合わせた時の貴方の表情を見て……反省しました」
私はどんな表情をして居たというのだろうか? 恥ずかしくなる。
「話って、あまり人がいない所の方が良いですよね?」
人に聞かれて困るという程ではないが、喫茶店とかで話すと変な人と思われそうな所はあるので私は頷く。
「私たちの今の状況についてですので、人のいる所だとなんか変な感じになりそうで」
「ですよね、かといって、このまま運転しながら話すのも落ち着かないな」
不死原がそう言って連れて行ってくれたのは【crossing dreams】という名のギャラリーカフェだった。
正面の前面ガラスとなっていて、そこは外からでも販売している展示物が楽しめる棚となっている。壁にはいくつかの絵や版画が飾られており、複数の人のバラバラの作品が並ぶのに、暗めの色の木材を使った内装がそれらを落ち着いた感じにまとめていた。
笑顔で不死原を迎える店員に『三階を使うね』と声をかけて店の右端にある螺旋階段を登っていく。
私はお店の人に頭を一応下げてついていく。二階はワークショップ会場になっているようで、女性が集まり何かを作って楽しんでいる。
不死原はワークショップにいる人に軽く挨拶をして、お洒落な門戸なような扉を開け更に上へと続く階段を慣れた様子で登っていく。
三階には二つの扉があり、手前の部屋の扉をあけ不死原は中へと誘う。
中にはソファーとテーブルがあり応接室のようだ。ソファーの座り心地が半端なく良い。
それにこの応接セットにしても部屋にしてシンプルなのに品があった。
先ほどギャラリーカフェにいた三十代くらいの女性が珈琲の入ったカップを入ってくる。
その女性はクールな感じで仕事もできるという感じ。
何故か私に対してチラリと探るような視線を向けてくる。
神社で私が対応を間違えた後の宮司さんの奥さんの視線に似ている気もした。
「ありがとう。
この方は東京で残刻が展示会でお世話になった佐藤さん。
命日の今日わざわざご挨拶に来ていただいたんですよ。
此方はこの店のマネージャーの眞邊です」
眞邊さんとやらの視線に気がついたのだろう。
この状況で最も自然な関係に伝わる形で私を紹介したようだ。
眞邊さんもどうやら親族のようだったが、その紹介で眞邊さんの警戒心は消える。
そして残刻さんに対してのお礼を言われ私は無難な返事を返すしかなかった
気配りができて人と接する行動が男性なのに丁寧で上品。
女々しい感じはなく所作に品がある。
これが育ちが良いという事なんだろうと感じる。
女性が下がり扉が閉まるのを確認してから私は改めて不死原と顔を向き合わせる。
不死原の顔が今日は少し疲れて見えた。
「今日は会っていただいてありがとうございます」
私の言葉に不死原は顔を慌てたように横にふる。
「いえいえ、俺の方は自分のことでいっぱいになり、貴方を蔑ろにしてしまっていて申し訳ありませんでした」
こんな異常事態、自分のことでいっぱいになるのは当たり前だ。
私と違って、自分の生活圏で災害が起きている。
「不死原さんは、知り合いの方とかも巻き込まれている状況ですから色々気になるのは当然です」
不死原は顔を顰め少し辛そうな顔になる。
「それに三回も助けていただきました。
ありがとうございます」
お礼を言うと苦笑されてしまった。
「結局助けられていないし、余計な事だったような気もするけど。
貴方はあの後……大丈夫だった? その……」
私は顔を横に振る。
「この状況でも死を選ぶ程、刹那的な性格ではありませんから。
マゾではないです。
痛みを感じたいのではなくて完全な死を迎えたいだけですから。貴方は?」
不死原は長い指を顎にあて顔を傾け少し悩むような仕草をする。
「今は……似たような感じではあるかな?
少なくとも今の段階での俺たちの死は意味がなさすぎる」
「ですよね」
私はため息をつく。
「そういえば、フジハラって」
不死原の言葉に私はウッと小さい言葉を漏らしてしまう。
「申し訳ありません。ずっと間違えていて。
神社の宮司さんたちとお話しをして気がつきました。
そういえば宮司さんの奥さんにかなり不快な想いさせてしまったみたいで」
不死原はクスクスと笑う。
「いや逆に貴方の方が失礼な対応されたのでは? 恥ずかしい話だけど、俺が前にストーカー被害にあったことがあって。
それで二人が過剰な反応して貴方に接したのではないかと」
過去にそんな事があって、その後いきなり家を聞き出そうとする女が現れたら警戒されて当然である。
「それは、大変なことがあったんですね。
私も不自然な会話をしてしまったので。
貴方と連絡つけたくて」
不死原は穏やかに微笑む。
「あ、そういえば俺に伝えたいという事って?」
私は不死原に今日調べた七月十一日にばかり起こっている事故のことを話した。
流石に自分の身内とも言うべき存在の事故の話だけに不死原は不快そうに顔を顰める。
「確かに俺も十一月十一日生まれだけど。しかし……残刻が……」
「偶然かもしれないです。ただこうも謎な現象だと、どんな事も無関係とは言い切れなくて。
……あの、十一残刻さんは……あそこの銅像を作った方なんですよね? 不死原さんとは……」
俯いていた不死原は顔を上げる。
「親戚で血縁的には何になるのかな?
従兄弟より遠いか、はとこ? でも兄弟同然で育っていて……家族で……親友という言葉が一番しっくりくるかな」
「そうだったんですね……だからあの像も不死原さんに似ていたんですね」
不死原は寂しそうに笑い頷く。
「アイツがね、久刻様のイメージは俺だって言って、俺をモデルに作った。
アイツ自身の方が直系の子孫なのに……。
さっきの貴方の話が正しかったとして、その事故にあった人ってどうなっているんだろう。
そして今回、何故俺と貴方だけがこうしてループしている時間の中で自由に動けているのだろうね」
私は首を横に振るしかない。私なんかで分かる問題ではないから。
「俺なりにも、この現象について調べていたんだ。
そこで感じたのは、この世界がループしていると認識しているのは俺と貴方だけだ。
前のループで起こった出来事の事も知らないから、同じ行動をしてしまう。
それが死につながるとしても。
そしてループで死んだとしても一日が戻ったら生き返る。それは俺たちだけではなく誰でも」
私もそのことは感じていたので頷く。
そして不死原の言葉が末時町の話をしている事にも気がついていた。
離れていた三日日の彼の行動を想像する。
不死原は彼女を助けに行ったのだろう。
その結果助けられたのか、助けを拒絶したのか分からない。
そして不死原の元彼女さんはループが終わると、ループ前の事を全く覚えておらず死を避ける素振りもない行動を繰り返す。
目の当たりにするとかなりキツそうだ。
「そうですよね、二回連続神社の方に行ったのですが、宮司さんも奥様も全く一回めの私の事を覚えていませんでした」
「俺のスマホにも人から毎日全く同じ文章の連絡が入ってくるよ」
不死原は苦笑いをしながら、珈琲を飲み壁にかけられた時計に視線を向ける。
「そろそろだな」
その言葉のすぐ後に、建物が揺れ始める。揺れが大きくなってくると下の階から悲鳴が上がっている。
不死原は冷静な様子で立ち上がり扉を開け外の様子を伺っているようだ。
揺れが治ると私に「ちょっと失礼しますね」と断ってからから廊下に出て階段を降りていく。
「皆さん大丈夫でした?」
下の階からそんな不死原の声が聞こえる。
下の階の様子を確認しにいったようだ。穏やかな様子で従業員やお客様に気遣いの声をかけているの。
それで彼がここのオーナーであることを察する。そして彼が良い上司で従業員からの信頼も厚く慕われているのを感じる。
その様子を上の階から伺っていると、何故不死原のような人が自殺をしようとしたのかますます分からなくなる。
階段を登ってきて、不死原は私を見て首を傾げる。
「下は大丈夫でした? 私も気になって」
不死原は上品に微笑む。
「何も倒れてなかったので怪我をした人もいなかったようです。
こちらは震度四程度でしたからね。
お気遣い頂きありがとうざいます」
綺麗な笑みでそう返してくる不死原を見て、仮面のような表情だなと感じる。
しかしそれは上っ面の薄っぺらなものでは無く、それはそれでこの男の一部なのだろうと察する。
災害が起こった時に率先して動き部下らを気遣うという上司として完璧な様子。
崖から落ちそうになった私を咄嗟に助けるように動いてくれたのと同様、この男の本音からの行動。偽りからくる表情ではない。
仮面の後ろには様々な感情があるのだろうが、不死原は穏やかな笑みという仮面でそれを隠す。
大人になり社会人となったら誰もが身に付ける外面の一つなのだろうが、この男の仮面はなかなか強固。
その表情が優しい感じなのに人間味に欠ける。
だから初めて会った時に胡散臭く感じたんだと気がつく。
そう言う私はどうなのだろう? 弱い自分を必死に隠すために、おおらかでタフで元気な女という仮面を被ってきたのでは?
小学校時代の父の死、高校時代闘病する母を介護し看取り。周りからの可哀想、大変ねという声をはねつける為に冷静で強い子を装ってきた。
「佐藤さん、どうかされました?」
「いえ、不死原さんって良い上司ですね。
地震での対応の様子に少し感動していました」
不死原は目を見開き意外なことを言われたという顔をする。
「普通ですよね? それにここのオーナーやってますが、普段は彼女達に丸投げでたまに来ては上司面してる。
とてもじゃないけど、良い上司とは言えない」
そう言って笑う。スムーズに自然な会話を交わしているけれどなんか現実味がない。
私がこういう名家の御曹司というものと接したことがないこともある事もあるかもしれない。
ドラマで見るような完璧な名家の若き経営者。
私の務めていた事務所の俗者所長とは異なり、この建物に入ってきた時の感覚でも歓迎されていた。
それは彼女達にとってちょっとしたアイドルが来たような表情ではあったが、愛されている上司なのだろう。
「何言っているんですか、上司は留守の方が部下はノビノビ仕事が出来るものなんですよ」
「そういう意味では、良い上司かもしれません」
不死原は穏やかに見える表情で笑いながらスマートな仕草で応接室に私をエスコートして移動する。
そういえばこの男は、あの崖から連れ出す時もこのように紳士的な仕草だったことを思い出した。
二人で改めて、七月十一日について調べていると、カフェのエプロンをつけた若い女性が不死原を呼ぶ。
扉のところで話しているので声は聞こえる
「渉夢さん、実は今連絡が。末時の辺りで大規模の地滑りがあって国道が不通になってしまったそうです。 今日の復旧はまず無理そうとのことです……あの……もしよかったらウチに」
こういう感じもドラマのようなど思う。若きイケメンのギャラリーオーナーと彼を支えるギャラリー従業員がアクシデントをキッカケに距離を縮めてといったところだろう。
不死原は首を横に振り、もう見慣れた笑みで微笑む。
「そうみたいだね。申し訳ないけどホテルを二部屋とってくれる? 俺と彼女の分を」
当ての外れた女性は、私の方をみて少し睨む。
「新幹線も止まっているみたいだから。こんな状況で放り出したら彼女のご家族に叱られてしまいます。
それにいくら兄妹のようなものだからって、もう大人なんだから簡単に男性を部屋に誘っては駄目だよ」
ニッコリと笑う不死原に女性は少し不満そうだ。先ほどの眞邊さんとは異なりモロに顔に出るところは若いなと思う。 同時にイケメンの名家の息子は色々大変そうだなと他人事のようにそのやり取りを眺める。どうやら二人は親戚関係なようだ。
「私は妹ではないです! 渉夢さんのこと」「だったら、尚更俺は行くわけにはいかないユキナリさんにも君とのお縁談のお話はお断りさせてもらっている」
笑顔だけどハッキリ相手を拒絶する不死原。少し意外な面も見た気がするが、そういう事も慣れているのかもしれない。
「お客様の前で、恥ずかしい真似もやめなさい。
ホテルの手配を頼んだよ。
……いやいい、手配は眞邊の方にやってもらうから」
不死原はそう言って女性を下げさせ、インターホンで下で仕事をしているであろう眞邊さんと会話しホテルの手配を命じた。そして私の方を見て苦笑する。
「大変ですね」
不死原は肩をすくめるだけで何も答えず、話を再開させた。
途中家族から安否確認の電話など来ていたがそれにも穏やかに受け答えを返す。家族との関係も良好なようで、周りの人から色んな意味で愛され必要とされている。
恋人と別れたから自殺をはかった。そう聞いた時はどこの甘ちゃんだ? と思っていたが、見た目の線の細さとは異なり男らしいし、結構しっかりしている。
何故自殺という選択肢を考えたのか逆に不思議になってきた。
しかし自殺の理由なんてそうおいそれ聞ける話でもない。
私たちはこの怪現象の謎についてだけ話し合った。
今の二人がすべき事は、この現象からの脱却。それだけだから。
しかし自殺志願者の私達が、このループから抜け出した後どうするのか?
私の意思は固まっている。しかし不死原は? 若く未来も明るいであろう彼は、やはり死ぬべきではない。思えて仕方がなかった。




